災禍の申し子 第十話
「虚構に彩られし偽りの理、此に求められしは真実を以って成される冷厳なる明鏡…其を以って我総てを正しき道へ還さん……！」
「在の回帰」
祝詞の前文が唱え上げられた後…ムーの足元から黒の光を放つ線が魔法陣を成し…その漆黒の輝きを増した…。
「……あ…」
先程の拳による攻撃…ただそれだけで彼女は致命傷を負い…黒の光を避ける術を持たず…やがて目の前が黒一色へと染まるのを成すすべも無く受け入れる他無かった。
「……ち…！これでも死なないのか…！」
マリウスとニージスは地面から現れた巨大な魔神と戦っていた。メリッサとモーゲンはこの敵の一撃で意識を失っている。
ガンッ！！
「…っう…！！」
魔神の巨大な拳がマリウスの歪な紋様の大盾と激突した…が、先程吹き飛ばされた二人と違い、彼はその場に踏みとどまった。
「…はっは…、しかし呪いの武具とはここまで戦えるものなので…」
「精一杯だっての！！…ってかあんたも手伝ってくれよ！！マジ死ぬって！！」
質量差から明らかに跳ね飛ばされてもおかしくない所を盾の効果でその威力を跳ね返しているのを呑気に眺めているニージスに、マリウスは毒づく様に怒鳴った。
「はっは…バイキルトとスカラでは不足で？というより、この化け物には呪文は効かないみたいでして…」
「…げぇ！？」
ファーハッハッハッハ……
バンッ！！
「うぎゃっ！！」
あっけらかんとした口調の中で告げられた言葉に肩を竦めたその時…魔神の掌が横殴りにマリウスを殴りつけて…彼を思い切り吹き飛ばした。
「おぉう…！」
ドスンッ！！
ボンッ！！
ニージスもまた魔神の手によって叩き潰されたが、それはマヌーサが作り出した幻で…間抜けな音と共に別の地点にその姿を現した。
「…危ない危ない…。これが無ければバラバラになってましたな…。」
巨人の攻撃は決して激しいものではなく、寧ろ緩慢でさえあった。…だが、その分一撃一撃が凄まじい威力をたたき出し、普通ならば人間など掠っただけで致命傷でも負いかねない程の力であった。そして…その攻撃を受けたモーゲンとメリッサの二人は未だに目を覚ます気配が無い。
「…しかし、マリウス。君こそ力を出し惜しみしている場合では無いのでは？このままだと全滅もしかねませんが。」
「……わかってるよ。あー……くっそー…」
少しでもこの状況を打開する手段が無いという訳ではない。だが、同時にマリウスにとっては十分深刻な問題ともなりえた…
「…でぇりゃっ！！」
ザンッ！！！
骨を削って作られた様な歪な外見の剣…破壊の剣が魔神の腕に傷を刻んだ。
…ファーハッハ…ウゴ……イタイ……ヤメロ…
「「……。」」
「痛いって言われてもですねぇ…」
「だな……というかそれでも笑ってるって…逆に怖ぇよな…。」
痛いとは言っているが、魔神の豪勢な高笑いは止まらず…攻撃の勢いも弱まらない…かといって別段強くなってもいない。
―…これじゃあまるで…
レフィルが放ったライデインと吹雪の剣が作用しあう事による…黒雲と雷…そして雷鳴の轟きから放たれた全てを押し流すまでの力がホレスへと殺到した。轟音と激しい光がその存在を完全に否定するかの如く、彼の全てを掻き消した。
「………。」
撒き散らされる灰燼…吹き荒れる烈風…レフィルはそれを無表情で一瞥して…その場を後にして…ニージス達を襲う巨人の方へと歩き始めた。
『……雷の直撃は…防げない…か…』
「！」
その時…、いつの間にか黒装束の青年が懐に入ってきたのを見て…レフィルは無表情のまま体を僅かにぴくりと動かした。心を失った状態で驚きは無かったようだが…僅かに認識が遅れたためか…が、それも一瞬でしかなく、彼女は躊躇い無く彼に吹雪の剣を振り下ろした。
ガッ！！
しかし、それはホレスの左の掌によって受け止められていた。
ドッ！！
「………！」
次の瞬間は体をくの字に曲げて後ろへと吹き飛ばされていた。手甲に包まれたホレスの右手によって力任せに鳩尾を殴られたのだ。
『…だが、刃は通さない様だな。』
鬼神の仮面の守護が働いている為か、吹雪の剣を素手で受けても左手には傷一つついていなかった。それを実感する様にその手を握り締めて後ろに転がるレフィルに向けて一気に間合いを詰めた。
