真実の聖鏡 第十三話

 ラーの鏡の光によって、サイモンの息子サイアスはサマンオサ王の正体を暴いた。かつて雷霆宰相と呼ばれた異端の大臣…ザガンが、魔王バラモスの力を受けて国王に成り代わっていたのだ。
 追い詰められた彼が呼び起こした獄悪魔人ボストロール、その強さは精強と名高いサマンオサの猛者達を歯牙にかけぬ程だった。
 だが、サイアスは仲間と共にその巨悪を倒して退けて、悪辣なるザガンをも断じた。こうして、サマンオサを影で操り、暴虐の限りを尽くしてきた偽者の王は消えた。英雄サイモンの息子もまた、救国を為した時を以って偉大な勇者となったのだ。

 そして…夜が明けた。


 先日までと然程変わらぬ静かな町並み、だが…以前の様な殺伐として張り詰めた静寂では無く、風の流れを感じられる程に何もかもが穏やかな状態にある…平穏そのものだった。
「……ったく、何処の誰だってんだ。んな柄にもねぇ噂流しやがったのは。」
 その中で囁かれる噂を耳にし、サイアスは大袈裟に肩を竦めていた。
「とか言いながら、まんざらでもなさそうじゃない。それに、あんたが国を救おうとしたのも事実でしょ?」
 しかし、レンが言う様に…その表情は決して暗いものでは無く、寧ろ満ち足りた様な顔をしていた。結果はどうあれ、勇者としての名声が高まる事は悦びである様だ。
「せやせや。あほ兄貴もきっと喜んどるよ。ボンクラサイアスが大英雄になっとる聞いたらどんな顔するやろな?」
「ボンクラ言うなボンクラ。」
 実力は元々勇者と呼ぶに相応しいにも関わらず目立った功績を為してきたわけでは無かった。だが、今回…国一つを救うという願っても無い程の名声を得た。
―キリカの奴、これを聞いたら小躍りして喜ぶだろうな。
 他の”勇者”を葬り去ってまで、自分を”勇者”と成そうとする、”死神”と呼ばれた女。或いはこれで、余計な事をしないでくれるだろうか。
「…ふむぅ、これからどうするかの?」
「あのおっさんに売りつけたアレの代金使って、まずクソ親父探してみっか。」
 サイモンの追放を命じた雷霆宰相ザガンは、オリビアの入り江の牢獄へとサイモンを追放したと言っていた。だが、そこへの海路は不思議な潮流に阻まれて閉ざされている。まずはそれを乗り越える術を得るのが先か。
「アレって…この前手に入れたまんまるの宝石?」
「まんまる…やて?それってオーブの事ちゃうんか?」
 以前サイアスが手にしていた黄金に輝く球…それを聞き、カリューはすぐにオーブを連想してそう尋ねていた。
「かもな。ま、気になるんならハンのおっさんのトコに行って見せてもらいな。」
「ハンさんやて?」
 商談の相手は、どうやら開拓者の町の中心人物、ハンであったらしい。
「…だがまぁ、これからあのクソ王がどうこの国を取り纏めてくか…見物だな。」
 おそらく、精兵達によるあの過剰なまでの弾圧は止むだろう。だが、それによってこれまで抑圧されてきた者達は決して黙ってはいない。そして…他国をも蹂躙しようとしていた国を、世界はどう見るだろうか。死線より生還したと思えば、今度は国の窮地へと向き合わなければならない。銀獅子と呼ばれる程に幾度も戦に赴いた事も相まって他人目から見ても波乱万丈な人生を歩まざるを得ないサマンオサ王に、サイアスは僅かに哀れみの気持ちをおぼえていた。
 

「う…うう……。」
 カーテンが風に揺れて日が差し込む中、レフィルは息苦しさを感じてうめきを上げた。
「…おお、気がつかれましたな。」
「に…ニージスさ…ん…?」
 目を覚ますと、蒼い髪の青年が柔和な表情でこちらを見つめてくるのが見えた。
「…わ…わたし……あ…痛…っ!」
「おっと…今は動かない方が宜しいと思いますよ。全身に凍傷負っていた上に、左腕も骨折してましたからね。」
 慌てて起き上がろうとした時、全身…とりわけ左腕に激痛を感じて、レフィルは苦痛のあまり身を竦めて再びベッドへと沈んだ。ニージスに言われて体を改めると、左腕には添え木が施され、全身には包帯が巻きつけられている。
「ふむ、その傷からすると…左手の負荷と、氷の呪文が原因の様ですな。一体何があったので?」
 ニージスにそう尋ねられて、レフィルは事情を話した。 

