慟哭 第十一話


「……これは…」
 その頃…ホレス達は、件の石の牢獄に戻っていた。
「ふむ…これは……酷い…。」
「…もう死んでるわね……。」
 先程まで牢を見張っていた男は、血を流してうつ伏せに倒れている。近くには折られた剣の切っ先が地面へと突き刺さっている。
「そんな事より…オーブは!?」
 だが、ホレスはその死体に目もくれず、牢の中を覗き込んだ。
「…あのガキが居ない!?」
 すると、一つの異変に気付いた。先程まで牢屋に居た黒髪の少年の姿が何処にも無い。
「……あの方も…酷い怪我をなさっている様で。」
「あの魔物達を…素手で相手に…??」
 血だらけの男が壁に寄りかかっている側で、頭と足だけのグロテスクな鳥の魔物…デッドペッカー達が牢の中でぴくりとも動かずに横たわっている。相討ちに終わったとは言え、武器も持たずに魔物を倒した大男の実力は確かなのだろう。
「……石壁は壊されている…と。ですが、これでは通れませんな…。」
 牢の隅にある小さな穴…その中から魔物が入り込んだのだろう。だが、人が入るにはかなり小さく、通るのは難しかった。
「ならば扉を開けよう。…最後の鍵…ここで役に立つとはな…。」
 ホレスは小物入れとして利用している小さな袋から、金色の小さなぜんまいの様なものを取り出した。あらゆる道を拓くもの…”最後の鍵”である。

ガチャッ!!

 それを前に差し出すと、先端が牢の扉の鍵穴へと伸びて、手応えを感じさせる音と共に、扉につながれていた錠前を外した。
「よし、行く…」

「ルカニ、バイキルト」
「…!」

ダッ!!

 牢の鍵を開けて、三人が中に入ろうとしたその時、ムーは牢全体と自分自身に補助呪文を施した後、空高く飛び上がった。

ドゴォッ!!

 そして、牢の天井へと勢い良く急降下し、その屋根に理力の杖と共に落下した。ルカニで強度を弱められていたそれは呆気なく砕け、ムーは牢屋の中へと落下した。
「………。」
 何とも滅茶苦茶な入り方をした目の前の少女を見て、三人は暫しの間沈黙した。
「こっちの方が手っ取り早い……と思ったのに。」
 ムーは不満そうにそう呟きながら…ホレスの手に握られている”最後の鍵”を指差した。初めから力ずくで牢に入るつもりだったらしい。 
「それ、何処で見つけたの?」
「…色々ありましてな。まぁ、後で話しましょう。」
「むー……。」
「まずは、オーブだ。」 
 四人は、深手を負ってその場にうずくまっている囚人の下に向かった。

「……す…まぬ、だが…最早これまで……」

「…遅かったか…」
 介抱しようと体を仰向けに起こした時、最期を悟った男の言葉に、ホレスは僅かに残念そうに首を振った。
「…オーブは…何処に?」
 だが、どの道失われる命である事には変わりは無い。残された時間で出来る限りの事を聞くのが先決であった。

「…あの少年に託した…。」

「!!」
 質問に対する男の返答に、四人の脳裏に…ここに投獄されていた少年の姿が映った。
「拙者は…あの童を守るが精一杯……」
「…生きていたのか。だが…何て事だ…」
 オーブも少年も、この男が命を賭して守り抜いたらしい。武器や防具が無いばかりか、長い間閉じ込められて、戦士としての体力すら失った状態では奇跡とも言える事だった。
「…オーブを……あやつをたのむ…」
 だが、魔物が蔓延る今のこの村で…少年一人がいつまでも彷徨っていられるはずもない。
「せっ…しゃが…いきているうちにオーブを……わた…したかっ…た……………」
 そして、彼はそう言い残して事切れた……。
「……メリッサ。」
「ええ。」
 ホレスはすぐに、メリッサに呼びかけた。少年がオーブを持っているならば、その居場所も山彦の笛で判断できる。

ギェェエエエッ!!!

 その時、けたたましい音が耳に入ってきた。
「…!魔物だ!」
 巨大かつ凶暴な山羊の魔物マッドオックスや、空を舞う怪鳥ガルーダといった魔物達が、いつしか牢の周りを取り囲んでいた。
「…こっちに…来る!!」
「…面倒。」
 次の瞬間、ガルーダ達が、ベギラマのものと思しき炎を一斉に牢の中に放った。
「…ヒャダルコ」
 それに対して、ムーは地面に氷結の呪文を放ち、氷の壁を築いてしのいだ。
「えぇい!!……こんな時に!!」
 少年が魔物の手に掛かる前にオーブを取り返さなければならない。そこに現れた闖入者達に対し、ホレスは舌打ちした。
「オレが魔物を食い止める!メリッサ、あんたは山彦の笛を!!」
 だが、今度は冷静さを欠く事はなかった。彼はメリッサにそう指示し、自身は雷の杖を振るって魔物達を迎撃した。
「ふふ、期待してるわよ。三人とも。」
「さ…三人て…おぉうっ!!私もですかい!?」
 ニージスの驚愕の叫びに、メリッサは意味深な微笑みを返して笛に唇をあてた。



