慟哭 第九話


―……。
―て…てめぇ!?
―な…何でこんな所に居やがるんだ!?

「……く…」
 ぼんやりと…光が目に当たるのを感じ取り、ホレスは夢から覚めた。そのまま身を起こして、体を軽く伸ばした。
―…何だったんだ、今のは…。
 その場にいるものの殆どが、自分を歓迎していないどころか…敵意さえ向けてくるという、見ていて気分の悪い夢だった。そして…最後の耳障りな一声と共に生じた焦燥感…、光景は漠然としていて思い出せないが、それも良からぬ事を示唆するものなのか……。
「むー……」
 色々と思索していると…隣のベッドで、少女の呻き声が聞こえてきた。
「…おはよう。ホレス。」
「……起きたか。」
 そちらを見ると、布団の中に埋もれている…ムーの姿があった。苦労の甲斐あって、ベッドから転げ落ちてはいないようだ。
「気分はどうだ?」
 ホレスは眠そうに目を擦っている彼女へとそう尋ねた。ちなみに彼自身は、昨日の心身の激しい疲労感の殆どが無くなっている事から、悪夢を見た割には熟睡は出来たと実感していた。
「…全然。嫌な夢を見た。」
 幾重にも重ねられた布団を事も無げに持ち上げて脇へと放り投げながら、ムーはそう返した。一応体力は回復しているらしい。
「お前もか?」
 ”嫌な夢”…内容こそ知れなくとも、二人共悪夢を見るというのもいつも起こる様な事ではない。
「変な空気が辺りを覆っている。きっとそのせい。」
「…変な空気?」
「…魔力に類するもの。それが感覚を狂わせるのもしばしば。」
「まぁ…そう考えてもいいか。だが、オレ達が寝ている間に一体何が起こったと言うんだ…」
 寝室を覆う空気は、よく掃除された部屋がもつ清潔なものから埃臭いものへと変わり、他にも随所で大きな変化が見られた。特に床の傷みが顕著に見られていた為、ホレス達は足元に注意しながらそっと歩きつつ部屋を出た。
 

「おや、起きられましたか。」
「おはよう、ホレス君、メドラ。」
 早朝であるにも関わらず…鳥のさえずりさえ聞こえない不気味な静寂に包まれた…食堂”だった”場所で、ニージスとメリッサは目覚めた二人を出迎えていた。
「…ああ。夜遅くまですまなかったな。」
「ふふ、退屈しなかったから大丈夫よぉ。」
 自分の代わりに、辺りの変化を見張っていてくれた二人にホレスが礼を言うと、メリッサはどこか意味深な含み笑いを浮かべた。ニージスもそれに共感した様に笑いながら頷いていた。
「それより何か進展あった?」
 直後、メリッサは突如としてホレスにそう尋ねた。
「進展?…何の事だよ?」
「…あら?やっぱり何かあるのね?」
 誤魔化すわけでもなく、事も無げに答えを返すホレス…だが、その素っ気無い言葉を別の意味…その意図を隠していると受け取り、メリッサは更に興味深そうに彼に詰め寄った。
「……知るか。…何度ベッドから転げ落ちれば気が済むんだよ…こいつは…。」
「そっち?…なぁんだ、がっかり。」
 呆れた様な、疲弊した様な…そんな余裕の無い話し方からして、ホレスは嘘を言っていないのだろう。それでも、全く以って手応えの無い彼の言葉に、メリッサは残念に思いながらもどこか滑稽さを感じて苦笑した。
「………。」
「メドラ?」
 その時、彼女の眼下に自分よりも二回り程小さい少女が何かを言いたそうに見上げてくるのが見えた。
「…でも、寝る前まで側にいてくれた。」
「まぁ!」
 直後、その口からポツリと告げられた言葉に、メリッサは実に嬉しそうな様子で席を立っていた。
「やっぱり優しいのねぇ。ふふふ…。」
「……離れられなかっただけだ。…こいつの力、一体どれだけあるんだよ…。」
 メリッサが屈託の無い笑みを向けてくるのに対して、ホレスはそのわざとらしい勘違いにうんざりした様子で机に突っ伏しながらそう毒づいた。
「ふむ…。流石にドラゴラムの使い手ですかな?」
「……。」
 本気で掴まれるとホレスでも逃れられない程の膂力、そんな力をその少女の華奢な体の何処に持っているのか…。ダーマでの修行が如何に過酷なものであったとしても、その細腕にそれだけの力を持たせるのは至難の業である事には違いないだろうに…。
―ますますわからん…。
 旅を続けている内に素性は大分判ったが、何をしでかすか全く読めない所は相変わらずだ。思えばまだ、彼女について肝心な事を知らない様な気がしてならなかった。


