真実の聖鏡 第十二話
 
 虚ろな表情で氷塊の中に閉ざされた、蒼い剣を手にした少女…それに向かい合う形で、無数の氷の刃が、一点を目指して突き刺さり…海栗の様な状態になっていた。

ガシャンッ!!

 だが、それは程なく砕け散り…内側から、紫の肌を持つ巨躯の戦士が現れた。
『…やれやれ、見事に一本取られたものだな…。自らを滅ぼす結果となったとはいえ、恐ろしい奴よ…。』
 氷づけとなったレフィルを見下ろしながら、クトルはそう呟きつつ溜息をついた。身に付けていた白銀の鎧は、極冷の刃を受け止めて砕け散り、使い物にならなくなっている。兜のバイザーも壊され、その内側にあった鬼神の様な面持ちが露わとなっていた。だが、自身は深い傷を負った様子は無かった。
『よもやあの様な攻撃を仕掛けてこようとは思わなかったな。イオラの発動段階の圧縮とあの魔剣の冷気を合わせようとは。』
 イオラの爆発は、一点に圧縮した空気にエネルギーを与える事で発生する。レフィルはそれを利用して、吹雪の剣の力によって極限まで冷やされた大気そのものを収縮させる事で、氷の刃を無数に精製し…目標に向けて一斉に放ったのだ。
『……だが、解せぬな。』
―今の一撃…そなた自身をも苛むと知って何故躊躇わずに撃った?
 あの様な芸当を為そうとすれば、結果こそ予測できずとも…吹雪の剣の力を全開にした時点で、自身を巻き込む事は初めから分かっていたはずである。それで尚攻撃してきた事を疑問に思いつつ、クトルは氷の内のレフィルを眺めた。まるで初めから死を望んでいるかの様な、心の闇を前面に出した表情のまま凍りついている。

「……ぐ…レ…フィル……」

 その時、部屋の隅でうつ伏せに倒れているホレスがうめきをあげた。
『…まだ諦めぬと言うのか、ホレスよ。急所は外したが、それ以上の出血は死に至るだろう。』
 一度はレフィルが施してくれたベホマの呪文のおかげで回復したが、雷神の剣で切り裂かれた傷はそれと比較にならぬ程の深手であった。それでも…ホレスは片膝をつきつつ、再び立ち上がろうとする…。
『最早抵抗は無意味だ。それに、私はそなた程の男を殺めたくなど無い。』
 仲間は倒れ、ホレス自身も既に致命傷を負っている。この勝負の結着はついた…クトルはこの時、そう思っていた。だが…

「忘れていた…。」

 ホレスはそれを聞いていないのか、小さくそう呟くだけだった。
『なに…?』
 一体何を”忘れて”いたのか。クトルはそれが解せずに怪訝な様子で首を傾げた。
「どうしてもっと早く気がつかなかったんだろうな…。だが…レフィル…お前のおかげで気付いたよ…。」
『何を…考えている…?』
 レフィルのおかげ…おそらくは自らを省みないあの攻撃を見ての事だろう。それを前に何を思ったのか…。ホレスはうわ言の様に言葉を続けながら、よろめきつつも立ち上がった。
「…そうだ。オレには…これがあったじゃないか…。」
『今更どうしようと言うのだ。…死に急ぐのは感心せんな。』
 傷口からは血が止まる事なく滲み出ている。素人目から見ても、既にまともに戦える状態であるのは明らかだ。
「…死に急ぐ?何を言っている?」
 だが、ホレスにはその様な事など今はどうでも良かった。

「死ぬのは…あんたの方だ!」
『!!』

 次の瞬間…ホレスの右手から、黒い閃光が迸った。
 

「…ハァ…ハァ…戦ってやがるな…!」
 その頃、マリウスはサマンオサ城の入り口にたどり着いていた。
「……ったく、どいつもこいつもてこずらせやがって…。もうてめぇらの親分は死んじまったってのによ…」
 ザガンがサマンオサ王の正体である上に、既に死んでいる事が伝わっていないのか、マリウスは途中…運悪く精兵達と戦いになってしまった。
「盾返しやがれ!!あの大デブ野郎!!」
 風神の盾を奪い取ったトロルキングに対して罵言を吐きながら、彼はサマンオサ城へと再突入した。
「どけぇえ!!盾の恨みは怖いぞオラァッ!!」
 破壊の剣と嘆きの盾を振り回して精兵達を蹴散らすその姿は、まさに執念に取り付かれた狂戦士のものであった。


ズバァアッ!!
ゴトンッ!

