慟哭 第二話

「……森か。」
 果たして北の祠から出航して五日と半日…一行は夜明けと共にテドン付近…ネクロゴンドのはずれの平原のある入り江へと停泊した。遠くには果てが見えない森が広がっているのが見える。
「…ええ。この中じゃ方位磁針は意味を成さないから…。それと、魔法の地図もうまく働かないのよ。」
「へぇ…樹海ならではの厄介な点ってヤツだね。」
「あら?樹海だからって、磁石が効かないってワケじゃないわよ。元々はガイア火山が…」
「ゴホンゴホン!!アタイはあんたと違ってんな細かいこたぁ知らないんだよ!」
「あらそう。残念ねぇ…。もっと話したかったんだけど。」
 通説として「樹海では磁石が効かない」という話はよく知られているが、実際には別のところに原因があるらしい。おそらくは何処までも同じ様な光景が続く事がそうした迷信を広げていたのだろう。…もっとも、どちらにせよ…迷い込んでしまえばその地に順応でも出来ない限り、魔物の餌となるか野垂れ死にするかがオチである為、危険性は然程変わりは無いのだが。
「…それじゃあお前達!アジトの方は頼んだよ!」
 アヴェラは乗ってきた船で出航しようとする自分の手下達に向けてそう叫んだ。
「了解ッス!!」
「おかしらも気をつけて!」
「あぁ?アタイを誰だと思ってるんだい?海竜殺しのアヴェラ様がそう簡単に遅れを取るワケないだろ?」
 返事とばかりに気遣いの言葉が返されて、アヴェラはそう言いながらも、少し照れくさかったのか…わずかに顔を赤らめた。
「ふふふ…でも、この子には押されてたわよねぇ?」
「ゴホンゴホンッ!!あんたは黙ってな!…良いトコなんだからさぁ…」
「あら、ごめんあそばせ。」
 いい気分になっていた所でのメリッサの小言がいい加減嫌になってきたのか、アヴェラはげんなりとした様子でうなだれた。
「はっは、皆さんお元気で。」
 そんな彼女を横目に、ニージスは去っていく海賊達に向けてにっこりと笑顔を浮かべて、手を振っていた。
「……行くぞ。」
 船が離れて見えなくなる前に、ホレスは海原から踵を返して森へ向かって歩き出した。ジパングで手に入れた新しい忍びの服では無く、厚手の旅人の服に先日用意した様々な装備を背負っている姿であった。
「おっとっと!せっかちな子だねぇ。」
「……いつまでもここでたたらを踏んでいるのも無意味だろ?」
「ま、それもそうか。じゃあ行こうか。」
 唐突に出発を主張するホレスに一瞬驚いた様子を見せたものの、すぐにニヤリと笑い…アヴェラはその後に付いて行った。
「…むー……。」
 一方で…その様子を遠目から眺めていたムーは…小さくそう唸っていた。
「はっは。意外とウマが合うみたいで。」
「その様ねぇ。」
 意外にも、会った時からアヴェラはホレスに良く絡んでいる。ホレス本人はともかくとして、彼女はそれなりに好意か関心に準ずるものを持っているようだ。
「……気に入らない。」
 それが気に入らないムーと、あの後も何度も激突していたのも事実だが。
「大丈夫よぉ。もっと頑張ればきっとね。」
 不満そうに立ち尽くしている彼女に、メリッサは励ます様にそう告げた。
「………ふむ、うまく行ってくれればいいんですがねぇ。まぁ私としてはあの子という線も十分考えられますかな?」
「…そうなのよねぇ。流石に二人一緒にはねぇ…。」
 近くにいたニージスが投げかけた言葉に…メリッサは軽い悩みにぶち当たった時の様な苦笑を浮かべていた。
―……一体何の話だ…。
 鋭敏な聴覚によって…遠間から自然に一部始終を聞いていたホレスは…意味深な言葉を交し合う二人の言葉の意図が読めず…怪訝な表情を露わにしていた。
「?」
 近くでそのやり取りを見ていたムーもまた、同じ様に感じたらしく首をかしげていた。


