真実の聖鏡 第三話
 サマンオサを出発してから三日…

「…ここが、ラーの洞窟…。」
 毒々しい色の沼に囲まれた洞窟が、レフィル達の目の前にあった。
「やべぇな…。毒沼が周りを囲んでやがる。」
「ですが、ここに入らない事にはラーの鏡は手に入らない…。」
 毒の沼…踏み入れるだけで体を蝕む毒を受けてしまう、冒険者達の一つの障害である。できれば避けて通りたいが、洞窟の周りを隙間無く満たしている。
「しゃあないな。このまま行くぞ。」
「…え?」
「レフィルちゃんは…そうだな。俺に掴まっててくれ。君には毒を喰わせたかねぇからな。」
「……そ…それは…」
 他に方法は無い。レフィルは大人しくマリウスの体に乗って負ぶさる様に掴まった。


「キアリー」
 洞窟の入り口でマリウスは、自分とハンの足に解毒呪文を唱えた。
「…ふぅ、ありがとうございます。いきなり毒沼とは…誰も来たがらないわけですね。」
 ハンは靴を履き直しながら、毒沼の方を見て肩を竦めた。処置が早かった為か、或いは生来の類稀れなる頑健さの為か、毒によって体力を奪われた様子はない。
「ご…ごめんなさい。私だけ…」
「なぁに、俺が勝手に気を使っただけの事だよ。帰りは…ルーラで行くのが無難だろうな。使えるか?」
「…はい。」
 レフィルが申し訳なさそうに頭を下げてくるのに対して宥めつつ、マリウスは代わりに帰りにもう一度毒沼を越えずに済む様にそう頼んだ。
「じゃあ、行こうか。」
 マリウスの先導で、一行は洞窟の中へと踏み入った。
「やっぱ随分ジメジメしてやがるな。足元気をつけろ。」
 水気がとても多いらしく、湿った岩やぬかるんだ泥など非常に足場が悪い。
「ん?どうした、レフィルちゃん。」
 ふと、後ろを振り向くと…レフィルがじっと自分を見つめてくるのを見かけて、マリウスは彼女に声をかけた。
「さ…さっきの…キアリーって…」

「……あ…ははははは…」

「??」
 だが、彼女が問い掛けた言葉を聞くなり、マリウスは突然渇いた笑いを零し始めた。 
―まさかメリッサちゃんの料理で食あたり起こしたなんて…この子に言えるか…。
 レフィルがその意味を読めずに首を傾げている側で、マリウスは過去にあった思い出したく無い出来事を振り返って僅かに震えていた。

「む!」

 その時、ハンが前方を見て目を見開いた。
「お二人共!魔物が近くに!!」
「…きやがったな!」
 ハンの言ったとおり、魔物の足音が聞こえてきた。乾いた音を鳴らしながら迫り来るその魔物は…

「骸骨剣士か…。」

 骨だけの体を持つ六本腕の剣士、骸骨剣士であった。後から二体、同じ様な姿の魔物が続いて来る。
「…腕が六本…!?」
「…へぇ。だが、多けりゃ良いってモンでもないだろうが!」
 六本もの剣を一度に操る為、うかつに近づく事も出来ないはずだが、マリウスにそれを全く怖れた様子は無い。
「俺が一体を仕留める!それまで残りの二匹を引きつけてくれ!」
「わかりました!お気を付けて!」
 そして、彼はドラゴンキラーと円形の盾を手に、骸骨剣士の一体へ向かって斬りかかった。
「ど…どう戦えば…。」
 その一方で、レフィルはこちらへと敵意を向けてくる残る二体の多腕の屍騎士を前に、戸惑っていた。
「ぬんっ!!はっ!」
 だが、ハンは槍と盾を手に、六本腕の騎士に敢然と挑みかかっていた。
ガガ…!カキンッ!!
 ハンの槍と盾と、骸骨剣士の六本の剣が金属音を撒き散らす。だが、終始ハンが戦いの優位に立っていた。
「ハンさん…。」
 彼の戦い振りを眺めていたレフィルへと、残った一体の骸骨剣士がレフィルへと迫る。
―でも…わたしだって…!!
 戦士としても有能なハンの姿を見て複雑な心情を抱きながら、彼女は吹雪の剣を髑髏の騎士へ向けて振りかざした。

パキパキ…ッ!!

 剣の周りから大きな氷の楔が複数生み出され、それらは骸骨剣士へと向かって殺到した。

ガガガッ!!

