真実の聖鏡 第六話
グォオオオオオッ!!!

ギェェエエエエッ!!

『ほほほ、効かぬわ。』
 怒涛の様に襲い掛かってくる魔物の攻撃にも、八岐の大蛇はまったく動じた様子は無かった。

シュゴオオオオオッ!!!

 八つの頭から骨をも焦がす高熱の炎が吐き出され、周りを囲んでいた魔物達は一瞬にして炎に包まれた。 
『……わしを喰らおうなど、浅はか極まり無いのぉ。』
 次いで、それを逃れて飛び掛ってきた魔物に噛み付き、それを丸呑みにしてしまった。
『………や…八岐の大蛇……!!な…何故この様な…』
 はっきり言って勝負にすらなっていない。一方的な戦いを繰り広げる…八つ首の化け物を見て驚愕したまま…

シュゴオオオオオオオオッ!!!

『ギャアアアアッ!!!』
 何も出来ずに、シャドーは吹き付けられた炎によって断末魔の叫びと共に燃え尽きた。
『…ぬぅ、主は喰らおうにも肉が無いからのぉ…。』
「……た…食べるつもりだったんだ……。」
 実体が無ければ食べる事もかなわない。そんな八岐の大蛇の発言に、レフィルは戸惑いを隠せなかった。
『うむ。ここ数日、何も口にせんでおるのも…ちと厳しいものでな。』
「…わたしのせい…!?ご…ごめんなさい…っ!!」
『おおぅ、そ…そなたを責めるつもりで申したわけではない…!楽になされい!』
 思えばずっと彼女に対しての食事は忘れていた気がする。
「……でも、あなたが居てくれてよかった…。」
 そうした事で気の毒に…そして申し訳なく思うと同時に、自分でどうしようもない状況に立ち会った今に八岐の大蛇の存在がある事に深く感謝していた。
『うむ。そなたの為、存分に働かせてもらおうぞ!』
 数多の魔物から一人の少女を守りぬく八岐の大蛇、その姿はまさに守護神とでも呼ぶに相応しい様であった。


「……おぉい!旦那!そっちはどうだ!?」
「駄目です!こっちも通れないようで!!」
 その頃マリウス達は、崖の下に落ちていったレフィルを探して、崩れかけた洞窟の中を探索していた。
「…まずいな。これだと…レフィルちゃん自身のリレミトに期待するしか…。というか…」
 
ガラガラガラッ!!

「……!!」
「俺達の脱出さえ危ないぞ!!」
 突然天井が崩れて、その瓦礫によって…通って来た道が塞がれた。
「…仕方ない!!」
「爆弾石とツルハシ…!?…て…まさか!!」

ガッ!!ガッ!!
カキンッ!!
ドガーンッ!!

「……ぅおう!!」
 鮮やかな手つきで壁を掘り、発破をかけたハンを見て、マリウスは思わず素っ頓狂な声を上げていた。
 

「…開拓の時以来だな…。この感触。」
「そうですね…。まさか、ここで使う事になるとは…。」
 二人はツルハシを手馴れた手つきで扱い、岩壁を砕いて道を切り開いていた。今のハンバークの基盤を作っていた時にも馴染みのある感触だった。これがまさか、今役に立つとは思わなかった。
「おっし!旦那は出口の確保を頼むぜ!俺は下にいるレフィルちゃんの為に道を作る!!」
「わかりました!」
 そんな事をよそに、マリウス達はひたすら壁を掘り続けて道を作り続けた。
 

『むぅ…思っていたより数が多いのぉ…。しぶといものよ。』
 数多くの魔物を焼き払い、喰らっても、まだ多くの魔物達が自分へと牙を剥いてくる。
「……大蛇、大丈夫?」
『なあに、これしきの事で倒れるわしではない。』
 背中に乗っているレフィルがその身を案じたのに対し、八岐の大蛇は力強く応えた。さしもの彼女も全く無傷というわけにはいかなかったが、その傷も時が経てばすぐに治る程度のものでしかない。
『活路を開くにはまだ時間が掛かりそうじゃ。今しばらく待っておれ。』
「あ…ありがとう……。」
『もう食事は十分とったのにのぉ…。』
 多くの同胞を倒されているにも関わらず、まだ自分の…いや、レフィルの命を狙っているらしい。

ガラッ!!

