真実の聖鏡 第十話

 稲妻の如き一閃と共に雷霆宰相と呼ばれた男は、皮肉にも…雷帝と呼ぶに相応しい巨漢が振り下ろした剣の一撃を受けて、あたかも初めからそこに居なかったかの様に跡形も無く消え去った。
「…て…てめぇ…!!」
『……おっと、これはお主の獲物であったか。』
 目の前で仇敵ザガンをあっさりと屠られてうめくサイアスが苛立つのを見て、白の騎士はその意図を察して肩を竦めた。
「…分かってんなら初めから手ぇ出してんじゃねぇよ…!」
『ふむ、その非礼は詫びておこう。だが、許されぬ罪を犯したこやつを、私は捨て置く事が出来なかったのでな。それは我らが一族から見れば万死に値する。』
 ザガンが犯した許されぬ罪。だが…白の騎士が言うそれは、サマンオサ王に成り代わり世界を混乱に導こうとした事ではないらしい。
「あの時と同じ…俺らの戦いに介入したのもてめぇか?」
『然様。しかし結局、そなたらが邪魔でサマンオサ城に出向けなかったではないか。』
「マジかよ…」
 その言葉で、サイアスは目の前に居るのが精兵達を一瞬にして倒してのけた介入者である事を理解した。ザガンに向けて放たれた裁きの如く凄絶な一撃、それはやはり、あの時に目の当りにした雷の嵐と同じ力によって立ち上げられたものであるらしい。
『さて…そこのお主。何か申したいと見えるが?』
 皆が目の前で起こった物事に対し呆気に取られている側で、白の騎士はただ一人自分の目を真っ直ぐに見据えてくる銀髪の青年へとそう呼びかけた。

「…あんた…、さっき…手勢を差し向けたとか言っていたな…?一体何が狙いだ…?」

 私兵さえ持てるだけの身分にあるのだろうか、先程この男は自分の部下を派遣して、サマンオサの精兵を食い止めているだろう、と確かに言った。虚言を言っている様にも聞こえないが、何処にそのような兵力があるかも分からないのもまた事実である。表立って知られていない力ある者が今になって表舞台へと出る理由が知れない…。
『狙い…か。なに、宝物を求める者としても、彼の地は絶好の市場だからな。故にあれ程海運が整った立地の町を潰されるのは私としても困る。』
 その様に思考をめぐらせていると、雷神の剣を持つ男は意外な言葉を返してきた。
「宝物を求める…だと?まさか…あんた……」
 いつしか男の目線は、ホレスの左手が握る…銀色の杖へと向けられている。それで、ホレスはすぐに、彼が何を望んでいるのかがわかった。

『その通り。私が部下をハンバークへと送った事も、所詮は私の趣向を満たす手段を守る為に他ならぬ。サマンオサが勝利しようものであれば、その市場は失われるであろう。そして私自身はその変化の杖を求めて参った。情報こそ無かったが、確信はしていた。他に類する物なき貴重かつ不可思議な力を有する杖、是非とも目にしてみたかったのだ。』

 サマンオサとハンバークとの攻防戦へと乱入したのも、部下に戦いを任せてそれから離れたのもまた、彼の目的の達成の手段でしかなかったのだろう。彼自身はあくまで変化の杖を手にする為に行動している様だ。
「…やはり…か。だが、出所が不明の物とはいえ、残念ながらおそらくこの国のものとみて良い筈だ。あんたが欲しがるのは分かるが…。」
『ふむ。面倒な事よな。』
 ここまでの手間をかけて、変化の杖を目指したところで…ホレスが表情を曇らせながら告げると、白い騎士は少し困った様子で首を振った。
「…とか言っておいて、実はてめぇが元凶でした…なんて事はねぇだろうな?」
 ふと、サイアスが疑いを露わにそう呟くと、周りの者達にもまた疑念が生じた。
「……ふむ、ザガンという方もバラモスの下で動いていたと仰せでしたか。貴方はいかがなもので?」
『バラモスか…。あやつとも縁を切らねばならない様だ。所詮はあの様な男をこの国にのさぼらせている程度の男だ。』
 縁を切らねばならない…つまりはこの男はバラモスと親交があったと言う事だ。相手が魔物の王であるならば、彼もまた…
「…で、今更んな所に何の用だ?トロルキングさんよ?」
「「「!!?」」」

