慟哭 第八話


「……魔物の…襲撃か…。」
 ホレスは、その一連の会話を宿屋の中から聞き、一言そう呟いていた。その言葉を聞いて、メリッサとニージスが彼の方へと向き直った。
「ほぉ、そう聞こえてきましたか。」
「ああ。…傍から聞いていると変な話だよ。どうやってそんなものを予知したと言うんだ…。」
「…はっは。その辺りはあまりよく知らない様で。まぁ大掛かりな技術を求められていない様ですから興味無かったのかもしれませんが。」
「…だが、正確に知る様な方法は無いはずだろう…。」
「ふむ、確かに。まぁ、それはこの村が僅かな情報も見逃せない状態にあると考えては?」
「そうよねぇ。どうみてもお祭りって感じではないものね。」
 先も宿屋の男が”魔王の襲撃”がある、と述べていた。流石に”魔物の王”が来ると聞けば、多くの者達が気が気でいられないのも頷ける。それでも…どうにかその脅威に備えようと出来るのは、クルアスなる一人の実力者が積極的に動いているからに他ならないだろう。
―…”英雄”…か。
 クルアスの事を宿の男はそう称していた。英雄と呼ばれるものが、如何に皆の心の支えとなるのか…。
―レフィル……。
 ”勇者”としての肩書きを背負わざるを得なかった一人の少女…。その名は未だ世界に知れているとは言えずとも、少なくともアリアハン国内においては皆の”希望”として讃えられる存在となっている。その崇拝者がやがて世界各国へと移った時、今度こそ引き返せなくなる。その時彼女は何を思うだろうか…。
「……ときに、傷の具合は如何なもので?」
 思案に耽るホレスの耳に、ふと…ニージスがそう尋ねてくるのが届いた。
「…悪くない。オレは元々傷は浅かったからかもしれないが。」
「然様ですか。でも君も随分お疲れの事でしょう。」
 あれだけの戦いがあったにも関わらず、然程の回復も必要なくここまで来れたが、一方で…何度も怒りを感じさせるものに遭い続けて、心の方がかなりの疲労を溜めている…。今のホレスの状態から、ニージスはそう感じられた。
「……だが、こんな状況だ。休みたいのも山々だが…警戒は怠れないだろうな…。」
 一時の幻覚とはいえ、これから魔物が襲撃をかけてくるという事態にあるのは一連の話でわかっている。それが村を滅ぼすに足るものであれば…自分達も無事では済まないだろう。

「それなら私達が注意を払っていれば問題無い事でしょー。その間君はゆっくり疲れを癒すとよろしいかと。」

「なに…?…っ…!」
 自分が吐いた少しばかりの弱音に対する突然のニージスの提案に、ホレスは一瞬唖然としていたが、急に目前の光景が歪み、体の自由が奪われるのを感じた。
「例え切迫した事態だとしても、君達には休息が必要なはず。今少しふらついたのも…」
「だが…」

「あら?それって私達を信じていないって事?」

 よろめきながらも…ニージスの言に反論しようとしたホレスに…メリッサは妙に柔和な笑みを浮かべながらそう尋ねた。自身への評価に不満でもあるのか、彼女が辺りに振り撒いている…底冷えする様な雰囲気に気圧されて、ニージスは薄ら笑いをしながら後じさった。
「…知るか。自分の身は自分で守ってきた生活が長かったと言うだけの事だ。」
 だが、ホレスはそれに圧倒される事も無くそう返した…
「…流石に最近ではそうもいかないが…。」
 …が、何か思い立ったように一度顔を上げた後、首を振りながら弱々しくそう付け足していた。決して自力だけでここまで来た訳ではない。今回も、ムーが自身の傷を顧みずにベホマを施してくれなければ、ただでは済まなかったかもしれない。…そう自覚したからこそであった。
「分かっておいでの様で…。」
―まぁ…お互い様…何ですがね。特にあの子は…ね。
 逆に、ホレスが己が身を省みずに道を切り拓く事が無ければオーブを手にする事はおろか、手掛かりも掴めぬままで…レフィル一行が前に進む事は難しかっただろう。
「まぁ…ムーと一緒に存分に休まれると良いでしょう。」
「そうよぉ、あの子もきっと喜ぶわよ。」
「…なに??」
 この時…休息を促す二人の言葉に、ホレスは引っ掛かりを感じていた。
―一体何だ…??
 ムーも、今でこそメリッサのベホマで癒えているものの…自分の代わりに傷を負ったまま強行した疲労が溜まっている。共に休む事自体は異存は無かったが、やけに”ムーと共に”と言う所を強調されている様に感じる理由が解せず、彼は首をかしげた。