『ぬ……ぬぉっ!?』
「…え…!?…っ!!!」
 その時、不意に足元の地面に罅が入り、八岐の大蛇はそれに足を取られた。
『ぬ…ぉおおおおおっ!!?』
「きゃああああああっ!!」
 そして、あの時と同じ様に、レフィル達は大きく空いた穴へと吸い込まれていった。

ズゥウウウン!!

『…アタタタ……流石にこれは応えたのぉ…』
 落下してきた八岐の大蛇の巨体が地面を揺らす。
『…いかん!レフィルが!!』
 落下した際に背中から弾き出されたのか、レフィルは地面に転がっていた。衝撃で気を失ったらしく、身じろぎ一つしない。

グォオオオオオッ!!

『ぬぅ……!』
 次々と魔物達が天井から降りてきて、レフィルに向かって襲い掛かった。
―ここで炎を吐けば、この子も巻き込んでしまう…!
 気絶している今、レフィルには降りかかる火の粉を払う術は無い。
『や…やむをえん…!!だが、この子に手出しはさせぬぞ!!』
 彼女を助けるべく、八岐の大蛇は魔物の群れに戦いを挑もうとした。だが、体勢を立て直せず満足に戦える状態ではない。

「きしゃああああああっ!!」

 その時、どこからか威嚇を上げる様な鳴き声が聞こえてきた。
『…!!?』
 しかし、それは大蛇達に向けられたものではなかった。正面の魔物達は、天井の方にいる鳴き声の主を見上げていた。
『……な…なんじゃあ!?あやつは…!?』
 大蛇もまた、その闖入者の姿を目にして吃驚した様子でうめいた。

「ふーっ!!」

バリバリバリ!!
ギェエエエエエエッ!!!

「しゃああああっ!!」

 それは、魔物達の中に飛び込み、嵐の様な勢いで暴れまわった。程なく、魔物の群れはその突然の脅威に耐えかねて、レフィル達に構わずに逃げ出していった。

「にゃーん。」

 この場に静寂が戻った途端、その場に居る者を和ませるような柔らかな鳴き声が耳に入ってきた。
『ね…猫が…な…何故……??』
 そこにいたのは猫というにはかなり大柄な動物であった。先程までのまさに獅子奮迅の活躍を見せていた時とは打って変わって今では大人しい様子で歩いている。
『…!!?』
 やがてその猫は、倒れているレフィルの元へと歩み寄り、その頬へと口元をあわせた。
『な…なんじゃ!?面妖な…!レフィルから離れぬか!!』
 その仕草に危機感を覚えたのか、八岐の大蛇は猫へとそう怒鳴った。
「にゃーん。」
『ぬぅ…敵でないと言いたいのは分かるがの。いや、良いから離れんか。』
「にゃーん。」
『…何?この子を助けたくは無いのか…じゃと?そうじゃな…』
 自分達に危害を加えないのは元より、力を貸してくれるという。その意味では信用しても良いらしい、が……
「にゃにゃーん。」
『ぬ?助けるのに邪魔だから戻れ…ってなんじゃとぉっ!?お…おのれぇ…!猫の分際で…!…なぬ?それと面妖と言うのは人の事言えぬじゃと??…うぬぅうう……』
「にゃーん。」
 痛烈で容赦無い指摘に対して不満げに唸りながらも八岐の大蛇が紫の光と化してレフィルの内に収まるのを見て、猫は満足そうな鳴き声を上げていた。