  
魔人王 トロルキング

 闇のように深い紫の肌を持つトロルの上位種で、ボストロールと双璧を為す巨人族の王者。
 体格でこそ劣るものの、その強さは確認されている魔物の中でも十の指にも入るとされる。
 高度な知性をも有しており、強力な呪文を操るものまでいる。


 魔物…それも魔王に匹敵するだけの上位の魔物であって不思議ではないのだ。
「…な…!?おいおい!?ト…トロルキングだって!?」
「おぉう…!?確かにやけに大きいとは思っておりましたが…!!」
 マリウスによってその正体を聞かされた所で、辺りは驚愕の声で騒然となった。
『ふむ…流石に驚いておる様だな。』
「…驚かない方がおかしいだろうが。」
『なるほど。だが、お主が言える事ではあるまい。』
 勇者と呼ばれたサイアスでさえも少々取り乱している中で、事情を知るマリウスはともかく、完全に初対面のホレスが動じないのは一体どういう事なのか。トロルキングにはそれが興味が尽きなかった。
『心配せずとも変化の杖さえ手に入れば主らをどうするつもりもない。サマンオサを裏で手を引いていた輩が死した以上、以上他に用は無いからな。』
「大人しく渡せってか?冗談じゃねぇ、つーか何企んでやがる。…奴の言う事に耳貸すんじゃねぇぞ、ホレス。こいつはどうにも信用できねぇ。」
 相手が魔物である以上、何をしでかすか分からないと言いたいのだろう。トロルキングが変化の杖を要求するように告げてくるのに対しサイアスは正面から断わり、ホレスにも釘を刺した。
―それならあんたはどうなんだ…?
 無論、ホレスとてこの杖を渡すつもりはない。しかし、内心で信用できないのは寧ろサイアスの方だと思っていた。感情を見せたと言っても、彼のもつ本質が垣間見れたわけではない。

『…それは残念だな。止むを得ん。』

 交渉が決裂したと悟ると、トロルキングは溜息をついた後、周りを囲む者達を一人一人見回していた。
「!」
「…く…!」
 兜のバイザーの奥にある金色の瞳が放つ眼光に射られて、各々の緊張が高まる…。全てを見透かすような眼差し…それはまさに、自分の心の中を読まれている様な、気持ちの悪いものであった。
「…来るか…!皆、気をつけろよ…!」
 全員がそれぞれの武器を構え、トロルキングへと対峙する…

『バシルーラ』
 
「「「「「「……!!」」」」」」
 だが、それはほんの一瞬の事でしかなかった。
「ば…バシルーラ!?」
 トロルキングは唐突に、空間追放の呪文…バシルーラをこの場の全員に向けて放った。
「…きゃ…!」
「…これは……!」
 術を受けて、皆は為すすべもなく宙へと浮いた。
「…く…くそ…!!」
「飛ばされ…る…!」
 必死に堪えようとするのも虚しく、レフィル達は次々と王の寝室から弾き出され、空の彼方へと消えていった。一回の詠唱で全員がまとめて吹き飛ばされる程の規模のバシルーラを発動したこのトロルキングの呪文の力は只ならぬものがある。ただの一撃でザガンを消し飛ばした技量といい、流石は最上級に位置する魔物と言った所か。だが…

『……ふむ、よりによってお主が耐えるとはな…。』

 その呪文を受けて尚、ただ一人この場に身を留めた者がいた。トロルキングは興味深そうに彼を見下ろした。
「…この杖を避けて発動する気だったのか…。だが…生憎オレにはそうした呪文が効かないらしい。」
 バシルーラに抗したのは、白銀の髪をもつ痩身の青年ホレスであった。呪文が効かない…実際彼は特に耐えようともせずとも先の呪文の効果を受ける事は無かった。
『仲間がいなくなったと言うに随分と落ち着いておるな。』
「落ち着いている?冗談じゃない。…やれやれ、何て事だ。」
 なまじ呪文に強いばかりに、いきなり最上級の魔物と対峙する事になったその不幸にホレスは肩をすくめる他無かった。

『今一度問おう。変化の杖を渡す気は?』

 彼が持つ銀色の杖へと目を向けながら、トロルキングはその様に問うた。

「冗談じゃない。誰がこんなもの手放せるか。」

 だが、ホレスの答えは初めから決まっていた。 
『ほぉ、それはお主もまた、その杖を欲していると言う事か。』
「ああ。さっきはああ言ったが、所詮はオレもあんたと同じだ。」
『私と同じ?…ふむ?』
 魔物たる自分と同じという意味か、それとも変化の杖という秘宝を求めるという所が同じと見ているのか。いずれにせよ、トロルキングは今のホレスの言葉の意図が読めず、首を傾げていたが…

