慟哭 第五話

―今更何しに帰ってきやがった!!?
―…な…何を言って…!?
―メラミ!!
―…ッ!!?…ちぃッ!!何だ、あんた達は!!

 かつてテドンと呼ばれた村跡…、そのはずれにて壮絶とも言えそうな激しい戦いが繰り広げられていた。片や左に握った黒い細身の剣と右に握った竜の飾りのついた杖を振り回す銀色の髪を持つ旅人、片やこの地に住まう守人たる二人の男女の戦士。
パキパキッ!!
 女が呪文を唱えると共に、その掌から複数の氷塊が旅人目掛けて飛来した。
ドゴォッ!!バキャッ!!
 しかし、それに応じる様に旅人が振るった杖から稲光が走り、巨大な氷の楔の一つに当たると同時に天雷の如く炸裂して、周りの氷共々まとめて吹き飛ばした。
「!」
 そして、間髪入れずにその女へと向かいながら、左に持った黒剣…隼の剣の切っ先を突き出した。
ガガガガガッ!!
 幾多の黒い剣閃が彼女へと迫る刹那、相方の男が手にした槍でその剣を打った。だが…細い刀身に似合わず全体が洗練された黒刃はその槍に幾度激しくぶつかっても、砕けるどころか傷一つ付いた様子も無く…
ギャンッ!!
 その頑丈な刃の危険性を本能的に察知して攻撃の手を止めた男の槍の柄を、真っ二つに切り裂いた。
「…っ!ピオリム!!」
 それを見て、女は慌ててすかさず補助呪文を男に施した。彼はその力で得られた敏捷性を以って、続けて斬り返された黒い剣を軽やかな動きでかわした。
「…セロン・フィーム・ギルト…」
 旅人はそれを追う事はせず、代わりに右手の魔杖を握りしめつつ…理解し難い言の葉を紡ぎ始めた。
カッ!!
 直後、杖から稲妻の力を一点に凝縮された高エネルギーの光の弾が放たれた。
「ベギラマぁっ!!」 
 すぐにその危険性を察知して、男はそれ目掛けて掌をかざして呪文を唱えた。
ドゴォッ!!!
「…ぐぁ!!」
 炎の波ではその力を殺しきれず…彼は光弾に込められた電撃によって、全身に痺れを伴った凄まじい衝撃を受けた。
ボジュッ!!
「……っ!!」
 だが、その呪文の余波もまた、稲妻を放った青年へと届いて決して軽くはない手傷を負わせた。そこで体勢を崩した隙を見て、女は手にした剣を彼へと突き出した。

―…この野郎!!
 刃が僅かに顔を掠めた鋭い痛みと共に…ホレスは激しい怒りをおぼえるのを感じていた。
「……鬱陶しい!!」
 連続して繰り出された鋭い突きを隼の剣で斬り上げる様に払い、すかさず返す刃で女へと容赦なく斬りつけた。
―…そんなに…死にたいのか!!!…だったら……!!
 それでも尚、執拗に攻め立ててくる二人に…彼は自分を見失う程の激しい怒りを感じていた。もっとも…たったそれだけの事で、何故ここまでの激情に駆られてしまうのか…それを今の彼には知る由は無かったが。


―ここいらが…潮時ですな。
 出会い頭に突如として感情を剥き出しにして、激しく争い始めた三人を見て、ニージスは嘆息しながらそちらに踏み出した。
―…どの道、このままでは決着がつきそうに無いですからな。
 全力でぶつかり合っているにも関わらず、互いに決定打となりうる一撃はなく、ただ戦いは激化する一方だった。かと言って放っておけば、どちらかが大怪我を…最悪死に至ってしまう事となる。
「まぁ、ここらで程々にしておいてもらいましょー。」
 ホレスが隼の剣で二人同時に相手にしている所で、ニージスは杖を手に前に出た。
 