「…お前があれだけの傷を負うとは思わなかったな。」
「でも、メリッサのベホマで治った。」
「……まぁ、反動は大きい用だが。」
 その後…ホレスはニージス達が勧めた通り、寝室へと足を運んだ。ムーは既に、寝巻きに身を包み、布団の中に包まってベッドの中に横たわっていた。
「気分はどうだ?」
「…眠い。」
「……だろうな。」
 傷跡こそすっかり元通りになっていたが、その回復によって消費された体力はすぐには戻らず、それを取り戻すには十分な休息が必要である事は他人目から見ても明らかだった。
「ゆっくり休んでおけよ。…少し前まで怪我人だったんだからな。」
 眠たそうに目を瞬かせているムーにそう告げながら、ホレスはその場を後にしようとした。

ぐいっ!!

「……ッ!!?」
 その時、不意に強い力で腕を引っ張られて、彼はベッドの方に引き寄せられた。
「な…!?ムー……!!?」
「………。」
 振り返ると…赤い髪の少女が、こちらをぼーっと見つめながら、両手でこちらの腕を掴んでいるのが見えた。
「…行っちゃ、ヤダ。」
「…お…おい!何言って…」
 小さく弱々しく…それでいてはっきりとした口調で押しとどめようという意思を伝える言葉に、ホレスは慌てた様子で手を振りほどこうとした。
―外れない…!?
 しかし、堅牢な鎖の如く、少女の細腕は…その外見から想像を絶する力でホレスをしっかりとその場に留めていた。
「……一緒に…いて…。」
 それだけ言うと、ムーは目を伏せて…寝息を立て始めた。
「……。しょうがない奴だな…。」
 そんな彼女の姿にホレスはもはや動揺する事も無く、呆れた様子で溜息をついた。
―お前…女って自覚まるで無いだろ…。
 男ばかりのカンダタ盗賊団の中で育ったためか、女性としてのたしなみを教えられる人物に恵まれなかったのだろう。天性の自由奔放な姿勢も相まって、男性に対してその無防備な姿をさらけ出す事に何の抵抗も無いのは流石に問題がある、そうした事を筆頭に、ホレスはムーの先が思いやられるのを感じていた。
―…さて、寝静まるまで待つか。
 どのみち少女のものでは無い凄まじい力で掴まれていては、まともに動く事も出来ない。かと言って、一緒に眠ってしまうわけにもいかない。ホレスは全身の力を抜き、ベッドの端に背を預けて床に腰掛けた。

「……寝たか。」
 果たしてムーは深い眠りに落ち、ホレスを縛り付けていた手の力が緩んだ。
「悪いがオレも眠いんでな。そろそろ寝かせてもらおう。」
 腕からムーの手をはがし、ホレスはそっと立ち上がって離れた位置にあるベッドへと向かおうとした。
 
ぐいっ

「……っ!!!」
 その時、またも後ろから引っ張られる様な感覚を感じて思わず振り返った。
「………。」
 そこには、ぐっすりと眠りながらも…ホレスの服の裾を掴んで引きずり込まんという姿勢のムーの姿があった。
「…寝ぼけただけか。……ったく、マドハンドみたいなヤツだな…。」
 今は全く動く気配を見せない。服を掴んでいた手も簡単に外せた。
―……だが、オレが離れるのを無意識に感じ取ったのか…。
 ”最強の賢者”とされるべく鍛え上げられた名残なのか、鋭い感性がそうさせたのかもしれない。ここでそれが発揮されるのも迷惑な話だ…と思いながら、ホレスは再度離れようとした…。

ドタンッ!!ゴロゴロゴロ…がしっ!!

