慟哭 第十三話

「…ホレス君!!」
「いかん…!今は近づけませんな…!」
 苦痛のあまり蹲るホレスの体から…今も尚、闇に近しい色彩の炎が激しく燃え上がっている…。何が起きているのか分からないが…先程ムーが弾かれたのを見る限り、危険なものである事には違いない。
「…ぬぅ……一体彼のどこにそんなものが…!」
「あの子と……共鳴…している…」
 かの少年は、紫の悪魔とぶつかり合い…その紫色のオーラを纏いながら、彼もまた苦悶に満ちた表情で立ち尽くしている…。
「……絶対…危ない。止めなきゃ駄目。」
 彼方と此方で苦しみ続ける少年と青年を交互に見回しつつ、ムーはそう呟いた。しかし、今の彼女に彼らを救う術は無く、ただ見守る事しか出来なかった。
「あの悪魔が取り憑いた…と考えるならば…或いは…。」
「…今はそれしか……」
 一方で、ニージスとメリッサは…一つの案を見い出したらしく、すぐにホレスの方へと近づいた。


「シャナク!!」

 悪魔に憑かれし少年に、黒衣の男の呪文が放たれた。彼…クルアスの指先から生じた光は、少年の体の内に入り込み、内側から紫のオーラを打ち払おうと猛った。

―…んなモン…今更効かねぇんだよ!!

 だが…それは紫の悪魔の怒声と共に吸収されるようにして消失してしまった。
「…く…!」
 見い出した活路を完全に絶たれ、クルアスはうめいた。
「…ならば!!」
 だが、彼はすぐに次の手段に及んだ。金色の槍を少年に…否、それを覆っている紫色のオーラへと向けた。
―おっと、いいのかよ?そんな事しちまえば俺だけじゃなくて、こいつも死ぬぜ??
「…くそ…!!やはりか…!!」
 サタンパピーの霊は既に少年と一心同体と言う状態にまであるらしい。物理的攻撃では寄り代である少年まで傷つける事になってしまう様だ。
「だが…まだだ!…シャナク!!」
―…無駄だって言ってるのが分からないのかねぇ…。もうどうでも良いけどよ。
 それでも諦めずに解呪の呪文を唱え続けるクルアスに、紫の影は呆れた様に嘆息した。
―で…やっぱりどうしようも無いって顔だな、そりゃ。
 彼が幾度呪文を唱えても、少年に纏わりつく紫のオーラは全く揺らぐ事は無く、ずっとその場に佇んでいた。
―隠すなよ。随分焦ってるみてぇじゃねぇか。
「黙れ!!ニフラム!!」
 茶々を入れるサタンパピーに対して、怒りを露わにした様子でクルアスは掌に浄化の光を生み出し、それを放った。しかし、その攻撃もまた紫の影に触れる事さえ叶わずに、当たる直前で消滅した。
―無駄無駄。今の俺はこいつという鉄壁の壁に憑依してるんだぜ。
「…くそ…!」
 何を以って鉄壁と言っているのか…その意図を察し、クルアスは舌打ちした。もっとも…意味は彼の察したそれだけでないと知る由も無かったが…。
―…ははぁ、よっぽどこいつが大事らしいな。
 少年を助ける為に息を切らしてまで呪文を唱え続ける目の前の黒衣の男を見て、紫の悪魔は面白い事を思い立ったらしく、不敵に笑いかけてきた。
―だったら…今すぐここにいる虫けらどもをまとめて散らしてくれよ。そうすりゃ解放してやるからよ。
 
