真実の聖鏡 第四話
「……え…??」
 レフィルには一体何が起こったのか分からなかった。目の前に無数の鋼鉄の楔が突き刺さっている。その内の一つに…ミミックが百舌の早贄の如く貫かれていた…。
「な…なんだ…こりゃあ…」
「これは…いったい…」
 マリウスらも、目前で立ち尽くすレフィルと、彼女が引き起こした現象を呆気にとられた様子で見ていた。
―わ…わたしが……?
 硬化の呪文アストロンを唱えたにも関わらず、レフィルの体は鋼鉄と化してはいない。だが、それでも怖れていた結果にはならず、彼女は生きている。
「…っ!!」
 不意に、体全体に一気に何か重圧の様なものがかかるのを感じた。全身に鈍く響き渡る様な疲労感と共に、彼女はその場に膝を屈した。

パキン…

 すると、それまで鉄の塊だったものが、急に元の在るべき姿…吹雪の剣より放たれた極冷の氷へと戻り、それに貫かれたミミック諸共砕け散り、虚空へと散った。
「……氷が…鉄に……?」
 振り下ろされた剣から迸った氷の楔…アストロンの術者であるレフィルでなく、何故そちらが鋼鉄と化したのか…。
「すっげぇ破壊力だな…おい…。」
「ええ…。」
 吹雪の剣から放たれる氷そのものもかなりの強さを持つ。だが、それが全てを跳ね返すアストロンの金属と化したとなれば、その威力は想像を絶する…。

ガシャンッ!!

「!!」
 不意に、氷の楔に貫かれた壁に罅が入り、轟音と共に倒壊した。同時に、辺りが揺れ始め…天井と床にもまた、亀裂が生じる…。 
「まずい!崩れるぞ!!」
 すぐにその危険を理解し、マリウスは二人へと呼びかけた。
「危ない!レフィルさん!」
「…きゃっ!」

ズンッ!!
 
 レフィルの真上からも崩れた天井が落ち、あわや下敷きになりかけた所をハンが力ずくで押しのけた。
「ご…ごめんなさい…!」
 地面に転がりながら、レフィルは怯えた様子で謝り始めた。今の現象も、アストロンと吹雪の剣が引き起こした先程の攻撃が原因であるのは間違い無い。
「いや、それよりも…いけるか!旦那!」
「ええ!」
 だが、それは身を守るべくして起こっただけの当然の結果に過ぎない。
「さっきの物凄ぇ技が洞窟の要石をぶっ壊したんだ!急いで逃げるぞ!」
 おそらく支えとなっていた岩盤を砕いてしまったために起こってしまったのだろう。マリウスは落下してくる岩を破壊の剣で砕きつつ、二人を促した。
「……あ…!」
「…?どうしたレフィルちゃん?」
 ふと、レフィルが何かを思い立った様な仕草を見せた。
「……リレミトを…」
「そうか、使えたか!」
 記憶を辿り、地上へと戻るリレミトの呪文。レフィルはそれを習得している。これならば崩れゆく洞窟を行く必要も無い。
「…リレミト!!」
 マリウスとハンの手を取ると、レフィルはすぐにリレミトの呪文を唱えた。
「……?」
 しかし…何も起こらない。周りの光景は崩落し続ける洞穴のままだ。
「まさか、魔力が足りない?」
「…さっきので全部使い尽くした…?」
「「「………。」」」
 レフィル自身は呪文を苦手としているわけではなく、寧ろ持ち味にさえしている。そんな彼女が放った呪文が不発に終わったとすれば…
「やべぇええっ!!ま…魔法の聖水は…!?」
「…しまった!こんな時に…!」
 魔力が無くなれば呪文を使う事はかなわない。悪い事に、それを補う為の道具さえ…手元には残っていないらしい。
「仕方ねぇ!!二人共、走れぇ!!」
 もはやこれまで。既に三人に残された手段は、己の足で入り口まで一気に駆け抜けるしか方法は無かった。

ガラッ…!!

「…あ…っ!!!」
 
 だが、その時…レフィルの足元の床が……
「いかん!」
 そこから後ろの地面が一気に崩れ落ちて巨大な空洞となり、彼女もそれから逃れる事が出来ずにその姿は深淵の闇へと消えていった…。
「レフィルちゃん!!」
 反射的に追おうとするマリウス。しかし…

ドガガガガガガッ!!

