三人の休息 第二話

「…さて、そろそろ怪我も治ってきたかな。」
 ボストロールと化した銀獅子マルテル、そして…トロルキングとの死闘からひと月程経った。
「……大分、楽になったね…。」
「元気が一番。」
 療養に集中した甲斐あってか、三人はほぼ健全に動ける程までに回復していた。随分と身体は鈍っていたが、サマンオサはずれの平原へと自力で歩きついて、そこで語らっていた。
「わたし達も出発する…?」
「いや、今は特に手掛かりも無い。ひとまず久しぶりに休むのが良いだろう。」
 勇者としての旅路とは別に、レフィル達はオーブを求めて旅を続け、既に青、赤、緑、紫のオーブを手中に収めていた。残り、二つ…。情報収集へと動く事が出来なかった現状も含めて、今のホレス達には手掛かりは無い。しかし、それでも尋常では無い程尚早な段階で、四つの至宝がここにある事と、それまでの苦労を考えると…休息は必要である事は間違いなかった。
「…身体、なまってる。」
 深い傷を負っていた為に、レフィル達は長らく生活の大半をベッドの上で過ごさざるを得なかった。故に、身体を動かす暇も無く、色々な勘も大分鈍っているのを感じられた。
「そう…だね。動かさないと…ね。」
 ムーの言葉に頷きながら、レフィルは明確な焦りを感じていた。
―…また…弱くなっちゃう…から…。
 戦いから離れて一番衰えを見せているのはおそらく自分である。実戦経験のあるホレスやムーと比べても、蓄積が絶対的に足りない為、少しの経験の空白が大きく実力に関わるという事を、レフィルは懸念していた。

「だったら、早速。」

 その時、ムーはそう言い放ちつつ…掌を目の前に差し出した。

「え?」

 彼女の意図を察する事が出来ず、レフィルは思わずその場に立ち尽くしつつ、無防備に固まった。

ガシャッ!!
 
「…!?」
 やがて、ムーの掌の内から魔力が集い、それが一本の杖の形を為して固まった。
―り…理力の杖!?
 鉄槌にも似た形の金属製の杖が赤い髪の少女の手の内に収まり、その中で軽々と弄ばれた。
「……。」
「ム…ムー??」
 槌頭の様な杖の先端を突きつけられて尚、ムーが何を思っているのか…レフィルには何も感じ取る事が出来なかった。
「……一度戦ってみたかった。」
「戦う…って……」
 
ぶぉんっ!!

「…え?…え?…え??ええぇぇっ!?」
 唐突に理力の杖が一閃されたのを寸での所でかわしながらも、レフィルは突然のムーの暴挙を前に混乱した様子で絶叫した。
「…レフィル!!…お…おい!?待て!?ムー!!」

ごんっ!!

「…きゃあっ!!」
 結局…ホレスが止めようとするのも虚しく、レフィルは吹雪の剣を抜く暇も無く、ムーの理力の杖によって頭上から叩き伏せられた。
「…あ…あいたたた……。頭思いっきり打った……。」
「……やりすぎた。」
 あまりに急な事から反応が遅れた為に無防備な状態で攻撃が入ってしまったのを見て、ムーは罰が悪そうに頬をかいていた。
「怪我治ったからって…はしゃぎすぎだよ…ムー…。」
「…むー……」
「やれやれ。…お前が手合わせが好きだというのは知っていたが…な。」
 無表情で無口である事と、小さな魔法使いというその外見に反してかなり活発であると言えるだろう。その様なムーの気性や行動を見て、ホレスは肩を竦めていた。
「レフィルは強くなってる。だから、一度戦ってみたかった。」
「……友達なのに…本気で戦えるわけないよ…」
「そう…。それは残念。」
 ベギラマ、イオラといった上級呪文を操り、魔剣・吹雪の剣が持つ力を最大限に引き出して、状況に応じた戦いをこなすレフィルの本質的な強さ。ムーにはそれを感じ取れていたらしく、それだけに彼女の力を見てみたかったのだろう。当の本人は戦いを好まないと言わずとも、それ自体に大きな抵抗を感じているという事が計算に無かったが故に、今のような結果に終わった事は知る所ではなかったが。