「だからこの杖は絶対に渡さない。戦う事になってもな。」

 結局は変化の杖を渡す気が無いと言う事は分かった。
『ふむ…。そなた程の賢しき者が無益な戦いを厭わぬとはな。魔物と見た相手に対して人間とは残酷にもなるのか…』
 知られている魔物の多くは、旅人達や無力な民達を襲うとして怖れられている。人を殺す事は忌み嫌われていても、そうした魔物を屠る事には何の感慨も覚えない。トロルキングは今のホレスの言葉から、その様な一面を垣間見て少々残念そうにそう呟いていた。

「違うな。」

 しかし、ホレスはそれを短くそう否定した。
「そもそも魔物というのは所詮人間が決めた概念だろうが。危険と見れば人間ですら魔物扱いだ。そこは全く以ってあの妖精を名乗るバカどもとなんら変わりない。」
 エルフが自身を”妖精”と称する事で外部からの人との交わりを避けていたのと同じ様に、人間も…畏れるべき獣達を魔物と呼ぶ事によって…共通の敵を作り身を守ってきた。だが、やがて状況が落ち着いてくると、エルフが外からの人間を獣と蔑んだり、単に他人と違うという理由だけで人間が同属へと差別・偏見を強めて最後には魔物と怖れたりする等、それは無用な諍いの種となる事が多くなった。
「オレは人間の方が余程性質が悪いと見える。」
 人間が持つ必要以上の先入観がもたらす歪みは、ホレス達にとっても他人事ではない。最近見た”悪魔”と蔑まれた物言わぬ少年…逆に過剰な期待から賛美された者…”賢者”となる事を強いられた”咎人”メドラ、オルテガの娘と言うだけで旅立ちを余儀なくされた”勇者”レフィル。ほぼ誰一人とて”人間”として見ている者はいない。
「それなら杖だけが目当てであるあんたの方がよっぽど単純明快、分かりやすくていい。…まぁ、まさか…宝物の取り合いで殺し合いをする事になろうとは思わなかったがな…。」
 一方、今目の前に立ち塞がる障害に、悪意…羨望…侮蔑…その様なものは下らない些末事に過ぎない。宝物を欲する者から、杖をただ守り抜けば良い。それだけだ。
『余程気に入ったらしいな、その杖を…死を覚悟してでも欲する程に。』
 トロルキングは腰に差した人の身の丈程もあるであろう無骨な大剣を右手に取り、左手には厳つい表情の荒ぶる神のレリーフが施された円形の大盾を握っていた。
『若者よ、最後にお主の名を聞かせてはくれぬか?』
 だが、すぐに攻撃する事はせず…そう尋ねてきた。
「…ホレスだ。あんたも…まさか、トロルキングという名前ではあるまい。」
『…!…ふ、やはり面白い男よ。』
 名前と共に返された意外な言葉に、トロルキングは感心した様子で苦笑した様だ。顔面すらも覆う兜で表情は見て取れないが、その声は愉悦に満ちていた。
『我が名はクトル。若者…否、ホレスよ。さぁ、存分に戦おうではないか。』
 そう言い放つなり、トロルキング―クトルは両手に持つ武具を構えた。
―…勝てるか…?……こいつに……
 まともに戦って勝てる相手でもなければ、簡単に逃げ遂せる事が出来る程甘い敵でもない。変化の杖を手にしている限りは何処までも追ってくるのは目に見えている。ホレスもまた、それに応じる様に…左腕の黒竜の手甲を確かめ、雷の杖を右手で握りつつ身構えた。
 


「…う……く…!」
 その頃、バシルーラで吹き飛ばされたレフィル達は、サマンオサ城下町の入り口近くで倒れていた。
「…あつつつ…。こりゃ思いっきりぶつけたな…。」
「……ですな。皆さん、大丈夫で…?」
 幸い大した怪我はしておらず、痛みに喘ぎながらゆっくりと立ち上がっていく。
「やっぱり痛いわねぇ…。あれだけの呪文を手加減して唱えるなんて無理あるものね。」
 トロルキングはバシルーラを一度に自分達全員に向けて放つ離れ業をやってのけた。だが、規模の大きい呪文では、独力での制御はそもそも考慮に無いのだろう。この場に全員が揃っている事自体が奇跡と言えよう……
「……。」
「ムー?」
 とその時、ムーが黙々と辺りを歩き回るのを見て、レフィルは彼女に呼びかけた。
「どうしたのメドラ?そんなにキョロキョロして?」
「ふむ…これは……」
 このような状況で一体何を探しているのか。しかし、先程の強制追放の呪文の事を考えると…
自ずと答えは出る…。

