第二十章 真実の聖鏡

「…レフィルちゃん、さっきから随分苦しそうやけど…大丈夫かいな?」
 焚き火を囲んで休息をとる六人の冒険者達…その内の二人、真紅の鎧に身を包んだ屈強そうな体躯の戦士と紫の髪の女性戦士が寝ずの番に立ちながら、傍らで眠る少女を眺めつつ語らっていた。
「まぁ…さっきも咳き込んでたしそうなんだろうが…俺にはよく分からん。この娘、持病とかはあるのか?」
 男性の戦士、マリウスは正直な感想を交えつつもう一人の女性…カリューにそう尋ねた。レフィルとの面識自体があまりない為に、詳しい事は彼には分からなかった。
「んんー…聞いとらんなぁ…。でもまぁ…最近えらく無茶しとるけんな…。」
 言われてみればレフィルは数多くの苦難に立たされて、時には深手を負い…またある時には非常に憔悴した状態で帰ってきた。
「まぁ、確かにな。あんなに呪文連発して、ぶっ倒れない方が不思議な位だぜ。」
「ホンマに…。そこまでして頑張らんでもええのに…。その為にわてらがいるんやから…。」
 数多くの呪文を操る技量もそれなりについている。だが、それがレフィルに大きな負荷をもたらしているのは、呪文を知らぬカリューの目から見ても明らかであった。
「それ、この娘に直接言ってやれよ。」
「そうしたいんやけど……何やろ…。最近このコおかしいんや…。」
「…おかしい?」
 話題を振った以上、当然カリューとて心配で仕方がないのだろう。だが、面と向かってそれを話す事も憚られるらしい。
「……何つーの?ホラ、反抗期?」
「…ああ。まぁ…機嫌悪いって事か?」
「そんなんそんなん。ムーちゃんやホレス達と別れてからな。」
「へぇ。まぁ…確かにな。」
 感情的になっている者に対して下手に忠告しても、ますます状況を悪化させる恐れさえ生む。物静かで大人しい印象を受けるレフィルとて…否、彼女だからこそ深い葛藤が生み出す負の感情は計り知れない。
「慣れない環境にいるから緊張してるんだろ。それに、レフィルちゃんはそんなに器用な方じゃないだろうから尚更な。」
「料理とかはめっちゃ上手いんやけどねぇ。」
「はは、違ぇねぇ。」
 家事に限った話で言うならば、船旅の途中の中における慣れない状況でも、レフィルが数多くの事をそつなくこなしてきたのはカリューも目にしている。或いはそちらに気持ちをぶつける事で、今まで心を保ってきたのかもしれない。

ギィンッ!!ガッ!!
「…く…ぅ…!!」
 血塗られた様な真紅の鎧を纏った、実体なき二騎の騎士が同時に襲い掛かってくる。レフィルは蒼い刃と鏡の盾で、彼らの攻撃をしのぎ続けた。
ザクッ!
「あ……ぅっ!」
 しかし、かわし損ねた攻撃が肩を掠めてそこからささやかに血が流れた。
ガッ!!ガキンッ!!
「無茶すんなって、レフィルちゃん。」
 隣に現れたサイアスが、血色の亡霊騎士の攻撃を稲妻の剣でいなし、そのまま打ち払って間合いを取らせた。
「……。」
 助けに入られて、それ以上傷を深める事はなかったが、自分が苦戦していた相手をあっさりといなした歴戦の勇者を見上げていると、レフィルは複雑な気分であった。
「しっかし、たくさん現れてやんの。」
「ほんとっ!!ムザムザやられに来てるだけじゃないの!」
 それはまさに、赤い騎士団の一つの班と呼べる眺めであった。先の二騎を含めて全部で四騎。
「…ま、本気出す程じゃねぇけどな。」
「ほぉ、腕上げたんか。わてでも結構キツいんやけど。」
 さまよう鎧、地獄の鎧の更に上位種にあたる赤き騎士…キラーアーマー。熟練の兵士さながらの剣技と補助呪文を有する危険な魔物である。優秀な冒険者でさえも、その刃にかかり命を落としたという知らせは絶える事が無いと言われる。