 ホレスの右手から黒い一閃が放たれると共に、クトルの右腕が切り裂かれ…手にしていた雷神の剣が床に落ちた。
『…な……何…っ!?』
 右の前腕に鋭利な刃物で斬られた様な傷がぱっくりと開いている。その骨にまで至る深い傷口から、紫の血が止め処なく流れ続けていた。
「これが…変化の杖…か。」
 いつしか…ホレスの左手には、あの奇妙な形の銀色の杖が握られていた。それは微かに淡い光を発している…。一方、右手には竜の尾から作られた黒い打撃武器、ドラゴンテイルが握られていた。だが、それは所々が奇怪に歪み…不気味な雰囲気を醸し出している。
『…武器が…変形した……だと…』
 右腕のダメージのあまり脂汗を流しながら…クトルはホレスの右手に握られたドラゴンテイルを注視した。その先端を見ると…いつの間にか、先程叩き落したばかりの幾多の武器が絡まっている。その内の一つ…草薙の剣に紫の血がついている…。
 おそらくはドラゴンテイルを変化させる事で自在に操り、弾き飛ばされた武器を回収して、そのまま草薙の剣を用いて斬りつけたのだろう。
『ここまでやるとはな。だが…これ以上はどうにもなるまい。』
「……く…くそ……」
 最後に一矢報いる事にはなったものの致命傷には至らず、ホレスは両手の武器を力無く地面に落とした。
『ようやく力尽きたか。だが、ますます面白い。そなたの何処からここまで立つだけの執念があったというのだ?それに、変化の杖を以ってこれだけの力を発揮しようとは…。』
「……ぐ……」
 もはや戦う事ができないにも関わらずまだ立ち続けている程のものを持つホレスに、変化の杖の事も相まってクトルは興味を深めた。
『…ふむ…。これは単に杖のみを手にするだけに終わらせるにも惜しいな。』
 ホレスはザガンの様に他者を変化させる訳ではなく、手にした武器を自分の思う形に変形した。初めて手にしたにも関わらず、その能力を以って…直感的にあれ程までの複雑な攻撃をしてのけた事はクトルの印象に残って離れない。

「見つけたぜ!!トロルキング!!」

 その時、突然…寝室の入り口から禍々しい意匠の武具を手にした赤い鎧の戦士が大音声で怒鳴り込んで来た。
『…ふむ…、手間取り過ぎたな。私とした事がまた余計な面倒を抱えこもうとは…』
「余計な面倒たぁなんだコラァッ!!?…返さないったって、そうはいかねぇぞオイ!!」
 ひょんな事から風神の盾を手にしてそれを手放したくないクトルと、それを取り替えそうと躍起になるマリウス。
「つーかざまぁねぇな!!悪いがその盾取り返す為なら俺ぁ卑怯者にも外道にも何でもなってやんよ!!」
『…やれやれ。致し方無いか。全く、手傷を負ったところで…。さて…どうしたものか…。』
 纏っていた白銀の鎧は殆どが砕け、右腕はホレスがつけた傷から未だ血が流れ続けている。しかし、迎え撃たない事には始まらない。クトルは傷を負った右手で雷神の剣を拾い上げつつ、マリウスへと構えた。
―強欲とは…恐ろしいものよな。
 相手は風神の盾を奪還する為ならば手段を選ばないと来ている。自分もまた宝物に対する欲望に忠実である事を顧みると、自然とそう思わされた。

「…い…イオナズンっ!!」

『「「……っ!?」」』
 その時…、唐突に上擦った様子でとんでもない言葉が紡がれた。

ドガガガガガァーンッ!!

「どわぁああああっ!?」
「…ぐぁ…っ!!」
『……ぐ…!!』
 人知を超える程の大爆発が随所で巻き起こり、その場にいた三人をまとめて巻き込んだ。

ガラガラガラガラガラ…!

 王の寝室だけに留まらず、サマンオサ城各所で大爆発が発生し、城全体が激しく揺るがされた。

「く…く…く…クトル様ぁあああっ!!」


『エルダ…!』
 その途方もない呪文を唱えた張本人、イオナズンが撒き散らす粉塵の中…主の名を呼びながらクトルへと駆け寄ったのは、裾の長い紫のローブを身に纏った小柄な女性だった。
「あいつは……」
 その姿には見覚えがある。人間がどうしてトロルキングの下にいるのか…。
「きゃぁあっ!!酷いお怪我!!そ…そんな敵が…近くに…!!わ…わ…わ…!!」
 クトルが負った右腕の傷を見るなり、エルダは動揺のあまり…更に混乱を深めた。
『…お…落ち着け…エル…』
「い…イオナ…」
 クトルが宥めようと試みるも、エルダは混乱したまま再び呪文の詠唱に入った。
「…げぇえっ!?ちょ…ちょと待てぇええっ!!」
「…え…えぇい……!な…んて…事だ…!!」
 先程の城のゆれから察しても、エルダの放つイオナズンは広範囲にまで及ぶ。その破壊的な呪文をもう一度唱えられては…最悪城全体が崩壊し、おそらくこの場の全員…無事では済まないだろう。