「「「…!!」」」

 その悪魔の提案に、その場の全員が驚愕して息を呑んだ。
「…馬鹿を言うな!そんな下らん交換条件に俺が乗ると思うか!!」
―下らないとはご挨拶だなぁ、オイ。ホラ、こいつも悲しがっているぜ?
「…!!」
 下らない…と言う言葉に反応したのだろうか、苦悶に満ちた表情のままの少年の目から一滴の涙が零れ落ちた。
「ホレス……!!」
 それを見てショックを受けたクルアスは、槍を手に握ったまま呆然と立ち尽くすしかなかった。
―……ハッ…中途半端だな、オイ。で、虫けらどもよぉ。お前ら自慢のリーダーはこんなザマなんだぜ。ぼーっとしていて良いのかよ?
 黒衣の魔術師が動かない事によって困惑している村人達に、悪魔はそう囁いた。
「…う…うぉおおおおおっ!!」
「よせ…!やめろ!!」
 クルアスが我に返って制止した時には既に遅く、一人の若者が剣を手に少年へ向かって、その頭目掛けて振り下ろした。

ザクッ!!

「……!!!」

「ホレス!!」
 少年の足元に何滴もの血がボタボタと落ち始める…それを見たクルアスはすぐに加害者の男を突き飛ばし、たまらずに少年の元へと駆け寄っていた。
「…何て事だ…」
 少年は顔面を斜めに斬られて…そこから大量に出血していた。かなりの深手であった。
―…ハッ…本当に仕掛けてきやがったよ。大丈夫か?相棒?
 悪魔はクルアスを追い払う事も無く、負傷した少年を気遣う様な言葉をかけた。
「く……!その子は貴様の相棒などではない!!!」
―おーおーおー、随分とお子様想いな親父さんなこって。けど大丈夫だぜ?俺はこいつの味方だからよ。
「…!?」
 自分から災いに誘い込んでおいてぬけぬけと少年に肩入れする悪魔に対して、クルアスは苛立ちと困惑を露わにした。
―…だぁれもあてにならねぇんだよ。な?俺が言ったとおりだったろ?
「な…何を言っている!?」
 それに構う様子も無く、サタンパピーは少年へと囁き続けた。傍から聞いている者にも…その口調には甘美な誘惑を体現した様なものを感じられる…。
―…だったら…お前さんの身はお前さん自身で守るしかねぇ。俺も力を貸してやるけどな?
「な…何を……!!」
 
―素なる子に至る簒奪の災禍、其が貪りし物に有形も無形もなし。眩き滅光と暗き深淵の狭間に在りし混沌に総てを喪いし者を誘わん…
 
「…!!!」
 不意に、悪魔が綴る忌むべき唱歌の旋律が皆の耳に入った。それは知らざる者が聞いても明らかに危険な響きを感じ取れるものだった…。
―…さ…続きは分かるだろ??
 何処から来たとも知れぬ恐怖が辺りを漂う中、悪魔は少年へとそう促した。
「やめろ…それは……!!」 
 
「ざら…きーま……」

 クルアスが止めようとするのも虚しく…、それが物言わぬ少年がこの世に生まれて初めて口にした言葉となった…。
ブワァッ!!!
「……!!」
「な…なんだ!?」
 不意に、強風が地面から突き上げる様に吹き荒れた。だが…それは春に吹く暖かな風ではなく…体を芯から凍りつかせる様な…不気味ささえ感じる程の冷たい風であった。

「………。」

 それは一瞬にして止み、…辺りは急に静まり返った。そこにはただ…紫のオーラを纏った少年が…変わらず苦悶の表情で佇んでいるだけだった。 
「こ…これ以上好きにはさせねぇ!!」
 その沈黙による緊張感に耐え切れなかったのか、先程少年へと斬りつけた男が再び彼に剣を向けて躍りかかった。

ボジュッ!!

「…う゛ぁっ!!?」
  
 だが…次の瞬間、彼の体は振り下ろした剣ごと一瞬で燃え尽きて塵と化し、その存在はこの世から消滅していた。
―…はっ!!脆いねぇ!!次行こうぜ、次ぃ!!
「やめろぉおおおおおおっ!!!」
 クルアスが悲痛な叫びを上げた次の瞬間、天から無数の眩い光の一条一条が驟雨の如く降り注いだ。
 