「う…おおおおおっ!!」
「どわああああああっ!!」
 行く手を阻む様に落盤が発生して、彼らはなすすべも無くそれに飲み込まれた。




 サマンオサ城の地下牢で、多くの兵士がその場に倒れている。皆意識を失っているが、死んではいない。
「全く、なぁにやってんだか。」
 彼らを倒した張本人…サイアスは右手に握った金色の剣を収めつつ、捕らえられた三人…とりわけカリューとレンをみてそう気だるそうに呟いた。
「何であの時一人で逃げたのよぉ!!」 
「まぁったく…うっせぇなあ。俺様があそこで掴まるワケにゃあいかねぇだろうが。…俺ぁ、お前らと違って自力で脱獄できる程力バカじゃあねぇんだよ。」
「うっさいわね!あんたこそあんな事あって何も思わないの!?」
「んな事聞くまでもねぇだろうが。」
 見張りの兵が誰も居ない地下牢の真ん中で、レンとサイアスの口論が響き渡る。
「ただ、許せねぇ以前にホント救えねぇ連中て言う方が頭に浮かんだだけの事だよ。」
「うむ。これは放っておくわけにはいくまい。」
 ”救えない連中”に国を任せる訳には行かない。彼らが巻き起こす混乱に、国を任せている国民達が付き合う道理は無い。
「つーか、悪口言っただけで死刑とは良く言ったもんだぜ。」
 高々悪口を言うだけで死刑、すなわち王に少しでも翻意をみせればその場で断ぜられる事になる。残酷ながらもシンプルな発想だ。
「…て事は、ちょっとでも反乱分子に肩入れしようモンなら、もっと酷ぇ罰が下るってこった。死刑以上の罰なんざ知らねぇし、知りたくもねぇけどよ。」
 当然、この様な暴虐を市民が許すはずもない。しかし、今のサマンオサには多くの精兵達が目を光らせており、それに逆らう事を許さない。つまり、市民もサイアス達に対して非協力的…最悪敵対関係にあらざるを得ない。
―よくこんなんでやってけたな…ここ数年間。
 何より兵士達が反発をしないのは何故か。それはサイアスすらも知らない事実であった。
―ま…ぼちぼちやってくか。
 新手の兵士達の気配を感じてうんざりしながら、サイアスは前へとゆっくりと歩みを進めた。


「…サマンオサか。ふん、随分見ない間に酷い有様になったものだな。」
「ほぉ、そなたはここの出身だったか。」
「……。」
 先程まで騒動があったとは思えない程に静まり返った町並みを四人の来訪者達が行く。
「あ、あの…クトル様…」
「…む?どうした、エルダ。」
 その中で、紫紺のローブに身を包んだ魔道士の女性が、戦士の出で立ちをした大柄な男…クトルへと申し訳なさそうに話し掛けた。
「宿の手配は…いかがなさいますか…?」
「おお、そうであったな。」
 クトルはすっかり忘れていたと言わんばかりに、顔を上げて何度か頷いた。
「部屋が空いておれば三泊程頼むとしようか。」
「か…かしこまりました…!」
 エルダは彼の命に応え、些か落ち着きの無い様子で宿へ向かって走っていった。
「ふむ。カルス、シエン、そなたらも先に休んでおくが良い。」
「あんたはどうするんだ?」
 残りの同伴者二人にも宿に行く様に勧めると、カルスと呼ばれた男の方がそう尋ねてきた。背中にはシンプルな外見ながらも良品であると知らしめる様な長剣が背負われている。
「なに、町の見物と洒落込もうと言うだけの事よ。」
「見るべきものも何も無いのにか?」
 今のサマンオサに見所もなにもあったものではない。クトルは的を射たカルスの発言にフッ…と笑いを零した後、何も言わずに町中へと去っていった。
「読めない男だな…。」
「………。」
 彼を見送ってしばらくその場に立ち尽くした後、カルスはもう一人の仲間…全身を黒装束で包んだ男、シエンと共に宿の中へと入った。


ドガァーンッ!!
「…に…逃げろぉ!!」
 あろう事か、爆発で吹き飛ばされたサマンオサの正門から…四人の脱獄者達が凄まじい勢いで飛び出してきた。
「うぬぅ…!!年寄りに無茶をさせるとは…、不孝者どもめ…!」
「全然元気じゃないの!あいっ変わらず説得力無いわね!!」
 吐いた愚痴とは裏腹に、老魔道士ジダンは四人の中で先頭をひた走っている…。
「おのれら……覚えとれよ…!」
「そうそう、今は我慢の時だ。…後で一気にその怒りをぶっぱなしゃあいい。」
 今すぐ兵士達を一人残らず叩きのめしたい衝動を抑えるカリューを助ける様に、サイアスが口添えする。
「せやな…。ええこと言うやないか。ふっしっしっし…」
「……うげ…、後が怖くなってきたわ…」
 すると、途端に彼女の怒りに満ちた形相が、いやらしささえ感じる程の笑顔へと転じる。それを直視してしまい、サイアスは思わず全身から冷たい汗をかくのを感じていた…。

 
バシャァアッ!!

 ラーの洞窟の最深部にある地底湖に一筋の影が飛び込むと共に大きな水しぶきが上がった。落ちた先から同時に入り込んだ空気が、泡として水の中から次々と波立つ水面に浮かび上がってくる…。

ザバッ!!

