災禍の申し子 第十一話
 何もかもを白く染め上げる圧倒的な…それでいて柔らかな光…その中でムーは全てを忘れて流れに身を委ねていた。
―…これは…なに……?
 暖かな温もり…それは冷たく澄み切った彼女の体の中へと広がり…
―……何かが…満たされてく…
 メドラとの邂逅で負った傷…それは勿論の事……魔王の幻影を見てから体に忍び寄っている死の気配さえも打ち消し…

「よろずの道、其が示すは如何なる惨禍か福音か…」

「パルプンテ…」

 気がついたら…今まで唱えた事の無い呪文がその口からひとりでに紡がれていた…。
―……これが…パルプンテ……
 ムーはその呪文を唱えた瞬間より…体そのものが光となってこの場から立ち消えるのを感じ取った。


グルゥウウ………

 白い光の中で…最後に五感が感じ取ったのは…真紅の鱗を持つ小さな竜が…森の中でただ一匹で佇んでいるところだった。彼女はその場から消滅する事に全く動じた様子も無く静かに意識を手放した。


―……。
 目を覚ますと…そこは焼き尽くされた樹海の一角だった。
―……?
 地面に倒れているわけでもなく、宙に浮いている様な違和感を感じて…彼女は体を改めた…。
―…体が…ない……。
 実体が無く…意識だけがその場に漂っているといったところか…。ムーは自身の姿が見えない…感じられない事へ驚きを隠せない様子だった…。
―……!
 その様な中、突如として近くで地鳴りの様に低い笑い声の様な音がするのを感じて意識を向けると…そこには一際大きい大木の側で…強大な呪文を操る赤い髪の少女と戦っている者達の姿があった。
―……あれは…。
 赤い髪の少女が召喚したらしい巨人…否、魔神…先程の声の主は彼であろうか…それが戦士二人と魔女一人を拳を力任せに振るって殴り飛ばしていた。
―あれは……!
 魔神を召喚した本人…赤い髪の少女は黒装束の青年と交戦していた。戦っている側には黒髪の少女が力無く倒れている…。
―ホレス……!
 だが、彼…ホレスの攻撃の激しさと裏腹に殺意はさほど感じられない。どうやら一気に畳み掛けてそこを取り押さえるという狙いでの戦いらしい。
―…あれは…私…。
 対する赤い髪の魔道士…自分と瓜二つ…否、おそらくは彼女自身と言って差し支えは無いのだろう…。
―だったらここは…
 夢なのか…それとも……
―………!
 不意に赤い髪の少女が倒れている黒髪の少女に呪文を唱えた。
―…レフィル!?
 その瞬間に彼女…レフィルは目を覚ますなり…ホレスへと斬りかかった。
―……どうして!?
 彼女は明確な殺意を以って目の前の”敵”の息の根を止めようと攻め立てている。
―だめ…!あれだと…
 ホレスも全力で戦っている…しかし…
―相性が…わるい…
 情を捨てたかの様に…レフィルの一撃一撃の鋭さは過去に見たときの比ではなく、ホレスは多用する道具の有効性を十分に発揮できていない。
―……。
 ムーはなすすべも無く…かつての仲間同士が戦っているのを見守る他なかった。

ザンッ!!

―…!!
 戦況の拮抗は突如として崩れた。レフィルが持つ蒼い刃がホレスを切り裂いた。
―ホレス!!
 直後…それにより負わされた傷が凍りつき…更にその体を傷つけて彼は血を吐きながらその場に膝を屈した…。
―……だめ…!
 瀕死の重傷を負ったホレスの前に…冷気を纏う氷の刃よりも冷たい表情を顔に張り付かせた少女がその命を刈ろうと歩み寄る…。そして…剣は振り下ろされた…
「…やめてっ!!!」
 ムーは思わず叫んでいた。
「イオラ!」
 いつしか開かれていた口から紡がれた力ある言葉が巻き起こす閃光が二人を飲み込んでいた…。
―……?
 爆発が起こり、レフィルはそれに巻き込まれて大きく吹き飛ばされた。同時にホレスも後ろへと軽く投げ出されていた。
―…呪文が届いた……?
 剣を携えた赤い髪の少女と会った時は…爆発がその世界に在る物へと触れる事は無かったが…今は事情が違うらしい。
「…ホレス…!」
 ムーは血を流してうつ伏せに倒れているホレスを見て…内に熱くたぎるものが現れるのを感じていた…。







