真実の聖鏡 第五話
ドドドドッ!!
「…ちっ!!」
 飛来する呪文による火球を稲妻の剣の爆発で相殺しながら、サイアスは後ろに下がりつつ舌打ちした。

キンッ!!

「どうした?さっきまでの威勢が無いぞ?」
「るっせぇなあ…。俺だって人間なんだよ。」
 そこに斬り込んできた指揮官の軍刀と斬り結ぶ。見事なまでの連携攻撃で流石のサイアスもここまで防ぐのが精一杯だった。
「やーれやれ、あのクソ親父の気持ちがようやく分かってきたぜ。」
 勇者と呼ばれる実力を持っていても、所詮は生身の人間でしかない。それにも関わらず、人々は必要以上に期待を寄せてくる。当人からしてみれば、無茶かつ迷惑な要求以外の何者でもなかった。牢から抜け出した勢いは既に失われ、サイアス達は多数の兵士を相手にした負荷で、疲労に襲われていた。
「もう茶番はそれまでだ。矢を射掛けろ。」
「!」
 それを見て、指揮官は区切りを付けようしたか、部下へとそう命じた。弓に矢が番えられ、それを引く音が一斉に鳴った。
「下がっておれ。…スクルト。」
 
シュカカカカッ!!!

 矢が飛来する前に、ジダンの防御結界が発動した。
「…ったく、街中でんな事して良いのかよ。」
「命令は絶対だ。」
「…ち、ちったぁ自分のおツムで考えやがれってんだ…”脳”無しどもめ。」
 ジダンのスクルトの範囲内で身構えながら、サイアスはあまりに強引な指示を出した指揮官の短慮ぶりに苛立ちを露わに吐き捨てた。

「あがっ!」
「ううっ!」

「…いけない!町の人たちが!!」
 大量の流れ矢が町の方に飛んでいき、その幾つかが住人へと命中した。
「…あーあー、やっぱ形振り構わずってのは褒められたモンじゃねぇなあ。」
 スクルトの障壁を突き破って、こちらに突き出てくる矢をかわしながら、サイアスは冷ややかな目でサマンオサ兵達を見やった。
「…それならば、貴様らが大人しく裁きを受ければ良いだけの事。」
「裁き…ねぇ。」
 つまりは自分達が死ぬまでこの攻撃を続ける、と言う事か。犠牲を出したくなければ死ねとは、随分と勝手な都合だ。



―…所詮はその程度。初めからこの旅を成就させる事なんか出来ない。覚悟が足りない…それなのに、旅に出る事を選んだ。それが間違いだった。
 勇者として旅立つ事を選んだ時点で既に、絶大な力を持つ魔王との戦いに備えて自身の人生を捨てなければならないはず。だが、彼女はそれをしなかった。できなかった。
―その前だって…友達だって誰もいない。心の底から分かり合える友達がいなくなったら、何も出来なかったじゃない。
 ただ一人の親友、アリアハンの姫…今でも手にしている大切な宝物と引き換えに、幼きレフィルの前から姿を消した。それ以降から、彼女は更に塞ぎ込んでしまった。
―だから動物でその寂しさを紛らわせた。でも、その時は何も分かってなんかいなかった。
 人と一緒にいるのが嫌だったから、動物や魔物の様な無垢な存在と共にある様になった。しかし…今は……。
―父さんが死んだ時、周りはみんな期待していた。だけど、それがどうして英雄オルテガの面影しか見ていない事を分からなかったの?
 オルテガの死を聞くまでは、自分はただの少女でしかなかった。旅立ちまでの四年間で特別強くなったわけでもない。にも関わらず、多くの者…良く知る人物でさえも……
―父さんにはなれない。ずっと分かっていた事でしょう?なのにどうして戦い続けるの?
 すべて、自分の影にある父の名声ばかりを期待している。
―あなた自身を見てくれる人は誰もいなかった。母さんも…きっと爺ちゃんだって…
 そう、誰も…自分でさえも何も分かっていない。周りに動かされるままに旅立っただけで、それを拒む事が出来なかった事を…

―…もう、疲れたでしょう?…全て、終わりにしましょう。

 甘美な響きさえする囁きと共に…視界がはっきりしてくる。目の前に立つ…水晶の様な剣を手にした少女は感慨も何もなくこちらを見つめている。やがて、ゆったりとした歩みでこちらへと近づいてくる…。

―すべて……おわ…りに……
 
 それから逃れる事も出来ず、抗う事さえも許されない。レフィルはそのまま、刃が振り下ろされるのを待つ他無かった。終焉による安息への期待と共に……。

サァアアアア……

―…??