 ホレスを傷つけられた時に頭の中が真っ白になって気がついたらトロルキングに斬りかかっていた事、吹雪の剣の力を解放した事で自分自身をも凍りつかせてしまった事…そして、その極冷の中で最後にイオラの呪文を唱えていた事。その全てを聞いた時、ニージスは納得した様に頷いた。

「…ははぁ、なるほど……。相当無茶しましたな…。」
「………。」
 圧倒的な力が特徴であるトロル族の最上位種が持つ重量級の剣による攻撃を二回も受けては、戦士であるとはいえ、元は生身の人間…それも少女に過ぎないレフィルの左腕など、簡単に砕けてしまうだろう。しかし、逆に言えばその程度で済んだというのも奇跡といえる。
「…まぁ、今は気を楽にしてゆっくり休むとよいでしょう。では、私はこれにて。」
 今でこそ命に別状は無いが、それでも傷の回復にかなりの体力を使っているのは自明である。ニージスはレフィルに休むように告げてドアのノブに手を掛けた。
「あ…あの…ホレスは…?」
 その時、レフィルは思わず彼を呼び止めて…そう尋ねていた。

「…ふむ。彼がそう簡単に死んでしまうとお思いですかな?」

「じゃ…じゃあ…」
 それは何よりも説得力のある言葉であった。レフィルの反応に満足した様にニコッと笑うと、ニージスは部屋から静かに出て行った。

「……。」

―静かだな…。 
 ベッドの側にある窓から、外の光景が見える。鳥のさえずりや風の音が柔らかに耳へと届き、レフィルはこの場の雰囲気と同じ様に穏やかな気分になった。

ぼふっ!

「…え?」
 その時、隣のベッドで物音がしたのを感じ、レフィルはそっとそちらに振り返った。

「…むー……。」

 すると、不自然に大きく膨れた布団の中から、聞き覚えのある唸り声がした。
「…あ…。ムー…。」
 そこには、寝癖で赤い髪を乱した小柄な少女が…眠そうな顔をしてこちらをじっと見つめているのが見えた。
「………。」
 彼女は無言でゆっくりと半身を起こすと、おもむろにあたりを見回し始めた。どうやら何かを…誰かを探している様だ。
「どうしたの?」
「ホレスは何処…?」
 奇しくも彼女もまた、ホレスの事が気になったらしい。
「心配しないで。ホレスならきっと無事だから…。」
「そう。」
 レフィルの言葉の受け止め方を間違っていなければ、ニージスは確かに「ホレスは生きている」と言っている様に聞こえた。彼の無事を伝えると、ムーは抑揚無く短く返事を返した。
「動けない。会いに行きたいのに。」
 その直後…彼女はそう呟きつつ、体をよじらせた。特に拘束を受けている訳では無いのだろうが、それだけダメージが大きいのだろう。
「…全然歯が立たない。やっぱり怪物。」
「…ホレスは……そんな敵と戦ってたんだ…。」
 自分達を歯牙にかけずに、これだけの痛手を与えてきた白銀鎧の巨漢の騎士。ムーの呪文も、レフィルの剣も…その身に届く事が無かった事実から…超えようの無い壁の様なものさえ感じる。
「助けてあげたかった……でもわたし達は何も…出来なかった…。」
「また、ホレスに守られた。」
 その様な敵とホレスはたった一人で戦い続け、力尽きようとして尚…自分達を守り抜いたのだろう。
「「………。」」
 あのトロルキングの相手をまともに出来るのは三人の中ではホレスしか居なかった。その上、ムーとレフィル自身は呆気なく倒されてしまった事が…自責の念を強め続ける。


「だぁああっ!!な…何こんな所ほっつき歩いてるんだ!」
「うるさいな。…傷口に響くだろうが。」

 そうして沈黙していると、外でマリウスの怒声が聞こえてきた。
「…え?」
 その相手の声…それを耳にし、レフィルとムーは顔を見合わせた。
「お前が一番重傷だったはずだろ!?大人しくしてろよ、おいぃいっ!!」
「……全く。然程無理しているつもりは無いんだけどな。」