ガスッ！！
拳の方に警戒させておいて…守りがおろそかになったレフィルの脇腹をホレスの蹴りがクリーンヒットした。
『…正気に戻らないなら……倒すだけだ。』
蹴撃をまともに受けて、レフィルはまた思い切り弾き飛ばされて、地面に激突した。
「イオラ」
ドガァーンッ！！
直後…別の声が呪文を紡ぎ、ホレスへと爆発を誘った。
「……下らない。あなたは自分の為なら友達も平気で傷つけるの？」
後ろに跳んで避けたホレスに向かって、メドラは声を低くしてそう尋ねた。側で倒れているレフィルは…ホレスの蹴りで意識を失ったのか、その後動く気配が無い。
『…知るか。』
イオラの術者…メドラの問いにホレスは何の感情も…声の震えすらなくそう返した。
『……オレはオレが望むように生きる。そう言っただろうが。』
「ヒャダルコ」
欺瞞や傲慢にも聞こえる答えに怒りを覚えた訳でも無く、メドラは彼へ向けて氷の刃を複数飛ばした。
「…その子はあなたの仲間。」
呪文を詠唱した後、メドラは一言そう呟いた。仲間の情は無いのか…と尋ねている様だ。
『………はっ、だからと言ってそれに甘えていたらどうなる？相手があの子でも、ああしなければどちらかが死ぬんだ。』
氷の刃による攻撃をドラゴンクロウで打ち砕きながら彼女の言に応えた。
『メドラ、お前もニージスと戦ったのならば分かるはずだろう。自分の成す事の為に…時に非情にならなければならない事を。』
仲間意識というものは余程非情になりきれない限りは芽生えるものであり、ホレスも例外ではない。しかし、それを覆すまでいかなくても…僅かでも反する必要がある場面が現れてもおかしくは無い。
「……。」
そもそも問いを発したメドラ自身に仲間と言う意識があるかどうかがホレスには分からなかったが…或いはニージス本人の言い振りから考えると…彼こそが彼女の理解者ではあったのかもしれない。ダーマでは…ニージスが結局彼女を止め損ねた為に悟りの書を奪われたと聞いた。となると、メドラは一度ニージスを負かしているという事になる。
『……少なからずあの子には感謝しているし放ってもおけない。だが、あのまま手をこまねいていたらどうなっていた？』
倒れているレフィルを指差しながら…ホレスは言葉を続けている。
『…お前が目に映るもの全てに破壊を繰り返して…やがてお前自身が滅びる。そんな結果をあの子が望むとは思えないし、何よりオレも納得しない。』
レフィルだけでなく、彼自身も…ムーに会うために氷の海を抜けてきた。…が、辿り付いてみれば原因の判らぬ眠りに墜ち…世界樹の葉を飲ませた瞬間…メドラとして目覚めて、望まぬ戦いを強いられている…。それでも尚、かつての親友…ムーと再び出会えると信じていたからこそ今立っている。
「……それがあなたの考え？…そう。…でも、私にはもう何も残っていない。」
『なに…？』
メドラは暫く黙ってホレスが語る事に耳を傾けていた…が、俯きながらひとりごとの様に静かに言葉を紡ぎ始めて…
「カンダタは私の目の前で死んだ。」
『…！』
何の感情もこもらぬ抑揚で…冷たくそう言い放った。
『……く！？やはりそうなのか！』
メドラが深い絶望を感じるのも…その言葉から頷ける。家族に等しい者を目の前で殺されたその嘆きは計り知れない。
「…もう何もいらない。」
『…そうか……だからお前は…』
ホレスはこのとき…目の前の少女が心を閉ざしているのはカンダタがいなくなったから…既に何となしにそう理解していた…。だが…それが示す本当の意味は知る由も無かった……。
「分かったならもう邪魔しないで。あなたとも戦いたくない。」
メドラは事実を改めて実感して…俯くホレスに向けてその場から立ち去る様にとそう告げた。
『……いや、いずれにせよ引く気は無い。』
だが、当然彼は引く事はない。
『お前が持つその力……興味が尽きないしな。』
「…あなたも同じ…？」
メドラの師…マクベスは自分を破壊の賢者へと仕立て上げようとして…その力を欲した。ホレスがそれへと目を向けているのは…一体何が為か。