「おや、ムーもレフィルも…もうそこまで動けるので?」

 いつの間にか、蒼い髪を持つ飄々とした雰囲気の青年が三人の近くで佇んでいた。
「八割方大丈夫、多分。」
「…はい、わたしも…大分良くなりました。ありがとうございます…」
 その姿を認めるなり、まずムーとレフィルがそれに応じていた。身体が鈍った事によって些か感覚を掴めていないものの、傷そのものは既に癒えている。
「ほほぅ、それは何より。……ホレスは如何なもので?」
「オレは初めから動けるつもりだったが?」
「……むぅ、寧ろ君が一番重傷ではなかったので?」
「あれしきの傷で動けなくてどうする?」
 一方のホレスは、最初から傷など無かったかの様に憮然とした様子で振舞っていた。
―…死を…見てきたから…ですかね?
 思えば、テドンで数多の村人達が少年の放った破滅の力によって滅されていくのを見た事も、幾多の死を垣間見る場面だったのではないか。最後には自分の母と姉をも手に掛ける事となってしまった事からの自責の念が潜在的にあるか、死が偏在する空間が彼の本能をも歪ませてしまったか、その様な事をニージスは考えさせられていた。
「…いずれにせよ、”不死身”の化け物ですな…」
「馬鹿言え。オレはれっきとした人間だ。少なくとも”人”の器に収まる程度の存在でしかないだろうが。」
 自分が”人間”でないにしても、少なくとも”化け物”などではなく”人”の子に過ぎない、ホレスはそう言いたいらしい。
「なるほど。まぁ、それにしても頑健な部類には入りますな。ところで…」
「ん?」
 ホレスの言に頷きながら、ニージスは彼の左手に目をやった。
「随分と気に入られたみたいですな、その杖。」
 そこには、偽物のサマンオサ王…雷霆宰相ザガンが手にしていた、銀色に輝く杖があった。
「ああ、まだまだ物凄い力があるだろうな。」
 変化の杖…その存在はホレスにとって、非常に興味深いものであった。
「それとそうだな…。この杖の事で少し相談があるのだが……」
「ほぉ、そう”だん”ですか。」
 その様な彼の頼みを受けて、ニージスはおどけた調子で頷きつつも、そのくせ真剣に興味を惹かれた様な表情になった。
「…えっと……」
「つまらない。」
 一方、側にいた二人は彼の戯れに対してそれぞれの反応を示していた。やはり好ましいものではなかった様だが。



「折角今こんな良いものが手の中にあると言うのに、みすみす手離す事なんかできるか。」
「ほほぉ、なるほど…。それがサマンオサの管理下にあるべきと知っていて…尚も欲していると。やはり君らしいですな。」

 サマンオサの宿のエントランスに、他愛も無い調子で意味深な会話が交わされている。
「…ああ。こいつは国宝でも何でもない。そもそもオレの拾った物だ。」
「……ほぅ。君らしい。」
 ホレスとニージスは、机の上にある銀色の杖を挟んで佇んでいた。
「それで?…私達に何を相談したいって言うのかしら?」
卓上の至宝に心を奪われているホレスに、ニージスの側に立つ赤い髪の女性―メリッサがそう尋ねた。
「…放っておけば、いずれはサマンオサの連中がしつこく言い寄ってくるのは間違い無い。」
「返さなければならない…と。」
 今でこそホレスの手中にあるが、ただの拾得物として片付けられる程、この変化の杖の力は甘くない。悪用されまいと封じようとする者、逆にその力を求めて奪おうとする者。どちらにしても厄介な事になる。そうなると、今一番早くこの杖を奪う者があるとすれば、それは勇者サイアス一行である。変化の杖の力はもちろんの事、その所在もおそらく彼らには知られていると見て良いだろう。
「そうだ。だが、そんな事はゴメンだ。どうせ下らない事に用いて、その後は捨て置くに決まっている。」
「…おや。」
―宝の事になると、すぐコレですな…。
 特別血気盛んではなく、基本的に感情的になる事も少ない傾向にあるホレスだが、欲する宝が脅かされては苛立ちを隠せない性質である様だ。