『ルカナン』

 不意に、その内の一騎が盾を掲げながら防御力減退の補助呪文を唱えてきた。
「…おっと、今まともに攻撃を受けるとヤバイかもな。」
 全身を覆う脱力感に加えて体を覆う防具そのものにも嫌な音が立ち始め、守りが消えていくのを感じた。
ガッ!!
「…っ!」
 案の定、剣を合わせるだけでも体に衝撃が伝わり、サイアスは僅かに顔を顰めた。
「ったく、面倒な事してくれやがって。」
「だったらとっとと決着付けちゃってよ!!」
 これでは戦いが長引くほどに受ける被害は大きくなる。大したことの無いはずの攻撃でさえ、十分なダメージになりうるのだから。
「つってもよ…。アレ見てみろよ。」
 焦りを明らかにするレンに、サイアスは指で一点を差し示しつつそう告げた。

「…あぁぁっ!!」

 そちらでは、兜に近い形状のサークレットを戴いた黒髪の少女が蒼い剣を手に、赤い騎士と戦いを繰り広げていた。
「何やってるのよあの子。無茶も良いところじゃない。」
「ま、随分焦ってやがるのは確かだろうな。」
 相手が強敵である事に加えて体が打たれ弱くなっている今、彼女の行動が無茶であるのは言うまでもない。
「けどまぁ、すぐに勝負は付きそうだぜ。」
  
「…はぁ……はぁ……!」

 四合ほど剣を交えた所で、レフィルは全身にはしる痛みと衝撃に息を上げていた。
―このまま戦ってても…負ける!!
 剣の技量ではむしろレフィルの方が上回っていた。だが、体と防具の両方を弱められている今、まともに戦うにはあまりに不利な状況だった。
「ベギラマっ!!」
 素早く後ろに下がりつつ、レフィルは掌から灼熱の炎を放ち、キラーアーマーを炎の渦に飲み込もうとした。だが…
―…効かない!?
 真紅の騎士はそれを受けても怯んだ様子を見せず、そのままレフィルに向けて突進した。
「く…!」
 ダメージを与えるどころか、足止めにすらなっていない。

―痛い……!

「あ…!」
 盾を前面に突き出し剣を振りかぶりつつ間合いを詰めてくるキラーアーマーを迎え撃とうとしたその時、全身に走る痛みと共に感じた恐怖心が彼女の体の中で蘇り、その動きを止めた。
―だ…だめ!!
 無理矢理攻撃へと転じようとするも、体が萎縮してしまい十分な勢いが得られない…。
―し…死にたくない…!
 そのまま戦ったら間違い無く斬り捨てられる。だが、幸いにして冷静さが残っていたのか…
「アストロン!!」
 瞬時に彼女の思考は切り替わった。確実に身を守るべく、レフィルはアストロンの呪文を唱えた。同時に、キラーアーマーが彼女へと剣を振り下ろす…。

ズンッ!!

 だが、真っ二つになったのはレフィルでは無く、キラーアーマーの方であった。
「…あ…あれ?」
 赤い騎士は竹の様に左右に分かたれ、切り口から徐々に凍りつき砕け散った。
「倒せた…?」
 攻撃の姿勢のままで金属化した事により、重量がそのまま攻撃力へと変換されたのだろうか。自身でさえも予期せぬ結果に、レフィルは茫然自失の状態にあった。
「危ない!レフィルちゃん!!」
「!!」
 だが、今はその様な隙を晒している暇は無かった。

ギンッ!!
 
 躍りかかるキラーアーマーの剣を、マリウスが新しく買った手甲状の剣を以って斬り結び、レフィルを庇う様に前に出る。キラーアーマーはそれだけで相手の技量を読み取ったか、間合いを取って様子を見てくる。
「大丈夫か!?」
「………。」
 隣でへたり込んでいるレフィルに呼びかけたが、返事が無い。
ザッ…
「お…おい…」
 物言わぬまま立ち上がり、キラーアーマーの方を見つめるレフィル。そして…
  
「イオラっ!!」

ドガァーンッ!!

 叫ぶ様に唱えられた呪文と共にキラーアーマーが立つ地面が抉れて爆砕した。

メキメキ…!

 それにより、真紅の鎧の一部が音を立てて拉げている。それだけでは大きなダメージにはならない。だが…
 
ガキンッ!!

