慟哭 第六話
「酷い有様ね…。」
「ですな。」
 滅びたという噂に違わず、ネズミ一匹さえ居ないと思わせる程に辺りは静寂に包まれていた。目に飛び込んでくる光景も、たゆとう風の匂いも…何もかもが無味乾燥といえる味気ないものでしかなかった。
「……ホレス君も…何かねぇ…。」
「…ああ。こんな居心地が悪い場所はエルフの里以来だな。」
 他人目から見ても明らかに怖れを抱かせる様な怒りを感じさせる…鬼の様な険しい表情をしながら、ホレスは苛立たしげに辺りを見回しながらそう呟いた。
「…ふむ、エルフの里…ですか。むしろ逆とも見受けられますがねぇ。」
 エルフの何が気に入らないのか機嫌の悪さを微塵も隠す様子も無く彼らへの不満を唾棄したホレスに、ニージスはそう返した。
「あんた…分かってて馬鹿を言っているのか。」
「まぁ、彼らが妖精を自称する事で我らに植えつけられた先入観を払拭するのは難しいですとも。」
 エルフやホビットといった種族は、髪の色や耳、上背などの身体的特徴から人間とは異なる種族と見なされがちで、当人達もそうあろうとしているが、実際には種族としての差は無いと言っても過言では無い。背景に迫害等の憂き目があったか知った事では無く、”妖精”と自称するという傲慢に走る…緑色の髪と長い耳が特徴の異人達へとホレスが苛立ちを募らせる事に共感しながらも、ニージスは首を縦には振らなかった。
―…ふむ、後一歩と言った所ですか。
 確かにエルフが他の種族を穢らわしいものとして見下しているのは事実である。しかし、その原因を作ったのはそもそもは同じ人間である事を、ホレスは分かっているのだろうか。
「……だが、一体何が暴れたらこんな事になるんだ…?」
 地面はあちらこちらで抉れており、草木は残らず枯れ果てている。廃墟と言うにもあまりに生温い程に荒廃し尽くした地と化したのは一体何者なのか…。
「…荒れてますな。それに…こんな大きな毒の沼が…」
 森の中で見かけたものよりも更に大きな毒々しい色の沼を見て、ニージスは肩を竦めた。
「…さっきも見かけたわよねえ。やっぱりこの辺りで何かが起こったと見て良いかしら。」
「ふむ、根拠となるものは少ないですが、ここテドンが一番荒れ果てている事から見て間違い無いでしょう。」
 テドンに至るまでの深い森の中でも、随所に不可解な傷跡や毒の沼の群の存在を確認できた。だが、ここは見渡す限りにそうした凄惨な景色が広がっている…。少なくとも何らかの関係があるに違いない。
「……ん?」
 ふと、ホレスは沼の奥にある物を見て、目を細めた。
「あの先に何かあるな…。」
「寺院…みたいね。」
 死臭にも似た匂いが漂う紫の沼の奥に、石造りの小さな建物が見える。それもまた…全壊こそ免れたものの無惨な姿を晒していた。
「階段が見えますな。」
「……あの奥に…何が……?」
 壁や屋根が崩れているおかげで、寺院の階段はごく簡単に目認できた。

「トラマナ」
 
「…ほぉ。」
 程なくして、ホレスが呪文を唱えて毒の沼地へと足を踏み入れて行くのを見て、ニージスは実に関心を深めた様子で嘆息していた。
「……好奇心が勝りましたか…。」
「ふふ、あの子らしいわね。」
 多くの厄介事に疲弊していたはずだが、それでも興味のある物に対しての探究心は尽きないらしい。そんなホレスの性分を垣間見て、メリッサはニージスと共に面白そうに苦笑しあった。
「…むー……。」
「ふむ、不満そうで。」
 しかし、やはりホレスが呪文を用いた事が気にかかったのか…ムーは明らかに不満が見て取れる様な様子でうめいていた。
「最近結構呪文使えるようになってるわね、ホレス君ったら。」
「はっは、まぁトラマナとレミーラに関して言えば、彼の方が断然上手でしょー。他はからっきしの様ですが。」
「ホントに面白い適正よねぇ。」
 灯明の呪文レミーラしかまともに扱う事が出来ないホレスが、いきなりトラマナという高度な呪文を操る様子を再びまみえることとなり、二人は興味深そうな様子で語っていた。
「しかしまぁ…メラゾーマなんか唱え始めたときは…」
「そうねぇ…。アレは私も知らない詠唱だったわねぇ。道具から呪文を撃つなんて…」
「おや?それは負けを認めると言う…」
 