「………っ!!?」
 …が、今度は何かが転がる音と共に、足を引っ張られるのを感じ取った。
「…何て寝相の悪さだ……。」
―いや…そんな次元の話じゃない……
 軽口を叩いたものの流石のホレスも、この不可解な現象を前に気味悪さを感じて、少しの間足元にくっついているムーの姿を呆然と見下ろしていた。
「……ったく。」
 彼女の体を抱え上げ、ベッドへと戻し…三度、自分のベッドへと向かおうとした…

ダンッ!!ゴロゴロ…

「…またか!!」

ドタンッ!!

「…えぇいっ!!何て事だ!!!」

 …が、彼の受難はこの後暫く続く事となった…。 


「…何だいあの物音は…」
 上の階から聞こえてくるドタバタとした物音を聞きつけて、宿の主は眉を潜めた。
「ふふふ、何か楽しそうねえ…。」
「楽しそう?」
 それとは対照的に、メリッサはその美貌に富んだ顔を愉悦に歪ませて、実に楽しそうに上を眺めていた。
「はっは、”お楽しみ”の最中みたいですな。」
「お?そうかい、そんじゃあそっとしておいてやろうか。」
 続いてニージスが零した言葉を聞くと、男は先程とは打って変わって好色そうな表情を浮かべ、ニヤニヤと笑いながらまた自分の部屋へと帰っていった。
「…ふむ、彼に限って手を出すとは思えませんが。」
「でしょうね。…残念だけど。」
「…おや?”残念”…とは……それはどういう意味ですかな?」
「ふふふ。」
 ニージスとメリッサは、上の階でホレスとムーが繰り広げている事を肴に談笑していた。元々ホレスは”そう言った事”に興味を示さないのは一体何故なのか。この時、彼らは何も知る由も無かった…。


―……全く、何度寝かしつけられれば気が済むんだ…。…まあ、これならしばらく落ちないだろう。
 何重にも重ねられた敷布団に埋もれかけている赤い髪の少女を見て、ホレスはようやく安心した様に一息ついた。時折彼女は寝返りを打とうとするも、布団の質量とその絶妙な掛け方が相まって、ピクリとも動かない。
―………ようやく…休めるな…。
 彼はムーの寝顔を一度撫でてやった後、近くのベッドに潜り、そのまま深い眠りへと落ちた。

―…しっかし…。マジでやべぇ相手だったな…。
―ああ…。大丈夫か?ゼルス。
―…問題ないッス…。ザキ受けた時はどうなるかと思いましたが。
―……あまり無茶はするな。

―……。

―て…てめぇ!?
―な…何でこんな所に居やがるんだ!?
―…待て!
―あ…すいやせん…。
―いや、こちらこそすまない…。…おい、母さん達と一緒にいろと言っただろう。
―……。
―…また喧嘩でもしたのか。…だが、今外は危険だ。
―………。
―おい、てめぇ!クルアスさんがこう言ってるんだ!とっとと帰りやがれ!
―また牢屋にぶち込まれてぇのか!!


―おのれ…人間…にん…ゲン…ゴ…ときニ…!!


―…!!
―…いかん!!


「ザメハ」
 静寂に包まれた宿の食堂に、覚醒呪文を奏でる声が響き渡った。
「……あら、ごめんなさいね。」
「はっは。やはり慣れない事はするものでは無い様で。それより…」
 共に寝ずの番を引き受けていたメリッサを呪文で起こした後、ニージスは窓の一つを指差した。
「…朝が…来たわね…。」
「ふむ…。そうですな。」
 朝日が立ち上り、その窓を通して日の光が差し込んでくるのが感じられた。 
「ここで終わり…ですか。」
「…そうねぇ。…これからが気になる所だったけど。」
 二人は辺りを悠々と見回しながら、その変化をただ漠然とした様子で眺めていた。
「……やはり、夜の間にしか見れない現象だった様で。」
 徐々に周りの景色が薄れていき、やがて…それはあるべき姿へと還っていった。そして…遺されたのは元の廃墟…滅びたテドンの村しかなかった。