「え…っ!!?」
 しかし、敵はその攻撃を六本の剣で難なくいなし…
ザクッ!!
「あ…ぅ…っ!!」
 呆気に取られていたレフィルへと、一太刀浴びせた。剣を握った左腕を浅く斬られて血が舞う。
「レフィルさん!」
 その悲鳴を聞きつけ、ハンはすぐに槍を手に彼女を襲っている骸骨剣士に向かって躍りかかった。
ブォンッ!!
ガシャンッ!!
 円を描く様に一回転した後、槍の穂先は、骨の体の弱所を寸分違わず捉えていた。骸骨剣士はその会心の一撃を前に、なすすべも無く四散した。
「お怪我は!?」
「あ…大丈夫…です…」
 血はかなり流れているが、すぐに手当てすれば然程の怪我にはならない様だ。
「どうにか一体倒せましたが…手強いですね。」
 不意打ちをかける事に成功したからこそ今の様にスムーズに倒せただけで、残りの一体は同じ様に上手くいくかはわからない。
「……。」
 確かにハンの表情はそうした事態と目前の敵の強さに警戒している様子が見て取れる。だが、レフィルはそもそも剣で渡り合う事も出来なかった事もあり、その強さを測る余裕さえも無かった。

「おおりゃあっ!!」

ガシャンッ!!

 その時、レフィル達が対峙していた骸骨剣士が砕け散った。その背後にはドラゴンキラーを振りぬいたマリウスの姿がある。
「しゃあっ!!これで全部だ!」
 三体の骸骨剣士は、バラバラになったまま再生する気配も無い。どうにかこの場は切り抜けた様だ。
「やっぱ変わらねぇみてぇだな、旦那。」
「いやいや、レフィルさんのお陰ですよ。」
 謙遜しながらも一体の骸骨剣士を一撃で倒してのけた、ハンの槍の腕前はかなりのものだろう。マリウスは至極感心した眼差しで彼を見ていた。
「ちょっときつい怪我だな。大丈夫か?」
 一方、レフィルは血を流した左腕をおさえている。
「ベホイミ…」
 マリウスに応じるより先に、彼女はベホイミの呪文を唱えた。裂傷が塞がり、出血も止まったが…
「回復呪文か。…ああ、俺らは大丈夫だ。」
「そうですか…。」
―これが…実力の差……か…。
 一方で、マリウス達はさしたる傷を負った様子も無い。開拓者達の村…ひいては町を導いてきた為に長く旅から離れたはずのハンでさえ、自分より遥かに強い。その様な状況に、レフィルは自分の心に焦りが生じるのを感じた。


「…なんだこりゃあ?」
 更に奥に進むと、目の前に信じられない様な情景が広がっていた。
「宝箱…。」
「明らかに…罠だなこれは…」
 松明が照らし出す先には冒険者垂涎の宝の山が見える。だが、それに至るまでの道のりはあまりに簡単かつ短すぎる…。怪訝に思うのが当然である。
「誰かインパス使えるヤツはいるか?」
 宝箱でもっとも有名なトラップは、魔物が化けているというパターンである。それは識別の呪文インパスで調べられるが、生憎この中にそれを使える面子はいない。
「…だろうな。流石に俺でもインパスはな…。」
「……しらみ潰しに開けていくのも危険と…言う事ですね。」
 今まで確認されている宝箱に擬態した魔物の内、特に危険なものはミミックである。それが操る死の呪文…ザキをまともに受けたら命は無い。
「……でも…、この中にラーの鏡があるとしたら……」
 しかし、その危険を冒してでも、手に入れなければならないものがある。
「仕方ない。二人共、注意しろよ。」
 三人は覚悟を決めて、まずは一つの宝箱に手をかけた。

「……。」
 ここまでで、十個近くの宝箱を確かめてきた。それらに罠は無かったが、危険を冒したなりの額のゴールド金貨や貴重な種などが手に入っただけで、探しもののラーの鏡は手に入らない。
「さて、次だ。注意を怠るなよ。」
 二人が側に控えているのを確認すると、マリウスは次の宝箱を開いた。その中身は……
「…これは、命の石か。」
 この様な洞窟の中にあって僅かに温もりを感じる不思議な石、マリウスはその正体をすぐにさとった。

命の石

 微かに温もりを帯びている謎の石。
 所持者の命の危機に反応し、その身代わりとなって砕け散る。
 特に、ザキなどの死の呪文に対して効果が確認されている為、死の危険が付きまとう地を行く者達の間では重宝されている。

「そういやお二人さん、命の石は持ってるかい?」
 その石…命の石を見せながら、マリウスは二人にそう尋ねた。
「ああ、はい。私は持ってますよ。マリウスさんは?」
「俺も問題ねぇ。て事で、コレは君に渡しておくぜ、レフィルちゃん。」
「え…?でも…」
 冒険者ならば持っていても珍しくなく、命を守る重要なものであるとはいえ、貴重な品である事には変わりない。レフィルは戸惑うあまり後じさった。
「君に死なれたら、俺達が困るんだ。それに、下手したらホレスに殺されちまうかもしれねぇだろうが。」
「ほ…ホレスに…って…ええっ!?」
 何故だか、ホレスはレフィルの事を大切に思っている。その好意の持ち方には謎が多く、特に…恋愛感情に関しては殆ど皆無ともとれる所が一番不思議な所であるが、仲間としてのあり方が大きいだろう。どのみち、おそらく本当に殺しはしないだろうが、レフィルに何かあったらあまり良い顔はしないだろう。
「ははは、良いリアクションだな。」
 顔を上気させながら肩を竦めるレフィルを見て、マリウスはハン共々…それはもう楽しそうに笑った。彼女自身はホレスに思う所があるらしい。
「ま、次行くか次。」
 ここで気持ちを切り替えて、マリウスは次の宝箱を開いた。

ガチンッ!!

