慟哭 第十話

「………。」
 大男と共に石造りの牢獄に閉じ込められている少年は、ただ沈黙を保ったままこちらを見据えている。
「…どうしてこんな所に?」
「…一体どんな悪戯をしたのかしら…??」
 この様な幼子を、何故牢獄などに閉じ込めているのか…村人の意思が読めず、ニージスとメリッサは顔を見合わせた。
「…ふむ、気になりますな…。…ホレス??」
 ふと、傍らに居たホレスの様子がおかしい事に気付き、ニージスは彼へと呼びかけた。
「……馬鹿な…。これは…一体……」
 だが…当の本人はそれに答える事無く、少年の存在に驚きを隠せない様子で、体を震わせている。
「…どうしたの?」
 テドンに来てからこれで何度目か…ホレスが冷静さを失っている様子を危ぶみ、メリッサは彼に尋ねた。
「…妙な感覚がする…。」
「妙な感覚…??」
 返された抽象的な言葉の意味が捉えきれず、メリッサは首を傾げる。
「…怒り…で?」 
「もちろんそれもある…十分すぎる程にな…!…だが、オレが言いたいのはそれじゃない……」
 頭が熱くなっているなりに、自己分析は出来ているらしい。いつに無く激しい怒りを内に秘めて危うい状態である事も、今感じているもうひとつの感覚の正体がそれと違う事も理解しているようだ。

「………。」
「………。」

 ふと、ニージスの目にムーがしゃがんで牢の中をじっと見つめている様子が映った。
「…何をなさってるので?」
 一体こんな時に彼女は何をしているのか…。
「にらめっこ。」
「にらめっこ…って、お前な…。」
 振り向かずにそう答えるムーを、ホレスは呆れた様子で見守った。

「…だめ、全然笑わない。」

 暫くして、ムーはそう呟きながらその場を立った。一方少年は、そんな彼女を相変わらずの無表情で見つめている。
「笑ったらきっとかわいいのに。」
「…そうねぇ…。気は強そうなのにね。」
 その翡翠の瞳にも、感情と言う感情は感じられない。だが…囚われの身であるにも関わらず、目に宿る眼光は全く衰えを見せていない。。幼くして意志の強さを得ているのか、それとも…。
「…凄い見覚えがあるのは気のせいかしら。」
「なに…??」
 身近に同じ様な人物が居る様なメリッサの口振りに、ホレスは困惑を憶えた。
 
「まるで、ホレスみたい。」

「……!」
 続けて、ムーがはっきりとそう言った事で、ようやく彼女が述べた意味が分かった。
「そうねぇ…。」
―…こいつも…か。
 メリッサが微笑を浮かべながらムーの言に頷いているのを見て、彼女もまたそう言いたかったのだ…と改めて確信した。”気が強い”と言われてもおかしくない振る舞いをしてきたのは否定できない。

「…な…貴様もホレスか!?」

 その時、牢番がホレスに槍を突きつけつつ、そう怒鳴った。どうやら自分の名に良くも悪くも聞き覚えがあるらしい。
「…武器……を向けたな?」
「……っ!!?」
 だが…その時、ホレスの底冷えする様な低い声が牢番へと向けられ……
 
カランッ……

 次の瞬間、黒い刃の一閃と共に、乾いた音が地面に鳴り響いた。
「…あの守人どもと言い…どうしてテドンの連中は…そこまで死に急ぐんだろうな…」
 差し向けられた槍を両断した赤い鍔飾りの黒い剛剣を左手に弄びながら、ホレスは右手を背負った魔杖へと伸ばした。その表情は極地の氷よりも冷ややかで、凍てつくような殺気と共に牢番へと向けられていた。
「……き…さ…ま……!!」
 敵は怒りを露わにして身を震わせるも、氷の魔神の様な雰囲気を撒き散らすホレスに気圧されて…その場に留まっていた。

「…まぁまぁまぁ。今のは槍を突きつけた彼が悪いのは明白ですが、ここで君の方から殺してしまっては…”死に急いだ”事にはならないかと。」
 
 そこで、見かねたニージスが二人の間に割って入り、ホレスを宥めた。
「ああ。確かにそうだな。」
 自衛の為ならぬ殺戮は、単なる”殺人”でしかない。彼の言葉をそう解釈すると、ホレスは特に迷う事無く、刃を収めて右手も下ろした。
「と…とにかく立ち去れ!!ここは貴様らが来る場所じゃない!!」
 穂先を斬り落とされた槍を苛立たしげに捨てながら、牢番は四人を追い返そうと声を振り絞ってそう叫んだ。