 その硬度が弱まった部分を、少女が持つ氷の魔剣の切っ先が貫いた。

パキパキパキ………
ガシャン…

 剣が発する冷気を体の内から直接受け、キラーアーマーは完全に沈黙し、そのまま白い粉と化して音も無く砕け散った。
「…お…おい。」
「………。」
 そして、呼びかけるマリウスの声にも答えずに、レフィルはふらつきながらも先に進んでいった。
―…やっぱりおかしいぜ。
 レフィルが普段から寡黙ながらも礼節は尽くそうとする性分である事は良く知っている。だが、今はあからさまに人を拒むような態度を取っている。マリウスは、昨日彼女に対して抱いた疑問が再び湧き上がっていくのを感じていた。

「ま、見てるだけってのはラクで良いぜ。」
「アンタもマジメに戦いなさいよ!?」
「イヤ、お前らがいるから俺の仕事はねぇだろ。言ったろ、本気出すまでもねぇってな。」
「サボりたいだけって聞こえるんだけど!?」
 赤い破片が辺りに散っているその中で、レンはサイアスに食ってかかっていた。
「でも…中々やるわね、あの子。」
 彼らもまた、遠間からレフィルが戦っている様子を眺めていた。その壮絶な戦い振りにレンが量らずもそう呟く。
「んあ?あの程度じゃあ大した事あねぇよ。寧ろ俺ならものの三秒で終わってるとこだぜ?まぁ、強い事には変わりねぇけどな。」
「…どういう事よ?」
 キラーアーマー二騎を単身で倒してみせたオルテガの娘たる少女の実力を認めながらも、明らかに自信過剰なサイアスの意味深な言動の意味を図りかねて、レンが尋ねる。
「あれじゃあ、いつ壊れちまうかわかりゃしねぇって。」
「え…?そんな無茶してた?あの子。」
 確かに全力といった具合の戦い方ではあったが、それにしてはかなり手馴れた様子にも取れるほど鮮やかなものであった。
「だろうよ。あれでもまだ旅立ってから一年と経ってないヒヨッコだ。経験もまだまだ足りねえ。体力だったらお前にすら敵わねぇよ。胸は断然勝ってるけどな。」
「へぇ…。相変わらず良く見てるのね、”女の子”の事は。」
「おいおい…睨むなよ。流石に今のは悪かったかもな。」
「死にたくなかったら初めから言わない方が良いのよ。」
 サイアスの軽口には既に慣れてしまっているらしい。レンはモーニングスターをちらつかせながらもそれ以上の事はしなかった。だが、彼女もまた、サイアスに人を見る目がある事を何処となしに感じていた。
―あんなお爺ちゃんやキリカなんか良く選んだわよね。
 暗殺者として悪名高くも自分に徹底的に尽くす黒い女豹と、枯れ木の様な体躯と裏腹に常軌を逸した体力と知識を有する老魔法使い。思えば彼にとってベストな選択であったのかもしれない。
「何処の誰に似たんだか。とにかく危なっかしいんだよなぁ。」
 死神と呼ばれた暗殺者をもたじろがせる程の無謀な行動を取った銀髪の冒険者。レフィルから彼と似た様なものを感じて、サイアスは呆れた様子で溜息をついた。