ガチャッ

 やがてドアが開き、そこから赤い鎧の戦士と、銀色の髪を持つ手負いの青年が部屋へと入ってきた。
「ホレス…。」
 開いた衣服の間から、クトルの雷神の剣によって切り裂かれた大きな傷を塞ぐ様に、包帯が幾重にも巻かれているのが見える。僅かに血が滲んでいるのも見え、普通ならば動けない傷であり…先程聞こえてきた様に、三人の中で一番重傷であるのは間違い無い。
「…レフィル、ムー。具合はどうだ?」
 …にも関わらず、彼はレフィル達を気遣ってここまで自力で歩いて来た。
「……ったく、とんだ藪医者だな。大袈裟過ぎるんだよ、この止血帯の掛け方。おかげで動き難いったらありゃしない。…針の腕はまともだったが…これじゃあな…。」
「おいおいおい…、お前が無茶し過ぎなんだろうが…。」
 医者を批評する前に、自らの行動を省みるべきではないか。マリウスはこの時本気でそう思った。
「あれから三日経つか…傷は、それなりに癒えた様だな。二人共。」
「うん…。でも…ホレスが………」
「…オレなら大丈夫だ。この程度なら問題無く旅を続けられる。」
「無理あんだろ…。」
 動ける状態であれば旅を続けられる。おそらくホレスはその様な行動指針の下に動いているに違いない。それがそもそも無茶苦茶な理屈だ。
「離れ離れの部屋で寂しい気持ちは分かるけどよ、お前ら三人とも重傷なんだからな…。談笑するのは良いからゆっくり体休めとけよ。」
 最後に三人へとそう告げると、マリウスは部屋から出て行った。
「…本当に…無茶はしないで…。」
「ああ、お前もな。あの前もずっと風邪を引いていただろ?」
 その言葉を受けて、レフィルは心底心配そうな面持ちで見つめながらホレスを気遣うと、彼からは意外な言葉が返ってきた。
―憶えていてくれたんだ…。
 思えば日の出づる国―ジパングに向かおうとした時から、ずっと咳が出ている事に真っ先に気付いたのはいつもホレスであった。自分の事をしっかり見ていてくれていると思うと、レフィルは少し嬉しくなった。
「あ…それはもう大丈…けほ…けほ……あれ…?」
「…悪化したな…。どちらにせよ、療養しなきゃならない様だな…。」
「うん………。」
 しかし、肝心の咳は…今になってまた現れていた。
―……おかしいな…。
 氷の中に閉ざされた事が原因なのか。だが…この時、レフィルはそれ以上の不安がその胸の内に灯るのを感じていた。
―そんなわけ…ないよね…。
 それを強引に払拭しつつ、彼女は外へと視線を向けた。
「…良い眺めだな。」
「うん……。」
 ホレスとムーもまた、レフィルに倣って窓の外の風景を眺める。
「みんな、安心しているみたい。」
 サマンオサの精兵がおらず、数多くの無実の民が極刑に処せられたせいか、行き交う人々の姿は少ない。だが、その顔には…他の何処でも見当たる事の無い、平和を心から喜ぶ様子が見えた。
「……苦労して闇のランプを手に入れた甲斐があったな。」
「うん……ラーの鏡も…。」
 後に、この件で名を上げる事となるのはサイアスではあったが、レフィル達がそれぞれ秘境へと赴き二つの宝物を手に入れなければ、今の平和は無かったであろう。満ち足りた表情ながらも生気を前面に押し出した様な人々を眺めて、レフィルのみならず、ホレスやムーも良い気持ちになるのを感じていた。

「…そうだ。また一つ…オーブを見つけたんだ。ほら。」

 闇のランプとラーの鏡が話に上がった所で、ホレスは思い出した様に腰に下げた袋から、緑色の宝玉を取り出して、レフィルへと手渡した。 
「きれい…。翡翠みたい…。」
 他のオーブと同様に綺麗な球の形をしていて、その内には緑の光が湛えられている。六の光の一つ…まさにこの世で最も尊き宝物と呼ぶに相応しい煌きだった。

