災禍の申し子 第十二話
パキ…パキパキ……
 何かが砕ける様な音と共に…白い物が黒装束の隙間から落ちている…。
―…こ…これは……!?
ペキン……!
「……ッ!?」
 体を動かそうとするたびに…何かが剥がれ落ちる様な音と共に…痛みを感じる…。
―…な…何が起こっている!?
 ホレスはそれによる苦痛に顔を歪め…脂汗をかいていた…。同時に突然の出来事に対する混乱が彼を襲っていた。
「あなたの体を石化させた。」
―…石化…!?
 メドラが語る言葉…それにつられて自身の掌を見ると…。
「…く……さっきの詠唱は……」
 
―此処に轟くは崩れ逝く者の無数の訃音。汝は内なる力にて風塵と還れ!

「…これが私の潜在能力。全ての生物を石と化して砕き、死に至らしめる。そして…あなたも…。」
 ホレスのうめきに対して答える様に淡々とそう告げた後…メドラの額に赤い光が淡く灯った…。
「……!?」 
 ホレスはそれを真正面から見て瞠目していた。
「…な…なんだ…それは……!?」
―…第三の…瞳…!?
 そこにあったのは…血塗られた…されど徐々に命の輝きを増している純粋な赤の瞳をもつ額に見開いた”眼”であった。
「そのまま砕けて」
「…っ!!」
 メドラはホレスの懐に潜り込み、拳を構えた。
―…武闘家の構え…!!
「安心して。苦しまない様に一発でバラバラにしてあげるから。」
 体格の小ささも…線の細さも…その全てが最早無意味ともいえるほどの鋭い殺気がメドラの体から静かに立ち上る…。
「く…!イオ…」
「無駄。」
ドッ!!
 小さい少女が放つ…無慈悲なまでな渾身の一撃が、抵抗の為にムーの呪文を唱えようとしたホレスの鳩尾へと叩き込まれた。


「!」
 ニージスが駆けつけた時…黒装束の青年が三つの眼をもつ赤い髪の少女の拳撃を受け…後ろへと突き飛ばされた所であった。
「ホレス!」
 すぐに助け出そうとすぐに宙に投げ出されたホレスへ向けて走るが…

「邪魔しないで」

「…!」
パキ…!
 怪しい光を浴びて…彼の体もまた石化を始めた。
―…しまった!
「…キ…キアリク!!」
 何かが壊れ始める音と共に走るささやかな痛みを感じて、すぐにニージスは治癒の呪文を自身に施した。
―……流石に死にたくは無いもので…ですが…!
「…これは…なす術も…ありませんな…。」
 自身の体を蝕む石化の呪いは打ち払われたが…ホレスにまではその効果は届かず…彼はそのまま地面へと激突した。

ドサッ!!

「…ぐぅ…っ!!」
パキ…!ぺキ……!!
「う…ぐぁああっ!!」
 全身に走る激痛に…ホレスは思わず絶叫した。
「があああ……!!」
 体が引き裂かれる様な感覚と共に…忍びの衣に血が滲んでいくのを感じていた… 
―……だが…!!
「…どうした…?一瞬で粉々にするんじゃなかったのか…?」
 しかし、全身から血を流しながらも…衝撃で砕かれた箇所は何処にも無く…ホレスは五体満足で立ち上がった。
「……まさか………石になってないの……?」
 完全でも無かれ、体の芯も含めてある程度石化していれば…無闇に動こうとするだけで負荷がかかり、それによっておのずから砕けて命を落とす事になる。だが…
「……オレにも分からない。だが、その石化とやらが…呪いの類であるなら…或いは効かないのだろうな…。」
 ホレスの顔や手に少し石化した部位が見られる程度で、内側まで侵食された形跡は無い。
「…が、過信はやはり出来ない…か。」
 石化して砕ける事は免れたが、体の表面のあちこちが石と化している。どうやら完全にメドラの瞳の効果を打ち消せるわけでは無いようだ。
―…正直…気持ちが悪いな…。
 忍びの服の下の体の随所の表皮も石と化しており…動くたびにそれらが剥がれ落ちて…傷を深めていく…。
「キアリク!」
 僅かにその苦しさを顔に表わしているホレスを見かねたのか、ニージスはキアリクの呪文を彼へと施した。
「……すまない。」
「はっは…あの子の石化に真正面から打ち勝ったのは君が初めてですとも。」
 全てを殺戮する破壊の賢者…メドラ。それと面と向かって戦い…生き残っただけでも十分奇跡である。過去の惨禍を思い出しながら…ニージスはふと…そう思っていた。
 

ガキャッ!!
「…ぐぉおおっ!?」
 魔神の拳を大盾で防ぎ続ける中…突如として、マリウスは思い切り後ろへと弾き飛ばされた。
「やべぇ…!そろそろ限界だ……!」
 破壊の剣と嘆きの盾が唸りを上げている…。これ以上は彼の手で制御できず…彼はガクッ!と膝をついた。
―…ま…待て待て…!!