「…ぐ……!げほ…っ!」
 体の内の血の匂いと…血の塊による息苦しさにむせ返りながら…ホレスは意識を取り戻した

―…まだ…生きて……?だが……
 吹雪の剣による氷の浸食を受けて、既に致命傷を負っていたはずだが…傷の痛みは消えていた…
―それとも…もう死んだのか……?
 否、感じないと言った方が正しいだろうか。それと…何も見えない…何も聞こえない…。何処までも広がる白…、それが今の彼が見えている光景の全てだった。
―……ス…
「……?」
 ふと…ホレスの耳に…小さな声が届いた様な感覚がした…
「誰だ…?」
 何も聞こえない無音の世界にある中で…その声は幾度も彼の頭の中に響き渡っていた…。
―ホレス…ホレス…
「…!」
 それがようやく自分の名を呼んでいる事に気がつくと…
「…いや…待て、その声は…まさか!」

―ムー。

 声の雰囲気が記憶にあるものである事が感じ取れた。ぽつりとした…消え入りそうな様でそのくせはっきりと相手に伝わる小さな少女の声……
「…ムーなのか!?…何処にいる!?」
 五感が失われ…気がおかしくなりそうな感覚の中で…ホレスは呼びかけてくる少女に向けて叫んだ。
―…わからない。でも、何故かあなたを間近に感じる。
「…なに…っ?!……おまえ…まさか……死んで…!?」
―…違う。でも、似たようなもの。あなたも私も。
 ホレスは吹雪の剣による一閃で致命傷を受けて瀕死の状態だが…ムー自身も同じ様に追い詰められた状態にあるのか…。メドラが苛まれている過度の魔力の消耗の影響か…或いは…
―……このままじゃ二人とも死んじゃう、多分。
「…はっ…、これがオレの限界…か。」
 存外呆気なくレフィルに斬られて、死に行こうとしている…。それに何処か虚しさを感じてホレスは乾いた声を吐き捨てた。
―…でも、私はまだ死にたくない。あなたにも生きて欲しい。
「…だが、方法は…あるのか……?」
 傷の治癒も、体を蝕む氷塊に対処する事も出来ない。ムーはともかく…このままでは自分はすぐに死を迎えることになる。
―……力をあわせれば、あるいは。
「力を…あわせる…?」
 


『…ベホマ』
 血の味が広がる口から、ホレスはその言葉をはっきりと紡いだ。
「…!」
 死相さえ浮かんでいた彼の顔に温もりが戻り…その足がしっかりと地面を踏みしめて、身を立ち上げていた。
「……どうして…?」
 彼に呪文の適性が無い事はメドラも知っている。ならば…今聞こえた最上級の回復呪文…ベホマは一体何によって導かれたのか…。
「…さぁな。だが…あいつは…”力を合わせる”、確かにそう言った。」
 表情こそ変えずとも、呆然と立ち尽くしているメドラに、ホレスはそう言った。

―……憑依?
―…私があなたの体に憑く。そうすれば、私の呪文をあなたが使える。
―………待て、そうするとオレ達はどうなる…?
―…大丈夫。私を信じて。
―……他に手段は…
―ない。
―…分かった。

「あの子が?……だから、その呪文をあなたが…」
 自分の片割れともいえる存在がホレスへと肩入れをしている、とすると確かにこの程度の事は想定出来ずとも、現に起こってもおかしくはない。そうとでも思ったのか、メドラは然程驚く事も無く、目を細めて彼を見た。
「まぁオレの魔力程度では大した力にはならないが、どの道時間が無いのは変わらないしな。一気に終わらせるぞ!」
 ムーの本体…すなわち今のメドラに掛かる謎の負荷…それを取り除けぬままこのまま戦いを長引かせるわけにはいかない。ホレスは武器をそれぞれの手にとって、メドラへと一歩を踏み出した。
「……。」
 彼の言葉に何を思ったのか…メドラは動きを止めて暫く黙り込んだ…。
「…だったら、私ももう迷わない。あなたに邪魔されるくらいなら、その子もろともあなたを倒すだけ。」
―来るか!?
 やがて静寂を破り、メドラはホレスへ向けて手をかざした。
「……ザキ」
 彼女が吐き出した言霊が純粋な死をもたらす呪いと化してホレスに直撃した。
『ボミオス』
「……ッ!?」
 しかし、ザキがホレスを死へ追いやる事はなく、その手から放たれた束縛の呪文がメドラへと絡みついた。
ギィンッ!!
「…ザキが…効かない!?」
 体を覆う重苦しいまでの力に耐えながら、メドラはホレスの隼の剣をアサシンダガーで受け止めてどうにか距離を取ろうと下がった。
『ラリホー』
「く…!」
 焦りによって判断を誤った…冷静な思考を欠いて不覚にも大きな隙を晒したメドラへ向けて、ホレスは容赦無く催眠の呪文を放った。
「甘く…見ないで!」
 だが、その呪文程度で止まるほど…事は易しい物では無かった。
「…メラゾーマ!」
 メドラはラリホーを発動させているホレスに向けて…メラゾーマの呪文を放った。
「……ち!」
 近距離から人を丸ごと包み込んでしまうようなとてつもなく大きな火球がホレスへ向かってくる…!
―…えぇい!
ドガァーンッ!!
 咄嗟に投げた爆弾石がメラゾ−マの中で炸裂して…それを内側からバラバラに分散させた。
『フバーハ!』
 爆弾石を咄嗟に投げてその爆風で後ろへと下がり、フバーハを展開して…ホレスはメラゾーマによって焼かれるのをやっとの事で耐えしのいだ。
「これでも流石に完璧には防げない…か。」
 減殺された火球の熱量で僅かに身を焦がして、彼は僅かに苦痛に顔をゆがめた。
―防いだ…?
 しかし…その一方で、殺す気で撃ったメラゾーマを辛くも切り抜けた黒装束の青年に…メドラは一瞬目を見張った。
「でも、これは防げない。」
 無論それでいつまでも隙を見せる程甘くはない。
「ヒャダルコ」
 彼女はすぐに別の呪文を発動して氷の刃を生成して、彼へと放った。
―…ち…!思ったよりくるな…。
 ホレスがその呪文を遮る事は無かった。
―…レミーラ程甘くは無い…って事か…!
 先程から時に上位に位置する呪文も立て続けに唱えて魔力を急激にすり減らした負荷がまとめてのしかかり、彼の反応を一瞬遅くした…と言った所か。
「ふんっ!」
ガギャッ!!
 次々と飛来するヒャダルコの呪文の産物を、ホレスは右手のドラゴンテイルで薙ぎ払い、左手のドラゴンクローで砕いた。
―…いけない…
「…ムー?」