「…おっとぉ、それまでにしてくれないかなぁ?エルダちゃん。」

 だが、怖れていた結果は訪れなかった。
「…むむむー…!!…ぷはっ…!し…シエン様…!?」
 別の第三者が割り込んで、エルダの口を強引に塞いで呪文の発動を食い止めたらしい。
「ホラ、まずは深呼吸。吸ってぇ〜…吐いてぇ〜…、で…目の前ちゃんと見てみろよ。クトルのおっさんはちゃあんと無事だって。」
 異国の隠密の黒装束を身に纏っている…シエンと呼ばれた男は飄々とした様子で、エルダの手を取りながら彼女をじっくりと宥めた。
「……で…でも、お怪我が…」
 シエンの活躍あってか、エルダはようやく少し落ち着きを取り戻したらしい。クトルの怪我を見て案じる様子はあっても、ひどく取り乱す事は無かった。
『案ずるな。この程度の怪我、すぐに手当てすれば問題ではない。…だから頼むからこれ以上暴れるな…。』
「はぁ…破壊力だけはアークマージ超級だもんなぁ、エルダちゃんは。」

アークマージ

 あらゆる魔術を極めし者が名乗る事を許される称号。
 その多くが強力な呪文や魔法を操り、強大な魔力をほしいままにしている。
 反面、その力に飲み込まれて…魔に堕す者も少なくない。

 名高いアークマージと呼ばれる程の魔力を秘めていても、その制御に問題がある。それこそ…実害だけ考えるとすれば、堕して魔物と蔑まれるに至った者達よりも性質が悪い。
「…つーか、えらく手酷くやられたもんだねぇ。例の”真紅の鎧”さんかい?」
 そう思う一方で、シエンはクトルの右腕を見てそう尋ねた。どうやら部下としても、クトル程の実力者が手傷を負う事になろうとは予想できなかったらしい。
『…いや、そこにおるホレスという男の方だ。』
「ホレス?はっはぁ、なぁるほどね。こりゃ納得だわ。」
 ただでさえ、クトルとまともに渡り合える程の実力者は少ない。戦士として名高いマリウスという答えを否定された時は怪訝に顔をゆがめたものの、ホレスの名が上がったその時、シエンは実に満足した様子で何度も頷いた。
『……む?知っておったのか?』
「おうよ。何でも…キリカの奴も尻尾を巻いて逃げ出すくらいの実力者らしいぜ。」


黒風の餓狼 ホレス

 顔に刻まれた複数の傷と、白い髪が特徴の痩身の青年。まだ歳若いにも関わらず、多くの難所を踏破する程の実力派の冒険者。
 かつては単身で冒険を続けていたが、現在は仲間と行動を共にしている。しかし、その動機は定かではない。
 命に関わる危険な冒険をも厭わぬ程の狂人的な剛胆さでもよく知られている。それは、”死神”キリカと争って三度に渡って生き残っている事からも窺える。


 レフィルが名を上げ始めているのと同じ様に、ホレスもまた名を知られつつあるらしい。本人からすればそれ程大きな事を成した気はなかったが、裏仕事に携わる者からも要チェックと言わしめる程のものを持っていると評価して良いのだろう。


「手酷くやられたな、クトル。」

 ふと、今度はまた別の男がクトルとシエンの会話へと割り込んできた。
『カルスか。…ふむ、何か不服そうだな。』
「さぁな。だが、俺達が出るまでもなかったか。…ラーの鏡はこの女が持っているらしいからな。」
『…そうだな。』
 長剣を背負った痩身の青年カルス…その腕の内には、氷づけとなっていたはずのレフィルの姿があった。
「……レフィル…!」
 おそらくは彼がレフィルを氷の中から引きずり出したのだろう。だが、決して純粋な理由で助け出したわけではないのは明らかである。ホレスは警戒心を露わに、レフィルを腕に抱いている青年を睨んだ。
「…ああ、貴様はこいつの仲間だったか。」
「まぁ、助けてやったんだから感謝こそすれ、睨む事ぁねぇじゃんかよ。」
「………。」
 ”貴様らの主が発端のくせに何をぬけぬけと”…そう言ってやりたかったが、それをなした所で一矢報いられる相手でもない。ホレスは黙って成り行きを見守るしかなかった。
「っていうか、その鏡持ってるとよぉ、クトルのおっさんにとって都合わるかぁねぇか?街中出歩くにゃあやっぱ目立つぜそのナリはよ。」
 レフィルが携えていたラーの鏡をちらりと眺めつつ、シエンはクトルへとそう尋ねていた。
『ふむ…やはりそうなのか?』
「しっかりしてくれよぉ…。んなバカでかくて紫の肌を持つ人間なんざいねぇって何度言ったら分かるんだよ。もぉ、頭の鈍さだけはトロル並み…」

ぴしゃごろーん!!