「…そうなれば、二度とこの杖の力を目にする事は叶わないだろう。それはあまりにこいつにとっても寂しい事と思わないか?…あんた達はそんな宝の気持ちを考えた事があるか?」

「…む…??」
「あら?」
 唐突に言い放たれたホレスの言葉を聞いた二人は、その余りに突拍子も無い理屈に言葉を詰まらせた。
「…お…おぉう……それは…一体…?」
「え…えっとねぇ……」
―お宝の気持ち…ねぇ…
ホレスらしくないのか…或いはそれが彼の特徴なのか、なんとも無茶苦茶な理屈であったが…おそらくは、宝はそれが持つ力…魔力、魅力、機能、そうしたものを発揮してこそ真価を見せると言いたいのだろう。だが、それが宝に大して”寂しい”という概念を結び付けている所は、智者と呼ばれるべき二人にも全く理解が出来なかった。
「…分からない…か、まぁいい。…だが、こいつを守る為にはオレだけじゃ無理なんだ。頼む…あんた達の力をどうか貸してくれ。」
 いずれにせよ、どうしても変化の杖を保持していたい気持ちが非常に強いという事には変わりない。それを表わすかの様に、ホレスは二人へと躊躇う様子を見せずにそう頼んでいた。
「面白い仕事になりそうですな。」
「そうねぇ…憧れてたのよぉ、こんなコト。」
 すると、彼らは実に興味津々と言った様子で、変化の杖を眺めていた。
「やってくれるのか?」
「任せて。ねぇニージス君。」
「はっは。引き受けましょ〜。」
 どうやらホレスが持ち込んだ依頼に対してかなり乗り気であるらしい。ニージスとメリッサは彼に対して不気味な程にニコリと笑いかけていた。
「助かる。…オレ一人ではどうしても出来ない品だったよ。」
 それを別段訝しがる事も無く、ホレスは彼らに頭を下げて礼を言った。
「なぁに。しかし、その言い振りでは君も手伝う気満々みたいですな…。」
「…当たり前だ。そもそもオレの問題だからな。」
 人に頼むには自分も出来る限りの事を成す。それは当たり前の良識である。だが、魔法に携わる問題になろう時に、率先して関われるだけの知識や応用力が無ければ、そうも言っていられない。
―…やはり、惜しい逸材ですな。
 そうしたところで積極的に参入できるにも関わらず、彼は元来、資質が皆無と言ってもおかしくない。ここである程度の呪文を操れる程度の力を持っていれば、果たしてどうなっていた事だろう。
―…まぁ、そうなると今度はあの子みたいになってしまうかもしれませんからな。
 知識も資質も体力も…その全てを若くして兼ね揃えていた事でなまじ目立ち過ぎて、周囲からの望まぬ期待に耐え切れなくなってしまった者…その前例はすぐ近くにいる。もし、才能のどれか一つだけでも欠けていたら…彼女の運命はどう変わっていただろうか。
―…らしくありませんな。
 その様な事を考えながら出て来る不快感を深い溜息と共に払拭しながら、ニージスは紙を取り出して、手馴れた手つきでこれからするべき事を簡単に纏め上げた。


ジュゥウウウウウウッ!!!

 肉を焼く時の独特な音が静けさに満ちた空間の中へと響き渡る。
「おなか、すいた。」
「…ゴメン、でも…まだ出来ないから。もう少し待ってて…。」
 食堂のカウンターを挟んで、ムーは厨房の中で慌しく動き回っているレフィルをじっと見つめていた。
「でも、もう我慢できない。」
「……困ったな…。でも、まだ食べちゃだめだよ。」
 今にも料理へと飛びつかんばかりの体勢のムーを困惑した様子で眺めながらも、レフィルは鮮やかな手つきで、着々と作業を進めていた。