最果てに伏したる……

―……あの呪文を唱えてくる。
「!」
 小さく呟くような…それでいてはっきりと意志が込められた言葉と、頭の中に響き渡る声にホレスは目を見開いた。呪文の負荷を受けて動きが遅れたのが災いして、メドラへと詠唱の隙を与えてしまう事になったようだ。
―…阻止しないと…
「ああ、分かっている!」
 先程も聞いた詠唱…それは破滅をもたらす力を招く禁断の呪文への調べ…
「汝は創世の光…」
「…させない!」
 それを躊躇いなく唱え続けるメドラへと、ホレスは雷の杖を振るった。杖の先に稲光が集い、次の瞬間にはメドラへと飛来して牙を剥いていた。
バチンッ!!
「…!」
 だが、それは彼女を足止めするどころか…その柔肌を傷つける事すらなかった。
「…水の羽衣だと…!?」
 いつの間にかメドラの体を守るように…透き通った材質の長い布の様な物が彼女の正面へと浮かんでいた。稲妻を受けたのか…僅かな焦げ目がその一端に付いている。
「我が元へ集え」
 そして…詠唱は完成した。

「パルプンテ」
 
 ホレスが次の行動を取る前に、メドラはその呪文を発動した。

「此処に轟くは崩れ逝く者の無数の訃音。汝は内なる力にて風塵と還れ!」

―これは…!
「…ムー?」
 続けられた力ある言の葉…それを受けてか頭に響くムーの声に焦りが取れた。
―逃げて!
「……!!?」
 無意識に尋ね返したホレスに…ムーは強く呼びかけた…
「…な……!?」
 辺りが急に黒い霧の様なものに覆われた様に薄暗くなり始めた…。
カッ!!
「……!?」
 もたらされた闇の中で…不意に赤い光がホレスの体を射抜いた。



「…!」
「な…なんだよ…この変な黒いのは…?」
ファーハッハッハッハ……
 辺りを漆黒へと染め上げんとするその霧に…ニージスは眉を潜め…マリウスは思わずたじろぐ中…魔神はただ体の底にまで響く重い高笑いをしただけだった。
「…はっは、ここはお任せしますよ。」
 そんな中で…ニージスは突拍子も無くマリウスへとそう告げた。
「ちょ…ちょと待てぇ!?俺一人でこんなデカブツ倒せるわけ…」
「いやいや、君なら出来るでしょー。そうでなくても足止めしてくれればそれで十分ですので。」
「……げぇっ!?待て待て…!!」
 呪われた装備を纏うマリウスに魔神が気を取られている隙に、ニージスはマリウスに有無を言わさずにすたこらさっさとその場を離れた。メドラの元へと向かったと思って間違いはないがやけに手早い…。
―…おいおいおい…!これが…咎人とやらの力なのかよ…!?何が起こるんだ…オイ!?
 ニージスが自分達を差し置いて戦線を離脱する程の存在…この闇の様なものもその産物であろうか。魔神の拳を再び嘆きの盾で受け止めながら…彼はこの先に待つ結末が不安になった。