「…ホレスは?」

 ムーのその言葉と共に、レフィルの動きは凍りついた。
「…え…?…あ!いない…!!まさか…まだあの中に…!?」
 確かにこの場に彼の姿が無い。そうなるとやはり、一人だけバシルーラの効果から逃れた…否、あの城の中に取り残されたと言った方が妥当だろうか。

ゴォオオオオオオオオオオッ!!!

「!!」
 不意に、城の方で巨大な竜巻が上がった。それは瓦礫を撒き散らしながら天を衝き、唸りを上げていた。
「…あ!ムー!!」
 ムーはその凄まじい光景を見て一瞬目を見開いたと思えばすぐに、城の方に向かって走り出した。レフィルもまた慌ててその後を追っていく。
「……さて…どうします?」
「どうするったって…このクソ王放っとけってか…?」
 石畳の上に、血を流して横たわっている酷くやつれた風貌の男が眼下で横たわっている。
「…ったく、散々ボンクラ呼ばわりしといてんな所で面倒かけてんじゃねぇぞコラ。」
 致命傷を受けた為か、生命力そのものが弱り回復呪文の効果は薄く、かなり危険な状態である事は他人目から見ても明らかだった。それでもどうにか生を得ているのは、かつての武人として培ってきたものが今になって生きているからか。
「とりあえず、宿まで運ぶのがよろしいかと。」
「そうね…じゃ、誰か王様を運んで頂戴。私はすぐに治療の準備に入るわ。」
 手早く応急処置を施した後、メリッサはその場に居合わせた者達へとそう指示を出した。
「悪い、俺もあいつら追いかけるわ。あんにゃろう…風神の盾持ち逃げしやがったまんまだっての…!ぜってぇ取り返してやるからな!!」
 しかし、マリウスは彼女の言に従う事無く、トロルキングに対してのやりきれぬ怒りを露わに呟きながら、レフィル達の後を追っていった。
「…あの盾、もともとアイツのだったのか…。」
「そのようで。」
 そもそもマリウスが先程から言葉にしていた風神の盾はそもそも彼が手に入れた物で、それがあのトロルキングに渡って今に至る様だ。最も、それがどの様にして渡ったのかは誰も知る由も無かったのだが。
「…一応、どうにか助かりそうだけど…ニージス君は宿屋の人に清潔な寝床の準備をする様にお願い。サイアス君は指示があったらこの人を運んであげて。」
「あいさ。」
「へいへい…了解。」
 マリウスがサマンオサの城へと向かうと共に、男達はメリッサが言うままにすぐに行動へと移った。
「しっかしまぁ…まさか本気でコイツの面倒見る羽目になるとは思わなかったわ…。」
 ニージスが宿で話をつけている間、サイアスは足元で倒れているやせ細った王を見下ろして溜息をついていた。
「よっぽど好きなのねぇ…ふふふ。」
「冗談じゃねぇ…。何度扱かれてはボンクラ呼ばわりされたかわかりゃしねぇ…。トラウマッスよ…トラウマ。」
「ああ、道理で強かったワケね。」
 サイアスの言葉からメリッサもまた、この男が今でこそ衰弱しているものの…かつては比類なき武を誇る勇猛な王であると知って苦笑した。彼が変身したボストロールが、サイアスは勿論…名のある戦士であるマリウスでさえも圧倒したのはそこが大きな要因であったのだろう。
「…ふふ、まさかまた稽古をつけてもらう事になろうとは思わなかったんじゃない?」
「なんだよそりゃ。」
 メリッサがまたも意味深に笑みを浮かべているのに対し、サイアスはぞっとする様な悪寒を感じて肩を竦めた。
―…嫌な事思い出させねぇでくれよ…。
 



『ぬんっ!!』

ブバァッ!!

 雷神の力を帯びた大剣が、空気さえも焦がさんばかりの熱と巨大な刀身を以って一閃された。その軌道上にはホレスの姿がある。

ザッ!!