 ザラキーマ

 死の呪文ザキの更なる上位の呪文があるとすれば…この様な名前になる。
 未だ編み出されていないが、実現できれば聖戦における切り札となろう。

 ネクロゴンド神官長 著


「…これは……!!」
「……あの時と…同じ!!」
 遠い過去に感じた忌まわしき感覚を感じ取り、バースとドリスは空を見上げた。滅びを招く光の雨がテドンの方に降り注いでいる…!
「行くぞ!!やはり…あいつが……!!!」
「ええ!!…あいつだけは…許せない!!」
 二人は互いに頷きあい、武器を手に小屋を飛び出していった。
「…なんだか騒がしいね。…ったく、まぁだ眠いってのに何だってんだい?」
 その小屋にただ一人残ったアヴェラは、目を眠そうに瞬かせながら再びベッドの中へと戻っていった。


―ひゃひゃひゃ!!全部打ち壊しちまえ!!相棒!!
 サタンパピーの狂った様な耳障りな哄笑が、滅びの光に触れて消え逝く者達の断末魔の叫びを掻き消し、運良く生き延びた者達の耳に届いた。
「…やっぱり、コイツは悪魔だったんだ!!」
「だから言わんこっちゃない!!あれだけ始末しとけって言ったのに!!」
 彼らは酷く怯えた様子で悪魔が取り憑いた少年を指差して、口々に罵声を浴びせた。
―おうおう、この期に及んでなぁんにもできねぇんだなぁ!?バッカだなぁニンゲンってのは!!
 そんな彼らをあざ笑いながら、悪魔は少年を介して、黒い塊を精製してそれを前方へと投げつけた。
シュバァアアッ!!
「…ぁ…!」
「ぎ……!!」
 それは空中で弾けて、黒き風となって村人達の間を吹き荒れた。黒き風そのものに触れた者は跡形も無く塵と化し、風に吹かれた者達は悲鳴すら上げる暇さえ無く力尽きて倒れ、そのまま息絶えた。
―馬鹿なヤツらだなぁ!!お前ら如きが今の俺様をどうにか出来るワケがねぇじゃねぇか!!この俺を殺したツケ、全部纏めて払ってもらおうかぁ!!うひゃひゃひゃ!!!
 多くの命や魂が呆気なく失われ続ける様の何がおかしいのか、それとも自分を死に至らしめた人間達への報復を楽しんでいるのか、サタンパピーは狂ったように笑い出した。
「…くそ!待て!!」
 その時、後ろから皆殺しにしたはずの人間の声が聞こえてきた。振り返ると、随所がボロボロに破けた黒衣を纏った男が槍を手に立っていた。
―あー…てめぇか。さっきの借りは返させてもらうぜぇええ!!!
 彼…クルアスの姿を確認するなり、悪魔はすぐさま攻撃を仕掛けた。幾筋もの黒き風が一斉にクルアスを襲う。
「…く!マホトラ!!」
 それに対してすぐに魔力吸収の呪文で応じる。呪文発動の源泉たる魔力そのものを吸収する事により、その効果を打ち消す…
 
バチィッ!!

「…っ!!」
 だが、先に自身の器の方が限界に達し、それで全てを受け止める事は叶わなかった。ザラキーマがもたらす黒い風がクルアスを包み込み、その身を苛んだ。
―無駄だぁっ!!バラモス様が作り出した呪文をそんなチャチな呪文で防げるかってんだ!!
「…バラモス!?…く!」
 気合と共にマントを払って死の波動を払いのけながら、クルアスはその名を聞いて驚愕していた。直後、彼は続けざまに来た第二撃を避ける為に、素早くその場を離れた。
―…逃がすかよォッ!!…って何だって?
 それに対して追撃をかけようとした所で、突如として少年が動きを止めた。その間にクルアスは既に目の届かない所まで逃げ去っていた。
―あいつは殺すなってオイ、まぁ…相棒の親父だからか。まあ良い、一緒に望みを果たそうじゃねぇか、相棒!!!
 僅かに本人の意識を残しているらしく、父親を攻撃する事を止める程度は出来るらしい。だが、それも一時の事でしか無く、彼は悪魔の思うがままに、村の破壊行動を再開した。
―面倒くせぇ…まとめてボロボロにしてやろうぜ!!
 悪魔の囁きに応える様に少年が掌を天にかざすと…突如として辺りに雨が降り始めた。その一滴が地面に落ちた瞬間…そこにあった草木は瞬く間に枯れて、塵と散った。

 これは……
 ……一体…何が起こっている…?? 

