第十九章 慟哭

「…んもぉ…まぁたアタシの苦手な仕事するハメになるなんて…。」
 兵士達が巡回する中での僅かな死角…そこに二人の男女が佇んでいる。その内の一人…黒衣に身を包んだ銀髪の女は気だるさを露わにそう呟いていた。
「はは。全くの他者の力になると言うのもおぬしが思うほど悪いものではないぞ。」
「…そんなコト思えるのってよっぽどのお人よしか偽善者しかいないわよ。」
 一方…後のもう一人、鍛え抜かれた体を緑の武道着に身を包んだ精悍な顔つきの男…ジンがその雰囲気に似合わぬ暢気な発言を返していた。
「アナタ程の男がそんなあまちゃんだったなんてねぇ…興ざめだわ。」
 そんな様子に、女…キリカもまた…女豹と言わしめる程の鋭い顔つきを呆れで歪ませて、溜息をついた。
「なに、俺とて好きでやっているのではないさ。あの小娘めが…」
「…小娘?」
 ジンが苦笑しながら呟いた言葉の一つを…キリカは無意識に拾って返していた。
「…まぁそんな些末事は後だ。」
 互いにそれに何か思う所があったのだろう…それが同じ物であるとは知る由も無かったが。話を切り、ジンは物陰から辺りの様子を窺った。
「……随分と手薄なのねぇ。前にあんな事があったのに反省の欠片も見えないじゃない。」
「町の方を巡回しているのだろう。あの者達も上手くやっている様だな。」
 
パァンッ!!

 突如として爆竹の様な乾いた物音が鳴り響き、兵士達はピクリと微動した。そこで全くうろたえた様子を見せない辺りがよく訓練されている事が分かるが、それでも注意が逸れているのは間違い無い。
「よし…行くぞ。これを逃せば次は無いやもしれぬ。」
 彼らが物音の方に気を取られている隙に、二人は気配を殺しながら先を急いだ。



「……祠についたぞーっ!!」
 海賊の見張りの声が、巨船のマストの上から甲板へと響き渡った。

「……ここがサマンオサの入り口か…。」
「ああ。っつっても、普通に入れる入り口じゃあねぇがな。」
 一行は孤島に上陸し、そこに建っている小さな祠の前に入り込んだ。
「…旅の扉が三つか。ここの立地を考えると…中継地点でしかない……か。」
「そういう事だよ。俺達もここはほぼ素通りだったからな。」
 危険な魔物が生息する海に囲まれた小さな島…このような場所に出ても、おそらく先へは進めない。別の旅の扉をくぐり…違う道を探すより他無い。その結果、サイアス達は以前ロマリア地方に行き着いたのだろう。
「…それでは、ここで一旦分かれるって事で宜しいですかな。」
「そうだな。気をつけてな、四人とも。」
 とりあえず、ここからサマンオサへと極力目立たずに入国出来る。ここで一時的な別行動が始まるというところで、皆は互いの無事を祈った。
「…しっかしよぉ、彼女置いてどっか行っちまうって…お前、ある意味随分と乱暴なヤツだよなぁ。まぁいつもだけどよ。」
「彼女…?」
 その最中…サイアスが告げてきた言葉にホレスは首を傾げた。
「……自覚ねぇのかよ。レフィルちゃんの事だよ。」
 他人目から見ても、レフィルとホレスが互いに思う所があると思えたのだろう。
「…ああ。別にオレがついていなければならないって事はないだろ。それより…」
 しかし、ホレスはサイアスにとって…全くの的外れな答えを返した。
「…そっちかよ。」
 レフィルはどうであるか知る由も無いが、少なくともホレスにその様な気持ちは全く無いらしい。サイアスは呆れた様子で嘆息した。
「…あー、こいつ…めっちゃ鈍いんや。」
「それって致命的なんちゃうの?…まぁ俺も人の事言えへんけど。」
「んー、多分カタブツなだけと思うんやけど…って、お前何暢気な事言っとるね!」
「……何の話だ…。」
 ホレスが目を細めながら怪訝な顔で見つめている側で、サイアスは口を挟んできたカリュー共々彼の恋情の疎さに呆れた様子で話し込んでいた。
「まぁ、確かに心配じゃないといえば嘘になるさ。だが、問題はこいつの方だよ。」
 カリューがサイアスへと絡もうとした所で、ホレスは赤い髪を持つ小柄な少女を指差してそう言った。
「…私?」
「ん?ムーちゃんが?」
 その言葉に、本人含めた周りの数人が彼へと目を向けた。
「街中でドラゴラムなんか平気で唱えるなよ…。」
「…ドラゴンの方が動きやすい。」
「……お前な…。」
 幸い…ムーのドラゴンの姿を見慣れている者が多かったためか大きな騒ぎにはならなかったものの、町を襲いに来た魔物と勘違いされてはたまったものではない。