ファーハッハッハッハ…

 突然動けなくなったマリウスに対して…魔神は笑いながら両手の拳を天にかざし、一気に彼へと振り下ろした。
―ぎゃああっ!!?やられる!!?
 上半身だけで世界樹程の体躯を持つ者の攻撃を呪いの加護無しで受ければ、流石に無事ではすまない。

ドンッ!!
ウゴッ……!

「……!?」
 しかし、それが彼へ届く前に、何者かが魔神へと体当たりを仕掛けた。
「あれは……。」
 マリウスと魔神の間に現れたのは、緑色の鱗を持つ…八つ首の巨竜だった。少し離れた所に…虚ろな表情をした黒髪の少女が立っている…。
―…おいおいおい、今度は何が起こるってんだ…??


「……。」
 メドラの第三の眼が閉じ…辺りに立ち込めている闇が晴れて、視界が開けた。
「…ニージス。」
「はい?」
 ホレスはメドラへと向き直りながら…
「レフィルを頼む。」
 側に倒れているレフィルを指差してニージスにそう告げた。
「…はっは、君一人で決着をつけると…?」
「いや」
「…?」
「ムーも一緒だ。あいつは二人で取り押さえる。」
「倒す…では?まぁどちらでも良いですが。」
 ホレスの言葉を聞き届けて…ニージスは気を失っているレフィルへと駆け寄り…その体を抱えてその場を去って行った。
「…決着…か。」
「……石化が効かないなら…あなたの全てを消滅させれば良いだけの事。」
「させないさ。なぁ、ムー。」
 これが最後だった。互いに力を使い果たし…残るはただ一回…。
「行くぞ!」
 

「…最果てに伏したる数多の蠢く者共よ、汝は創世の光の奔流と化して我が元へ集え……!」
「よろずの道、其が示すは如何なる惨禍か福音か…然れど我は乞う、此処に正しき定めが現る事を…!」

「『パルプンテ』」

 ホレスとメドラ…そして、ムーの詠唱が重なり合い…噴き出した大いなる魔力同士の激突が辺りを揺らした。


「…何をしているの?」
―……。
「カンダタを探しに行かないの?」
―…何故?
「…あなたは…ただ逃げているだけ。」
―…逃げている…?
「あなたは私より強い…でも、何をしていたの?」
―何を?
「……カンダタとの約束を破った。」
―……カンダタは死んだ。
「だからと言って約束を破って良い理由には…」
―うるさい。
「何度でも言ってあげる。あなたは自分でカンダタと約束した。」
―何を?
「死ぬまで忘れないって。」
―……。
「死ぬまで忘れない。でも、あなたは忘れている。」
―……!
「…あなたにはわかっていない。カンダタが望んでいたのは私達の生。」
―……。
「大切なのはカンダタを忘れない事じゃない。カンダタの思いを忘れない事。」
―…想い…?
「カンダタは私達の事を生かす為に命をかけた。でも、あなたはそれを無駄にしている。」
―……。
「…やっぱりカンダタの事を忘れている。本当に大切な所はここ。」
―でも…死んじゃったら意味ないのに…。
「…何を言っているの?」
―…??
「カンダタが死ぬわけは無い。殺しても死なないもの。」
―…!!…あの人は…私の目の前で…!
「死んだ?だったら生きないと。結局それも無駄になる。」
―…生きる……。

 鏡を見ている様に…姿が酷似した二人の少女が向き合って何かを言い合っている…眩い光の中で…そんな光景が目に浮かんできた。
―…そうか……これが……。
 ホレスの耳をもっても…彼女達が何を語っているかは全く読めなかった…が、それが決して悪い方向へ進む事は無い…、何故だか分からないがそう思わされた…。
―……あとは…お前次第…か。
 白い光の中に身を委ねながら…ホレスは意識を手放した。