『さぁ？どうだかな。…まぁ、オレに死ぬなと言っておいてお前自身が自分から死ぬのは癪に障るのは確かだが。…どちらにせよお前の我侭は曲げるつもりは無いんだろ？』
ホレスにとって…ムーを取り戻す事に比べたならば…その事はただの些末事でしかない。その為ならば…手段など選ばず…情を捨てる事などに何の躊躇いも無かった。
「あなただって同じ。」
『…ああ。最早話し合いの余地は無さそうだな。』
ダーマで望まぬ賢者の名を背負わされて不相応な力に巻き込まれ…そして最後の支えであるカンダタを失って打ちひしがれるメドラと対して自ら滅びを望む彼女を助ける為に戦いを挑むホレス…。互いにその意志を止める気は無い…が、それらが決して相容れないものである事…それは覆せない。
『…叩き伏せて無理やりにでも寝かしつけてやる。お前自身の為にもな。』
ホレスは雷の杖の先をメドラへと突き出しながら…怒りを僅かに感じさせる様な低い声でそう告げた。
「…ザメハ」
『！』
彼が攻撃に移ろうとしたその時、不意にメドラは倒れているレフィルに向けて覚醒の呪文を唱えた。
ギィンッ！！
『…く…！』
その瞬間に…倒れた状態から起きる一瞬さえも見えぬほどの素早い動きで蒼の刃がホレスの喉元目掛けて放たれた。
―…ちぃ！洗脳は解けていないのか！
「あなたとは戦いたくなかった。だからせめて、この子と一緒におとなしくしてて。」
『こいつ…！』
キンッ！
メドラの言い振りに何か引っ掛かるものを感じたが…すぐに斬りかかってくる少女を隼の剣で迎撃した。
バチンッ！！
『……ッ！？』
その時…ジパングの”火の山”でも感じた仮面の副作用…弾ける様な激痛が頭に走った。
『…えぇい！もう来たか！』
苛立ちを隠せない様子でレフィルの攻撃をかわしながら、ホレスは自らの仮面を顔から外した。…同時に彼にまとわりつく守りの力が解けた。
ガッ！！
「……くそ！」
懐に潜り込み…仮面本体で受けることによりにより吹雪の剣によって両断されるのを逃れ、そのまま右手の拳を叩き込んだ。
ガンッ！！
だが、…レフィルは即座に体を捌いて、背負った盾で攻撃を受けた。
―…この手は通じないか…！
盾で攻撃を受け止められた事で一瞬動きを止めたが…すぐにホレスはすぐに背を向けた体勢のままのレフィルへ次の手を放とうとした…
ザクッ！！パキパキ…！！
その時、吹雪の剣が地面に突き立てられてそこを中心とした氷の突起が現れた。
「！」
自身も巻き込んだ攻撃に、ホレスは形振り構わず距離を取った。
「イオラ」
「…っ！？」
ドガァーンッ！！
レフィルもまた剣を捨てて氷柱から離れながら…ホレスへ向けて爆発の呪文を唱えた。
「ベギラマ…！」
ゴゥッ！！
「く…！？」
半ば捨て身の吹雪の剣の攻撃に続いて、イオラとベギラマの連続攻撃を受けてはホレスも反撃が出来ない。
―…ちっ…！まさかこれほどとは…！だが…！
離れた位置に立つ巨大な氷錘の中を一瞥して、彼はすぐにレフィルへと駆けた。先程の攻撃で吹雪の剣を手放しているならば…攻撃手段は限られる。押さえるには最適のタイミングだ。
「イオ…」
「させるか！」
ホレスはレフィルが呪文を唱えようとする動きをその耳で感じ取り、左手で雷の杖を引き抜いて彼女へと振るった。
ピシッ！！
電撃が一閃してレフィルの動きが一瞬止まった。そのまま一気に間合いを詰めて雷の杖を突き出した。
ガンッ！！
勢いのある彼の攻撃に、レフィルは背負っていた盾を右手に取ってそれを受けた。
「…ッ！」
左腕が押し返される反動をそのまま利用して、そのまま右手で盾の淵を掴み…それを引き剥がそうと力を込めた。だが…
―…くそ…！
レフィルの右手がしっかりと握り締められているだけではなく、身構え方が重心が低くなっている為か、盾を奪うどころか…力ずくで盾ごと押さえ込む事さえ出来ない。
「ベギラマ」
「…！」
呪文の声を感じ取って、すぐさまホレスは間合いを取ってそれに備えた。
ボジュオオオッ！！！
「……何！？」
だが、その炎が襲ったのはホレスではなく…
―…吹雪の剣！