「………。」

「……え?」
 ふと、緑の光を横から眺めるムーから何か違和感を感じて、レフィルは思わず彼女に向き直った。
「……どうしたの?ムー。」
 そう尋ねられても、ムーは何も答える事無くオーブをじっと直視しつづけていた。だが…レフィルには、その顔に…何か悲しみの様なものを感じられた。
「気にするな。これはオレの問題だ。」
 そこで、ホレスはそう述べる事で区切りをつけつつ、二人を制した。 
―聞かない方がいい…よね。
 ホレスの問題…とは言っても、その時共に居たムーでさえも沈み込んでしまう様な事である以上、かなり大変な問題なのだろう。

「……六の光、ってあったから…」

 これまで手にしてきた、”六の光”らしき宝玉は、赤の月海賊団が有していた赤、地球のへその深淵に眠っていた蒼、ジパングにてヒミコ所有の宝物であった紫、そして…今ホレスの手にある緑…、この四つである。
「あとふたつ。」
「そうなるな…。」
「残りの二つはどこにあるのかな……。」
「…後でニージスにでも聞いてみようか。だが、何処をどう尋ねれば良いことやら。」
 残る”光”ついてはまだ何も分かっていない。あらゆる叡智を身に付けたダーマ十代目賢者ニージスでさえ、それそのものを知る事はない。
「オーブが全部集まったら…何が見れるのかな…。」
「不死鳥ラーミアが、あの卵から生まれてくるのか。」
 不死鳥ラーミア…その巨大な怪鳥は神話の中でしか存在しないと思われていた。だが、レイアムランドの神殿に不自然に鎮座しているあの卵を見ていると、それが覆される様な気がしてならない。

「…そうね。そうだといいな……。でも……わたしは…」

 神話の中のものを実際に目にする事が出来るのは、レフィルにとっても心躍る事であった。だが…同時に…  
「…魔王を倒さないと…わたしは……自由にはなれない…。」
 アリアハンに選ばれし”勇者”としての責務が彼女を縛りつけ、その夢を阻む事となる…。
「でも今のわたしじゃ…殺されに行くのと…同じ…だから……」
 倒すべきは魔物の王…だが、レフィルにそれを倒せるだけの力はない。二人を悲しそうに見つめながら、彼女は言葉を続けた。
「…だ…だって……だって……わた…わたしは……!!」
 いつしか…その目からは大粒の涙が止め処なく零れ続け…声は徐々に嗚咽に揺らいでいく…。
―自分から魔王退治に出てるわけじゃない!!

「なのに…どう…して…!?なん…で…わたしなの!?」

 そして遂に…ずっと押し込めていた理不尽に対する怒りや嘆きの感情が…言葉となって吐き出された。何故、オルテガの娘と言うだけで、皆は自分をも勇者として見るのか。
「わ…たしは…わたしは……!!ふたりを…ずっと…巻き込んで…いずれは…!!」
「「…レフィル…。」」
 魔王を倒す事が出来ないのであれば…いずれは死という終着点へと至る。そう…共に在った仲間さえも道連れに…。
―醜い…!!
 どの道全てが無駄に終わってしまう様な事に、二人を巻き込んでしまう自分が何処までも醜い。それが…ますますレフィルを強い自責の念へと追い込んでいく…。

「…許せないな。」

 その様な彼女を見て、ホレスはただ一言…忌々しげにそう吐き棄てた。
「え…?」
 それを聞き…レフィルは泣き腫らした瞳を彼へと向けた。
「お前をそこまで思い詰めさせるだけの重責を押し付ける輩を、オレは許す事が出来ない。何が勇者だ…。レフィルだって一人の人間なんだ。」
 テドンで全ての者に蔑まれてきたのがあの少年だと言うのであれば、レフィルは丁度好対照に位置する事となるだろう。すなわち…救世の為す者としての期待を掛けられた、勇者を継ぐ者。だが、そのレフィルが任を果たせぬと知れば…彼と同じ境遇を辿る事にも成りうる。されど、このまま魔王へと挑もうものなら…讃えられはするが、自分は仲間諸共死ぬ事となる。それが、レフィルがずっと怖れて怯えていた事なのだ。
「私もそう思う。」
「ムー…?」
 ムーもまた、ホレスの言葉に頷きつつ…涙を流しているレフィルの頬へと手を添えた。
「あなたはただ、勇者にさせられているだけ。でも、あなた自身は?あなたは勇者になる事を望んでいるの?」
「…わたしは……」
「結局…皆あなたに勝手に押し…付けてるだけ。…そんな事で…悲しまない…で。」
「ムー…っ…!」
 気付けばムーの目からも涙が零れ落ちている。二人は互いを抱き締めながら…大声で泣き始めた。
「……。」
 そんな彼女達を、ホレスは何も言わずに見守っていた。
―魔王…そして、勇者……か。さて、どうしたものか…。
 左手から床に衝かれた銀色の杖…変化の杖を握る力を強めながら、ホレスは暫しの間物思いに耽っていた。