『!』
 しかし、次の一瞬にはその姿は掻き消え、彼は雷神の剣の間合いぎりぎりの位置へと立っていた。
「喰らえ!!」
 間髪を入れずに道具袋から何かを取り出してクトルに向けて投げ放つ。それは直線的な軌道を通り、目標へ向けて飛来した。

ドガァーンッ!!
ビュォオオオオオオッ!!!

 だが、その時…クトルの周囲に烈風が巻き起こり、爆発を吹き払った。
「…風神の盾…!!」
 爆発と同時にクトルの周りに旋風を起こして爆発の衝撃を払ったのは、彼の左手が手にしていた円形の大盾であった。風の加護を以って、仇なす敵から主を護る魔法の盾である。
『爆弾石…か。斯様に危険な代物を、よくぞ持ち歩く気になったものよの。』
 ホレスが投げつけてきたものの正体を察して、クトルは呆れたとも感心したとも取れぬ様に呟いたが…すぐに間合いを詰め…

ガッ!!

 雷神の剣でホレスへと斬りつけた。
『…ほぉ、黒竜の手甲ではないか。我が雷神の剣を受け止めようとは…』
 それは彼の左手にいつしか付けられていた黒竜を模した手甲によって辛うじて受け止められていた。
「……く…!」
 一撃の破壊力が凄まじいクトルの攻撃を受け止める事が出来た事が不思議な位である。

ギャンッ!!

 それでいつまでも切り結んでいられるはずも無い。ホレスは力任せに雷神の剣へとドラゴンクロウを合わせて自身は後ろへと間合いを取った。
『逃さん!!』
 だが、クトルは満足に逃れる暇さえも与えてくれなかった。
―避けきれない…!
 巨体に似合わぬ敏捷性で、一気にホレスを斬る為の最適な間合いに入り、それを容赦なく彼の胴を薙がんと振り切った。

ギィンッ!!

『ぬぅ…!?』
 だが、その刃は…彼の皮一枚へと触れようとした所で反響音と共に勢いを止めた。
『これは…!』
 手には金属――剣が震える衝撃が伝わってくる。抵抗無く斬れるはずのか細い人間を斬れないどころか、逆に自分が押し負けている。一体何が起こったというのか。
『…ぬ…!まさか、その仮面は…』
『喰らえ!』

ガギャッ!!

『ぬぅ…っ!!』
 いつしか身に付けられていた黒い仮面の正体を考える間も無く、白銀の髪の青年が懐へと斬り込み、手にした剣を一閃した。金属片が中を舞い、クトルが苦悶の声を上げる。
『…ほぅ、私に一太刀入れようとは。』
『…ち…!』
 鎧に目に見えて大きな穴が空いたが、ただそれだけの事だった。クトル自身には全く傷をつける事は敵わずに終わっていた。
『もらったわぁあああっ!!』

ギンッ!!

『ぐ…ぅううううっ!!』
 トロルキングならではの怪力で操られる大剣・雷神の剣がホレスを襲う。その渾身の一撃は先程の一閃の比ではなく、不可視の守りの力が働いて尚衝撃はその内側にまで響き渡った。
『なめるな!!』
 吹き飛ばされながらも、ホレスは背中から杖を引き抜いてクトルへ向けて振るった。

バチィッ!!ドゴォオオオッ!!

 強烈な電撃が杖の先…翼竜を模した先端から迸る。だが、クトルはそれを受けても殆ど傷を負うことも無く、何事も無かったかのように立っている。
『ふむ、雷の杖も持っていたか。それに…その剣は、草薙の剣…そして、その仮面は凶戦士の呪物か…。』
 右手にあるのは名前に恥じぬ力を有する魔杖・雷の杖。左手に握られているのは、呪の力を以って白銀の鎧を切った神剣・草薙の剣。
『あんた…全部知っているのか……』
『当然だ。やはりそなたは私が見込んだとおりの男の様だな。斯様に貴重な品を手にし、尚且つそれを使いこなしているとはな。』
 そして…顔の上半分を覆うは、魂封じの呪いを代償に堅牢な守りの力を得られる凶戦士の呪物・鬼神の仮面…。魔杖と神剣を思うままに操るだけでもかなり熟達した冒険者である事が読み取れたが、何より呪物すらも支配下に置いている様には感服したらしい。
『それだけに…お主を殺めなければならぬかも知れぬ事が残念でならぬ。』
 変化の杖を巡っての執念を互いに譲り合えない以上、どちらかの死を以って戦いが終わる可能性は限りなく大きい。類稀な資質に興味を示すクトルとしては、かなり遺憾なのだろう。
『…生憎だが、オレはそう簡単には死なないし、死ぬつもりもない。あんたによって望む道が閉ざされているなら、どかしてやるまでの話だ。』
 だが、ホレスにそれを全く怖れる様子は無い。彼は両手に握った武器をクトルに向けて、既に再度身構えている。
『ほぉ…よかろう。来るがいい。』
 クトルから見ても、あの黒い仮面と草薙の剣の呪力のおかげで、正面からの力のぶつかり合いは互角と評する事が出来る。力が一つのステータスとなっているトロルの一族たる自身の最大の力を受け止める人間が現れようとは思わなかった。それ故に、彼は戦士として久々に血が踊るのを感じていた。
 