「…バース!そっちはどう?」
「ドリスか…ああ、異常ないぜ。」
 天を仰げば青空を覆い尽くさんばかりの緑…。その様な深い森の中で、男女が互いの姿を確認して駆け寄っていた。見回りに出ていたのか…それぞれが古びた武器を携えている。
「……ったく、もうここにはジジイやババア…それに体たらくしか残ってねぇからな…。」
 バースと呼ばれた黒髪で長身痩躯の男性は…火傷のように引きつった…奇妙な傷がある右腕の先に握られた槍の石突を地面に下ろしつつ、冗談半分にそう言いはなった。
「…そんな言い方はないでしょ。でも…他に動ける人が居ないのも確かなのよね…。」
 一方…腰に細身の剣を帯びた同じ髪の色でこれまた痩身の女性…ドリスもまた、彼の腕にあるものと同じ様な傷を負った顔に複雑な表情を浮かべながらそう返した。烙印とも間違う程に…二人のその傷は不気味な雰囲気を纏っていた。交わされる会話こそ…何処にでもいそうな男女のものでありながら…。
「ずっと村を守ってくれたクルアスさん達ももう居ないし…。」
「…ああ。あれだけの魔法使えるヤツなんて…お前もおれも無理だろうな…。」
「そうね…。」
 かつて皆をその力で擁護してきたが故の賞賛を集めていた人物…クルアスと呼ばれた男を思い出して、二人はその彼が成してきた事…そして…
「……だが…全てはあの時に…」
「……。」
 その最中で起こった大きな変化…招かれざる災厄を顧みて…暫し黙り込んだ。
「………そうよ、アイツのせいで……村のみんなが……!」
「…全くだぜ。そもそもいっつもアイツの面を見る度に虫唾が走ってたんだ…!」
 元凶たる者…彼らは互いにその者に対する怒りを全く隠そうともせずに誰にとでもなくぶち撒けた。
「クルアスさんと一緒に…何処に……」
「生きちゃいねぇだろ。アイツだってまともにアレを受けたんだし。」
 ドリスの杞憂を否定するかの様な言葉を返しながら…バースは緑に覆われた空を仰いだ。
「クルアスさん達もろともな……。」
 そして…いつの間にかその左手は…右腕の傷に添えられていた。


「……まぁったく…、随分邪魔な雑草どもだねぇ!」
 両手にドラゴンの様な形状の手甲の先から刃が伸びた様な武器を身につけた長身の女性が…自分の身の丈程に高く生えた草を見て、苛立たしげにそう言い放っていた。
「…で、こんなときに魔物だのシャーマンだののお出ましってかい!?上等だよ!!」
ブンッ!!
ドダーンッ!!
 彼女が力任せに振るった右手のドラゴンキラーが近くに生えていた木もろとも、草むらに潜んでいた魔物をなぎ倒した。一撃必殺と言うに相応しい一閃だった。
「…はっは、とんでもないお方ですな…。」
「はっ!コイツらが弱いだけだよ!」
 一体を斬り伏せた所で続いて間合いに飛び込んできた緑色の体色の大猿…コングが伸ばしてきた腕を返す刃で切り裂き、一瞬怯んだと同時にもう片方の刃で横薙ぎにして致命傷を与えた。
「……ふむ、あまり暴れると消耗も激しいかと思われますが。」
「ナメんじゃないよ!!…って、まぁ言われてみればそうだね。」
「素直なのねぇ…ふふ。」
「ゴホンゴホン!!……というか、あんたら何やってるんだい!?」
 ニージスの忠告に頷いたり、メリッサのからかいに咳払いをしている所で…ようやくアヴェラはその二人がこの場の緊張感と明らかにかけ離れた行動を取っている事に気づき、大声で怒鳴った。
「何って…位置の確認よ?」
「今そんな事してる場合かいっ!!」
 運悪く魔物の群れの真ん中に差し掛かってしまい、いつ何処から襲われてもおかしくない状況の中では…彼ら二人の行動は真意はともかくとして、あまりに危険…かつ愚かな行動に見えてしまうだろう。
「あらだって、今他に私達が出来る事なんて無いでしょ?」
「はっは、まぁまずはテドンの集落へ向かうのが一番の様で。…と言っても、今も残っている可能性は絶望的ですかな。」
 メリッサがにっこりと笑いながらアヴェラに応えている側で、ニージスは古びた地図を眺めながら最適なルートを模索していた。近くの地面では、方位磁針や魔法の地図が効かない中で方角を見失わない様にする為か、それを示す十字が描かれている…。
「今どんな状況か分かって…って後ろ!!」
 そんな暢気な行動を取っている二人の死角から、奇妙な仮面を被った怪しげな風貌の人ならざる者…シャーマンが鋭い石製の槍を手に飛び出してきた。切っ先は真っ直ぐにメリッサの首筋を狙い、程なく突き出されようとした…
シュカカカカッ!!ブツツッ!!
「ギャアアアアアッ!!!」
 …が、その直前に…それはつんざく様な悲鳴を上げて後ろに倒れた。
「……あら、悪いわねホレス君。」
 複数の矢がその体に刺さり…致命傷となっているのを確認すると、メリッサは自分を守った矢を放った青年に向けて特に動じた様子もなく礼を言った。一瞬でも自分の命が脅かされていたにも関わらず…その顔には恐怖は微塵も感じられない。
「…気にするな。オレは一概にあんたらの行動を否定できないからな。」
 それに対し、連発式のクロスボウを持つ銀の髪を持つ青年…ホレスは怪訝な表情こそしていたが、然程気にした様子もなく彼女へとそう告げていた。
「だそうよ?船長さん。」
「でも、振り払う火の粉くらい自分で払えるだろ…」
 ひとまず大方の魔物を片付けた所で…アヴェラはメリッサを呆れた様な目で見やりながらそう言った。敵は決して多くもなかったが、誰かが休める程の余裕があるわけでもない。