チュン…チュン……
「……。」
 鳥のさえずりがその耳に静かに届き…ホレスは目を覚ました。
―…ここは……。
 仰向けに寝かされて…巨大な木の青々とした緑色の葉が目の前を覆い尽くしている…。
―…世界樹……か。
 体の痛みも無く、何故か何もかもが満ち足りた様な状態だった。
―流石に…死者さえも蘇らせるという伝説があると言った所か…。
「…さて……と。」 
 草むらから上半身を起こして…辺りを見回す…。そこには激しく闘った形跡が所狭しと並んでいる。巨大な拳でも振り下ろされた様な大きな陥没、高熱によって焼き尽くされた様な草原の一角…、そして…
―…あれが……最後…だったか…。
 何かに抉られたかの様に地面に深く刻まれた…弧が真っ直ぐに連なるような巨大な窪み。
―……あいつを助ける為とはいえ…随分と暴れたものだ…。
 里に至るまでに見た凄絶な光景とは流石に比べ物にならないが、それでも…凄まじい力同士が衝突し…波紋の如く撒き散らされた余波が被害を拡げていった。
「…ん………。」
 少し離れた所で小さくうめく声が聞こえた。
「起きたか…。」
 そこにいたのは黒い髪の少女…レフィルだった。傷つけあった時の様な鋭い殺気は今は感じられない。
「ホレス……。」
「……。」
 正直複雑な気分だった。如何にメドラによって操られていたとはいえ…レフィルはホレスを死に追い込み、逆にホレスもまた…襲い掛かってくるレフィルに対して容赦無い攻撃を浴びせた。
「…ごめん…なさい……。」
 やはり…あまりに酷い事をしてしまった…と思っているのか、少し言葉に詰まりながら…レフィルはホレスへと弱々しくそう言った。
「……何を謝る。オレだってお前の事を……オレももう少し落ち着いて対処すればよかったんだ。」
 ホレスもまた…抱え切れない程の悔恨を…言葉として吐き出した。あの時…ホレスはレフィルの猛攻に冷静さを欠いて、死に物狂いで戦う他無かった。
―…相手が悪い…では言い訳にならない…か。
 彼自身も…まさかレフィルの戦いを苦手とするとは思っていなかった。生きる為に…即ち相手を確実に仕留めるために磨き上げられてきた剣と呪文…。懐に潜り込めば…一撃必殺の剣で両断され、距離を離そうとすれば呪文で攻め立てられて体勢を崩されて一気に畳み掛けられる。
―……確かに…二度と戦いたくないな。
 メドラの呪文により、全ての躊躇いが取り除かれた副産物であったにしても…あれはレフィル本人が十分に発揮しうる力である事には変わりない。或いはあれだけの力を出す程の…全力を出した人間の境地そのものを怖れるべきか…。
  
「「……。」」

 それ以上言葉が続く事は無かった。ホレスもレフィルも…自分自身に責があると言って譲らない。きっかけはメドラの呪文であるが…殺し合いとなってしまったのは変わらない。

「………むー……。」

「「!」」
 静寂を破ったのは…後ろに倒れていた赤い髪の少女の唸り声だった。
「ムー…?」
 レフィルは後ろで目をしばたかせている…彼女の姿を見て…恐れとも戸惑いとも言える様な表情でそう呟いていた。
「ムー。」

「「「……。」」」

 今度は三人の間で暫しの間沈黙が続いた…。だが、少なくとも今のムーからは世界を滅ぼそうとしたあの凄まじい気迫は感じられない。
「戻って来た…のか。」
 ホレスが立ち上がってきた赤い髪の少女にそう尋ねると…彼女は無言でこくりと頷いた。
「…戻って来た…?え…?」
 二人の間で静かに成されたやり取りに…レフィルは何があるのか読めず…きょとんとした様子で彼らを見た。
「おぉ、三人とも気がついたか!」
「…あ、おはようございます。」
 丁度話が途切れようとした所で、聞き覚えのある声が聞こえてきた。鎧が擦れる様な音から…戦士マリウスであるとホレスはすぐに気付いた。
「今メシ作ってるぜ。…何つーか怪我人ばかりだからあんまり美味いモン出せないけどよ。」
「……そうだな…。こいつらもオレも…色々聞きたい事はあるが…」
「まぁ話はメシ食いながらにでもしようぜ。」
 言われてみればメドラとの戦いからまだ食事をとっていない。三人は忘れていた空腹感に僅かに体の力が抜けていくのを感じていた。
「……えっと……」
「ん?どうした?レフィルちゃん?」
 ふと…レフィルが何か言い難そうに言葉を切ったのが気になってマリウスは彼女に声をかけた。
「…鎧に……エプロン……?」
「は…はははは……」
「またか…。」
 真紅の鎧の上に…実にファンシーな模様のエプロンを付けている状態をレフィルに突っ込まれて乾いた笑いを浮かべているマリウスを見て、ホレスは思わず溜息をついていた。