にっこり

「…はっは、口が過ぎましたな。」
「そうよぉ。私だってあんなモノを見せ付けられて黙っていられるほど気長じゃないわよぉ。」
 含みのある笑顔を浮かべつつ、わざとらしく口を尖らせてそう言うメリッサの言葉に込められた感情を読み取り、ニージスは心の芯から底冷えするような悪寒を感じていた。
「まぁ私は才能が無いと割り切ってるので然程気にはなりませんでしたが。」
「ふぅん…そう。ニージス君はそう思ってるのねぇ…ふふふ。」
 呪文の才が無いと言われたホレスが見せた芸当…それを見て尚、全く動じた様子の無いニージスを見て何が面白く無いのか、メリッサは微笑の仮面の裏に押し込められていたどす黒い雰囲気を辺りに振りまいていた。

ダッ!!

「……あら、帰ってきたみたいね。」
 その時、毒沼の向こうにある寺院の地下階段から、ホレスが飛び出してきた。
「様子が…変。」
「ですな。」
 毒沼の上をトラマナの力で駆け抜けて…何やら酷く急いだ様子でこちらに向かってくる。だが…その表情は驚愕と憤怒を思わせる様な激しい感情によって歪められていた。
「ふむ、一体何があったので…?」
 息を切らしてその場にへたり込むホレスの側にしゃがみ、ニージスは彼にそう尋ねようとした…

「えぇい、くそっ!!また下らないものを…!!」

「「「!」」」
 その時、突如として怒りに任せた大声がテドンの廃墟に響き渡った。
「下らない…??…また、嫌なものを見たの?」
 ひどく取り乱したホレスの言葉を拾いつつ、ムーは首を傾げながらそう尋ねた。しかし、ホレスは何も答えなかった。
「……話したく無い様で。」
「そうね…。」
 口に出したくない程の…”下らない”何かを見て…ホレスは更に怒りを深めていたが、じきに落ち着きを取り戻し…一度深呼吸した後に三人に向き直った。
「………こんな下らない所…早々に出て行きたい所だが…まだ、闇のランプとオーブが見つかっていない以上はな…。」
「下らない…もの…ねぇ。」
―後で見に行ってみようかしら?
 ホレスに”下らない”と口癖の様に繰り返させたものは一体何か。メリッサは好奇心が胸中に湧き出るのを感じつつ、寺院の地下をちらりと一瞥した。
「それで、まず何処を探します?」
「そうだな…。オーブがここにあるとすれば、山彦の笛に反応を示すはずだ。だが…さっきは…」
「ええ。…やっぱりあなた達が持ってるオーブの反応しかなかったみたいよ。」
 あの時帰ってきた”山彦”は、テドンにあるとされるオーブのものでは無く、ホレスが持っていた青いオーブが発したそれであった。この音のおかげで合流は果たせたが、肝心のオーブの行方は知れなかった。
「…だろうな。ならば、闇のランプだけでも…っ…」
 メリッサに相槌を打ったところで、不意にホレスはよろめきながら地面に片膝をついた。
「大丈夫?」
「ああ、すまないな。…くそ、情けない。」
 激戦で負った傷はムーが無理を押して癒してくれたが、テドンに到着した際に起こった、いきり立った守人達との小競り合いで負傷した事で、既に体力は限界に達しつつあった様だ。
「ふむ、今日はもう休まれてはいかがですかな?」
 死に目にこそ幾度も遭っているとはいえ、いつも疲れを見せないホレスが疲弊している事実を前に、些か不思議な気分にあるのを感じながら、ニージスは彼にそう勧めていた。
「そうね。でも…あの人達の所には戻りづらいし…。」
「……誰が行くか。」
 先の件でバースとドリスの二人が彼に対して抱いていた殺意は紛れも無く本物であった。少しでも刺激を与えればまた殺し合いにも成りかねないと思うと、尚更二人の元に戻るという選択は難しいだろう。
「ふむ、宿泊施設跡辺りがあればそれが丁度よろしいかと。あわよくばベッドもあるでしょうし。」
「埃臭そうねぇ…。」
「まぁ、それでも地べたで寝るよりは疲れは取れる事でしょー。とりあえず、泊まる事が出来そうな建物でも探すとしましょうか。」
 苦笑いをしながらメリッサが首を振るのを横目に、ニージスはテドンの廃墟…朽ち果てた木造の家屋が並ぶ荒れた大地へ向けて歩き出した。
「持ち込んだ食料で適当に何か作って夕食にしよう。…まぁ、残り少ないが。」
 ホレスは背負子の食料を入れている袋を指差してそう言いながら、彼の後を追った。
「それがよろしいかと。しかし…」
 その言葉にニージスは一度頷いたが、ふと…後ろを振り返りつつ罰が悪そうにそちらを一瞥した。
「そうねぇ…でも、私の薬草サラダはマリウスには不評だったわねぇ。焦げ臭い…とか、サラダのはずなのにね。」
「カンダタにシチュー作ってあげたら吐き出された。」
 ニージスと目が合った赤い髪の姉妹は、口々にそう返した。どうも魔女の家系は料理には資質が無いらしい。そんな彼女らに料理を作らせるのはこちらの味覚に毒になるだけでなく、本人の気も害する結果になるだろう。
「…だそうですが?」
「……あんたは?」
「まぁ、個性は無いが無難な風味とはよく言われますな。」
 一方で、流石はダーマの賢者を名乗っているだけあるか、ニージスは人の口へ入れるに値する程度の最低限の調理はこなせるらしい。
―レフィルがいれば少し楽なんだがな。
「…ならいい。後で手伝ってもらおうか。」
 内心でサマンオサへの旅の扉前で別れた黒髪の少女がこの場にいない事を惜しみながらも、ホレスはニージスへとそう告げた。自分が然程料理に熟練しているわけではない以上、人手は多い方が良い。