「……落ち着いたか?二人共。」
「ええ……。ありがとう…。」
「……もう…大丈夫。」

 やがて…気持ちの昂ぶりが収まったのかレフィルとムーはようやく泣き止んだ。すっかり流す涙も無くしたのか、二人共…目は赤く腫れている。
「…まぁ、どのみちしばらく休まない事には傷も満足に癒えない事だし、全てを忘れてゆっくり過ごそうじゃないか。ここ暫く、ずっと頑張っていたからな。」
 二人が落ち着いた所で、ホレスは彼女達へとそう告げた。ラーの洞窟の件でも、テドンの秘境の件でも満足に休息が取れず、疲労も溜まっていた所だった。もっとも、これだけの傷を負っていては疲労どころではなくなるのも現状なのだが。
「そう…だね。ありがとう、ホレス。」
「なに、気にするな。時にはこうした事も必要だ。」
 思えばアリアハンから旅立って以来、自分が”勇者”である事を忘れた事など一度も無かった。それだけに、ホレスの提案は彼女にとってとても魅力的に思えた。
「私も賛成。一度一緒に遊んでみたかったもの。」
 ムーもまた、休みを取る事には大いに賛成らしい。そう告げるなり、彼女は右手の甲を上にして、レフィルとホレスの前に差し出した。
「…ムー…?」
 その行動に、レフィルが首を傾げる間に、ムーによって右手を掴まれて…彼女のそれの上へと置かれる。

「勇者じゃなくても、レフィルはレフィル。私達は仲間、そして大切な友達。」

 右手を重ねさせながら、ムーはレフィルの目を真っ直ぐに見据えながらそう告げていた。
「ともだち……。」
 一緒に旅をする仲間という意識はあったが、”友”と呼びあった事は記憶に無い。それだけに、おのずと心の内が嬉しさに満ちていく。レフィルは今までに感じた事の無い様な、不思議な感覚を味わっていた。
「そうだな…。お前達となら…」
 そして…ホレスもまた二人に倣い、右手を重ねられたふたつの手の上へと添えた。