「…おかしいな。」
「そうねぇ…。」
「ふむ……昨日は反応があったはず…。だが…」
「…今は無い。」
 静寂の中、四人は暫しの間…ただその場に立ち尽くしていた。メリッサの山彦の笛の音は、返る事無く虚空へと消えていた。更には彼女曰く、夜の時に辺りを覆っていた魔力の乱れも今では消え失せている事も、音色から分かったとの事らしい。
「…山彦の笛が壊れたわけでは…」
「それは無いわ。…第一、新品なのにそう簡単に壊れるワケ無いわよぉ。」
「新品…?」
 夜には返って来たはずの”山彦”が今は無かった事を疑問に思いニージスが零した言葉に対して首を横に振るメリッサの言動がふと気にかかり、ホレスは思わずそれを反芻していた。
「ええ。だって私がずっと持ってたのは船長さんが無くしちゃったみたいだし。」
「…アヴェラが…?」
「でくのぼう…」 
「ほぉ…それは初耳ですな。…なぁるほど…。」 
 悪名高い海賊団の船長が持つ意外な一面を聞かされ、三人が三者三様の反応を示す様に、メリッサは苦笑した。


「…ゴホンゴホン!!…誰だい?アタイの悪口言ってるヤツは?」
 その頃、樹海の中にある小さな小屋の寝室で、一人の女性が咳き込みながら目を覚ました。
「…やっと目ぇ覚ましたか…。てか…悪口って…。」
 くしゃみではなく咳で悪口を嗅ぎ付けると言うのも可笑しな話だ…と思いながらも、たまたま近くにいた痩身の男…バースは彼女へと向き直った。
「…ん?誰だい?…と言うか、アタイ、生きてるみたいだね。」
「ああ。つーか…えらくピンピンしてたぜ。…ホントに重傷だったのによ。」
 ここに運び込んだ時は、ニージス達も含めて一番深い傷を負っており、一時は生命の危険さえ予測できた程だった。
「…ありゃ、そりゃあすまなかったねぇ。…アンタ達がベホマでもかけてくれたのかい?」
「……まぁ、そんな所だな。」
 実際回復呪文を施したのは一緒に助け出した赤い髪の麗人で、自分達ではない。そんな彼女も…テドンの村にて出遭った長年の怨敵と知己だと知り、彼らは複雑な心境を胸に抱いていた。
「…しかし、ここは何処だって言うんだい?…まさか、地獄とか言わないだろうね?」
 彼女がさり気なく発した言葉に、バースは視線を逸らして…その表情を曇らせた。


「……昨日はこちらから聞こえてきたな。」
「ふむ…私達には分かりませんでしたが…君がそう言うならそうなのでしょう。」
 ニージス達は、ホレスの後をついて…テドンの村の外れまで来ていた。
「……牢屋、みたいですな。」
「…そうね。」
 そこにあった石造りの頑丈な作りの独房を前に、四人は暫しの間足を止めていた。
「…囚人がいた様だな。」
「……ふむ、閉じ込められたまま…ですか。哀れな…。」
 錆び付いた鉄格子ごしに見える白骨死体が見える…。囚われて動けぬまま滅びの時を迎えてしまったのだろう。
「……ん?何か書いてあるな。」
 石壁が崩れた部分から牢の中へと入ったホレスは、ふと…壁に何やら文字のようなものが刻まれているのを見た。