 すると、突如としてそれの淵に牙が生え、噛み付くようにして力強く閉じた。
「ッ…!おぉぉ…危ね…!」
「ついに出ましたか!」
 どうやら今度こそ、宝箱の魔物のお出ましらしい。すぐさま三人はその魔物…ミミックへと身構えた。

ボゥッ!!

「メラミだ!」
 先手を取ったのはミミックだった。メラミの呪文が生み出した大きな火の玉が高速で迫る…。その時、レフィルは吹雪の剣を手に前に出た。

ブバァッ!!

 超低温の氷の刃を、振り上げた剣の周りに生成して、その質量を以って火球を両断した。
「…ひゅぅ!やるねぇ!おぉらっ!!」
 メラミを咄嗟の判断で上手く交わしたレフィルに感心しながら、マリウスは呪文を撃ってきたミミックへとドラゴンキラーを振り下ろした。

ガキャッ!!

 だが、宝箱の金具の部分で上手く受け止められ、致命傷に至る事は無かった。

ガガガガッ!!

「…しっかし、ちょこまかとしぶといやつ!!」
 続けて飛び込んできたハンの槍をも跳んでかわし、レフィルの吹雪の剣が巻き起こした氷の楔までも避けるミミックの身軽さに、マリウスはそう毒づきつつ舌打ちした。
 
『マホトラ』

 不意に、ミミックがレフィルへ向けて呪文を唱えた。
「…!!」
 魔力を奪われた事による体に走る妙な脱力感が彼女の体を襲う…。

『ザキ』

 その隙を逃さず、ミミックは更なる呪文をレフィルへ向けて放った。
「…ぁっ!!」
「レフィルちゃん!!」
 死への恐怖に立ちすくむ彼女を…黒い波動が容赦なく包む…。

パキン…

 その時、彼女の中から何かが壊れる音がした。
「…い…命の石が…、危なかったぜ…。大丈夫か?」
「は…はい!」
 先程手に入れた命の石が、死の呪文の身代わりとなってくれた様だ。
「急げ!!また呪文使われる前にどうにか倒すんだ!」
 だが、胸を撫で下ろすにはまだ早い。再びザキの呪文を唱えられる前に倒さなければ、レフィルの命が危ない。
「……こうなりゃ、手段選んでられねぇぜ!!」
 手にしたドラゴンキラーを鞘に収め、マリウスは掌からもう一つの得物…邪剣・破壊の剣を顕現した。

ズアアッ!!

 禍々しい意匠の剣の刃は、ミミックを真っ二つに寸断せんが如く、縦一文字に振りぬかれた。
「ちっ…浅いか!」
 木片が散る…だが、まだ宝箱から魔物の気配は消えていない。
「せいやぁああっ!!」
 続けてハンが槍を連続して突き出す。幾つか命中こそするが、これも致命傷には至らない。
「ラリホー!!」
 マリウスとハンがミミックと戦っている所に、レフィルの呪文が放たれた。だが…

『マホトラ』

「「「!」」」

 ミミックはその催眠を耐え、すぐさま魔力吸収の呪文を唱えてきた。これで、ザキを唱えるだけの魔力が戻ってしまった。
「…まずい!!」
 焦りを露わに、マリウスが破壊の剣を振り回すも…まだミミックは倒れない。
「…あ……!!」
 先程命の石を失ったレフィルを、箱の中にある双眸が見つめてくる。
―嫌……嫌よ…
 今度は受けたら確実に死あるのみ…。
―……死にたく…ない!!
 死への恐怖が…膨れ上がっていく…。絶望感を表わすが如く、段々と目の前が暗くなっていく。

―死にたくなければ、目の前にいる魔物を”殺せ”ば良いじゃない。

「……!」
 不意に、どこからか囁きかける様な声が聞こえてきた。
―そうしなきゃ、これまで生きてこれなかったでしょう?
―………っ!!
  
―ど…どうして……!?
 恐怖に怯えた彼女の意に反して、体は吹雪の剣を振り上げて、ミミックへと間合いを詰めている。危険な予感を本能的に感じ取り、レフィルは必死に体を押さえつけようとした。
―そんなに嫌だったら……
  
―死になさい。

「…!!」
 その時…レフィルの視界が、紅一色に染め上げられた。

「い…嫌ぁあああああああっ!!!」
 
「「!!」」
 恐怖のあまりレフィルが発した絶叫に、ハンとマリウスだけでなく、敵であるミミックさえも思わず驚き竦みあがっていた。 
『ザ…』
「…アストロン!!」
 剣を振り下ろそうという状態のまま、レフィルは無我夢中でアストロンの呪文を唱えた。