三人の休息 第六話

「おい、岬まであとどのくらいだ?」
「そうね、大体二日、三日くらいね。でも、本当に大丈夫なの?」
 灰色の雲が空を覆いつくす下を行く甲板の上で、サイアス、レン、ジダンの三人が船の先に見える大海原を横目に話し合っている。
「さあな、少なくとも俺様じゃどうにもならねえし。けど、クソ親父に用がある以上は避けて通れねえぜ。」
 再びオリビアの岬へと向かう事に不安をかくせないレンに対して、サイアスはそう答えていた。
「フム、ワシのシャナクもあれには通じなんだな…。」
「俺のトヘロスもな。」
「かといって…、何もしなきゃただ流されちゃうだけだし…」
 いかなる順風を受けている船でもたやすく押し流してしまうだけのオリビアの岬の激流、勇者サイモンが流刑に処せられている孤島の牢獄へ向かうルートの途中での最大の障壁となっていた。
「…ま、全てはコイツ次第って事だわな。」
 サイアスはその手のうちにあるオパールのペンダントをもてあそびながら、口元に笑みを浮かべていた。
 
 
 時は遡り、サイアスは幽霊船をただ一人探索していた。
「おいおい、どうしてこんなんで浮いてられるんだよ…」
 腐敗したり劣化した木造船の内部、同じ様に水が腐った臭いが辺りに立ち込めている。随所で浸水した様子が見られ、いつ沈んでもおかしくない状態だった。
「……あー…これも怨霊とか何かの影響だってのかよ。」
 サイアスは、ただ一人船の中で、その陰鬱な空気に心底うんざりした様子でそう呟いた。
―やーれやれ…レンもカリューも案外女の勘が良いって事だわな…。
 幽霊船とでも称せそうな船の雰囲気に動けなくなるほどの恐怖を露わにした女戦士と神官、普段とはかけ離れた一面と、それが物語るこの船の惨状に、思わずため息が出る。
 
パシャッ!!
 
「まぁた…死にたがりかよ…。」
 突如として下方に響く水音を聞くとともに、サイアスはすぐに背中の黄金の剣を引き抜いて、前方へとかざした。
 
バチバチッ…ズゴォッ!!
 
 剣先で巻き起こった稲妻が飛来し、見えない敵へと牙を剥いた。
「…っう…!手ごたえありっ…と!」
 自らにも電撃の余波からくる痺れを感じてわずかに表情を苦痛に歪ませながらも、サイアスは満足そうにそう呟いた。
「だぁから船の上はキライなんだよ。」
 水気の多い場での電撃の使用は術者や使用者、そして仲間を含む周りの者達にも被害を及ぼしてしまう。それを明らかに嫌がる様子で、彼はそうぼやいていた。

「で、いつまで隠れている気だ?アホが。」

ゴゥッ!!
シュカカカッ!!

 退屈を露わに何者かへとそう呟くと共に、四方八方から炎や氷塊がサイアス目掛けて飛んできた。
「むしろ全員まとめて来いよ!!ズタボロにしてやんよ!!」
 それを引き金に、次々と数多くの魔物が船の壁や床を突き破って飛び出してきた。サイアスはようやく楽しそうな表情を顔に映し、黄金の剣を手に迎え撃った。
 
『くくく…死せるものの船には死者が相応しかろう。』 

 呪文を操る緑の半漁人―マーマンダインや、堅固な青い甲羅を持つ巨蟹―ガニラス等の海の魔物と交戦している最中に、どこからともなくそのような声が聞こえてきた。
「んだよ。俺ぁこんなつまらねぇトコに長居するつもりはねぇんだ。」
 黄金の一閃が青の甲殻を砕き、次いで巻き起こった爆発が内側で炸裂して、一体の生命を粉々に砕け散らせる。そこにマーマンダインが一斉にヒャダルコの呪文による氷の刃の攻撃を仕掛けてきた。
「あらよっと!!」
 返す刃で振りぬかれた稲妻の剣の軌跡が金色の波と化して、氷の刃とぶつかり合った。

ドガガガガガーンッ!!!
 
 その瞬間、そこを起点とした爆発が発生して、更に奥の方へと伝播し、やがてマーマンダインごと、ヒャダルコの氷の刃を吹き飛ばした。
「ベギラマぁっ!!」
 そこに更に、灼熱の熱波を叩き込んだ。マーマンダイン達には身を守る術もなく、ベギラマの炎に飲み込まれて、灰と消え去った
 
ギンッ!!