 その時、一陣の風がこの場に突然吹きはじめた。
 
―これは……

 同時に、剣を持つ少女の動きが止まった。
 
―光………どうして…?

 彼女の向く方から、一筋の光が差し込んでいる…。やがてそれは段々と広がっていき、その少女と…粉々に砕かれた水晶と化したレフィルを照らし出した。


シュカカカカカカカッ!!!

「ぬぅ…!!」
「きゃあっ!!」
「……あで…!!」
 スクルトによる守りがあって尚、次々と飛んでくる矢は確実に四人へと傷をつけていた。
「…チッ!ベホマラー!」
 思いのほかパーティ全体の傷が深まっているのを見て、サイアスは仕方なしに広範囲の回復呪文を唱えて自分含めた四人の傷を治した。
「しっかし…分かってるんかねぇ。お前らが果たして裁きを下せる立場にあるのかが。」
「命令は絶対だ。」
「…聞き飽きたぜ。ったく、面倒臭ぇ…。」
 命令に従うという詭弁を以って、自分達四人を処刑する為に手段を選ばない事を正当化している目の前の兵団に、サイアスは心底呆れた様子で溜息をついた。
「…おい、じじい。スクルト解けや。」
「むぅ…まだワシは死にとぅないんじゃが…」
「構わねぇ。俺だけ外しゃあいい。」
 スクルトを解かれると共に、サイアスは三人から離れて、弓を構えているサマンオサ兵達の前に出た。
「ちょ…ちょっと!いくらあんたでも無茶よ!!」
 恐れ知らずとも言えるサイアスの無謀な行動に、流石に三人は驚きを隠せなかった。
「信じろよ。本気だしゃあ、んな奴ら怖くもなんともねぇよ。だったら…一度くらい格の違いって奴を見せつけた方が良いってモンだ。」
 だが、当の本人は至って平然とした様子であった。稲妻の剣を前方に掲げ、不敵な笑みさえも浮かべている。
「何か企んでいるようだが、無駄な事だ。」
「企む…ねぇ。はっ、俺はてめぇらと違って、んな意地汚くなんざねぇんだ。それよか、怪我したくなけりゃあとっとと逃げた方が良いぜ。」
「愚かな…。放て!!」
「…っしゃあ!!いくぜぇ!!」
 弓を向けられると共に、サイアスは稲妻の剣を手に精兵達に向けて疾駆した。

カシュッ!!
「ライ…」

 矢の雨が放たれると同時に、呪文を唱えようとするサイアス。だが…

ゴォオオオオオオオッ!!
 

「「!?」」
「…な…!?」
 サイアス目掛けて飛来する無数の矢は、突如発生した強烈な向かい風によって、全て勢いを失った。
「おいおい…一体何が起こってやがる…。」
 サマンオサ兵が信じられぬ光景にその動きを止めている間に、サイアスもまた…強大な力を持つ何者かの介入に警戒せざるを得なかった。

バチバチバチバチッ!!
ビュォオオオオオオオオオオオッ!!!

「「…っ!!!」」

 その時、風上の方から…凄まじい風切り音と、けたたましいまでの炸裂音が聞こえてきた。

「あれは…!?」
「ど…っげぇえええっ!?なんやぁっ!!?」
「ひ…ひぃいいいっ!!こ…腰がぁああっ!!」
 そちらを見やると、巨大な竜巻と…それを包み込む雷の様な光が天を衝いていた。その迫力は、見る者を圧倒するに十分であった。
「…いかん!全軍退…」
「ちぃい!!ギガ…」
 
ゴォオオオオオオオオオオオッ!!!
バシッ!!ドゴォオオッ!!!ズガァアアアンッ!!