「今のサマンオサは相当治安が悪い。いや、良すぎるって言った方が良いか?」
「良すぎる?」
 今回の戦争を引き起こした元凶たる王国…サマンオサ、その城の全域が見渡せる台地の上に一行は集まっていた。
「ハンバークの町でお前さんも見ただろ?あの出しゃばりのクソ兵隊どもがもっと多く町中をのし歩いてると思ってくれりゃあ話が早い。」
「ああ、そういう事ですか。」
 城門前では兵士が目を光らせている。少数ではあったが、それでも武力で名を馳せるサマンオサの兵士という事を考えると正面からぶつかるような真似は避けたい。
「…で、俺らは今や国家反逆罪で指名手配犯扱いだからな。見つかっちまったらもっと大勢のサマンオサ兵が厳戒態勢を敷くだろうよ。」
「そうなると国に居るだけでも大変だろうな。」
「その通りだ。」
 ただでさえ戦争中で、留守中の警戒は強いのは目に見えている。そこに祖国を裏切った勇者であるサイアスが入国したと知れれば…どうなるかは言うまでもない。
「ま、あんまし気にする事ぁねえんだけどな。」
「なに?」
「なんですと?」
 しかし、本人はその事はどうでも良いらしい。その思惑が分からず、彼を除く全員が目を白黒させた。
「その分城に入りやすくなる可能性は十分あるって事だよ。幸い、兵隊どもは戦争で出払ってるからな。」
「ああ、成る程。寧ろ王の正体を暴くって所に来りゃそっちの方が都合が良いって事だな。」
 戦争の為に国内の兵士の数はおのずと減る事となる。流石に城を守る兵まで減らす訳にはいかないが、それでも大半が戦に赴いている為、僅かにでも手薄になっているだろう。
「そ。もっとも、その混乱を作るためにアレを頼んだワケだが。」
「…闇のランプ…。気を引くだけなら幾らでも手はあるんじゃ?」
「いいや、あのクソ兵士連中を甘くみちゃ駄目だぜ。ちょっとやそっとじゃ崩れやしない。よっぽど大それたモンでもないと、驚かねぇだろうよ。」
 今サマンオサにいる兵は数が少ないとはいえ、よく訓練されている。常軌を逸する様な現象を起こすなどして、確実に気を引かない事には大きな隙は見せてくれないだろう。ホレス達をテドンという魔境にまで追いやる理由はそこにあるのか。

「さて、ここらで良いだろ。ジダン。」

 ふと、サイアスは先程から話から離れて何やら準備をしている緑のローブを纏った老人へと向き直った。
「…ふむ。では、行くかの。」
 
カッ!!

「……これは…!」
 レフィルはその光を見て驚きのあまり口元を抑えた。

ブワッ!!

「そうそう、お前さんに見せたのと同じヤツだよ。」
 それは、光の魔法陣の中から上昇気流の様な空気の流れが巻き起こるという光景だった。彼女にはそれに見覚えがある。そう、ハンバークの際にレフィル達を戦場に引きずり出した”転移の陣”であった。
「…これでつい最近まで呪文をまるで扱えねぇなんて信じられるか?おい?」
「んあ?呪文を極めた魔法使いって話はウソだったのか?」
「…うんにゃ。ぜ〜んぶ忘れてもうただけの話じゃわい。ふぇふぇふぇ。」
「忘れた…ねぇ…。そういやそうだったっけか…。」
 呪文も必要としなければ、すぐに忘れてしまうケースは少なくない。だが、また覚え直せば使える。ジダンが歩んで来た道はおそらくその様なものだったのだろう。
「俺達は一足先にサマンオサの内部に入る。後で宿屋で落ち合おうぜ。」
 サイアス達三人は既に国から追われる身である。この魔法陣を使って、人目を隠れてサマンオサの城下町に進入を図ると言うらしい。
「…おいおい、宿屋なんかに行って大丈夫かよ。」
「心配ねぇ。あれは俺のウチみたいなモンだ。…で、まぁあんたらはあっちから入ってくれ。」
 一方で、レフィル達は彼らと違い、一介の旅人に過ぎない。それをいちいち断じていては、サマンオサの国自体の威信にかかると言う事もあり、入国する事は然程難しくは無いだろう。
「じゃ、気をつけてけよ。レフィルちゃん。」
「……。」
 光陣に足を踏み入れる前に、サイアスはレフィルの方を振り向き注意する様に呼びかけたが、彼女からの返事は無かった。
「おいおいおい、そんなに怖い顔しちゃせっかくの美人が台無しだぜ??ま、一度無理矢理あんなトコに誘っちまったのはちょいと乱暴だったかもしれねえけどよ。」
 何を思い悩んでいるのか表情は固い。そんな彼女を宥める様な言葉を最後にかけつつ、彼は仲間と共に転移の陣に入り、その姿を消した。

「…違う……。」

 サイアスが告げた言葉に対してか、レフィルは周りの者に聞こえない程小さくそう呟いていた。この場にその声を聞き取れるかの青年は居ない。
「……わたしは……。」
―わたしは……何がしたいんだろう…。
 力は確かについた。だが、それを振るう度に…何故だか精神が苛まれる様な感覚…空虚感を覚える。

「……嫌……」
 
 力に溺れるのを厭いながらも成す術も無く飲み込まれるのを感じている少女が発した、消え入りそうな…しかしはっきりと感情が込められた小さな声は、誰の耳にも届く事はなかった。