 致命的な失言を零したシエンに対し、雷神の剣が呼び起こした雷が直撃した。
『言いたいことはそれだけか?』
「……な…なんか仰いましたかしら?あたくし…おほほ…」
「わわわ…!し…シエン様っ!!」
 適度に手加減でもされているのか、全身から煙を出しながらも…シエンはどうにかといった様子ながら立っていた。エルダは彼に浮かんだ死相を見て取り乱していた。
「…全く、馬鹿な奴だ。」
「…なぁに言ってんだよ。こーゆーのは体張っても笑い取り行くところだろうが。」
「訳が分からん。」
 この状況で一体誰に笑ってもらおうと言うのか…。隠密の衣に身を包んでいる外見とは裏腹に、この男は抜けている部分も多い様だ。
『……さて、これ以上長居は無用だ。目的は既に達成された。』
「…お〜、良いのか?あんた、まだ肝心のモン手に入れてないんじゃあ無かったのかい?」
 サマンオサの偽王の抹殺は、レフィル一行の活躍により…こちらで何をするまでも無くあっさりと終わった。
『変化の杖の事か?それはそやつに預けておく。今回は私の負けだ。』
「…負け?」
『そうだ。慢心していたのもまた事実。修行が足らぬな…私も。それに、こやつならば…更に面白いものを見せてくれそうだからな。』
 一方、もう一つ…変化の杖の入手に関しては、あの一撃を受けた事で気が変わったらしい。戦いの中で見せた数多くの機転もあって、クトルはホレスに期待できると見込んだ様だ。
『ホレスよ、いずれまた会おう!その時を楽しみにしておるぞ!』
 クトルは最後にそう告げると、悠然と歩いて城を後にした。シエンとカルスもそれに倣って続く。 

「し…しし…失礼しましたっ!!」
 
ずるっ!!

「…って、きゃあああああっ!!」
 
どったぁーんっ!!どたどたどたどたっ!!

 遅れてエルダが慌てて三人の後を追おうとしたが、ローブの裾を踏んでしまい…派手に転んで階段からも転げ落ちていった。

「「………。」」

 これが本当に、先程凶悪なまでの破壊を撒き散らした呪文の使い手と同一人物なのだろうか。

「…ごらぁ!!俺の風神の盾の話がまだ終わってねぇぞ!!」

 誰もいなくなった王の部屋に、マリウスの叫びが響き渡った。 
「…あんた、あいつに盾盗られたのな…。」
「そうだぜ、落とした所を勝手に拾いやがって、冗談じゃねぇっ…!!念願の風神の盾だったんだよ!!」
 それを聞くと、どう考えてもクトルが勝手に持っていってしまったと言う事になる。しかし、彼は今更返すつもりなど無いらしい。
―…オレも危うくそうなる所だったからな…。
 今ホレスが所有している品々も、どれも手放せない程気に入っている上に価値もかなりのものばかりである。そのままクトルの目に留まれば、やはり同じ様に奪われてしまったかもしれない。そう考えると、ホレスは今のマリウスと同じ心境で、この戦いに臨んでいたと思えた。
「それよりも…オレ達も急ごう。じきにサマンオサの兵達が戻って……ッ…!」
「…お…おいおいおい…やべぇんじゃねぇか…その怪我。立てんのかよ…。」
「ああ。問題な…い…」
「…こりゃ…重傷だな。」
 様々な幸運が重なってどうにか変化の杖を死守する事には成功したものの、その代償は大きかった。自身の体には深い傷を負っている。これだけの出血があって、今も尚生きているのが不思議でさえあった。
「ムー…レフィル…。」
 レフィルとムーもまた…自分を助けようとしてクトルと戦って倒されている。彼女達もまた無事では済まず、意識を失っていた。
「マリウス、悪いが…」
「ああ、任しとけ。二人は俺が担ぐぜ。」
「助かる。」
「おっしゃ、じゃあ行こうぜ。」
 激しい戦いによって砕けた天井の穴に向けてキメラの翼を放り投げ、ホレス達はサマンオサ城から脱出した。

 いつしか闇のランプの効果が消えたのか…空には晴れ渡る様な青空が広がっている。突如として現れた太陽を不思議な面持ちで見上げながら、サマンオサの民達は穏やかな風を久方振りにその身に感じていた。