「ぐ…ぉおお…ててて………おーおーおー…あれだけたっくさん居やがった兵隊どもが皆仲良くぶっ倒れてら。」
 激痛に苛まれながらも、サイアスは確かな足取りで立ち上がった。瓦礫が散り、多くの者達が倒れているその有様は実に凄惨な光景であった。
「おーい、じじい、カリュー、レン。生きてるか?」
 だが、そんな状態の中で冗談を言える程、サイアスは至って冷静だった。彼は側に倒れている仲間へと声をかけた。
「……ぬ…ぉ…おお…」
 レンとカリューが意識を失って倒れている側で、緑色のローブを纏った老人がサイアスの声に応える様に呻き声を上げた。老人と思えぬ程の尋常ならざる体力の賜物か、受けたダメージは然程でなかったらしい。
「…おー、生きてたかジダン。さすが殴られジジイ。」
 軽口を叩きながら、サイアスはジダンへと回復呪文を施して起き上がらせた。
「おいじじい。鉄球女の方を運んでやってくれ。俺はこの脳筋女の方を運んどく。」
「ぬぅ…致し方あるまい…。しかし…言いたい放題じゃのぉ…。」
 ここにいる兵士達は先程の一撃で皆倒されているが、またいつ増援が来るかわからない。二人は気絶した仲間を背負い、サマンオサ城を後にした。
「…しっかし、さっきのは一体何だったんだよ。あの攻撃からして、この国の奴じゃねえのは確かだけどよ…。」
 強国と名高いサマンオサでも、自分を含めてあれだけ強力な使い手はいない。兵団一つを一瞬にして纏めて薙ぎ倒す程の強さ…それもまだ序の口に過ぎないと、何となしにサイアスは感じていた。
「俺が本気だしても…十分厳しい相手だったぜ。」
 今は幸いにしてこの場には居ないらしい。その事に感謝しながら、サイアス達は先を急いだ。


「ま…マリウスさん!どうにか出口開けましたよ!」
「おっしゃあ!!」
 出口を確保したハンがマリウスの元へと戻ってくる。後はレフィルを探し出すだけだ。
「この壁ももう少しで開ける…旦那!爆弾石を!」
 指示を受けたハンがすぐに爆弾石を壁に仕掛ける。

ドガァーンッ!!
ガラガラガラガラ…
 
「よっしゃあ!!開けたぞ!!」
 壁が崩れて道が開けたのを確認して、マリウス達は歓喜の声をあげた。そして、すぐにその先へと急ごうとする…

「にゃーん」

「「…??」」
 が、突然聞こえてきた声に思わず足を止めた。
「ね…猫……?」
 そこに居たのは、まさしく猫だった。一体何故この様な場所にいるのか…。
「…!あれは…!!」
 そして、その奥には……

「れ…レフィルさん!!」

 兜にも似た銀色のサークレットを戴いた少女が、地面に横たわって眠っていた。
「…大丈夫だ。」
「良かった…。よくぞご無事で…」
 体は温かく、寝息も穏やかだ。確かに…生きている…。

「にゃーん」

「…しかし、本当に大きな猫ですね…。これなら…」
 レフィルをここまで運んできたのはおそらく、いや…ほぼ間違い無く目の前にいる猫だろう。人を運べるだけの力を持つと言う所がどうにも信じがたいが…
「いや、待った。こいつは…猫じゃねぇ。体格も元より、鳴き声からしても明らかに違う。」
「……なんですと?」
 その時、兜のバイザーの奥の目を細めながらその猫を見つめるマリウスの言葉に、ハンは目を丸くした。
「一体何が楽しくて猫の物真似なんかしてるんだよ…あんた…。つーか、こんな所で…」

「…ほっほっほ、我が変装を声から見破ったのは君が初めてだよ。」

 その時、猫の口から…どこか達観した様な口調の声が零れた。
「まぁ…ライオとチータと付き合わされちゃあそうなるよな…。」
 ハンが驚いている側で、マリウスは溜息をつきながらそう呟いていた。ライオとチータとは世界樹北にある実家でムー―メドラが飼っていた猫の名前である。その名前を今でも覚える程度に深く猫と関わっていればこそ見破れたのか。

ジィイイイイイイイ……

「??」
 ふと、突如として…猫、否…その正体たる人物が、短い手を背中に器用に回して何かを掴んで引っ張っていた。その部分から、何かが擦れ合う様な不思議な音が聞こえてくる。
「よっこらせっと。」

ガバッ!