「…闇のランプでも……現れたか。」
「ですな。」
 あの後、四人はひとまずテドンの村を散策する事に決めた。目立たぬように脇道を歩きつつ、滅ぼされる前の状態を再現された村を観察していた。
「オーブまで…あと一歩と言った所か。」
「落とし穴が無ければ…ですがね。」
「そうね……。」
 山彦の笛の反応からして、オーブと思しきものはあの牢のどこか…周囲か中にあると見て良い。あの牢番がいる限りは牢に踏み入る事はおろか、ゆっくり探索する事さえままならないが…。
「しかし…さっきの子は一体何者なのでしょうな…。」
「…そうねぇ…。あの言い振りだと…ねぇ。」
 門番は確かに…「貴様”も”」…と言っていた。つまりは…

「……あの子もきっとホレスって名前…多分。」

 牢獄にいた少年も…”ホレス”という名前を持つ者と言う事である。
「ふむ…心当たりは…?」
「無い。…と言うより、だから何だ…?」
―隠し事をしているわけでは無い様で…それとも…
 敢えて答えなかったのか、それとも本当に答えようが無いのか…その返答の意義を量りかねて、ニージスは眉をひそめた。そもそも同じ名前の人物が世界の中で二人以上居たとしても何もおかしくない。
「今では何とも言えないワケで……。」
「だろうな…。オレとて気になってはいるが…いや、オレが聞きたいくらいだ。」
 ムーやメリッサをして、自分に似ていると言わしめたあの少年。だが、薄々感じさせる結論を口に出せるほど、情報は多くない。
「まぁ、あの人を強引にどけるのは最後の手段と言う事で。今の疑問を調べるのを兼ねて、少し村を探ってみますかね?」
「…そうだな。」
 情報が足りなければ集めるしかない。ニージスに頷きつつ、ホレスは村を歩む者が交わす言葉に耳を傾けた。
―…あれ以外に方法は無いと思えるがな……。だが…オレは何故…あの様な小物如きに殺意を憶えた……??
 牢獄を守る牢番の男…探し求めている物を手にするのを邪魔する…それだけで、十分鬱陶しい存在ではあったが…
―……らしくない。
 常の自分ならば、行く手を阻み、命を脅かす者達をやむなく斬り捨てる様な事こそあれ、好んで殺す様な事は全く無かった。それだけではない。怒りという感情が短期間に何度も強く顕現する事も珍しい。ただテドンの村に居るというだけで………。
―…テドンという村が滅びたという情報が入ったのは確か十年程前、となると…あながちありえない話ではありませんな。
 一方のニージスも、内に浮かんだ疑問について思案に耽っていた。
―しかし…君は一体何者なのでしょうな……?
 どの様な経緯があったかは知る由も無いが、あの少年が成長した姿がホレスであるとするならば…彼は夜にしか存在できないあの少年と同一の存在たりえるのか…。或いはテドンの再現界の現象が全てを忠実に再現しているだけなのか…。いずれにせよ、ホレス自身も知らない真実が単なる探求先のこの村で奇しくも見い出せそうな事に対し、ニージスは不安と期待が入り混じった心情を抱いていた。


「…急げ!!魔物はもう近いぞ!!」
 遠くに上がる土煙が向かい風に流されてこちらへと至る。多くの足音が不快なリズムを刻み、厄介者の到来を告げた。
「罠は張ったか!?」
「大丈夫だ!…だが、クルアスさんはどうしてこっちに居ないんだ…?」
 準備は整った。だが…肝心の頼れる男の姿が無い事は、村人達を動揺させるに十分だった。
「もっと大きな敵が来るって話じゃなかったの?クルアスさんはそっちに向かったはずよ。」
「あ…そう言ってたっけか…。仕方ねぇ、俺達だけで食い止めるぞ!!」
 しかし、事情が伝えられるなり彼らは落ち着きを取り戻し、目前へと迫った魔物の群れを迎え撃つべく身構えた。
「…まぁ、あのガキが居ないだけ清々してるけどよ。」
「……だよなぁ…。何だよ、あの人にケンカ売ってる様な目は。つーか…でしゃばりやがって邪魔だってんだよ。」
「違ぇねぇ。」
 戦と言っても過言で無い程の大規模な魔物の掃討を前に、他愛も無い会話が交わしながら、ある者は弓を手に取り、ある者は呪文の詠唱を始めた。
「………やっぱし、…”悪魔”なんじゃねぇの?あいつ。」
 誰かが矢を番えながらそう呟いた時、村中を囲んでいた木の柵が、砕ける音と共に宙を舞った。