「…ごほっ!!ごほっ!!…はぁ…はぁ…」
 しばらくして、地底湖の岸に…全身を濡らした、黒い髪の少女が這い上がった。
「…う……ん…。」
 だが、そこで力尽き…レフィルは半身を水につからせたまま、倒れ込んでしまった。
―…力が…入らない……。
 思えばかなりの高さから落ちたと見える。下が水であっても生きているのが…否、意識を保っている事でさえ不思議なくらいであった。
「…ごほ……」
 水を吸い込みすぎたのか、酷く咳き込み…その度に喉が痛む。次第に意識は朦朧とし始め、彼女は仰向けに倒れたまま動かなくなってしまった。


「ふむ…イオラ!」
ドガァーンッ!!
「喰らいなさい!ルカナン!」
「…どぉりゃあああああっ!!」
ずごっ!!
「……で、シメは俺って事ね!うりゃ!」
ドガガガガガガーンッ!!! 

 サイアス達はその類稀なる力を以って、行く手を阻むサマンオサ兵達を蹴散らしていた。その姿はまさに、巨悪の配下に成り下がった悪の軍と戦いを繰り広げる勇者達そのものであった。
「オラどうした、ゴミ兵隊ども。よってたかって皆を踏みにじってきた威勢はどうした?」
 稲妻の剣が巻き起こす爆発で十数人の兵士達をまとめて吹き飛ばした後、サイアスは辺りに群がるサマンオサの精兵達にそう挑発した。
「…全然効いてないみたいね。」
 それに対してサマンオサ兵が怒りを見せる様子は無い。仮面の様に凝り固まった無表情でただこちらを注視してくるだけだった。
「…ふむ。どうやら単に無理矢理操られている…と言うのも違う様じゃの。」
「……馬鹿みたいに似非王に忠誠を誓ってやがる。一体何が起きてんだろうな。」
 サイアス達との戦いでかなり多くの被害が出ているにも関わらず、彼らは感情にとらわれて統率を乱す事も撤退する事もしない。ただ責務を果たさんとするその姿勢は、悪名高い非道ぶりよりも寧ろ誇り高ささえも感じ取れる。
「増援を呼べ。流石に腐ってもサマンオサの勇者、一筋縄ではいかん。」
「はっ!」
 指揮官の命により、一人がサマンオサ城へと向かった。
「……ほぉ、てめぇらが格下だって認めた様だな。」
 今の状況で増援を呼ぶ、つまりはこの手勢だけでは対処できないと判断したと見てもあながち間違いでは無いだろう。サイアスは不敵な笑みをサマンオサ兵達へと向けた。
「ほざくな。今度こそワシが斬り捨ててやろう。そして、貴様の父…反逆者サイモンの下に送ってくれるわ。」
 その時、指揮官自らが前に出て軍刀を引き抜き、サイアスへとその切っ先を向けた。
  
「おいおい?今なんつった?」

 だが、その老兵が発した言葉を聞いて思う所があったのか、サイアスは目を細めた。 
「…あのクソ親父は今何処にいやがる?っつーか死んでる?誰が殺しやがった?」
「問答無用!!」
「あーそうかい。だったら、力ずくでも聞き出してやるよ。オラ、吐けや。」
 これ以上何も話す気は無いらしい。サイアスは右手に握った黄金の剣で指揮官が振り下ろす軍刀に応じた。



―何もかも、中途半端なのよ。
「…!」
 暗い闇の中で、レフィルはその声を聞いた。その声の主は…彼女自身に他ならなかった。
―いつだってそう。父さんが死んだ時だって、わたしは…あなたはあなたの決断をする事が出来なかった。
「……そ…それは…」
―…本当に、つまらないと思わないの?それで、自分の人生が決まってしまった。
「………。」
 魔王が滅ぼすといわれるこの世界…それを食い止める為に、国は勇者と呼ばれる程の強者を派遣する。だが…当時の彼女―オルテガの娘と呼ばれるだけの非力な少女に、それに合うだけの力があったのか…。
―さっきだって、躊躇わずにその剣で魔物を貫いていればこんな目に遭わずに済んだ。
 なまじ力があり過ぎる為に、余計な力による弊害を被る事となり今ここに居る。あの時…吹雪の剣の力で、一気に内側から凍りつかせる事が出来れば、岩盤さえも砕き崩落を引き起こす様な凄まじい力を振るう事も無かった。

―こんな…風にね!

「…!!」
 その時、突然一人の少女…レフィル自身の姿を取った闇がこちらへと疾駆してきた。その手には…透き通った刀身に、アメジストの様な水晶の様なものが無数についた、冷厳さを感じさせる禍々しい剣が握られている。
 
ドスッ!!

 それは、レフィルの心臓を確かに貫き、彼女の背中からその切っ先を現わした。
「あ……ああ……!!」
 あまりに突然の出来事と激痛に…何が起こったのか全く分からない。
パキ…パキパキパキ……!!

 それをよそに…剣が差し込まれた胸の部分から、体が凍りついていく…儚く脆い水晶へと体が変化していく…。

パチンッ!
ガシャアアアアンッ!!

「あああああああああああああっ!!!」
 そして…誰かが指を鳴らす音と共に、彼女は激痛と共に一瞬にして砕け散り、後に残ったのは…闇より出でし少女が携えていた氷昌の透剣だけだった。


『…レフィル?』

『…気を失っておる…か。』

『…この子に一体何が……。』

 その声は、レフィルには届かなかった…。