 生きているうちにオーブを渡したかったのに…


「…オーブ…だと!?」
 崩れかけた文字には確かに”オーブ”の名がある。ここまではっきりと書かれている…と言う事は、足元に骸を残している者は、オーブについて知識があると言う事か…。
「……まさか!」
「…なんと!ここにあったと!?」
 ニージスとメリッサもまた、死者が遺した最後のメッセージを目にして驚きを隠せずにいた。
「今は無い…?…とすると、あの時聞こえてきたのは…??」
 牢をくまなく探してみたが、オーブらしき宝玉は見当たらなかった。しかし、夜には確かに”山彦”は聞こえている。その時には存在しているとすると…
「夜にはオーブが実体化していた…。それと反応した…と考えても良いですかな?」
「……うーん、そうなるかしらねぇ。」
 宿屋の主や内装が、急に実体化した事から、夜には人物やその他の物質が現界すると言う事が読める。それも過去の状態を再現した状態で…。
「…もう一度夜を待ってみるか……?オーブもその時に実体を持つと言うのであれば…。」
 ならば、オーブもまた…夜の内にのみ存在しているとするのが自然だろう。
「…そうねぇ。だったらラナルータ使ってみる?」
 ホレスの提案に乗り、メリッサは昼夜逆転の呪文…ラナルータを唱えようと、意識を集中し始めた。
「……いや、待てよ…?あれならば…」
「…む?」
 ふと、何か思い立ったのか、ホレスが呟くのに対し、他の三人は彼を不思議そうに見た。
「闇のランプだよ。…まだこの村に残っている様ならば…」
「ああ、なるほど。…それで本当に夜をもたらす事が出来ると言うのであれば…。」
 もう一つの探し物、”闇のランプ”の名が出てニージスは納得したように頷いた。
「ふふ、面白そうな話よね。」
「…面倒ではあるがな。まぁ、一応…あいつが探している物だからな。」
 どの道サイアスが求めている物の真価はいずれ知らなければならない。偽物であればそれまでの話だが。
「……よし、じゃあまずは闇のランプを探そう。」
 四人は手分けして、テドンの村の中を探し回り始めた。


「……随分薄汚れたランプだな。」
「こすってみたら何か出て来るかしらね?」
「…何を馬鹿な。」
 拾い集めてきたランプを囲んで、ホレス達は広場の中央に佇んでいた。今はそのランプの中から、目ぼしい物を取り出して…皆で観察している所だった。
「………ふぅん、変な所で凝ったつくりねぇ。随分ボロボロな事には変わりないけれど。」
「そうみたいで。」
 一部が崩れかけていて、既にランプとしての役割を果たせるかどうか怪しいものがあったが、その面影から…芸術性はともかく趣向が凝らされている事が見て取れた。
「…火、灯してみるか?」
「ふむ…では、そうしてみましょう。」
「そうね。」
 二人が頷くのを確認すると、ホレスはランプの中に油を注いだ。
「メラ」
 次いでムーが呪文で火を起こして、ランプに着火した。
「……さて、何が起こるか…。」
 今の所…ランプの先からは、何の変哲も無い赤い炎が静かに揺らめいている。それがこの先どう変化するのか…四人は固唾を飲んで見守っていた。もっとも…これが普通のランプであるならば、そのまま何も起きないのだろうが。

「…!」

 暫くして、ランプに変化が起こるのを感じ取り、誰かが身じろぎした。
「……これは…。」
―炎の色が…変わった…??
 先程まで赤く彩られていた炎が…内側から徐々に藍色へと染まっていくのが、四人の目に映った。
「もう…ただの…炎じゃないな。」
「ですな。」
 研究室などでよく見かける、空気を存分に吸った青い炎とも全く別の物であると感じさせられる闇色の炎は、風に吹かれる事無く穏やかに燃え続けていた。