『…むぅ…、おぬしは何故襲われなかったのじゃ…?』

「「「…ッ!!?」」」
 その時、突然巨大な怪物がその八つの首をかしげている姿を現しながら、何処までも深みを感じさせる低めの女性の声でそう呟いていていたのを見て、その場に居合わせた者の一部…彼女の存在を知らない者達は思わず息を呑んで後じ去っていた。
「お…大蛇…っ!?」
 その怪物を身に宿していた本人でさえも、驚いて後ろに下がっている…。
「大蛇……またか…。」
 ほぼ全員が驚き留まっている中、ホレスはそのおぞましいとも形容できる外見に全く臆した様子も無く、嫌そうな顔をしながら彼女…八岐の大蛇に向けて毒づいていた。
『うぬぅ…斯様な事を言われてものぉ…。ここならば人間達の目もそうは届かぬ…そうした機会に出ておかねば体が鈍ってしまうでな…。』
「……まぁ…確かにそうか…。」
 人間であるレフィルの内面へと入り込んでいる以上、必然的にその中に留まり…外へと出る機会は少なくなる。かといって不用意に本来の姿を現わしてしまえばその場の者達に恐れられて、下手したら先の戦いの時の様に決死の抵抗にも遭ってしまう。
『代わりと申しては難じゃが、そなたがテドンなる地へ向こうておる間、わしがこの子を護ろうぞ。じゃから安心して行ってくるがよい。』
 だが、レフィルの力となると言った事ははっきりと意識しているらしく、八岐の大蛇は任せておけと言わんばかりにそう告げた。
「ああ。…出来ればあんたの出番無く事が進めば良いのだがな…。」
『ぬ…?それはどういう意味じゃ…??』
 彼女の言葉にある種の心強さを感じながらも、同時に不安もまたホレスの心中にあった。レフィルが魔物である八岐の大蛇の力を借りていると言う事が公に知れれば、どの様な扱いを受けるか分からないと言う事もあるが…。
「じじい。アバカムの準備しとけよ。」
「めんどくさいのぉ…。」
「…っつってもよぉ、あんたしかあの扉開けるヤツ居ねぇんだからさぁ。なぁレン。」
「…何で私に話題を振るワケ?」
 その一方で、サイアスはジダンへとサマンオサへ進入する為か、何やら準備を促していた。どうやら旅の扉の先にアバカム…開錠呪文が必要となる程の固く閉ざされた扉がある様だ。
「…ホレス、ムー…」
「分かっている。また会おう。」
 ほんの一時の事とは言え、二度目の別れの時は近づいている。レフィルが複雑な思いで呼びかけてきたのに対してホレスは頷きを返しながらそう告げた。
「…い…」
「ムー?」
 その時、ムーが小さく呟いた言葉が僅かに耳に届いたが、その言わんとする事が聞き取れず…レフィルは彼女を見て首を傾げた。
「……あなたは一人、だから心配。」
「…え?…う…うん…。」
 マリウスやカリューが同行してはいるものの、年齢差などの立場を考えても基本的にレフィルは彼らとは距離を置いて接さざるを得ない。更に、先ほどまで敵対していた者達と共に行動する事になるところでも…尚更彼女の置かれている状態は孤独に類するものがある。
「必ず戻ってくる。だからあなたも無事でいて。」
「あ…ありがとう……。」
―…そう……そうだよね…。
 何の着飾りも無いムーの気遣いの言葉を聞いているうちに、レフィルは少し先日に感じた暗い感情が落ち着いた様な気がした。…僅かな引っ掛かりを感じながらも。
「出航準備終わりやした!!天候も良好です!!」
「ああ、すぐ行く。」
 サイアス達が度の扉の前で準備をしている一方で、海賊達も出発の支度を終えたらしい。急ぐ事自体が難しい状況とはいえ、一刻を争う事態にある中でここに留まっているのはあまり好ましくない。
「じゃあな。」
「うん…。気をつけて…。」
 レフィルと最後の言葉を交わした後、ホレス達は別れを惜しむ気持ちも垣間見せずにすぐに海賊船へと乗り込んだ。程なくして錨が引き上げられ、帆が張られると共に船はゆっくりと大海原へと向かって進み始めた。
「そんじゃ、俺達も行くとしようか。」
「せやなぁ。…いっちょあのあほどもを叩きのめさな気が済まんからなぁ。」
「…おいおい、すぐ戦い行くとちゃうやろ……。頼むからそこんとこ気ぃつけときや…。」
 サマンオサ兵と戦う気満々なカリューを諌めつつ、サイアスは先行きが不安になるのを感じていた。
「…兄貴、元気にしとるかなぁ…。」
 物騒な事を言ってのけた後、カリューは忌むべき祖国の中にいる自分の兄の事を思い、感慨深そうにそう呟いていた。