「ところでニージス君、メドラの様子はどうだった?」
「ふむ…ベッドの中が窮屈な様で。まぁじきに目を覚ますでしょー。」
「ふふ…流石メドラね。」

 その頃、宿のエントランスでは、ニージスとメリッサが一つの机に向き合って、その上に広げた地図を眺めながら今後の事について話し合っていた。
「…まぁ、三人とも当分動けそうに無いのは確かな様で。」
「……そうねぇ、流石にトロルキングなんか相手にしたら無事じゃ済まないとは思ったけど…」
「と言いますか、生還そのものが困難だろうと思いますが…よくぞ戻って来られたもので。」
 重傷を負いながらも、レフィル達は生きて戻って来た。ホレスに至っては、一番深い傷であったにも関わらず自力で立っていた。彼からは手加減されていたとは聞いたものの、逆に魔物の最上位種の中でも特に強い者と戦ってこれだけの被害で済んだのは、まさに奇跡であると言えよう。
「…一度、ハンバークの様子見に行こうかしら。あの人が言っていた事が本当なら…。」
「ふむ…一体どうなった事でしょうな。人…と言うのも可笑しな話ですが…。」
 最後の最後になって、突如として現れた白銀の騎士。意外な事に、彼もまたハンバークを救済する為に動いていたらしい。その話が本当であれば、今は彼が呼び起こした兵がサマンオサの精兵達と交戦していると考えて良いものと思われる。
「トロルがあんな流暢に話すのなんて初めて見たわ。トロルキングって本当に頭良かったのね。」
「…私も初めて見たもので…何とも…。しかし…、出過ぎた真似をしてくれたもので…。」
 彼の登場は、良くも悪くも様々な波紋を起こした。攻防戦への介入は嬉しい誤算であったが、サマンオサを裏で手を引いていたザガンの殺害は過剰な干渉と言える。そして…変化の杖を求めてやってきた狙いは一体何なのか。
「まぁ、今分かっている事とすれば…あの勇者サイモンはオリビアの入り江に居るという話でしたな。」
「そうねぇ…。流石のサイモンさんでも…そんな所に放り込まれたらどうしようもないかしらね…。」
 ザガンがいつサマンオサ王と成り代わったかにも因るが、英雄サイモンとて生身の人間に過ぎない。永きに渡り閉ざされた牢獄の中へと繋がれてしまえば、飢えと乾き…そして、孤独に耐え切る事は誰一人として出来はしない。
「ですな…。彼には申し訳ないですが…って、あまり気にしていない様な気もしますがね。」
 そして、サイアスは父である彼の行方を知って何を思っているのか。父の話になってもその口の悪さは変わらないものの、最後にはザガンに対して激昂さえしていた。何らかの形で父を意識していたとも考えられるが……。
「まぁ、亡骸だけでも拾いに行くと考えてもおかしくはないかと。」
「と言っても、どうやったら抜けられるかしらね、アレ。」
「ふむ…オリビアの入り江の潮流と言えば、一つの悲恋の物語があるのは有名な話ですな。オリビアなる方の霊を浄化できれば或いは…。」
 通ろうとする全て船を引き戻す、オリビアの岬の流れが、入り江の牢獄を天然にして最大の流刑所と成している。それが起こる仕組みを探すのがまず、第一かもしれない。果たして、世に囁かれている様に嘆き続ける魂が引き起こした結果であるのか…。
「ふふふ…」
「…?如何なされたので?」
 話の途中でふと、メリッサが不気味に微笑んでいるのを見て、ニージスは肩を竦ませた。
「…そうよぉ、それがあったじゃない。ふふふ…」
「…む?何を…?」
「ううん、折角しばらくあの子達暇なんだから、本でもプレゼントしてあげようと思って。折角だからその物語にしようと思って…ふふふ…」
 その口から語られたのは、傷を負って苦しい中で暇を持て余す妹へのせめて手向けという、優しさを垣間見れるものだった。だが、聖母の様な無垢な笑顔とは裏腹に…特有のどす黒い雰囲気を振り撒くその姿からは、どうにも裏がある様に思えてならない。
「ふむ…しかし、何故よりによって本を?」
「だってあの子…恋する事がどういう事かまぁるで分かってないみたいだもの。お手本に丁度良いと思わない?ねぇ?」
「……なるほど…それは確かに…。」
 ムーがホレスに好意を持っている事はメリッサもニージスも良く知るところだった。その大人びた風貌とは裏腹に好奇心の塊とも言える性格のメリッサにとっては関わりたくて仕方が無い事なのだろう。
「しかし…恋愛に教科書などないとよく聞くものではありますが…」
「あら?何か言った?」
「はっは…いえいえ……。実に君らしい考えかと…何処までも妹想いですな…君は…。」
 メリッサ程の識者…賢者と呼べる程の資質を持つものでも、狂おしいまでに形振り構わぬ程の愛情を、自分本位なりに注ぎたくなるのだろうか。笑顔の裏から醸し出している底冷えする様な雰囲気を感じて薄ら笑いを浮かべながら、ニージスはそうした彼女の一面を垣間見ていた。
―まぁ…心配する程のものではないと思いますがね。昔に比べれば…
 ダーマでメドラとして過ごしていた時期には、最強の賢者と仕立て上げられるべく余計な感情や人間としての思考は常に排斥されてきた。悟りの書の呵責から救うべく記憶を消された事によって更にそれを失ってしまったが、カンダタに拾われてムーとして生きる様になってから…また、彼と共に…ひいてはレフィル達と共に世界を旅する様になってから、新しくその大切なものを得る事が出来た。

「…ふむ、たまには良い機会…でしょうな。」


 この広大なる世界の中で稀有なる絆を得た三人の若者。彼らは共に旅立ち、時には別れ、そしてまた巡り会う事となった。課せられた使命に翻弄されるまま、長きに渡って冒険を続けた彼らの心と身体は幾度も傷つき続け、遂には三人ともが力尽きた。
 だが、同時に一時的なれどその使命の束縛から解放され、それにより開けた新たな視界から…大切な事を見い出そうとしている……。

 今はただ、光求めて遥かなる旅路を乗り越えし彼らへひとときの休息を……。

(第二十章 真実の聖鏡 完)