 今までに感じたことの無い奇怪な感覚に、ホレスは困惑していた。


 …確か……あの悪魔がガキにぶつかった所で……

 あの時…意識が途絶えた後急に視界が変わり、気がついたらかの少年の中に入り込んでいる様な状態にある事を知った。五体の自由は無く、体は勝手に動いている…。

―…う…うぉおおおおおっ!!
―よせ…!やめろ!!

 不意に、男がこちらへと斬りつけてくる場面が見えた。剣は視界を斜めに走った。

 誰だ…貴様は……
 …っ!!…血が……
 これは……オレの……?

 だが…それによっての痛みは無く、ホレスは血で霞む視界から…その男をしっかりと眺めていた。

―ざら…きーま…

 …その呪文は…っ!?
 ……な…なにっ!?

 その瞬間…目の前にいた男は、何も出来ぬままに塵と化して息絶えた。

 ………砂嵐…?いや…違う…!
 そう…か…全部を破壊する呪文……か…
 これが…テドンを滅ぼした……というのか…。

 ザラキーマと呼ばれる呪文が彼を一瞬にしてこの世から消滅させた。その呪文の絶大な力に、ホレスでさえも恐怖心を禁じえなかった。 

―面倒くせぇ…まとめてボロボロにしてやろうぜ!!

 しかし…酷い…有様だな…。

 消失を招く黒い風や滅びの雨が、テドンの村の最期を早めていく。その引き金を引いたのは……それを考えようとした所で、また変化が起こった。
 

―あ…ああああ……!!
―バ…バケモノの子だ…!!
―……いやぁああああっ!!!
―………。
―……いいえ…そんな事は…無い。あなたは…私の可愛い坊や…だから…。

 今度は……何だ…??

 突如として…目の前の景色が霞み、代わりに様々なものが視界に映し出された。初めに目に入ったのは…自分の姿を見て怯える者達と…それを気にせずに微笑みかけてくる疲弊した様子の女性の姿だった。

―…駄目でしょ!あんな子と遊んじゃ。
―だってぇ…
―これ以上ウチの子と関わらないで!嫌ならこの村から出て行って!!
―………。

 …下らない。一体こちらが何をしたと言うんだか。

 泥だらけの子供をひどく叱りつけ、こちらを嫌悪感露わな表情で睨んでくる女に対し…ホレスは心底呆れた様に嘆息した。

―……ホレス…。
―……。
―やさしい子ね…。いつも…ありがとう。
―あ、ホレス。戻ってたの?
―………。
―もぉ、お花ならあたしが摘んできてあげるのに。
―…いいのよ、フュリー。あなた達の気持ち、お母さんすごく嬉しいんだから。
―………。
―あ、照れてる?もぉ、恥ずかしがり屋さんなんだからぁ。
―…………。

 初めに見た女性…否、母親がベッドに横たわっている。物言わぬ少年が腕一杯に抱えた花を差し出すと、たおやかな笑みをその美しい顔から零していた。後ろからもう一人の子…おそらくは少年の姉だろうか、彼女もその温かな輪に加わるその雰囲気は、満ち足りた家族のそれであった。
 

―…て…めぇ…!!やりやがったな!!ホレスのくせに!!
―……。
―う…ぁあああ!!は…離せ!!離せぇええええ!!
―………。
―痛い!!痛い!!
―おい!やめろ!!