「…煙が…出ている。」

「…ん?」
 不意に、ムーがポツリと呟きつつ上を眺めている所を見て、ホレスもそれにならい空を見上げた。
「……空が……」
「煙に覆われていく……。」
 ランプから立ち上った煙は…渦を巻くように空に伝播し続け、やがて…
「夜の帳そのものを…。ラナルータ…とも違うわね…。」
 空に佇む太陽さえも覆い隠し、辺りに陰を落とした。
「これが…闇のランプ……か。不思議な気分だな。」
 太陽がまだ見える時間であるにも関わらず、視界に映る光景は夜のものとなりつつあった。
「皆既日食…に近いか…、それとも…」
「ふむ…祭器と言うにも…縁起の良い道具ではありませんな…。」
 太陽が徐々に欠けていき…やがて完全に覆い隠されるという、宗教的な観点からも忌み嫌われてきた現象を起こしているランプが一体何のために作られた物なのか…。

「見て!」

 ふと、メリッサが強い語調で呼びかけてくるのが耳に入り、三人は彼女が指差す方を見た。 
「…村が…!」
 それはまさに、”魔法”による所業だった。光が失われるにつれて、無味乾燥な廃墟に生気に溢れた風の匂いが立ち込めて、やがて完全に闇に包まれた時、いつの間にか現れた篝火に照らされた村が現れているのを目認できた。
「…これが…テドンの村……」
「夜にのみ存在する村…ですか…。」
 死に絶えたはずの村人達が、槍を手に辺りを巡回し…厳戒態勢を敷いている。
「…もしかして、オーブも…」
「そうね…。もう一回吹いてみる?」
 滅びる前の姿に戻ったテドンの村…。昨夜と同じそれであるならば、山彦の笛の反応も……。メリッサは皆が見守る中、今一度…笛を奏で始めた。
 
 澄んだ笛の音は村中に響き渡り、見張りに勤しむ村人達を聞き入らせてその足を止めた。
「…久しく聞かない音だな…。」
「ここに来た旅人さんのものらしいですね。」
「ああ。その様だな。」
 別段怪しく思う事無く、クルアスは彼らと共に、流れ続ける美しい音色に心身を委ねていた。
「……ほぉ、山彦…か。」
「山彦…?」
「そんなんここで聞こえますかね…??」
 クルアスの突然の呟きの内容に、若者達は首を傾げていた。
「…それと、……もう一つ…これは……いかんな……」
「…もしや、例の魔物…ッスか?」
 クルアスは答えなかった。その顔には既に、笛の音に酔い痴れている様子は見られなかった。


「……!」
 その耳に”山彦”の音が入り、ホレスは目を細めた。
「…山彦が!」
「ええ!」
 ニージスとメリッサもその音を聞き取ったらしく、声を上げていた。ムーも目線を上げて、音が返って来た方をじっと見つめている。
「…さっきの牢の方から……!」
「よし、行くぞ!」
 四人は”山彦”が帰ってきた方向を目指して歩き出した。
「…夜にならないと実体化しない…と。」
「…そうねぇ、折角手に入れても、朝になったら消えちゃうかしら?」
「その時はその時…だな。」
―そうなると…あの子の目的もここで終わってしまう事になるがな…。
 オーブは夜の間にしか存在しない…とするならば、朝になってしまうとまた無くなりはしないか…と考えるのが自然である。つまり、テドンにオーブが存在するとして、その様な状態にあるとすれば、永久にそれを手にする事は叶わない。その事実を…ホレスは既に明確に理解していた。


「…何だ貴様らは?」

 山彦の笛の音を頼りに辿り付いた先で、一際頑丈な装備に身を包んだ男が、四人の目の前に立ちはだかった。 
「…おぉう、これは盲点でしたなぁ…。」
「そうねぇ…。」
 そこはあの石造りの牢屋の前だった。となれば…牢番の一人や二人もまた、実体を得ていたとしてもおかしくは無い。
「ここは牢獄だ。貴様らの様な余所者が来る場所ではない!早々に立ち去れ!!」
 そして…行く先を阻んでいる。この先に、探し求めている物があるが、彼が立ち塞がっている以上…先には進めない。
「…だって。どうしましょう?」
「…ふむ、わいろで通してくれる様な融通の利く方でも無い様ですし。」
 村中が慌しい中でも、この牢番は持ち場を離れず、厳重に囚人を見張っている。それだけ責任感の強い人間に、小細工はやるだけ無駄だと悟り、ニージスは首を振った。