「…カルス様、クトル様はどちらに…?」
 夜の闇に閉ざされ…暗くなった大きな天幕の中を照らすカンテラの明りの中、そこに佇んでいた傭兵に、闇に溶け込む紫紺のローブに全身を包んだ魔道士風の出で立ちをした女性が主の行方を尋ねていた。
「……ああ、つい先ほど出て行った。おそらくはサマンオサへと向かっているだろうな。」
「…サマンオサ…ですか?」
「誰かから聞かなかったのか?」
「…す…すみません…。」
「まぁいい。あんたも忙しいらしいからな。」
 クトル…彼女が主は既にここに居ないらしい。それを今聞かされるまで全く知らなかったのか、女性は少し動揺した様子でうつむいた。
「…あいつがいない所で、この軍は崩れる程脆くは無い…と言う事だろう。」
「……え…ええ…。」
 カルスと呼ばれた男に言われた事を気にしているのか、彼女はやはり何処か歯切れが悪そうに相槌を打っていた。
「…しかし、ここでこの街を潰したところで……あの王は一体何を考えているのでしょう…?」
「それは俺達が考えるべき事ではない。」
 外では兵たちの打ち合わせの声や足音が絶えず、夜であるにも関わらず静寂を許さない状態だった。
「あんたもしっかり休んでおけ。あの無能ども、最初の予想以上に力がある様だからな。」
「…は、はい。では…失礼しました…。」
 カルスに休むように言われて、女性はその怪しげな雰囲気の出で立ちとは裏腹の非常に控えめな様子で彼の佇む天幕から出て行った。



「……さて、ここから五日ってトコだね。」
 青年ともとれる精悍な顔つきをした女性が誰にともなくそう呟いていた。そして、波音が静かに響く海賊船の甲板上…その一角に座り込んで何か作業に熱中している銀色の髪の青年へと歩み寄っていた。
「あんた、もう準備は出来てるのかい?」
「ああ。概ねな。」
 彼女…アヴェラの呼びかけに…ホレスは無感情に頷きつつ短く言葉を返した。
「…随分大きな荷物だねぇ。こん中何入ってるのさ?」
「……見るか?」
 アヴェラが興味深そうに…行商人が使うような大きな背負い鞄にまとめられた荷物を眺めるのを見て、ホレスはその中身を開いて見せた。
「ぎゅうぎゅうもいいトコじゃないか…。」
「…ああ。長丁場になった時の事を考えれば当然だ。」
「…うへぇ……。あんた…えらく細っこいのにそんな重いモン持ってくのかい…?」
 日用品と非常食料が最小限に抑えられている中、これまで手に入れてきた武器や道具が大量に詰め込まれていた。おそらく本人で無ければ用途の分からない様なものもある。その総重量はかなりのもので…逆に長い旅になるからこそ邪魔にならないかと思わせる程のものだった。
「はっは、いつに無く精が出ますな。」
「お、賢者サマ。来てたのかい?」
「外で君達が話し込んでるのを聞いて興味を持ちましてね。ふむ…やはりこれだけの荷物を彼が準備されてるのを見たのは初めてですな。一体何処でそこまで多くの荷物を持ち運ぶ手法を習われたので?」
 いつの間にか側に来たニージスも話に加わっていた。背負い鞄を埋め尽くす程の沢山の荷物が効率よく詰め込まれている…そのくせ、無駄の無いという矛盾さえ感じる程の状態を見て感心しているらしい。
「……グレイに習った。独学では限界があったから基本だけを教わった。」
「ほぉ。…彼はそうしたものには専門外と聞きますがねぇ。」
 問いかけの答えを聞き、ニージスは彼の師であるよく知った男の指南の上手さに感服した。

ぶぉんっ!!

「おっと!」
 その時、不意に突風とも間違う程の空気の流れがアヴェラをかすめた。
「…ああ?なんだいなんだい?」
 アヴェラは風というにはあまりに凶悪なそれをかわしながら、その当事者たる…赤い髪の少女…ムーに酷く鬱陶しげにそう言い放っていた。
「あまりホレスに近づかないで。」
 だが、ムーもまた明らかに敵意のこもった口調で負けじとそう言い返した。どうやらアヴェラがホレスの側にいる事が気に食わなかったらしい、何故だかは知る由も無かったが。
「またやろうってのかい?…上等だよ!」
ブンッ!!
ジャキィッ!!
ダッ!!
 ムーが理力の杖を振りかざすと同時に、アヴェラもまた自分の得物…一対のドラゴンキラーを抜剣した。にらみ合っていたのも刹那の間で、二人は同時に甲板を蹴った。

ヒュンッ!!