「!!」
 その音が止むと共に、突如として猫の背中が裂け、中に居た何者かが外に出てきた。

「道化師…。」

 その姿を、ハンはそう評した。全身を派手な彩りのタイツで身を包み、顔には奇妙なメイクを施している。そのくせ鍛え上げられた細身の体にマッチしていて、不思議な雰囲気を醸し出していた。
「…ぬいぐるみかよ…随分リアルなのな。」
 マリウスは、中身を失って抜殻の様に地面に落ちている猫の外皮を見てそう呟いた。大きさの割に一目見ただけでは猫と見間違えてもおかしくない、完成された出来だった。もっとも…鳴き声や動きなど、この男の技量に因る所も大きいのだが。

「我が名はメフィス。マジカル・メフィスとでも呼んでくれたまえ。」

 道化師の男は名乗りを上げながら、二人に向かって優雅に一礼した。だが…
「…な…何だその変な名前はーっ!!」
 変な名を自称するその男に、マリウスは思わずそう言わずにはいられなかった。
「おいおい、彼女を助けてあげたのは私だと言うのに随分な言いぶりだね。」
 笑い転げるマリウスを見下ろして、彼―メフィスもまた、呆れた様に苦笑していた。
「メフィス…って、あの……」

メフィス

 ”悪魔と呼ばれた過去を持つ遊び人”と自称する、旅の道化師。
 人を食った様な性格をしているが、それ以外の仔細は一切不明で、掴みどころが無い。
 
 一方で、ハンはメフィスと言う名を聞き、文献―冒険者リストに書かれていた仔細を思い返していた。
―悪魔……でしたか…。
 身に纏っている道化師の衣装を見ていても、確かにそう呼べるだけの何か油断ならぬものを感じられる。果たして信用して良いものか…。
「…ふっふっふ、ともあれこれできみたちに貸しを一つ作った事になるな。
「貸し…?…ああ、この子の事か。」
 メフィスが言う”貸し”、それはやはりレフィルを助けてくれた事だろう。
「まぁ、別に返してもらわずとも良いのだがね。何しろ、いくら貸した所で減るものでは無いのだから。いっその事、くれてやっても良い位だ。」
「「……??」」
 だが、直後に掌を返す様にその一件をどうでも良さそうな口調で語る様子を見て、マリウスとハンは顔を見合わせた。
「まぁ、それではきみたちの気は済まないであろう。借りたものはきっちり返さねばな…とね。だが、返す先は私ではない。」
「…俺達の気…っておい、聞いてるのか?」
「きみたちはまた別の人を助けてあげたまえ。それが繰り返され、やがて私の元に舞い戻ってくる日を心待ちにしようではないか。ほっほっほっほ…」
「…い…一体何を…」
「ぬかしてやがる……」
 自分達の言葉を無視してなにやら捲くし立てているメフィスに、二人はますます混乱を深めていた。”貸し”について余程拘っているのか、それとも全く拘っていないのか…それがまず分からない。

「まぁ、この子がとても気に入ったから…という個人的な理由が一番なのだがね。」

「な…なぁんだとぉっ!?」
 直後、メフィスが発した言葉に、マリウスは目を剥いて思わずそう怒鳴ってしまった。
―て…てめぇ…この子に手ぇ出すつもりだったのかよ!!
 おそらく”女性”としてのレフィルを気に入った…一目惚れと言いたいのだろう。確かに彼女とて年頃の少女で他にも魅力はあり、勇者という立場になければ多くの男の目を惹くには十分だが…。

「おお、怖い怖い。あまり歓迎は期待できない様だね。では、私はこれにて失礼させていただくよ。」

 呆気に取られた二人の反応に大袈裟に肩を竦めながら、メフィスは踵を返して洞窟の奥へと戻っていった。
「じゃあごきげんよう。すぃーゆぅーあげん!」
 次の瞬間、この場に気障な道化師の姿も、彼が纏っていた猫のぬいぐるみも…あたかも初めから無かったかの様に消えていた。
「……な…何だったんだ…??」
「さぁ……。」
 マリウスとハンが戸惑いを露わに顔を見合わせている側で、得体の知れぬ男に導かれてここまで来た少女は、ただ静かに寝息を立てていた。

 彼女に…自分を取り囲む善意の存在をおぼろげにでも認識できる様になれる事は、まだ先の話である。