真実の聖鏡 第七話

「いらっしゃいませ。旅人の宿屋へようこそ。」
 夜の宿屋の入り口のドアに取り付けられていた鈴の音で、店主は旅人の到来を知ってすぐに出迎えた。
「おやっさん、久方振りだね。」
「お、アイラ嬢ちゃんじゃないか。こんなときに来るなんて相変わらず物好きだねぇ。」
 そこにいたのは、彼の知己である長身の黒髪の女であった。後ろには友人らしき者達が四人程姿を見せている。
「…全く、なんなんだい?流石にここまで変わってるとは思わなかったよ。」
 腰に差した一対の手甲型の剣をいじりながら、彼女はやれやれ…といった様子で首を振った。
「本当にな。まさかあの強運なブレナンまでもが死んじまうなんてな。」
「ブレナンがかい?」
 他愛も無い様に交わされる会話、しかしその中で出た人の死の話題に…僅かに二人の表情が曇る。
「そ、ちょいとイタズラが過ぎたって事だよ。」
「へぇ……そりゃ災難だったね…。」
 明確な理由も告げられぬままだが、それ以上追求する事も無い。女はその死んだ男に哀れさを感じたのか、顔を伏せた。
「部屋ならきっちり空いてるから泊まっていきなよ。しっかし、最近は冒険者がよく来るねえ。今も何人かいるよ。」
「その様だね。じゃ、二部屋借りるよ。」
「オーケー。じゃあ一階の左の二部屋ね。どうぞごゆっくり。」
 宿屋の主から鍵を二つ受け取ると、女は仲間を連れて部屋へと向かっていった。

 
「ふむ、アイラと言うのもいい名前ですな。」
「よしとくれよ。本名といっても褒められるのもくすぐったいから。」
「あら?じゃああっちが偽名なワケ?」
「まぁ、そういう事だね。”赤の月”を率いるのは男だって今でも信じられてるくらいだからねぇ。」
「だろうな。海賊の頭領が女じゃおかしいと思うのが普通だからな。」
「…ぅおう、そこまではっきり言われたのも初めてだよ…。……やっぱ違うね、アンタ。」

 闇のランプとオーブを手に入れてすぐ、ホレス達はサマンオサへと至り、宿へと入った。後はレフィルやサイアス達がラーの鏡を持ち帰り…合流するのを待つだけだが…。
「冒険者って、もしかしてあの子達かしら?」
「…ともかく、ここで待とうか。」
「ですな。」 
 今ここに彼らの姿は無い。出迎えの無い事で些か心細さを感じながら、ホレス達は宿屋のエントランスで時間を潰していた。
「しかし…さっきは思いのほか楽だったねぇ。」
「…門番すらいない…か。一体何があったんだ?」
 そこで、ここまで来るまでの事での疑問が話題に上がった。ルーラの存在は広く知られている。戦争状態の今のサマンオサがそれを警戒しないはずも無い。だが、誰の目にも咎められる事無く今に至っている。
「人手不足の様で。」
「…まさか。それでも最低限の人数は残していくはずだろう。」
「そうねぇ…国の守りを全く考えないはずも無いし。」
 本当に門番も準備できない程人員が足りないと言うのであればお粗末な話だ。いかに山中に位置する国といえど、見張りがいなければその意義は半減する。
「まぁ、入れたんだからそれでいいじゃないか。細かい事をクヨクヨ考えててもしょうがないだろ?」
「能天気」
「…オマエ…人の事言えるのかねぇ…。」
 基本的に前向きな所ではムーとアヴェラは似ているのかもしれない。
「まぁ、注意は必要でしょうな。」
 入国できた事自体が実は罠である…と疑う事さえできる以上、不用意に気を抜く事は出来ない。
「そうだな。…皆、気をつけ…」
 
「あ……っ!!」
 
「……?」
 
 その時、近くで誰かが小さな叫びを上げるのがホレスの耳に届いた。

「きゃあああああっ!!!」

どたどたどたどた…どったーんっ!!