「イオ」

 そして、三人が一箇所に集まった所を見計らって…空いた左手をかざして、呪文を唱えた。
「…!」
 その声を聞いて、ホレスは我に返ってすぐさまその場を飛びのいた。
ドドドッ!!
「ぐぉっ!?」
「きゃっ!?」
 しかし、彼を追おうとした二人は…小さな爆発に揉まれて体勢を崩して地面に膝を屈した。
「ニ…ニージス!?」
「ふむ、やはり避けられましたか。まぁ…”直撃”させるつもりもありませんでしたが。」
 コウモリを思わせる程の鋭い聴覚で呪文の詠唱を聞き取り、発動直前に素早く身をかわしたホレスを見て、ニージスは興味深そうに一度頷いた。
「……じゃ…邪魔をするな!!」
 とその時、イオの爆発を近くで受けた二人が起き上がって、彼を睨みながらそう怒鳴った。
「はっは。大切な友人を見殺しに出来る程私は冷徹には徹し切れませんとも。」
「…!?」
「かと言って、恩人である君達が傷つくのも見ていられないものでして。」
 ニージスは怒りにたぎった二人の視線をさらりといなした。だが…口調はおどけていても、目は笑っていない。
「……一体何があったのか存じませんが、ここは一度武器を収めていただけないですかね。」
 そして…その目を細めながら、彼はバース達にそう告げた。
「「……。」」
 長年の間その存在をくらませていた怨敵がこの地を訪れた…だが、目前で佇む蒼い髪の男は親友と呼ぶ彼を討たせる事は許してはくれないらしい。
「ホレスもその物騒な杖と剣を収めて…」
 二人がその場で油断無く構えている所に無防備に背を向け、今度はホレスへと歩み寄りそう言った。
「だが…!」
「はい、今は私の言うとおりに。…ほら、君たちも。」
 彼に有無を言わさず武器を収めさせつつ振り返り、バース達に向けてそう告げた。彼らは一度は詰め寄ろうと一歩踏み出したが…まるで戦う意思の無いニージスの何処に圧倒されたか無言で頷き合い、それぞれの手に握った長剣を鞘に収めた。
「憎き仇と言うのであれば、今一思いに殺してしまっては君たちの気も済まない事でしょう。もっとも…今彼を手にかけようと言うのであれば…私達も黙ってはいられませんが。」
 助けられた恩は十分感じているらしいが、事を構えるとなると…やはり友人を助ける道を選ぶつもりらしい。
「…………。」
「?」
 そんな彼をどう捉えて良いか分からずにその場に留まっていると、今度は別の方向から刺す様な視線を感じた。思わずそちらに向き直ると、緑の衣服の隙間を覆う程に包帯を巻いた…赤い髪の少女の姿があった。
「…あなたは……?」
 人形を思わせる様な無表情でねめつけてくる彼女にそう尋ねると…
「…今度ホレスに手を出したら許さないから。」
「……っ!!?」
 彼女は返されるべき答えではなく、淡々としながらも激しい敵意を乗せた言葉を返してきた。
「…こ…こいつ…」
―只者じゃねぇな…
 一見した限りで予測できる風貌は…まさに魔法使いのものであったが、その小さな手に握られている金属製の鈍器の様な杖が小柄な外見と裏腹に強い地の力を持っている事を知らしめて、不調和がもたらす圧倒的な実力を醸し出している。今は手負いであるらしいが、あの銀髪の怨敵の前に守る様に前に出ている事からも、彼を大切に想っているのは他人目から見ても明らかであり…敵に回せば厄介な存在である事は間違いなかった。
「……しかし、君らしくもない。今の様な無駄な戦いは君の好む所でないと存じてましたが…。」
「分かっている。…ちっ、また下らない事をしたな……。」
 一方、ホレスはニージスの指摘から、自分が愚かな戦いに乗ってしまった事を悔いて舌打ちしていた。
「まぁしかしながら、抵抗しなければあっさりとやらてしまうだけでしょー。君も必死だったという事でそう思っても良いかと。」
「…だと良いがな。」
 相対した敵…バースとドリス、二人ともこの魔境と呼ばれる地に住まう者達を守りながら生きてきただけに、力量はかなりのものだった。所持していた数々の魔法の道具がその力の差を埋めてくれなければ、互角に戦う事などできなかっただろう。最も、自分もまた怒りに任せて彼らを斬ろうとしたのは否定できない事実だが。
「それにしても…何しに帰ってきた…ですか。ふむ、ホレスはここに来るのは初めてではなかったので?」
 ふと…ニージスは、ホレスが彼らと邂逅した時に投げかけられた言葉を思い返して、疑問に思う所を尋ねた。
「ああ。おそらくな。」
「…おそらく?」
「あんた達には以前話したか憶えていないが、オレは本当の故郷の記憶が無い。」
「本当の故郷?…ムオルではなかったので?」
 物心ついたときには既に両親は亡く、ムオルの学者グレイの下で育てられた。それを知っているからこそ、彼の故郷はムオルである…と推測した。否…事実そう言えるのだろうが…”本当の故郷”に踏み入った話となると別だ。
「…オレは親父に連れられてムオルに来た。だが、それも人ずてに聞いたに過ぎない。」
「あらら?…それはそれは…」 
「だからこそ、生まれ故郷なんかに興味は無かった。…まぁ、こんな話になれば確かに気にもなるものだけどな。」
 孤児として生きてきた以上、育った地が故郷とするのは他人目から見てもおかしい事ではない。だが、ここに自分を知る者が居て…好ましくない感情を抱いている以上、事情を知る必要があると思わされた。
―…だが、オレが何を……??
 記憶が無い幼少時…言葉も満足に話せないであろう幼子の自分が、過去に憎まれる程の何を為したのか…。
―グレイは何も言っていなかったな…。それに、親父も……。
「柵…か。」
 気付けば、荒廃した村…テドンの入り口にある、朽ち果てた柵の前に立っていた…。