『やって…くれたな…』
 その時、上空より金色の影がこちらへと飛来するのを感じ取り、サイアスは反射的に剣で応じた。
「はっ…、てめぇがヌルいだけだっての。」
 先程の声の主、それは見慣れた食器を更に大きくしたような金色のフォークを手にした、緑色の小柄な悪魔―ミニデーモンであった。
『メラミ』
 それ以上言葉を交わす事もなく、ミニデーモンは前方にフォークを掲げながら、呪文を唱えた。大きな火の玉が二つ生じて別々の方向からサイアスを襲う。
―面倒臭ぇ。まとめて吹き飛ばしてやろうか。
 当たればただでは済まないそれらの危険を前にしても、、サイアスは全く動じた様子を見せずに掌を天にかざした。
 
バシュゥウウッ!!ドゴォオオオオッ!!!
ゴゴゴゴゴゴ……!!
 
 次の瞬間、金色の閃光が天より一瞬で甲板へと至り、木片を撒き散らした。上空では雷鳴が轟き、名残惜しいかのようにその余韻を残している。
「…ま、これでいいか。」
 至極スッキリした面持ちでそう呟くと、サイアスは更に先へと進んでいった。その体には、金色の輝きが微かに残り…闇へと尾を引いていた。
 
 
『うっへぇ…おっそろしいヤツ…』
 その一部始終を空で眺める影がそう呟いた。
『…コイツぁ…放っておいたらマズイだろうな。まぁ…俺じゃあどうにもできねぇか。下手すりゃあの鬼女にも匹敵するぜ…こりゃ…』
 落雷の起きた箇所を中心に、周囲の海では無数の海の魔物が浮かんでいる。その全てが絶命していた。
『あのガキとはまるで格が違うのな…。…イテテテ…、とにかく、バラモスのダンナに伝えといた方がいいかね。』
 それを最後に、声の主は闇へとその姿を消した。


『このニカティ号はいかなる嵐が来ようとも絶対に沈まないのだ!!がっはっはっは!!』
 
 どこからか、そう豪快に笑う声が聞こえてくる。
『うわー…嵐だー…はっ!!し…死にたくねぇよーっ!!』
『お…おれは…いつまで…』
『こげ…こぎ続けろ…死ぬまで……』
『お…おぼれ…うぉあああああっ!!!』

「ったく…マジでええ根性してるな、こりゃ…。冗談じゃねえ…。」
 船乗りの骨が指し示す先をたどっていくと、船の内部へと至った。ところどころで小さな光が灯っており、それは微かに人の形を成し、そこから嘆きの声が聞こえてくる。
「で、あんたか?この骨の持ち主は…?」
 そして…最後に辿り着いたのは、ひときわ豪奢な趣の船室であった。
『おおっ!?見ねぇ顔だなぁ!?まぁゆっくりしていけや。』
 そこに居たのは、これまた豪華な衣装をまとった船長と思しき蠢く骸骨であった。どうやらここが船長室らしい。部外者のサイアスを見ても、特別気にした様子もなく、彼は笑い声を張り上げていた。
「悪いが急ぎの用なんでね。ところで、ここにエリックとかいうヤツはいるのか?」
 幽霊船の話で真っ先に連想するものといえば、オリビアの悲恋のエリックである。その事を何となく問いかけてみた。
『エリックだぁ!?がっはっは!あのモヤシ野郎か。その辺でぶっ倒れてるんじゃねぇのか??左舷前方を漕がせちゃいるが、なんたって元はいいとこの坊ちゃんだからよぉ。あのクソ胸糞…』

ガシャンッ!!

「…分かった分かった。」
 ただの愚痴と嘲笑に過ぎない意味のない船長の言葉にうんざりして、もはや用済みとなった船乗りの骨を投げ捨てて、サイアスは船長室を後にした。
―付き合いきれねえぜ。
 死してなおも沈まぬ船の肩書きに執心するあまり、船員までも巻き込んでずっとこの世に留まる船長に、サイアスは心底の呆れと侮蔑の意を隠す事なくその顔に表していた。