「…!避けろ!」

 その時、ホレスが別の襲撃者の気配を感じ取って全員に注意を促した。同時に自身はクロスボウを目を向けた方へと放った。

シュカカカカッ!!

 ホレスの警告を聞き、慌てて避けた所に何処からか…無数の矢が飛来した。
「あらあら…地図が台無しじゃない…。」
「……ふむ…。一応予備を持ってきて正解でしたかな…。」
 飛んできた矢によって串刺しにされる事は免れたが、放り出した地図には矢が何本も刺さって使い物にならなくなっている…。
 
『ベホイミ』

 その時…樹海に踏み込んだ五人の中の誰でもない、呪文を唱える声が聞こえてきた。
「ち…こいつらがシャーマンか…。」
 それは先程倒したばかりの不気味な仮面の男…シャーマンの仲間達だった。彼らはホレスの矢に貫かれてほぼ瀕死となった同属の体を…回復呪文の重ねがけによってほぼ完全に修復して、何事もなかったかの様に立ち上がった。 
「…これは厄介だな……。」
 数にして四人…。おそらくはその全員が回復呪文の使い手であり…深手を負っても折れぬ強靭な精神力をも持ち合わせているのだろう。
「まぁここで悪戯に時間を潰すのもゴメンだ。」
 クロスボウを背負った背負子に立てかけつつ、腰の袋から赤く光るガラス玉…メラの呪文と同等の魔法の力を秘めた魔道士の杖の魔石を取り出した。

「セラステイル・リガ・フェリス・セロン・センカル……」

 そして…それを右手に握り、彼は”詠唱”を詠み上げ始めた。
「…!」
 呪文や魔法を行使する術を殆ど持たぬ彼らしからぬその様子にその場の全員が目を見張った。
 
「メラゾーマ!!」

 最後の真名を唱えると同時に、ホレスは手にした赤い玉を自分へと弓引く者達へ向けて投げ放った。
 
パキンッ……!
シュゴォオオオオオオオオオッ!!!

 地面との激突で魔石が砕けると同時に…メラゾーマの呪文が発動し、巨大な火柱が上がって放たれようとしていた矢諸共、シャーマン達を飲み込み灰燼へと帰して…自身も程なくして燃え尽きた。
「…いつの間にそんな呪文を?」
「……勘違いするな。これはオレ自身の力じゃない。魔道士の杖の先端の魔石の最後の魔力をメラゾーマの形と化して解き放っただけだ。」
「………あらぁ…それって私達にだって出来ない芸当じゃない…。」
 所持していた道具が有する魔法の力を呪文に転化して放ったという離れ業をやってのけたホレスを見て、メリッサは珍しく余裕のない薄ら笑いを浮かべていた…。
「…ふむ、やはり惜しいものですな。君自身にもっと呪文の方の資質があれば…」
「無い物を嘆いても仕方が無いさ。…まぁ、こうした付け焼刃の様な誤魔化しの技法は手間がかかる上に質も劣るから多用出来るものじゃないのは確かか…。」
 呪文に対する適正がほぼ皆無と言えるホレスだが…その呪文含めた魔法に関する造詣の深さ自体は学者にも匹敵している。共に旅する中で幾度となくそれを垣間見る機会を得ていたニージスには…他人目から見ても悔やまれるまでの持ちうる可能性の微妙な障害が実に残念に思えたらしい。
「まぁいい。出発するぞ。」
―…別に必ずしも…生まれ持った才能にしたがって生きる必要もないんだからな。
 先ほど行使した魔法技術とそれを身に付けさせた才が、ダーマの賢者たるニージスばかりか魔法の専門家たるメリッサをも驚愕うるものである程の物であるにも関わらず、自分は今の道を進んでいる。歩む人生と持ちうる力…それが必ずしもかみ合うとも限らないと心の中で垣間見ながら、ホレスは再び森の中を突き進み、皆を先導した。