―……。
―ったく、何の前触れも無く噛み付いてくるなんてな…。
―やっぱり悪魔の子なんだろうな…けど、あの人の子だってんだから性質が悪い…。
―………。
―ホラみろ、こんな所に閉じ込められても顔色一つ変えやしない。
―……。

 ”悪魔の子”……か。…なるほど。
 …生を受けたその時から…ずっと怖れられた…と言う事…なのか。

 目の前で流れ続ける数々の情景…その何処においても皆が自分へと白い目を向けてくる。その表情も…激しい嫌悪感やひどい恐怖心が見て取れた。その元凶は…自分がこの世に生を受けた時にさえ遡る…。
 
―……あ……ホレ…ス……
―……!!
―…ホレ…ス……

 眩い紫の極光が母娘に降り注ぐ…。命を奪う脅威にさらされた二人は…その元凶たる少年…否、自分の方に見開かれた目を向け…程なくして力無くその場に倒れた。

―…リリス…、フュリー…。
―………。

 ……こ…これは…!あの時に見た……!!

―…えぇい!!また下らないものを!!

 …そうか…そういう事だったのか…。
 全てはオレ……イヤ…あいつが……

 地下室にある石の棺に横たえられた母娘の亡骸…それらは光を受けたその時のまま全く変化した様子は無い。そう…ホレスがこれを目にしたその時までも…。

―…行こう、ホレス……ゴホッ…!
―……!!
―心配…するな…。まだ…お前ならば……やり直…せる。
―………。

 そうか……。分かったよ…。
 …何がオレを惑わしているかが…な。
 
 旅立つ黒衣の男と白い髪の少年…それを最後に、視界はブラックアウトし…何も見えなくなった。
 

「…見つけたわよ。」
 気がつくと、自分は二人の守人達と対峙していた。滅びを迎える村の中…彼らは憎悪に満ちた瞳でこちらを睨みつけている。
「……やっぱり全部、てめぇの仕業だったんだな。」
「………。」
 ホレスは答えない。ただ無言で彼らを見据えるだけだった。
「…絶対に…許さない…!!私達の村を…みんなを滅茶苦茶にしておいて…!!」
「…てめぇを…殺す!そんでもって、あの世の皆に謝って来い!!」
 如何なる理由であれ、村を滅ぼした元凶を赦すつもりは無い。バースとドリスは一斉にホレスへと攻撃を仕掛けた。

ギィンッ!!

「…ちぃぃ…っ!!」
「…く…っ!!」

 その時、ホレスは自分に向けられた二振りの剣を受け止めた二本の小刀を手放し、あろう事かそれらをその手でがっしりと掴んだ。

「「……っ!?」」

 彼の思わぬ行動に、二人は剣に力を込める事も忘れ、呆気に取られていた。
  
「クロープ・ガーデ・プレンヅ・セロン・デリク・ヒンデ・ミターレラ・……ザラキーマ」

 その間に…ホレスは短い間で長い詠唱を素早く終えて…呪文を発動した。

サラ……

「…ッ!?」
「……んなっ!?」
 
 その時、二人が握る剣が急に砂と化し、地面へと落ちた。

ドドドドドッ!!!
「…ぁっ!!」
「ぬぁあああっ!?」
 更なる驚愕から立ち直る暇さえ与えず、ホレスは素早く二人の懐に潜り込み、当て身を喰らわせた。その一撃でバース達は意識を失い、その場に倒れた。
「……ふぅ。」
―…或いはあれが、今のオレの在り方を決めたのかもしれないな。
 だが…先程まで体の内にあった怒りは嘘の様に無くなっていた。それどころか…これまでで一番穏やかな気分になった気さえしていた。
―もう使えない…か。まぁ…今のオレには必要のないものだ。
 感情が落ち着くにつれて…内から湧き上がる力の存在も霧散していくのが感じられた。

 過去に…悪魔が囁くままに、憎しみに任せて人を…村の全てを焼き尽くした末に、愛する者をも手にかける事となり、嘆きのあまり…彼は声無き慟哭を上げた。
 だが今は、己が知らざる過去に在りしその様な過ちを知って尚、ホレスはそれに対して激情に駆られる事も、絶望に陥る事もなく…そして、二度の慟哭を上げる事もなかった。
 全てを知る事で…前に進む事もまた知ったのだから…。