「料理…か。」

「!!」
 その時、後ろから突然誰かから声を掛けられて、レフィルはびくっと肩を竦ませた。いつしか杖を小脇に抱えた青年の姿がそこにあった。
「…わっ!?ホ…ホレス!?い…いつそこに!?」
「そこまで驚く事か…。まぁ、何も言わずに来たオレも悪いが…。」
 お腹を空かせたムーと話していたり、作業に没頭していた為に注意が行かなかったのか、それともただホレスが物音も無く勝手に入り込んだだけの話なのか。いずれにせよ彼が突然現れたのを見て、レフィルは驚愕に開いた口元を押さえていた。
「ご…ごめんなさい。…もう、話は終わったんだ…?」
 レフィルがそう尋ねると、ホレスはすぐに頷いた。
「…その杖…やっぱり持ってちゃダメ…なの?」
「さあな。だが、何も干渉が来ないとも限らない。そうなると、持っているのは難しいだろうからな。」
 サマンオサ郊外でニージスへと相談を持ちかけていた事、それはやはり変化の杖の件らしい。珍しく…しかも一歩間違えれば危険な品であるだけでも、十分な注目を浴びるのは間違い無い。
「…無理は…しないでね…。」
 ザガンがサマンオサ王に成りすます事で為してきた数多くの悪行。おそらくはサマンオサも、再びその様な事態になる事を怖れて回収したがる事だろう。それ以外にも乗り越えるべき壁は数多くあるとすれば、ホレスがやっている事はかなり厳しい道へと誘う物になる。
「…善処はするさ。」
 レフィルが心底心配している様子を察して、ホレスは彼女を安心させる様にそう言っていた。
「…しかし、本当に好きなんだな。あの時も、お前は進んで宿屋の主人の手伝いをしていただろう?」
「…あ…う…うん。いつもの癖かな…つい…。」
 ジパング対岸の船着場の宿でも、レフィルは台所に赴いて色々と手伝っていたとは聞いていた。気がついたら体が動いている…と言っていい程、料理が好きである事の顕れだろうか。
「やはり、お前は……」
「…え?」
 今のレフィルからは、普段の自信の無さそうな表情が出す暗い雰囲気は感じられない。それどころか、心底今の料理を楽しんでいるのが分かる。
―勇者なんかじゃなければな…。
 料理を楽しみ、皆への労わりを感じさせる表情から漂う穏やかな雰囲気…そんな少女の姿を見て、誰が彼女を勇者と呼ぶだろうか。
―まして…押し付けられた道だ。そんな下らん宿命なんか…
 レフィル自身も、オルテガの娘という理由だけで勇者を継がされるのを酷く嫌がっているのも…先日の戦いの後で彼女自らが感情と共にぶち撒けた事からも明らかであった。
「…ホ…ホレ…ス……??」
―…ど…どうしたの……?
 深刻な面持ちで考え込んでいるホレスを見て、レフィルは慌てた様子でたじろいでいた。その胸の内も知る由も無く…。これもまた…勇者としての使命から離れた事で、どれだけ彼女の気持ちが救われているかを表わしている様にも思える。
「…レフィ…」

「ホレス君、早速お客さんよ。」

 ホレスが何かを語ろうとした丁度その時、メリッサが呼ぶ声が耳に入ってきた。
「…!…わかった、すぐ行く。」
 それを聞いてホレスは言葉を切り、すぐに彼女の方へと向かった。
「…早いな。もう来たのか。」
「本当にすごいタイミングよねぇ…。」
 メリッサが自分を呼ぶ理由はすぐに分かった。危機感をおぼえて対策を練り始めようとした矢先に現れようとは全くの予想外ではあったが…。
「あ…あの…」
「レフィル。お前の人生は他の誰でもない…お前自身のものだ。…だから、好きな様に生きろ。それだけだ。」
 状況が飲み込めず、言葉に困るレフィルを遮り、ホレスは最後に先程言いかけた事を伝えた後、メリッサと共に食堂を後にした。
「ホレス……。」
 オルテガの遺志…それを望まずして引き継いでいるのであれば決して”自分の人生”とは言えない。その言葉を聞いて…レフィルは複雑な思いで表情を陰らせながら、去り行くホレスを見守っていた。
「…ごはん、まだ?」
 側でムーが顔を覗き込んで空腹を訴えるのにも気付かず…。