―所詮人間など誰しも信じるに値しない者達に過ぎないのです。
―……。
―力を以って我等から多くの物を奪い去った。その様な蛮行…もはやケダモノと呼ぶ以外の何者でもありません。おまえも同じでしょう。
―…ふん。否定はしないな。かたくなに門を閉ざすのであればこじ開ける他無いだろうからな。
―門ではありません。柵です。そもそも人間などの立ち入りを許した覚えはありません。

―…これは……
 その時、ホレスの脳裏にいつしか見た光景が映し出された。柵…門の様に訪れる者の行き来を御するのでは無く、野を彷徨う獣を通れぬ様に遮る簡素な垣根。打ち壊す事は叶っても、内に踏み入れば只では済まない…境界を明示する木板の列…。
―エルフの里の時の…
 最後に思い返したのはエジンベアへの海路での事だったか。ノアニール周辺を一人旅していた時に訪れた、エルフ達の里での事が頭に浮かんだ。
―…何が…妖精だ。貴様らも元々人間だろうが。
 暴虐の限りを尽くしたとして外部の人間を蔑み、一方的に追い返しているただ高慢なだけの民族…それが彼から見たエルフであった。その回想に、ホレスは僅かに残る種火に薪を与えたかの如く、怒りが再び燃え上がりそうになるのを感じていた。

―…来やがった!!隣の村の連中だ!!
―……ん?またテメェか…。
―……。
―チョロチョロしてんじゃねぇぞ!!この…クソガキが!!
バンッ!!
―…………。

―……これは…
 その時…今度は別の光景が頭の中に浮かんできた。それは…辺りに張り巡らせた柵を守る者達が、こちらを鬼の様な形相で睨みつけて、最後には手にした槍の柄で容赦なく強かに打ちつけてきた…そんな様子だった。


「…ホレス?」
「………。」
 ニージスが呼びかけても返事が無い。銀の髪を持つ青年は柵に手を掛けたまま、ただ虚空を見つめているだけだった。
「……あら?」
「ホレス…君……??」
 常に鋭敏な感覚を張り巡らせている彼が、明確な意思を持った呼びかけにも応じない。そんな珍しい状況を前に…ニージスとメリッサは、目を丸くして顔を見合わせていた。
「………。」
 その様な中で、不意に赤い髪の小さな少女がホレスに近寄り始めた。
「「!?」」
 突然ホレスへと向かったムーのその手に握られている物を見て、ニージス達は驚きのあまりぎょっとした表情になった。
「え…め…メド…」
「おぉうっ!?それは…」

ごんっ!!

「…っ!」
 ニージス達が止める間も無く、彼女は鈍器のような…否、まさに鈍器でホレスの後頭部を叩いた。
「……気がついた?」
「…気がついたも何もあるか。…そんなモノでオレの頭を叩くな…。」
 その衝撃で彼は我に返り頭をさすりながら…眼下から見上げてくる少女にそう毒づいた。元々ムー自身の傷が深い上に、軽く叩いただけだったので然程の痛みは無かったが、数多の敵を殴り倒してきた歴戦の武器で殴られては、剛胆な彼でも流石に血の気が引くのを感じた。
「………でも、今のあなたはおかしい。」
「…おかしい?」
 ここを訪れてから感じる違和感…怨敵としての自分の名を知る者の存在と言い急に立ち上った回想と言い、それらが自分を歪めているのか。

「あなたは…何を見ていたの?」

「…!?」
 その時、不意に投げかけられたムーの言葉に、ホレスは僅かに眉を潜めた。だが、それに対する驚きは隠せない様子だった。
「え…?メドラ…??」
「それは…一体…?」
 ニージス達もその言に疑問を抱き、首を傾げている。

「…別に、何も。」

 だが、ホレスがムーの質問に答える事は無かった。
―……そんな下らないものを思い出した所で何が変わると言うんだ。
 結局、頑として外界との接触を断り続ける高慢な一族や苛立ちを露わにこちらを睨みつけてくる守人達を見ても思う所は無く、ただ怒りを深めるだけだった。
「……はぁ、いずれにせよ疲れは溜まっている様で。」
「…まぁ…な。だが、だったら尚の事面倒事はもうごめんだ…。」
 合流できた所でようやく一休みできると思ったところで、突然お門違いな怨みをぶつけられて怒り心頭になりながら戦った事で、既にホレスの心身は疲弊しきっていた。
「…そうね。あの人達…ホレス君を見て何を思ったのかしらね…。」
「さぁ?」
―…その”ホレス”とやらは一体何をしたというんだよ…。
 ニージス達を助けた恩と、自分へと牙を剥いてきた愚行が同居している守人達にその辺りの事情も含めて問い詰めてやりたい。だが、それをしたとして”何が変わる”のか…。少なくとも、この時はホレスはそう思っていた。