「え?」
 その時、何かが空を切る音が聞こえてきて、アヴェラは思わず間の抜けた声を上げて一瞬動きを止めてしまった。

ぎしぃっ!!

「ぎゃっ!?」
 そして、不意に何かが体に絡みつき…彼女の体の自由を奪った。
「…ホ…ホレス……??」
 体に纏わりついていたのは何本かのロープだった。ドラゴンキラーで切り落とす前に、複雑に絡まってアヴェラは身動きが取れなくなっていた。
「むー……。」
 それはムーもまた同じらしい。二人を縛るロープの元を辿ると、ホレスが数本のロープを握っている姿が確認できた。
「………いやはや。随分乱暴な止め方では?」
「…知るか。今争われたら冗談抜きに船を壊しかねないからな…。特にムーが。」
 ニージスが苦笑いしながら告げてきた言葉に、ホレスはしれっとした態度でそう返した。どうやら本人は下らない事で旅の支障を作りたくなかっただけらしい。
「…ふふふ、ロープさばきもなかなかのものねぇ。」
「いいからほどいておくれよ…。…ったく、意外と短気なんだねぇ…この子。」
 アヴェラは締め付けられる感触に顔を苦渋に歪ませながら、複数のロープを同時に操り戦闘態勢の二人を同時に締め上げた技術に感心しているメリッサを見て嘆息した…

「…捨て…汝が境地に………ドラゴラム」

 その時、唐突に呪文の詠唱がその場の全員の耳に届いた。

「グ…グ…グググ………!!」
ブチブチブチィッ!!!
グォオオオオオオンッ!!!

 ロープと衣服の破片が悲鳴を上げて四散し理力の杖が弾き飛ばされると共に、金色の竜がその姿を現した。
「……お…おいっ!?」

どすぅううんっ!!

「どぉぉわっ!!?」
「ぉおおおぅっ!!?」
「あらあら…!」
 竜が甲板に着地すると共に船が大きく揺れ動き、アヴェラ達は船員共々悲鳴を上げた。
「…っ!…まったく…。」
 ただ一人、ホレスは舌打ちしながら…人間に比べるとあまりに圧倒的な体格を持つ金のドラゴンにそう毒づいていた。
『…ほどくのがめんどくさかったんだもの。』
「逆効果だったみたいねぇ…。」
 「面倒事」が大好きでも、”自分自身が”面倒な事は嫌いらしく、自分を縛り付けていたロープを豪快に破ってしまうのも全く厭わない所はホレスにとっての計算外な事だった。
『魚捕ってくる。』
どっぼぉーん!!
 当の本人は…金色の翼をはためかせて空を飛び、海に向かって勢いよくダイブして甲板に水しぶきを撒き散らした。
「だからあれほどドラゴラム唱えるなって言ったんだ…。」
 後先考えずにドラゴンに変身したムーに…ホレスは頭を抱えていた。恥じらいも何も無いばかりか、下手をすれば船そのものにも危険が及ぶ様な事になると何故分からない…と言わんばかりに…。
「…ふふふ、いつもの事だけど…」
「……何ぃッ!?いつもだとぉ!?」
 それゆえに、続くメリッサの言葉は更に衝撃的なものだった。ホレスは怒りとも驚きともつかぬ鬼の様な表情でその顔を歪ませ、彼らしからぬ素っ頓狂な声を上げた。
「…はっは…よく保ちましたな…この船も…。」
「ドラゴン一頭乗った程度で沈むようじゃ、海賊船なんざ名乗れないさ。」
 ホレスが狼狽している一方で、他の面々は何事も無かったかの様に持ち場に戻り…或いは至極当然とばかりに会話を続けている。
「ふふふ…成長したものねぇ。」
「ゴホンゴホン!もとはといえばアンタの妹がやった事だろ…。」
 そもそもドラゴンが船に乗るなどという状況が起こる方がおかしい。…やはりアヴェラ達も最初は驚いていたらしいが、今ではすっかり順応している様だ。…慣れは恐ろしいものである。
「……まぁあいつが思いっきり暴れてくれるお陰で、魔物の襲撃は減ってるんだけどね。」
「あら?結構買ってるのねぇ。あの子の事。」
「ゴホンゴホンッ!…全く、口の減らない姐さんだねぇ。」
 しかも、百害あって一利無し…というばかりでは無く、ムーがドラゴンの姿で飛び回ったり泳いだりする事で、周りの魔物からの畏怖を買う事で襲撃を抑えている事もあるらしい。
―……全く。
 大抵の物事は一概に害であるとも利であるとも言えない…。話を一通り聞いてそんな事を考えながら、ホレスは気だるさを払拭するべく首を振った。