 直後…騒々しい物音と悲鳴と共に、階段から誰かが転げ落ちてきた。
「「「「「………。」」」」」
 その階段のふもとで倒れている、紫色のローブを身に纏った女性を見て、五人はただ言葉を失うばかりであった。
「……いたた…。また転んじゃった…。」
 落下の途中であちらこちらを打ちつけたらしく、彼女は体をさすりながら…ゆっくりと起き上がった。
「おや、大丈夫で?」
「……!!」
 そんな彼女に、ニージスは近づいて手を差し伸べた。だが、ローブの女性は痙攣した様に体を震わせて思わず後じさっていた。
「…ふむ、これは失礼。」
「あ……そ……その……」
 彼女は周りの五人をキョロキョロと見回し、顔を赤らめてわなわなと震えている。相当恥ずかしがっている様だ。
「レフィルみたい。」
「……ああ。」
 ムーとホレスは、紫紺の魔導士を見て率直にそう思った。レフィルも一度落ち着きを無くすと、それを引きずってしまう性質である事は、二人が一番よく知っている。
「…ふむ、ホイミ…っと。」
 ニージスは女性へ向けて回復呪文を唱えた。痛みで苦しそうに歪められていた表情は消えたが…
「良い布地を使ったローブで勿体無いというのは分かりますが、せめて裾の部分だけでも短くしたらいかがなものでしょう。」
「…!……!!」
 困惑と混乱は深まったらしい。ニージスからの指摘と相まって…彼女は体をびくっと震わせた。
「おっと、少し出過ぎた言葉でしたな。ですが、君の様な優秀な術士が怪我で形無しになってしまうのも実に惜しいものですから。」
 これ以上彼女を困らせるのも見ていて少し格好悪い。ニージスはその様な事を考えて苦笑しながら、宥める様な口調でそう告げた。
「あ……あ……」
「ふむ?」
「ありがとうござ…いま…すっ!!」
 ここでようやく、自分の言いたい事が言葉になったらしい。彼女は深々と頭を下げて叫ぶ様にそう声をひねり出した。
「いえいえ、それよりもどうぞ足元にお気を付けて。」
「……!…し…失礼しますっ!!って…きゃああああああっ!!!」

どったぁーんっ!!

「「「………。」」」
 慌てて立ち去ろうとした所で、彼女はまた派手に転んだ。どうやらまたローブの裾を踏んでしまったらしい。
「ふふふ、可愛い子ね。将来が楽しみだわぁ。」
「はっは、確かに。」
「あんたらな…。」
 どうしても魔術師としての将来の事を期待しているとは思えない。ホレスは二人に呆れて首を振った。

「……お、帰ってきたんだな…。」

 その時、エントランスに別の人物が入ってきた。
「…あんた達は……。」
「ふぇふぇふぇ…流石にちぃとばかり危なかったかのぉ…。」
 そこにいたのは勇者と呼ばれた男サイアスと、老魔法使いジダンであった。その背中には女戦士カリューと神官レンが眠ったままそれぞれ背負われている。
「だな。どうにか脱獄成功したんだぜ…。…ったく、こいつが大人しくしときゃ万事オーケーだったのによ。」
 背負ったカリューを指差しながら、サイアスはうんざりした様子でそう呟いた。
「…カリューが…?…また何かしでかしたのか?全く…。」
「そう言うなよ。…まぁ、兄貴を殺されて大人しくしてられてもあいつらしくねぇけどな。」
「……待て、今何て言った…?」
 だが、決して彼女自身の先走った行動だけが原因ではないらしい。ホレスはサイアスから事情を尋ねた。

「………下らない。」

 そして、全てを聞き終えた時…ホレスは忌々しげにそう吐き棄てた。
「…おいおい、いくらなんでもそんな言い方は…」
「違う…」
 家族を殺されたとはいえ、感情に任せた行動をとった事は確かに浅はかだ。しかし…

「…下らないのは……サマンオサ王に成りすましているバカのやり方だ…!!」

 それ以上に、ただ一言の不遜の言葉のみで、その者を処した愚王を許す事が出来なかった。悪名高いサマンオサ…だが、その実態はホレスの予想の範囲を上回る程の問題を抱えている様だ。
「言うねぇ…分かりきってた事だけどな。ま、あんまし大声で言わない方が良いぜ。憲兵どもが駆けつけてきやがるからよ。そうすりゃお前も即刻死刑だ。」
「……ますます救えないな。」
 ある程度の厳しい取り締まりは、反発を生む反面…時に功を奏する事さえある。しかし、今のサマンオサのやり方は、反発する事そのものさえも罪として裁く。これは最早国民の精神が耐えうるものではない。
「ほぅ、これを放っておくと…ハンバークの皆さんも。」
「だな。ひいては世界も危ねぇだろうな。…今のサマンオサのクソ兵隊どもに太刀打ちできる軍隊はおそらくいねぇ。今もハンバークがもってるのが不思議な位だぜ。」
 ハンバークを制圧した後は、その航路を以って世界にまで侵略の手を広げていく事だろう。そうなると、サマンオサやハンバークばかりでなく、全ての国で同じ様な状況に陥るだろう。…途中でその絶対的な支配が瓦解しなければの話だが。
「……で、テドンに行ってきたんだよな。見つかったか?アレ。」
 それを止める為に、あの祠で二手に分かれた。サイアスはその成果をホレス達に尋ねた。