数歩離れた先にある、氷に閉ざされた吹雪の剣を取り出す為に放った呪文だった様だ。先読みに長けた聴力の力が仇となった…そんな瞬間だった。
「…ベギラマ、ベギラマ、ベギラマ」
彼女が掲げた盾から幾筋もの熱線が迸った。同時にレフィルは剣へ向けて走った。
「……！」
―時間稼ぎか…！
ただでさえ幾らかの集中力を要する上級呪文の三連続での発動は流石に威力が落ちるものの…牽制には十分な力だった。
「させるか…！」
ホレスは雷の杖を迷わずにレフィルへと振りかざした。
バチンッ！！
ブンッ！！
「…なに！？」
その時、何かが回転しながら飛んでくる音が聞こえて…ホレスは素早く地面に伏せた。
―…水鏡の盾！？
ズシャッ！！
僅かに熱を帯びたそれは彼の頭上を掠めて近くの地面に深くめり込んだ。
―…くそ！これで防いだのか！
盾を投げた張本人は既に目的のもの…吹雪の剣を手にしていた。そして…
「ライ…」
「させるか！」
彼女がそれを大きく振りかぶったところで、ホレスはすぐに爆弾石をパチンコにつがえて彼女目掛けて放った。
「…！」
飛んでくる爆弾石にすぐに反応し、レフィルはそれを払うように剣を振るった。
ヒュッ！！
ドガァーンッ！！
ナイフ程度の大きさの氷の刃の衝突で爆弾石が轟音と共に破裂した。
ガギャッ！！
「…！？」
爆発による煙から、黒い鎖状に連なった鞭のような武器が真っ直ぐに飛んできた。それを吹雪の剣で受け止めつつ…その奥へと注意を払った。
「……盾を投げたのは間違いだったな。」
土煙がはれた先から現れた黒装束の青年…ホレスは黒いドラゴンテイルを引き寄せて再度放った。
ズンッ！！
「…っぁ…！！」
上からの軌道で迫るドラゴンテイルを捌ききれず体に命中して、レフィルはその硬度と重み…そして勢いが与えるダメージに、凍て付いた表情を崩して苦悶に顔をゆがめた。
「……そこ！」
ドラゴンテイルの直撃により体勢を崩したレフィルへ向けてホレスは雷の杖を突き出した。
ギィンッ！！
「…なにっ！？」
確かに武器は無防備なレフィルの体へとしっかりと当たっていた。しかし、内側に鎧を着ているかの様に杖が弾かれて…手応えが感じられない。
ザンッ！！
「ぐあっ！」
その一瞬の隙が命取りになった…
ぎゃう………
「……。」
うー………！
「…ドラゴン…？」
ぱこん
うぎゃ……
「…むー…。」
つんつん…
う…うー…！
「…………怪我…してる？」
―…あれは……
それは…深い樹海の中でたった一人で迷う赤い髪の少女がその一角で力尽きて倒れている小さな黄色い鱗の竜をじっと眺めている様子だった。
―……。
暫くは子供の竜の頭を木の棒で軽く叩いたり、つついたりしていたが、やがてそれに飽きたのか…近づいてそのドラゴンと目を合わせはじめた。そして…木の棒を捨てて…彼女はドラゴンの体へと手を伸ばし始めた…。
パァアアア……
その時…少女と竜を…暖かな光が包み込み…、それは徐々に強くなり…やがては視界を遮るまでの白…初めに見た黒の世界と対を成す様な景色がムーの周りへ広がっていった。
パキ…パキパキ…！！
「…が…がが…！！」
―…八岐の大蛇の鱗か…！！
杖を弾かれた反動で生じた隙を突かれて、レフィルの吹雪の剣によって…斜めに斬られた。雷の杖を弾いた物の正体を知るも既に遅く…その傷口から更に氷の突起が生じてホレスの体の内部を傷つけていく…！
「………く……そ…！！」
―……まさか…この子に斬られて終わるのか…！？オレは…！
本来の剣ならば致命傷を免れるような傷でも…吹雪の剣はそれを許さない。血を吐きながら倒れるホレスの命も風前の灯である…
ザッ…
―…ち……もう…オレは………
氷に侵食され続け…既に動けなくなっていた。そんな彼を虚ろな表情で見下ろしつつ…レフィルは剣を振り下ろした…
―…やめてっ！！！
「…！？」
その時…ホレスの頭の中に直接誰かの叫びの様な声が聞こえてくるのを感じた…。
―…お…お前は…！？
同時にレフィルの剣はホレスの喉元でその動きを止め…
―イオラ！
ドガァーンッ！！！！
「…！」
―…な……に…！？
続いて…何処からともなく呪文の調べが奏でられて…それが巻き起こす眩い光によって彼の意識は霧散した…。