「おうホレス。久しぶりだな。」
 果たしてそこにいたのは…今やサマンオサの英雄となったサイアスであった。
「サイアスか。何しに来た?」
 およそひと月もの間姿を見せていなかったが、今更何をしに来たと言うのか。
「……まだ、持ってんだろ?アレ。」
「…変化の杖の事か。」
 やはり変化の杖が目的で来た様だ。サマンオサ王の差し金か、それとも個人的に杖を欲するのか…、そのどちらにせよ宝物を脅かすものである事には変わらない。
「おいおい…、お前…それ欲しがってたんじゃなかったのかよ。隠そうともしねぇなんてなぁ。」
「…何を隠す必要がある。それで、何の用だ…?」
 ホレスが変化の杖を奪われまいとしているのはサイアスの目から見ても明らかだった。しかし、それにも関わらず彼ははぐらかす様な真似は全くしなかった。…それが彼の馬鹿正直かつ剛胆な性格からだと言えばそれまでの話であるが。
「当然、変化の杖を返してもらいに来たんだよ。」
「…そうだろうな。」
 当たり前だと言わんばかりのサイアスの答えに、ホレスは今度こそ面白く無さそうな表情を露わにした。
「…つーかんなモン、お前なんかに持たせといたらテロリストじゃねぇけど、十分危ねぇだろうが。」
「随分な言い様だな。」
 これまでに暴漢とも例えられてしまう程の無茶な行いをしてきたのは否定しないが、サイアスの様な赤の他人から改めて言われみると、あまりいい気はしなかった。
「しかし、それをその後どうすると?」
 変化の杖に強大な力があるのは誰が使っても同じ事である。それならば自分ばかりでなく、サイアスが持っていても”十分危ない”のではないか。そう思ってホレスは彼にそう尋ねた。
「もっと良いものに交換してもらうんだよ。”船乗りの骨”とかいったっけな…。」
「…船乗りの…骨?」
 船乗りの骨…聞きなれぬ宝物の名前に、ホレスは疑念に眉をしかめる。
「何でも、さまよう亡霊の居場所を指し示すとかいうモノらしいぜ。ま…元は文字通りただの骨みてぇだけどな?」
「……。」
―亡霊とやらの位置を極とした羅針盤…といったところか。
 サイアスの言葉を聞き、想像できる大体の効果を予測は出来たが、それが果たして信用するに足りるかはその所有者当人と面識の無いホレスには分からない。
「…こいつを使えば、噂の幽霊船とやらにも近づけるかもしれねぇ。」
「…幽霊船?御伽噺じゃなかったのか?」
「それがちゃうねんな。実際にロマリア沖で見たって奴が何人もいるんや。…っと、また地が出ちまったな…」 
 どうやらサイアスは船乗りの骨の力を以って幽霊船とやらを探そうとしているらしい。…彼もまた、直接的な理由でないにしても、目的があって変化の杖を求めている様だ。
「…とんだ興味本位だな。しかし…その船乗りの骨とやら…一体何処で見た…??」
 変化の杖を譲る気は初めから毛頭無い。故にサイアスのやろうとしている事には別段興味は無かった。だが、その”船乗りの骨”とやらが一体何処にあるのかは気になったのか、ホレスはサイアスへとそれを尋ねた。
「珍しい杖を集めてるとかいう、グリンラッドにたった一人住んでるヘンクツじじいだよ。」
「…!?」
 だが、その答えを知ったとき…ホレスは急に顔色を変えた。
「…待て!そんな奴と取引を!?」
「…まぁまぁ落ち着けって。」
「…冗談じゃない!そんな老いぼれなんかに譲れるわけがない!!」
「おいおいおい、人で選ぶってか…?お前らしくもねぇ…。」
 普段の彼らしからぬ言動と表情を見て、サイアスは実に呆れた様子で嘆息した。
「…つーか、勘違いすんなよ。それはそもそもお前のモンじゃねぇ。つーかお前自身も言ってただろうが…あのクソ大臣が持ってたって事は、サマンオサが管理するべきものなんだぜ?それは。」
「……知った事か!!あんな下らない奴に譲る気も、あんたらに明渡す気も無い!!」
「下らないも何も、お前…そのじじいと面識ねぇだろ。…つーか、渡す気はねぇんだな…?」
「当たり前だ!この杖はオレのものだ!!」
 宝物への欲望が…普段は冷静な彼の人格を変えてしまっているかの様であった。
「そーかい。そりゃ残念だわ。」
 殆ど完全に感情的になっていると言えるホレスの振る舞いを見て、サイアスはぽろりとそう零した後、口元を愉悦に歪めた。

ザッ!!