ゴソッ…

「お、オーブも見つけたのか。やるねぇ。」
 ホレスが荷物から取り出した翡翠の様な輝きを持つ宝珠を見て、彼は感心した様に頷いた。
「闇のランプ、これがそうなのかい?」
「ああ。」
 一見すると何の変哲も無い、ただ古びただけのランプである。だが、ホレス達はこれが引き起こした現象を確かに目にしていた。
「……ま、無かったらあの湿気った火薬で代用しようと思ってたけどな。あるからには心強いぜ。よし、後はレフィルちゃん達を待つだけだな。」
 ただ暗闇を呼び寄せて人為的な夜をもたらすだけで、昼と夜を逆転する…という程大袈裟なものではなかった。だが、サイアスにはそれで十分だった。
「…いや、もうその必要は無いみたいだな。」
「お?」
「ホレス?」
 待つ必要が無い…既にここに役者は揃っている。ホレスの耳にはそれがはっきりと伝わっていた。

「…無事で何よりだよ、レフィル。」

 彼が振り返った方向にいた人物…それは…
「うん……ホレスも…。」
 ラーの鏡を小脇に抱えた若き冒険者の少女、レフィルであった。
 ここに、二つの宝物が揃った。そして…時は満ちた。

「じゃ、明日の明朝五時に墓場に集合、以上!!」

 だが、その時にサイアスが発した言葉はあまりに意外な言葉だった。 
「……な…何て言った…ボウズ?」
「だぁから言うてるやろ、墓場に集合てな。」
 言っている事自体は間違いではない。だが、ろくな打ち合わせも無しに突然そう言われた所で誰も納得するはずがない。
「そ…それだけ…?」
「そ。だから今日は皆ゆっくり休んどけや。明日は滅茶苦茶しんどいからな。」
 伝えるべきも特になく、この場を切り上げようとするサイアスに、集まったばかりの面々は戸惑うばかりであった。
「…まぁ、作戦…つっても、もう皆分かりきった事だろ?これ以上難しい事考えてる暇あったら休んだ方が良いだろうからな。安心しろ…と言っても無理あるだろうけどな。」
「…ふむ。」
 彼の言葉に、仔細は一切含まれていない。その意味を察したニージスが誰にも気取られない程度に小さく唸りを上げた。
「…一つだけ聞く。」
「お、ホレス。何だい?」
 その時、ホレスがサイアスへと話を持ちかける。

「成功する確証はあるのか?」

 彼が発したその質問に、その場の全員が動きを止めた。
「さあね。まあ、余計な邪魔さえ入らなきゃ何とかなるだろ。」
「…そうか。ならば信じよう。」
 サイアスの答えに、あっさりと納得した素振りを見せたホレスを見て、ざわめきが収まる。そう…皆が一番気になっていたのは何よりこの点だったと言っても過言では無い。
「そうだな。じゃ、後は皆しっかり寝とけ。明日は早いぜぇ。遅刻したら罰金100ゴールドや。」
 冗談交じりなサイアスの宣言に従うようにして、この場に集まった皆は宿屋の自室へと戻っていった。

「……おっと、そうだな…ホレス、ニージス。あんたらは残ってくれ。一応万全を期しとく為に話がしたい。」

「ほぉ?」
「ああ。」
 一方で、サイアスはニージスとホレスを呼んだ。だが、彼らもまたこの部屋に初めから留まる、否…サイアスにまだ尋ねたい事があるらしく…そうするまでも無かったらしい。
「ふふ、それなら私も付き合うわよ?」
「…いや、女性に無茶させるのは良くねぇからな。」
「あら?女性の申し出を断わるのは失礼じゃなくて?ふふふ…」
 すると、予想外の人物までもがここに残った。メリッサの意味深な含み笑いに、何か恐ろしいようなものを感じる…。
「…さっきは信じたなどと言ったが、正直納得がいかない。」
「だろうよ。ま、お前も分かってたからそう言ったんだろ?」
 ”成功する確証”があるか。理屈云々よりも、信じて良いのかどうか、それが分かるだけでも与えられるモチベーションは大分違う。
「…詳しくは話せないのでしょー。まぁご時世がご時世ですからな。では、君が今私達を呼んだのはどう言った了見で?」
 サマンオサ兵がどこで目を光らせているとも分からない。特に宿屋となれば外国からのスパイが紛れ込む可能性など十分考えられる。こうして仔細を話さない…と言う事をしても、せいぜい気休め程度にしかならないかもしれない。
「そうだな、まぁ…お前ら二人が一番頭良さそうだったからな。一を聞いて十を知るって感じで」
「投げやりな期待だな…。」
「そのようで…。」
 先程の話の中で、サイアスの意図をある程度飲み込めていたのはこの二人だけだった。だからこそサイアスは彼らを呼んだのだろう。
 
「あら?私は?」

「…?!」
―……ど…どう答えりゃいいんだろうな…こりゃ…
 墓穴を掘ったとでも言うべきか。サイアスはメリッサの笑みから感じる凄みに肩を竦めるしかなかった。