「……どうやら魔物の襲撃の時の様で。」
 村を囲む柵の随所が破られて魔物やシャーマン達が次々と進入してくる様子を見て、ニージスはのん気にそう呟いていた。
「…終わりが……近いわね。」
 気配を察知する事に堪能ではないメリッサにも、この村を襲う魔物の数が尋常では無い事は容易に読み取れた。
「……時間が無いか。だが、これほど事態が大きく動いてくれる時もそう多くは無い。」
 テドンの滅びの刻は確実に近づいている。自分達もそれに巻き込まれてしまうかもしれない…にもかかわらず、四人は思いの外冷静だった。
「もう一回行ってみる?」
「ああ。」
 今の変化によって、牢屋の方も事が動いている可能性がある。…最も、それを期待するのも人間として不謹慎であるのかもしれないが。
「…しかし、下らない…。」
「…?」
 ふと、ホレスが不機嫌そうに毒づく様が気になり、三人は彼の方を向いた。
「何が…”悪魔”だ…馬鹿馬鹿しい。それこそ…”エルフ”がのぼせやがっているのと同じ事だ。対象は逆だがな。」
 怒りに満ちた言葉がその口から紡がれた。事変直前に交わされた村人達の会話の内容が気に障ったらしい。エルフ達が自身を”妖精”と称するのと同じ様に、人が人を”悪魔”と蔑む事も…ホレスには聞いていて不愉快だったのだろう。
「…おぉう…。本人達の前でそれを言わない事を願うばかりで。エルフが…彼らが強い魔力を有する事は事実ですからな。」
「ふん、強い力をもっていようが、その使い方を知らない素人に何を恐れる必要がある?第一、実際に…象と蟻程実力に差があるわけじゃないんだ。それがたとえ戦士として特化したものであったとしてもな。」
「実際に…って、おぉう!?やりあったので!?」
 大きな力の差を持つ相手にも怖れずに向き合える彼の無茶振りを会話から察し、ニージスは驚きのあまり素っ頓狂な声を上げた。
「…馬鹿を言うな。降りかかる火の粉を払っただけの事だよ。メラゾーマも、命中しなければただの迷惑な炎でしかない。」
「……はは、君の場合…それが余計なトラブルを呼び込む事もあるワケで…。」
「放っておけ。」
 ホレスはニージスの忠告に眉を潜めたが別段否定はしなかった。自分が生来持つ、不器用で手向かう相手には容赦無い姿勢が報復を多く招いたのもまた事実だからだ。
「しかし、…やはり君は正義感がやたらと強いですな…。」
「…何故そう思う…?」
「人助けは喜んでしているでしょー。最近じゃヤヨイという子をこっそり助けたのもそうでしょうし。」
 生贄と言う理不尽な死に窮した少女を助けた件…。赤の他人とあまり関わりたがらないホレスが珍しく個人へと手を差し伸べる行動に出た良い例だった。
「…おいおい。オレは自分の心に従って行動しているだけだ。正義でもなんでもない。下らない後悔なんか残したくない…それだけだ。」
 ”情けは人のためならず”と言った所か。人に手を貸すのも、あくまで自分のためにやっているに過ぎない…とホレスは言いたいらしい。
「まぁ、レフィルやムーの面倒を見ているあたり、全くの自己中心ではないとは思えますがね。」
 普段からお人よしとも取れるそんな数々の行動から見ると、ホレス自身が半ば否定している人に対する情の存在が感じられる。その様な胸中からか、ニージスはホレスに対してそう言った。

「利用しているだけだ。」

 すると、彼は語気を落とした低い声でそう返した。
「……おや?」
 意図が読めぬ突然の彼の言葉に、ニージスは首をかしげた。
「あいつの”勇者”という肩書きを利用して、様々な恩恵にすがろうというんだ。それに合った働きをしているだけだ。」
「…ふむ、然様ですか。」
―…まぁ、それならば何故自分の命さえ惜しくない程に、躍起になって彼女を守ろうとするのでしょうな?
 意地や見栄がある者に関して言えば、言動と行動に矛盾を感じる様な事はあまり珍しい事ではない。だが、寧ろ実直な性格が強いホレスに対してその矛盾を見せる元は一体何であるのか…。