 次の瞬間、無数の落雷と驟雨…そして、全てを吹き飛ばさんばかりの暴風が吹き荒れて、サイアス達を、サマンオサ兵達を飲み込んだ。


『……魔物の気配は…無いか。』
 目を伏せて、いまだ意識を失ったままのレフィルの周りが淡い紫の光を発している…。その光の中心から、深みのある女性の声が響いた。
『…しかし、この子が目覚めぬ今…注意は怠れぬか…。』
 湖の中央に浮く島の真ん中、崩落していた時とは一線を成す程の静けさの中で、彼女…八岐の大蛇は辺りに気を張り巡らせていた。

「…う……あ……あああ…!!」

 その時、横たわっている少女が脂汗を流しながら呻き声を上げた。
『………うなされておるな…。』
 悪夢を見ているかの様に、レフィルは体を振るわせ続けている。あの断崖から落下した時に…加えてこれまでの旅路で感じてきた数々の恐怖の大きさは想像もつかない。

スッ……

『…むむっ!!なにやつ!!』
 不意に何者かの気配を感じて、八岐の大蛇は声を張り上げた。
『……ぬ?…今、確かにそこに…』
 だが、気を研ぎ澄ましても何も感じられない…

カッ!!
 
『ぬぉおっ!?なんじゃなんじゃ!?』
 …とその時、強烈な光が辺りを照らし出した。
『…ぬぅ…!?あれは…!!』
 

―光……?
―……え…??
 彼女の目の前で、氷昌の剣を振りかざしていた少女は、それに照らされると共に姿が薄れ始めた。
―…な…なにが…起こって…?
 同時に…宙を舞っている水晶の欠片が消え去り、代わりに水晶の剣に貫かれて砕け散ったはずのレフィルの姿が現れた。
―真実…。
―え?
―真実を照らし出す光…みたい。つまり…これがわたしの正体。
 語り続ける少女の方を見やると、剣共々…彼女の姿は光に溶け込んだ…そして…

―あなたの心の闇…とでも言ったらいいかしら。わたしはあなたの心のひとかけらに過ぎない。

 代わりに現れたのは、何処までも深い”闇”そのものだった。邪悪とも魔とも違う…純粋な”闇”。その最も暗い部分から声が聞こえてくる。
―だけど、これで終わりじゃないわ。いつだって、あなたは…わたしと繋がっている…。
―………。
 今まで囁きかけていた声…それが他の誰でもない自分自身であるならば、逃れる術などありはしない。
―自分が自分で無くなるのが怖い?
 今までの自分とあまりにかけ離れた観点を持つもう一つの人格…。元々が一心同体であるとなれば、これから何が起こるか分からない。また一つに戻るとすれば…或いは完全に飲み込まれてしまったら…自分はどうなってしまうのだろう…。
―わたしは怖くなんかない。元々わたしはもう…自分を失っているもの。
―…!!
 彼女が自分を失った…と言うのであれば、レフィル自身もまた然り。そして…それを否定する要素は何一つとしてない。つまり…オルテガが死んだその日に、平穏を生きる少女としての道は失われ、オルテガの娘としての苛烈な旅路を強いられたその事だ。
―…ほら。あなただって分かってるじゃない。それでも、自分を取り戻したい?
 そう問い掛ける闇の内の少女の声は、失われた時を戻すかの様な魅惑的な響きだった…

―だったら、今までの自分を捨てて一切を否定するの。

―…!!!

 だが、その答えはあまりに衝撃的なものだった。
―変わりたいんでしょう?だったら簡単でいいじゃない。
 心の闇を秘めた少女は、事も無げに言葉を続ける。だが、レフィルは既に言葉を失っていた。やがて、”闇”が少しずつレフィルへ向けて吸い込まれていく。彼女の体に触れるなり、”闇”の欠片は溶け込むようにして消えていった。
―自分を壊す覚悟の無い者に、成長は訪れない。それは今まであなたも無意識にそうしてきた。でも…
 そうしている間にも、少女は頷かせる様な言葉を綴り続けて…

―それを否定しているあなたに、今の自分を変えられる??そして、望むあなたになれる?
 
 痛烈なまでの響きを残したのを最後に、彼女は完全にレフィルの中へと吸収された。


「…わたしは……。」
 
『ぬぉおっ!?』

 意識を取り戻し、起き上がろうとした所で、聞き覚えのある声の主が驚きの声を上げていた。「……う……、誰…??」
 辺りを見回すが誰もいないが、ふと…胸元で紫色に光るものを感じ取れた。
『気がついたか!レフィル!』
「お…お…ろち…?」
 そこから声が聞こえてくる。ようやくその声の主が体内にいる八岐の大蛇であると勘付いた。
『およよ……このまま死んでしまったらどうしようかと……』
「ごめん…ね。」
 彼女の心からの気遣いに感謝しつつ、同時に心配をかけてしまった事を申し訳なく思い、レフィルは弱々しく俯いた。
『…具合は…どうかの?』
「…だ…大丈夫……っ…」
『まだ疲れておるようじゃな…。魔力も…戻らぬか…。』
「……でも、どうにか動ける…。」
 体力、魔力ともに回復していない以外は特にどこも怪我などの問題は無く、レフィルはふらふらしながらもどうにか立ち上がった。
「ねぇ大蛇…さっき、光を見たんだけど…」
『…光…??おお、もしや…そなたの後ろに…。』
 大蛇に言われて後ろを振り返ると、眩い光が目に入ってくる。
「…あれは……。」
 
