災禍の申し子 第八話
いつの間にか…辺りを覆っていた闇とは違う黒い場が開けて…何処かの建物の中にムーは居た。
「…ここは…?」
青のタイルが敷き詰められた床に何処までも続いていそうな回廊…、後ろを見るとこれも果てが見えない昇り階段がずっと続いていた。
「うあぁああああああああっ!!!」
「……!!?」
「…いやぁあああああっ!!!」
不意に上の階や通路の奥の方から悲鳴が聞こえてきて、ムーは思わず身を竦めた。
「た…たすけて……!」
バキッ…ベキベキベキ……
「………!!!」
階段から石の欠片が転がってきた。それは…
―…石像…!?
ムーはかすかに温もりを残し…人の形を成しているそれらの欠片を見て…思わず体を震わせていた…。
バチンッ!!
「…ッ…!!」
雷の杖から迸る電撃が少女のマントへと当たってそれを焦がし…彼女は目を細めて舌打ちした。
「…そこだ!!」
バシルーラが直撃したはずなのに、ホレスは飛ばされる事無くすぐさま少女へと斬りかかっていた。
「大人しくしろ!いずれにせよお前はまだ魔力を削られ続けてるんだぞ!!」
先程まで魔力を失い続けて病床に伏していたにも関わらず呪文を行使し続ける赤い髪の少女に向かって彼は怒鳴った。
「……削られている?…だから?…私がどうしようとも私の勝手。これは元々私の体。」
しかし、当の彼女は雷の杖により受けた痛手を忌々しげに見やりつつ、鬱陶しそうにそう返した。
「ちっ…冗談じゃない!そんな下らん事をして訪れる結末をお前は分かっているのか!?」
彼女は何も答えない…。
―それとも…お前は初めから……!!
事は数分前に遡る。
「……。」
世界樹の側で横たわる赤い髪の少女は…世界樹の葉を飲んだ後程なく…皆に見守られる中…そっと眼を開いた…。
「…ムー!目を覚ましたか…!」
「よかった……わたし……」
目の前で顔の傷が目立つ銀髪の青年と…顔立ちの整った黒髪の少女がその顔を覗き込んでいる…。
「……あなた達は…誰?」
しかし、彼らの呼びかけに対して…少女は目を合わせずに上を眺めたまま…ただ無機質にそう返しただけだった。
「…!しっかりしろ!」
記憶が曖昧なのだろうか…乏しく…弱い反応に焦りを覚えたのか、ホレスは少女の肩を揺らした。
「…慌てないでホレス君。…メドラ…私がわかる…?」
そんな彼の手を止めながら、メリッサは少女と顔を合わせて優しくなだめるようにそう告げた…
「……騒々しい。」
…が、その答えは冷たい視線と…
「………!」
「…邪魔。」
ばんっ!!
「きゃっ…!」
…あまりにも無情な態度であった。彼女は差し伸べられた手を乱暴に振り払い、ホレスの手も同様に強引に振りほどいた。
「メリッサさん!」
思わず後ろに倒れかけたメリッサをすぐにレフィルが抱きとめた。怪我などは無いが…顔には驚きの表情がある…。
「……お前…なにを…!?」
「あなたもさっきからうるさい。」
「……!?」
不可解な行動を問いただそうとしたホレスに…少女は静かに…しかしはっきり怒りが込めて睨んできた。
「イオナズン」
そして…何の前触れもなく、凶暴な力の引き金となる言の葉を躊躇い無く唱えた。
カッ…!!
「まずい!散れ!!」
ドガァアアアアンッ!!!!