「……!!」
 不意に、後ろから現れた気配をその耳で察知し、ホレスはすかさずその場を飛びのいた…

ズッ!!
「……!」
 だが、杖を握る左手に…蜂に刺されたかの様な痛みが起こった。…と同時に叩かれる様な軽い衝撃が走る。
―杖が!
 鋭い痛みで一瞬緩んだ所に叩き込まれた一撃で、ホレスが必死に握っていた銀色の杖はあえなくその手から離れた。
「…くそ!!また貴様か!!」
 左手に刺さった毒針を忌々しげに抜きながら、ホレスは足音がする方に振り返って苛立ちを露わに怒鳴った。

「久しぶりね。」

 そこには、短い銀色の髪を持ち黒衣に身を包んだ細身の女…キリカの姿があった。ホレスが持っていた杖が、その腕に抱えられている。
「…ち…!!好きにはさせない!!」
 すかさずホレスは右手に雷の杖を握り、キリカに向けて振りかざした。
「……おっと、今そんなモン使ったら変化の杖も台無しになっちまうかもしれねぇぜ。」
「…く…!」
 だが、サイアスの一言を受け、ホレスは反射的に杖先を下ろしていた。ここでキリカを倒した所で、杖が無事で無ければ意味がない。
「その腕輪の借りはこれで返したわ。…そうね、欲張りすぎもいけないから今日はここで失礼するわね。」
「…返せ!!」
 一瞬流れが止まった所で逃げ去ろうとするキリカを追おうとするも、毒針を受けた傷口の激痛で満足に追いすがる事は出来なかった。
「あばよ!ホレス!!」
「…えぇい!!待て!!」
 続いてサイアスもまた、ルーラの呪文を唱えて空の彼方へと飛び去って行った。後に残されたのは…左手を押さえながらうめくホレスだけであった…。

「………ち…、逃げた…か…。」

 至極悔しそうな様子で、ホレスはその場に座り込んだ。
「…ったく…あんな貴重な物を……」
 気に入っていた銀色の杖を奪われた事を悔やみながら、彼は小言の様にそう呟いていた。だが、その表情は先程までの激情に駆られたものでは無かった。

「……大丈夫?ホレス君。」

 ふと、赤い髪を持つ美女がいつしか傍らに立っていた。彼女はすぐに彼の左手に付けられた傷を改めた。
「…バカを言うな。毒針程度でそう簡単に死んでたまるか。」
「…でもねぇ…コレ、即効性の猛毒よ…?よく動けるわねぇ…あなた。」
 そこにキアリーとホイミを施しながら、メリッサは地面に転がった毒針を眺めつつ呆れた様子で嘆息していた。

「よろしかったので?二人共。」

 遅れて…蒼い髪の優男がこの場に現れた。脇には何か細長いものを収めた包みが抱えられている。
「そうねぇ…まさかあんなに早くくるなんて思わなかったわぁ…。」
 ニージスの言葉に対し、メリッサは今の一連の事が多少予想外であると称した。だが、その顔には…今の発言とは逆に、やり遂げた後の清清しさに満ちていた。
「…だが、結果として…どうにか成功と言えるか…。あの時話しておいて良かったな…」
 ホレスもまた…宝物を奪われたにも関わらず、全く動揺した様子は無かった。
「ですな。…まあまさか、ここまで上手く行くとは思いませんでしたな。」
 そんな二人を見て、ニージスは満足そうに頷きながら、手にした包みを開いた。
「「「作戦成功。」」」
 その中身を見て、三人は異口同音にそう言っていた。ニージスの手の中には…銀色に輝くなんとも奇妙な形の杖…先程キリカに奪われたはずの変化の杖が確かに存在していた。