『バギクロス!!』

ドギュルオオオオオオオオオッ!!!

 掲げた雷神の剣の先から急速に風が集い、旋風となって吹き荒れ…先にあるもの全てを砕きながら前進し始めた。

ザッ!!

『!』

 だが、ホレスはそれが勢いを得る前に高速でクトルの懐まで迫る事によってかわした。

ガガガガガガガガガガッ!!!

 直後、幾千とも感じさせる程の斬撃がはしり、クトルの白銀の鎧の随所を砕いた。
『……ぬ…!速いな…。』
 クトルはその攻撃を雷神の剣と風神の盾で捌くのが精一杯で反撃には転じられずにいた。
『もらった!』
 ホレスは爆弾石を左に握り、砕かれた鎧の隙間目掛けて突き出した。
『させんぞ!』
 同時に黒の驟雨の如き連撃が止み、クトルもまた動いた。

ドガァーン!!
ブワァアアッ!!

 竜の手甲と仮面の守護に覆われたホレスの左手と、クトルの風神の盾が交錯した。
『ちっ…!!』
 爆発は両者を退けはしたものの、決定的なダメージを与えるには至らなかった。
『ハァアアアアッ!!!』
 それどころか、クトルはすぐに体勢を立て直し、すぐさま斬りかかってきた。

ギィイインッ!!!

『…く…!!』
 すぐさま左の黒竜の手甲でそれを受け止めるが、力の勢いまで殺す事は出来ずにホレスは大きく後ろに吹き飛ばされた。

バチィッ!!ドゴォオッ!!

『ふんっ!!』

バチンッ!!

 そこで反撃に転じたホレスの雷の杖による電撃を、クトルは雷神の剣の刀身に雷を帯びさせ、それで叩き払った。
『埒が…開かぬな…。』
 三度ものクトルの一撃を受け止めて尚、ホレスの守りは崩れる事は無かった。呪文は発動する前に避けられて反撃のチャンスを与えてしまうだけだった。
『………。』
 一方のホレスも、雷神と風神の武具とそれを振るうクトル自身の力量を前に、決定的な打撃を与える手段を得られずにいた。打撃によるダメージは、鎧など無くともトロル特有の生命力ですぐに回復してしまい、爆弾石や雷の杖はことごとく防がれている。
『止むを得ん。…かくなる上は……』
 膠着した状態を厭ったのか、クトルは防御を解き…雷神の剣と風神の盾へと意識を集中させた。
『…させるかっ!!』
 明らかな隙を代償に、何をしようとしているのか。ホレスはすぐさまクトルへと斬り込んだ。

ゴゥッ!!
バチッ!!

『…!』
 その刃が届く前に、ホレスの体に一筋の突風と電撃が当たり、その動きを止めていた。

バチ…バチバチバチ……!!
ビュオオオオオオオオオオオオオオッ!!!

『くっ……あれは…』
 風神の盾から巻き起こる風がクトルの周りを覆い、雷神の剣は雷を集めたかの如く激しく弾け続けている。
―…必殺の…一撃…か。
 ザガンを葬った時とも比類できぬ程の強い力が雷神の剣へと集う。やがて…旋風が刀身へと集約し小さく…されど尚も激しく吹き荒れている…。
 
『……えぇい…!…なんて事だ…!!』

 今のホレスですら、正面からあの絶大なる力に太刀打ちする術は持ち合わせていない。

―耐え…られるか…っ!?

ズガァアアアアンッ!!!

 雷神の剣がホレスの仮面目掛けて振り下ろされる。全てを灼き尽くさんばかりの滅光と共に迫る、神が振るう裁きの槌の如き衝撃に、彼は烈風に吹かれた塵の様に呆気なく弾き飛ばされた。