 
「で…エリックってのはお前か?」
 船長の言葉に従い、左舷前方に足を運ぶと、一人の若い男が倒れているのが見えた。その体はどう見ても、漕ぎ手を担う者に相応しい強靭なものではなく、顔には疲労が露わになっていた。
『もう…う…動けないんです…!ご勘弁を…!』
「アホ…俺は別にてめぇをどつきに来たんじゃねぇ。」
 消え入りそうな弱い声で懇願するエリックに呆れた様子で嘆息しつつ、サイアスは傍に腰を下ろした。
「ま、流石に伝説になるだけあって、お前も大したモンじゃねぇか。」
 戦の前より伝説となっていたオリビアの悲恋、それが実在しているのであれば、永い時を漕ぎ手として過ごしていた事を余儀なくされていたに違いない。
『そう…だ…オリビアに……会うまで…俺は…!』
 気の遠くなる様な長い年月が経って尚、自分を見失わずにいる事が、彼の本質的な強さを物語っている。
「……おう、だから俺がここに来た。さ、行こうぜ。」
『…オリビアの事を…知って…?』
 答えずに、サイアスは近くにある淡く輝くペンダントを手に取る。すると、エリックの姿がその中に吸い込まれる様にして消え去った。
「さ、行こうぜ。…お前がいるべきはんなボロ船なんかじゃねえ。」
 唯一の形見の中に、エリックの意識がある事を確認すると、サイアスはゆっくりと立ち上がった。
「ベギラマぁっ!!」
 最後に放った炎は、幽霊船の甲板を焼き、みるみるうちに燃え広がっていった。
「…あばよ。リレミト。」
 そして、自身は迷宮脱出の呪文でその場から離脱した。程なくして彼が見たものは、火葬に処した船が、海の藻屑と消え去る様であった。



「もうすぐオリビアの岬ね。」
「ああ。」
 そして、更に時は流れ、サイアス達はついに…再び海峡へと差し掛かった。
『ようやく…会える…!!』
「だな。そこにオリビアがいればの話な訳だが…?」
『ああ、間違い無い。…俺には…分かる!』
 サイアスの掌の上でもてあそばれているオパールのペンダントから、エリックの声が響く。
「伝承は…本当だったのね…」
 気持ちが昂ぶりつつあるエリックの声を聞き、レンは作り話でしかなかったオリビアの悲恋が史実に基づいて作られたものである事を改めて実感した。それは、絵空事よりも更に純粋な思いの成せる…甘美なものであった。
『君は…何のためにここまで?』
 ここに来て、エリックは岬に赴く理由が気になったらしい。彼はサイアスにそう尋ねた。
「あ?…まぁ。俺のクソ親父がそこにいて、そいつが目的の物を持ってるから…だわな。」
『そうか…君も家族を…』
 理由はどうあれ、家族に会おうとする気持ちは同じ物なのだろうか。しかし、結局彼は、その答えを知る事はなかった。

「き…来たで!」
「「「…!!」」」

ザァアアアアアアッ!!!

 船先が岬へと至ったところで、再び激流が押し寄せてきた。

「ぬ…ぉおおおおおっ!?」
「だ…だめ…!!また押し流される…!」
「あ…あかん!!このままじゃ沈むで…!!」

 船体は激しく揺れ、甲板には大量の海水が流れ込んで…いつ転覆するとも知れぬ、危険な状態であった。

―…エ…ク…エリ…ク…
 そして、すすり泣く様な儚げな声が、海の中から響き渡る…

「…!さぁ、出番だぜ!!」
 その中で、サイアスはオパールのペンダントを掲げて船首へと出た。
『ああ!!俺を海へ…!!』
「おぅ!!言って来い!!色男!!」
 そして、エリックの魂を宿したペンダントが、荒れ狂う海の中へと投げ入れられた。

『オリビアーッ!!』

 激流の中、全霊を込めた叫びが辺りにこだました。

―…え…エリック…?

 同時に…女がすすり泣く様な声が、一瞬止まった。

―オリビア!
―エリック…!!会いたかった!!

 エリックの声の調子が変わる。この世に縛り付けられていたものでは無く、段々とその声が透き通っていくのをサイアス達は感じていた。
―オリビア…!!もう離さない…!!
 荒れ狂う海面に浮かんでいた、オパールのペンダントに青白い二筋の光が集う。やがてそれは一つに交わり、一つの大きな光の玉となって、天高く上っていった。

「…ようやく、止まりやがったか…。」
 やがて、船を襲う不思議な海流は収まり、海峡に平穏が戻った。
「ええ…でも、ようやく…救われたのね。」
「ほんにのぉ…。実在していたとは…」
 最後の最後に現れた二人の男女…そのどちらも顔には疲弊した様子に満ち、体も朽ち果てる寸前であったが、二人とも満ち足りた表情で天に昇っていった。
「…あの子には、同じ道歩ませとうないな…」
―ホレスも鈍ちんなトコ引いたら、ええ男なんやけどな。
 カリューもまた同じ光景を見て、思う所を口に出していた。今頃休養しているであろう可愛い妹分と、憎めない青年への想いが込められている。
―お前に何があったか分からへんけど…あの子の気持ち、分かってやりや…。
 仲間を守ろうとする正義感、それが宝物を求めて一筋のホレスを皆と繋ぐ唯一の信頼であった。しかし、仲間が彼へ抱く思いはその一つだけではない。カリューは周囲からの本当の好意を殆ど理解していないホレスを案じた。