 その光を発しているのは、縁取りにルーンが刻まれている円形の鏡であった。

『そう、その鏡じゃ。暗闇の中突然光りおったから驚いたわ。』
「…これが…真実を照らし出す光……。ラーの…鏡…。」
 その鏡を拾い上げて眺める。そこに映し出されていたのは、レフィルと…背後で悠々と佇んでいる八岐の大蛇―紫色の光の玉の正体だった。
―さっきの夢も……。でも…あれは一体…
 もう一人の自分は、あの時の白光を真実を暴く光と言っていた。夢という虚構の中で見せたその光が果たしてそう言えるのか…。
『ラーの鏡?おお!目的の品か!!』
「うん…。」
『良かったのぉ!』
「あ…ありがとう…。」
 レフィルの不安をよそに、八岐の大蛇は彼女が目的を達成した事に純粋に喜びを現わしていた。
「でも…どうやって戻ろう…。魔法の聖水も無いから…すぐには魔力は戻らないし…。」
『むぅ、そうじゃのお…しばらく待つと致すか。しかし…まぁた崩れたりせんものかのぉ…?』
「そうね…ちょっと怖いかな…。」
 一度は静まったものの、何かの拍子にまた崩れ始めるかもしれない。魔力回復まで待つのも、気楽ではなかった。

『『『ヒャダルコ』』』

「…!!」

 その時、複数の声が呪文を唱えるのが聞こえると共に、湖の水面が凍りついた。強い冷気が地面を伝わり熱を奪い、水に濡れていたレフィルの体も急激に冷やされる。
「…あ…!」
『…ぬぬ!なにやつ!!』
 レフィルが体を強張らせて苦悶の声を上げたと同時に、八岐の大蛇は今のヒャダルコの術者を睨んだ。
『くくく…、ニンゲンがここまで来るとはな。』
「シャドー…!」
 
シャドー

 無形の影の様な魔物。その正体は今でもあまりよく分かっていない。
 ヒャダルコの呪文を唱えてくる事が多い。
 音も無く忍び寄り冒険者の命を奪う、暗殺者の如く恐るべき存在。

 今の今まで物音も無く、気がついたらすぐ真上に浮かんでいる影を見て、レフィルは震えが止まらなかった。
『だが、愚かだったな!お前はここで終わりだ!』
「…い…一体…何の為に…」
『知れたこと。お前にその鏡を持ち去られては困る者がいると言う事だよ!』
 同時に、氷を渡って数多くの魔物が渡ってくる。亀の様な外見の魔物―ガメゴン、錫杖と仮面を身につけた死者を操る部族―ゾンビマスター、不気味な形相をした人面の蝶―しびれあげはなど、数々の魔物がレフィルを取り囲んだ。
「…く……!」
 命を狙われている以上、黙ってやられるわけにはいかない。すぐに吹雪の剣を抜き放つが、体に力が入らず…体がよろめいた。このままではまともに戦う事さえかなわず、間違い無く目の前の魔物に喰われてしまうだろう。

『…安心せい。わしがお主を守る。』

 その時、レフィルを安心させる様に八岐の大蛇はそう言った。
―……おろ…ち?
 緊張状態の為か、思う所がまとまらないのか、レフィルはそれに対する言葉が出なかった。
『ほほほ、シャドーとやら。主らには感謝せねばならぬ様じゃな。』
『なに…??』
 挑発的な言葉を吐きかける紫色の光の影にあるものに何者かの気配を感じて、シャドー達は戸惑った様に揺らめいた。
『わしは…今、猛烈に腹が減って仕方が無いのじゃ。ここに…数多の贄を導いてくれたのだからなあ!!』
 
グォオオオオオオッ!!!

 次の瞬間、弱き者ならばそれだけで意識を飛ばされてしまいそうな凄まじい咆哮と共に、全身を緑色の鱗に包んだ八つ首の大蛇が、凍りついた湖の真ん中にその姿を現わした。