『…ふん、放っておいても害は無いだろうが。…こんなチンケな村の何処を怖れてんのかねぇ、バラモス様は。』

 混乱に陥っているテドンの村を上空から退屈した様子で見下ろしながら、紫の外皮に覆われた有翼の悪魔は不満そうにそう呟いていた。
「……サ…サタンパピー……!!」
「…な…なんだよ…!!この感覚は…!?」
 侵入者…サタンパピーが気だるそうにしているのとは対照的に、村を守る若者達の間には重圧による恐怖感が漂っていた。
『で、お前が…クルアスか。』
「だったらどうする?」
 サタンパピーに名指された黒衣に身を纏った男クルアスは、ただ一人その場の空気に全く動じる様子も無く、。
『バラモス様が、てめぇを殺せ…だとさ。』
「……ほぉ?この俺を…?」
 凍てつく様な殺気と共にその様な言葉を耳にしても、クルアスは不敵な笑みを返すだけだった。
「クルアスさんを…!?…て…てめぇっ!!」
 だが、周りの者は黙っていられなかったらしく、一人が槍を手に魔物へと躍りかかっていた。

『邪魔なんだよ…ザラキ』

「「「「…っ!!」」」」
 しかし、あまりに不用意な攻撃は大きな隙となり、サタンパピーの呪文が村人達を襲った。
『塵になっちまいな!』
 死を招く上級呪文ザラキが発動し、彼らは闇に包まれた。
「う…うああああああああああっ!!!!」
「…ぬぁあああああっ!!」
「いやぁああっ!!」
「…ぉおおおおおっ!!!」
 突如放たれた死の脅威を逃れる術を持たず、若者達は恐怖のあまり錯乱して悲鳴を上げた。

「マホトラ」
 
 その時、黒衣の男がマントを翻しつつ…右手を前にかざしながらそう唱えた。 
『!』
 サタンパピーによって放たれた闇がその掌に吸い寄せられ、呪文の効果を打ち消した。
「皆、無事か?」 
 クルアスはザラキにさらされた者達へとそう呼びかけた。
「…た…助かった…。」
 一人がそう呟きながらその場にへたり込んだ。他の者はそのまま力無くその場に倒れたが、幸いにも死には至っていない様だ。
「下がっていろ。ここは俺一人でやる。」
 ザラキを受けて昏倒した仲間を残った一人に下がらせ、クルアスはようやくサタンパピーと対峙した。
『…やるねぇ。俺のザラキをマホトラで吸い込むたぁな。』
 離れ業をやってのけた呪文の使い手を実に面白そうに眺めながら、紫の悪魔もまたやっと彼に身構えた。
『っつっても、俺の足元にも及ばないけどなぁっ!!』
 
バシィッ!!

「うぐっ…!!」
 悪魔が腕を振るうと共に、黒いマントの一部が裂かれてクルアスの体を重い衝撃が走った。
『んだよ、脆いなぁ。今でも十分手加減したってのによぉ。』
 いつの間にか、サタンパピーの左手には蛇の如くしなやかに波打つ鞭が握られていた。その軽やかな動きに反して、厚手のマントの上からでも十分なダメージを与える程の代物らしい。
「ふん、だが勝てない…なんて事は無いな。」
 口端から血が滲み…体はダメージに順応しきれずによろめいていたが、クルアスは倒れなかった。それどころか…どこか余裕さえ感じられた。
『…なぁにほざいてやがるんだ?虫けらが。』
「黙れ、羽虫。」
『………言ってくれるじゃねぇか…』
 サタンパピーもその様なクルアスの様子に苛立ちを覚えたらしく、その顔をしかめていた。
「……時間が惜しい。とっととかかってくるがいい。」
 クルアスは後ろをちらりと一瞥した後、左手に握る金色の槍をサタンパピーへ向けながらそう告げた。
『時間が惜しい?…それは…アレか?…何だか向こうでも虫けらどもが騒いでやがるみてぇだけ……』
 実力を見せ付けて尚目の前の人間が戦いを挑んでくる理由…自分から見れば下らない些末事を察し、悪魔は嘲笑する様に茶化そうとしたが…

ダッ!!
 
『…っ!!?』
「言ったはずだ。…時間が無いとな。」
 いつの間にか、クルアスは槍を構えた体勢で、サタンパピーの目前まで迫っていた。
『……てめ…』
 悪魔は慌てて黒衣の魔術師を迎撃しようと武器を振るおうとした。

ザンッ!!