「…宿か。こんな所にもあるんだな。」
 崩れて殆ど文字が見えなくなっているものの、それは確かに宿屋の看板だった。四人はその建物の中に足を踏み入れた。あちらこちらがボロボロになっているものの一応家屋としての機能は果たしており、雨風は凌げそうだった。
「船長さん、あのまま置いてきちゃったけど、大丈夫かしら?」
「まぁ彼らも手を出すような事はしないでしょー。」
「…だと良いがな。」
 アヴェラはまだバース達の家で眠りについており、この場にはいない。助けたニージス達がホレスの仲間と知った以上決して良い思いはしていないはずだが、それでも彼らがアヴェラに対して危害を加える事は無いだろう。
「あら?やっぱり船長さんの事が心配?」
 彼女を気にかける素振りを見せたホレスに、メリッサは何処か意味深な薄ら笑いを浮かべながらホレスへとそう尋ねた。
「…なに?……ああ。サマンオサに渡る為にはあいつの力が必要だからな。」
―鈍いわねぇ…相変わらず。でも…これじゃああの子と一緒になってくれるのも遠そうねぇ…。
 返答に込められた意思が、聞きたかったそれと違うのに対して、メリッサは呆れながらもどこか安心した様に嘆息した。ホレスがアヴェラに抱く好意の方向はあくまでサマンオサへ行くための手段としてのものでしかなく、個人に対しての想いには至らない。
―それとも…もともと興味ないのかしら?男の子なのにねぇ…。
 これまでも、レフィルとムーという異性の仲間と行動を共にし、その二人に意識されているにも関わらず、その好意に全く気付いた素振りを見せていない。時々単なる仲間という域を超えた行動に出る事もあるが、それもレフィル達のため…というだけのものではないとも見える。
「…ふむ、一応竃などはちゃんと残っている様で。」
「その様だな。」
 一方で、ニージス達は宿屋の厨房であった部屋へと踏み入り、その中をおもむろに散策していた。錆びて使い物にならなくなった包丁や鍋、すっかり乾燥してボロボロに崩れた貯蔵庫の食材や薪…だが、一応炊事などは出来る状態にある。
「…よし、じゃあはじめ…」