「…ふん、どうせこいつらは元々死んでいる身なんだ。…いっそ…」

「…!」
 その時、不意にホレスが発した言葉と共に、底冷えする様な悪寒をその場の全員を襲った。
―な…なに……??この……異様な感覚は……
 ホレスのいつもと変わらぬ仏頂面の表情から…深淵の如く底知れぬ不気味な何かを感じ取り…メリッサは彼の様子が明らかにおかしい事を察した。
「いっそ…、なに…?」
「…決まっているだろう。」
 うめく様に尋ねたメリッサの言葉に、ホレスはそう応じつつ…腰に差したナイフへと手を伸ばした。
「…ま…待った!ホレス!」
「…ど…どうして…??あなたらしくも…」
 ”死んだ身”であるならば、殺した所で何ら変わりは無い。ホレスが言いたい事をはっきりと理解した二人は、慌てて彼を止めようとした…

「………。」
 
「「……!!」」
 だが、射殺さんまでの凄絶な視線を無言のまま向けられて、…それだけで思わず立ちすくんでしまった。
―……邪魔をすれば……
―殺される……!!!
 向けられた視線は…まさしく”殺気”そのものだった。ここで悪戯に干渉すれば、有無を言わさずにその命を奪われてしまうと感じさせる程であった。
―だが…一体何故!?いずれにせよこのままでは……!!
 常に最悪のシチュエーションを想定しながらも、出来るだけ無難な道を行くのがホレスの特徴であり、望んで命のやり取りをしようという今の彼は…まさしく彼でない。そして…その様な道を歩ませるわけには行かないが………

ぎゅっ…

「……。」
「…ムー……!」
 その時、ホレスの服の袖を、白く小さい手が力強く握り締めた。それを見てホレスは低い声で唸った。
「……だめ。」
 しかし、それにも全く動じず、ムーは真っ直ぐにホレスを見据えながら、宥めるようにそう言った。
「………。」
―オレは…一体何を……。
 暫しの間、ホレスはニージス達に向けたものと同じ目をムーに向けていたが、途中でふと…そう思い、目を閉じて嘆息した。同時に…彼が発していた殺気は嘘の様に霧散した。
「……ふぅ、落ち着かれましたか?」
「ああ。全く…また馬鹿な事を考えたもんだ…。」
 ようやく普段に戻ったのを見計らってのニージスの気遣いに軽く返答しながら、ホレスは不機嫌さを露わに首を振った。

「…な…何の事だかわからんが…そ…早々にこの場を去った方が身の為だぞ…!」

 ふと、近くで明らかに動揺した声が自分達へ向けられた。ホレスの殺気にあてられたのは彼も同じらしい。
「口の利き方に気をつけるんだな。…何故だか…オレは貴様を殺したくて仕方が無いんだ。」
「……っ!!」
 事も無げに告げられた恐ろしい言葉に気圧されて、牢番の男は思わず後じさっていた。
「まぁ…今はその様な下らない事をしている場合じゃない。」
 そんな彼を横目に、ホレスは牢の中を覗き込んだ。 

「…なっ!!?」

 すると…すぐに彼は、驚愕を全く隠せない様子でそううめいた。 
「…!?…どうしました?ホレス?」
 ホレスが牢の中を見てうろたえているのを不思議に思い、ニージスも続いて牢の中へと目を向けた。
「これは…?」
「……なに…?」
 牢の奥に佇んでいるのは…ボロボロの衣服に身を包んだ大柄の囚人であった。病にでも臥せっているのか…顔色が悪く、その体を床に横たえて眠っている…。
「……お…お前は…!!?」
 だが、ホレスの視線は彼のすぐ真下に向けられていた。
「……あなたは…??」
 ムーもまた…しゃがみ込んでそれをじっと見つめていた。
「……男の子?」
「……………。」
 言葉の一つも発する事無くそこに佇んでいたのは…四、五歳程の幼い黒髪の少年であった…。