『…うがぁっ!!?』
 だが、金色の槍の一閃を止めるには反応が遅すぎた。サタンパピーは傷口から紫の血を流しながら仰け反り、バランスを崩した。
『く…くそ…!!』
 回避行動が幸いして致命傷には至らない。背中の翼を必死に動かし、すぐに体勢を整えた。

「アディト・ヘイタ・セロン・フィーム・ギルト・レイン…」

『んなっ!?』
 しかし、後手に回った彼を黙って見過ごす程、クルアスは悠長では無かった。
  
「ベギラマ」

 次の瞬間、彼の右手から上空へと猛火が投じられた。


「…あれは!?」
 男が唱えた聞きなれた響きの言の葉によって、空へと放たれたベギラマの呪文がその形を変えていくのを見て、ホレスは目を見開いた。
「…変則ルーンね。ホレス君が使ったのと、基本はあまり変わらないわね。」
「……これまた物凄い方が現れましたな…。」
 上級の魔物相手に優位に立っている魔術師を見て、ニージスとメリッサは彼が用いている術とそれを使いこなすだけの技量に興味を抱き、成り行きを見守っていた。
「…やはり……こいつは別格か…。」
 サタンパピーとクルアスとの戦いの一部始終を目にして、ホレスもまたその黒衣の男がもつ実力の高さを痛感していた。
「……だが、オーブとあいつは…一体何処に…?」
「この辺りのはずですがねぇ……」
 山彦の笛の音に導かれた末に辿り付いたのが、今のこの場である。


『ががががが…っ!!』
 灼熱の驟雨を真っ向から浴び、悪魔はなす術も無く地面に叩き落された。
『……に…人間如きがぁああああああっ!!!』
 激昂のあまり、彼は形振り構わず黒衣の魔術師へと躍りかかった。しかし、その攻撃が届く事は無いばかりか、金色の槍による痛烈な反撃が更にその傷を深めた。
『く…そがぁあああっ!!くたばれぇええっ!!ザキ!!』
 それでも尚怒りが収まる様子は無く、サタンパピーは今度はクルアスへ向けて再び死の呪文を唱えた。

「マホカンタ」

『…ぐっ!?』
 だが、それは呪文反射によって事も無げに跳ね返されて悪魔自身へと返ってきた。

「セラステイル・リガ・フェリス・セロン・フィーム・セパ・スティーク……」

『…ひ…!!』
 自分が放ったザキに抵抗している間に、クルアスは再び長く、複雑な詠唱を高速で唱え上げていた。

「メラゾーマ!!」

 そして、呪文が唱えられると同時に巨大な火球が出現した。それは突然収縮を始め、一本の槍の形へと収まった。
『ぐぉぁあああああああっ!!!』
 業火の槍は凄まじいスピードで投じられ、一瞬にして悪魔の体を貫き…焼き尽くしていた。

「…ふん、まだまだ…か…。」
 敵に致命の一撃を与えたにも関わらず、黒衣の魔術師は何が不満なのか…溜息をつきながらそう呟いていた。息が少し上がっており…疲労は隠し切れない様だ。

『…いつまでも…ナメてんじゃねぇぞぉおおっ!!!』

 そこに、炎の槍の縛を逃れたサタンパピーが飛び掛ってきた。
「…ちっ!!」
 その手に握られた鋭利なナイフを見て、クルアスは素早く身構えた。だが…
「……く…」
 高度な技を用いた後の極度の疲労の為か、突如として視界が歪み、彼は思わず目元を押さえて後ず去った。
 
ザクッ!!

「……ぐあっ!」
 その隙は決定的で、クルアスはサタンパピーが振り下ろしたナイフをまともに受けた。急所は外したが、それでもかなりの重傷を負ってしまった。
『そのまま…死んどけぇええええええっ!!!』
 胸元を押さえて崩れるクルアスに、サタンパピーは容赦無くナイフを振り下ろした。
「……止むを得ないな…。」
『…あ……?』
 ほんの刹那の間…クルアスが呟いた言葉に、サタンパピーの動きが一瞬止まった。
「くら…ぇえええっ!!!」
『……!!!』
 
カッ!!!!

 クルアスが力強く叫んだ瞬間、辺りは強烈な光に包まれた。


ドガァアアアアアンッ!!!

 黒衣の魔術師と紫の悪魔の決闘を離れた所から眺めていた四人は、太陽の光にも匹敵する程の眩い輝きに目が眩み、同時に巻き起こった大爆発に身を揉まれた。
「……っ!?」
 全てを押し流さんばかりの暴風に飛ばされまいとその場に膝を屈しながら、ホレスは光の先を必死に見据えていた。
「…ぬぅ……、イオナズンも凌駕する程の大爆発…しかも早い…。」
「そんな事が出来る呪文は……まさか…?」
「そうだ…!あれは…メガンテだ…!!」
 クルアスの唱えた呪文を、ホレスは確かにその耳で聞き取っていた。メリッサ達もそれを予想していたのか、その言葉に然程驚いた様子は見せず、しかし納得がいかない様子で成り行きを見守っていた。
「…馬鹿な…、何故…!?」
「些か早すぎるのでは…」
 クルアスと言う男程の術者であるならば、何も今すぐにその様な手段に頼らずとも手は幾らでもあるはずである。傍から見ていた四人にさえその事を知らしめる程の彼が、何故メガンテなどという呪文を使ったのか…。
―いや…違う…!!
 この時、ホレスだけはまた違う事を考えていた。だが…それは少なくとも、決闘の結末の事では無かった。