『こらこら、勝手に厨房に入られちゃあ困るねぇ。』

 ホレスが料理の支度を始めようとした矢先、不意に聞きなれぬ声がその耳に届いた。
「!」
 その声が聞こえてきた方向に視線を向けると…
「……なっ!!?」
 誰も居ないはずのこの村の住人らしき、恰幅の良い料理人の出で立ちをした男が立っていた…否、足が地についていない事から宙に浮いていたと言った方が正確だろうか。
「…ぉおうっ!?」
「……ぇえっ!?」
 ニージスやメリッサも流石に驚いたらしく、小さく悲鳴をあげていた。
「幽霊。」
 その一方でムーは全く動じず、その正体をさらりと口にした。
『幽霊だって?はっはっは、お客さん…冗談好きだねぇ。』
 幽霊はその言葉を文字通り冗談と受け取ったのか、豪快に笑いながらなにやら作業を始めた。
―声の調子が…これは…
 料理人の幽霊が発した声の違和感を感じ取り、ホレスは顔をしかめた。
―…オレの耳で感じ取れなかったのは……
 如何に聴覚が優れていたとしても、この世に在らざる者の声までも聞き取る事は出来ない。この幽霊の言も…魂が受け取った…等の不鮮明な解釈に頼らなければ説明出来ないものだ…。
「……くそ、冗談じゃない…!」
 今起こったばかりの理不尽な現象に対してか、それともそれが導く先にある結論に対してか…彼は激怒を隠さずにそう吐き棄てた。
「ホレス?」
「…ふむ、お怒りの様で…。」
 またホレスが不機嫌な様子を露わに毒づいているのを見て、ムーとニージスは顔を合わせて首をかしげた。ここに来てから…彼は幾度も激情に駆られている…。バースとドリスとの衝突がトリガーになっているのは間違い無いが、それにしても普段の彼とはかけ離れている…。
「さ…流石に…ホンモノが出るなんて思わなかったわねぇ…ふ…ふふふ…」
「メリッサ?」
 その時、メリッサが引きつった笑顔で半透明の人型を見つめている様子が目に入った。
「む?…どうなされました?」
「…ふ…ふふふ…。」
 ニージスが尋ねても、メリッサはぎこちない苦笑を返すだけで、何も答えなかった。
「幽霊…怖いの?」
 しかし、ムーがそう訊くと…彼女の顔から…表情を固めたまま血の気がさぁーっ…と引いていくのがはっきりと目認できた。どうやら本当に幽霊が苦手であるらしい。
―…あんた、それでも本当に魔女なのか…?
 誰にとて苦手な物がある事は常識であると分かっていても、魑魅魍魎と向き合うエキスパートと知られる”魔女”たる出で立ちをした、この赤髪の麗人がその様なものを怖れるとは信じがたい真実だった。
『ほら、調理の邪魔だ。どいたどいた。」
 不意に、幽霊の声の調子が変わった。
 
「久々のお客さんだからねぇ。きっちりもてなさないと。」
 
「「「「…!」」」」
 今度は確かにその違いを感じ取れた。ホレスだけでなく…皆の動きが一瞬止まった。
―…実体が…!
 心の底から響くような声ではなく…今度は耳を介して聞こえてくる”肉声”であった。
「……なっ!?」
 そして、半透明だった男の体が徐々に色づき、五感で感じられる”生きた”体として、その場に存在しているのが感じられた。
「おや、今になって俺様自慢のキッチンの素晴らしさに驚いたかい?いいだろう?五日にいっぺんの交代の日にゃ腹を空かせた兄ちゃん達がわんさかやってくるんよ。」
 ”幽霊”だった男が言う様に、厨房を見て驚いたのは間違い無い。
「こ…これは…い…一体何が…!?」
「…知るか!!」
 だが…先ほどまでただの荒れた部屋でしか無かった”死んだ”場が、急に食材の匂い立ち込める…蒸し暑くも”生きた”空間となろうとは全く予想もつかなかった。
「ささ、急かさないでとっとと食堂に行った行った。ま、期待してくれてるって分かった以上、今日はたっぷりご馳走してやるから楽しみにしてな!」
 ムー以外の三人が取り乱した様子を自慢の厨房を褒められているのと勘違いでもしたのか、満足した様子で、男は四人を食堂で待っている様にそう言った。