「……私も、利用しているの?」

 その時…ムーが、ホレスを真っ直ぐに見据えながらそう尋ねていた。
「ああ。」
 ホレスは、彼女から目を逸らす事も…声を曇らせる事も無く、真っ向から肯定した。
「………。」
 素っ気無く答えた彼を責める訳でもなく、ムーはただ俯いた。だが…その顔に悲しげな表情がはっきりと映し出されているのは、この場の誰も知る由が無かった。 


「イオナズン!!」

ドガァアアアアアンッ!!!

 魔物の群れに向けて、最上級呪文が放たれた。罠に足を取られた魔物達にその呪文が引き起こす大爆発を逃れる術は無く、多くの命が虚空へと散った。
「……ぬぅ…打ち止めじゃ…」
 呪文を放った初老の男は、疲労した様子で槍を杖に片膝をついた。
「だが…効いている……か!?」
 今の一撃で片付けば一番ありがたいが…。皆は、爆発が巻き起こした土煙の方に注意を向けていた。
 
「…!来たぞ!!」

 案の定、突進が止んだのはほんの一時の事でしかなかった。
「ぬぅ…!防ぎきれなんだか!!」
「でも、数は減っている!!」
 確かに、全員が無事にイオナズンの呵責を耐えたわけでは無く、生き延びた者もかなりの手傷を負っている。だが…尚も手向かう魔物の数は、ほんの十数名の守り手達の手に負えないのは明白であった。
「一人も逃がすな!!全員皆ぶち殺せ!!」
「エリザとウィンディの仇だ!!」
「…これ以上やらせてたまるかよ!!」
 それでも、彼らは負けられぬ想いを胸に抱き、死への恐怖を払拭して絶望的な戦いへと赴いた。
「……らぁっ!!」
 一人が身の丈ほどもある大剣を振り回し、数体の魔物をまとめて薙ぎ払った。斬られまいと身を刃から逸らした者も、その刀身の重量自体を受け止める術は無く、後ろへと吹き飛ばされた。
「……細切れにしてやるよ!!バギマ!!」
「燃え尽きなさい!!ベギラマ!!」
 後ろに控えていた村人達が、追い討ちをかける様に呪文による攻撃を仕掛けた。灼熱の波と巨大な竜巻がこの場を蹂躙し、仇名す者達へと牙を剥いた。だが……
「くそ!!…クルアスさんが居ないと…」
 怒涛の如く迫り来る蠢く者達には焼け石に水でしかなかった。呪文による脅威が去ったその時、再び村人達に魔物の群れが襲いかかった。
「弱気になるな!!ここで一人でも通してみろ!!お前の家族はどうなる!!」
 だが、守るべき者達が居る限り…彼らには退く事は許されなかった。

「…ぐあああああああっ!!」

 そんな彼らをあざ笑うが如く、断末魔の悲鳴がその場の全員の耳に届いた。そちらを見やると、先程イオナズンを放った老人が魔物の攻撃を受けて、血だらけになって倒れていた。
「お…おっさん!!」
「馬鹿!!右…」
 いつの間にか、前線を守る村人達は魔物に取り囲まれていた。不意に飛んできたいくつもの矢によって、隣に居た仲間は針鼠の様になって絶命し、彼もまた致命傷を負った。
「く……くっそぉおっ!!」
 仲間を失い、自身も深手を負った守り手の若者に…最早道は無かった。直後…風前の灯が見せる最後の炎の如き輝きが…絶大な力の流れと共に、辺りを破壊へと導いた。


「…シェードぉおおおおおっ!!!!」
 近くで男が自己犠牲呪文を唱えて壮絶な最期を迎えたのを見て、女は悲痛な叫びを上げた。
「ば…馬鹿野郎ぉおおっ!!!メ…メガンテなんか…!!!」
「…シェード…シェード……!!」
 哀しみにくれている時間はそう長くは続かない。だが、抑えきれぬ感情を爆発させるには十分過ぎた。
「……絶対負けねぇ…!!…あいつらの為にも…絶対守りきるぞ!!!」
「…許さない……!皆…殺してやるんだからぁあああっ!!!」
 死して道を切り拓いた仲間の為に、恋人を失った事への復讐の為に、彼らは魔物達へと立ち向かっていった。