「…よぉエリック、お前…やっぱり大したヤツだよ。」

 静けさが戻った海上を行く船の上でサイアスが呟いた言葉に皆が振り返った。
「…なぁお前ら。あいつらのどこが凄いと思う?」
 続けて投げかけられたその問いに、三人は答えられずに首を傾げていた。
「…まぁ、やっぱり何となくは分かっているみてぇだけどな。」
―死んじまったらそれで終わり…けどよ、あいつら見てると何だかこういうのも悪くねぇ…そう思えんだよ。
 死して尚、気の遠くなるほどの長い年月を、再び恋人と会いまみえるためだけに、辛抱の時を過ごしてきたその姿勢に、サイアスはいつもの傲岸不遜な姿勢とは異にして、敬意を表していた。


「…そう、そんな事があったのねぇ。」
 その頃、宿の中の暗い一室の中で、光り輝く水晶玉を覗き込む影が一つ…。
「カリュー、ごめんなさいね。あの子は渡してあげないから。…ふふふ…。」
 光を受けて、端正な顔立ちに浮かんだ笑みが映し出される。そして…その暖かな笑声は、部屋の闇へと静かに消えていった。


「…やっぱ、死んじまいやがった…か。」
 
 朽ち果てながらも牢獄としての役目を果たす石壁と牢獄、その中で物言わず佇んでいる者に、サイアスは小さくそう言っていた。
「サイモンさん…」
「サイモン…」
 かつての知己、或いは憧れの存在として、三人の仲間もまた、勇敢なる英雄であったサイモンの屍を切なく見つめていた。既に遺骨のみを残して…その身は完全に朽ち果てていた。

「オイコラ…。てめぇがんなトコで寝てる間に、俺ぁ魔王討伐なんつーデタラメな理由つけられて、国追っ払われてもうたやないか…」

 その時、不意にサイアスが、苛立ちを露わにそうサイモンへと吐き捨てた。
「サイアス!!」
 そのあまりに非情な言葉に、レンが諌める。だが、サイアスはそれを気にせず言葉を続けた。

「…お袋も死んじまったし、町の連中はガタガタになっちまったよ。…たく、昔のままのお気楽親父のままじゃ…ダメだってのが分からなかったのかよ…」

 相変わらず罵言ばかりの言葉であった。だが…心なしか、次第に弱々しくなっていくのを、三人の仲間は感じていた。

「…けど…まぁ、あんたが死んでから、得られたモノもあるんだよね、これが。」

 そして…ここで急に表情を綻ばせ、そう呟いていた。

「俺はあんたの跡を継いで”勇者”になる事が出来た。…もちろん、始めはイヤでしょーもなかった。けどな、こうして勇者やってると、前に引っ込んでた時よか断然楽しいんだわ。…あんたの代わりになってから、連中はあんなボロクソの中でも頑張ってやがる。今度は俺を支えにして生きてんだよ。そりゃあ…責任も重大だわ。まぁ…ンな事知った事じゃねぇけどよ、あっちこっちで俺の名が広がっていくのは悪い気はしねぇんだ。」

 サイアスもまた、英雄である父の死によって、勇者としての旅立ちと、それに纏わる様々な苦労を強いられてきた。しかし、その中で賞賛を集め、名を上げることに対する悦びにひとつの希望を見い出し、今では”英雄”である事を望める様になった。

「俺が”サイモンの息子”…だっていうならそれも悪くねぇ。けどな、俺は中途半端じゃ終わらねぇ。それがあんたの死を無駄にしねぇ事にもなるしな。」

 英雄と呼ばれたものの、最期まで目的を果たせずに志半ばでこの地に散ったサイモン。自分が同じ運命を辿ってしまえば何も残らない。そんな思いを胸に、サイアスはサイモンの右手に握られている剣を手に取った。

「…ガイアの剣か。…ったく、この剣一本のために…よく頑張ってくれたよ。勇者…サイモン。」

 緑を主調とした柄に、鋼鉄製の刃を持つ細剣―ガイアの剣。既に色あせ、錆び付いていたものの、この長い年月の間で…この祠の中でずっと待ち続けていた。大地を切り開き、冒険者へと道を示す鍵を、サイモンはその命尽きるまで手入れを欠かさず…守り続けたのだ。それが今、新たなる勇者の手へと渡る…。
 サイアスはそれを握り締め、父の骸を後にした。