ホレスに言われるまでも無く、皆形振り構わずその場を離れてすぐに爆発の直撃を避けた。…が、負傷は免れなかった。
「…ベ…ベホマラー!!」
自らも傷を負ったメリッサがすぐさま広範囲の回復呪文を詠唱し…全員の傷を治療した。
「……誰だ…!お前は…!」
術者の動きに合わせてただ一人爆発を回避したホレスは…その少女に黒い隼の剣を突きつけながら困惑と怒りが入り混じった感情を覚えていた。
「メドラ」
「……!!」
その返答とともに…彼女の体から…先程まで完全に尽きていたはずの魔力のオーラが凄まじい勢いで立ち上り始めた。
「……どうして私の邪魔をするの?」
メドラは手にした短剣アサシンダガーでホレスの武器を受けながら尋ねた。防戦一方となっているとはいえ、短剣一本で隼の剣が持つ能力と彼自身の運動量からくる手数の多い攻撃を受けきっている。
「オレがそう望むからそうしているだけだ。」
「……あなたに私が止められる?叶えられない望みなんか下らない幻想に過ぎないのに。」
ホレスの返答に実につまらなそうに返しながら、メドラは自らも甘んじて受ける形でイオの呪文を唱えて無理やり間合いを引き離した。
「……はっ、お前は何もかも滅んでしまえばいいとかぬかしたか…。…それを成しえる力の存在こそありえないだろうが。それこそ下らない。」
距離が離れた所でホレスは…ドラゴンの手甲に覆われた左手に持つ短刀を言葉とともにメドラへと投げつけた。
「……。」
メドラは何も答えずに…その短刀を紙一重でかわした。一人の存在が持ちうる力には限りがある。いかに魔王といえども己の力で直接手を下すのはよほど特別な事で、配下の魔物を活用している事からも窺える。或いは神と呼ばれる存在が本当にあるとすればまた違った話になるが、生物各々の器に収まっている以上は限界という物がある。まして…ホレスの言うとおり、人一人が世界を崩壊させる力を得るなど誰が考えても世迷言でしかないだろう。
「…だったら見せてあげる。世界を滅ぼしうる力を。」
だが…それを知らないのか…それとも承知の上で尚…覆す自信でもあるのか…メドラははっきりとそう宣告しながら…アサシンダガーを持たない空いた手を空へとかざした。
「そうもいかないな。下らない無茶をして倒れられる前に…お前はこの場でオレが叩き伏せて大人しくさせてやる。」
高慢とも取れる言葉を吐き捨てて…ホレスはメドラへとすぐに飛び掛らんばかりの勢いで身構えた。
「ホレス…。」
レフィルは…そんな彼とメドラを心配そうな表情で見守る事しか出来なかった…。
「…ああ、分かっている。」
―…だが、こいつは簡単に行く相手じゃない…。レフィルには悪いが…
メドラ…ダーマでの惨劇を引き起こした最大の巨悪…。人間であるが故の渇望とそれを成す為の力を有するだけに、十分な強敵であり…やり合うとなると死闘は避けられないだろう…。
「最果てに伏したる数多の蠢く者共よ……創世の奔流」
「させないといっている!」
ギィンッ!!
「汝は創世の光の奔流と化して…」
ホレスの攻撃に慣れたのか、今度は刃が触れ合っても詠唱を止めずに体を捌いて間合いを取った。
「…ちっ!」
距離を取られたのを見て、ホレスはすかさず背中の雷の杖に手をかけた…
「『イオ』」
「……!?」
ドゥッ!!
「ぐぅううっ!!!」
―…挿加詠唱!?しまった…!
…が、詠唱の途中で割り込んだ呪文による弱い爆発が発生し…雷の杖での突きの攻撃で隙を見せていたホレスは後ろへと吹き飛ばされた。
「…我が元へ集え…」
受身を取り損ねて地面に倒れていたホレスに…メドラの詠唱を止める事は出来なかった。
「パルプンテ」
「…く…!?」
彼が立ち上がっていた時には既に遅く…メドラは無情にも呪文を唱え終えた。その時…
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ……!
「……!」
―地震か…!?
「きゃああああっ!!」
突如としてあたりの地面が激しく揺れ始めて…レフィルは足を取られてその場に転がった。
「……く…!何だっ!?」
「こ…これは…!」
ニージスは揺れに翻弄されて地面に膝と手をつけてどうにか体勢を整えてメドラへの警戒を維持しながら、珍しく焦った様子でうめいた。
「な…なんや!?モヤシ!?」
「…あらら……これは…逃げようが無い様で…」
「「「!?」」」
言動そのものこそふざけているものの…本人の顔は笑っておらず…僅かに震えてさえいる様に、その場にいた全員もまた戦慄していた。
「…其は裡の綻びを拡げ魂の標を失いし者を混沌へと誘わん…」
赤い髪の少女が呪文の後に続けて唱えた祝詞が山彦の様に繰り返し虚空に響き渡った。
「失理の呪」
ヒィイイイイイン……
澄んだ様な…風切り音の如く耳につんざく様な音が鳴り響き…一瞬時が止まった様に感じられた。
ザシュッ!!
「……!!!!」
不意にホレスの体から血が撒き散らされた…!
「…な……に…!?」
失血量にしては異常な速さで傷口が冷たくなっていく…。まるで氷の海にて氷河に穿たれた様な感覚であった…。
―…氷…?まさか…!?
ギィンッ!!
「………っ!!…レフィル!?」
第二の斬撃がホレスを襲い、彼が咄嗟に構えた左手の手甲ごと…地面に叩きつけた。
―…く…!!
転がりながらホレスは腰の道具袋からメラの魔力が込められた赤い玉を取り出して、傷口へとあてがった。
ジュゥウウウッ!
「が……!…ハァ……ハァ…!」
焼ける様な痛みと引き換えに斬られた部位からの氷による侵食は止まり、彼は迫り来る敵へと身構えた。そこに立っているのは見慣れた少女…レフィルその人であった。だが、そこに普段の頼りなげで優しい暖かい雰囲気は無く…鋭く冷たい純粋な殺気…それが彼女を支配している事が容易に見てとれた。
―メダパニの様な物か……レフィルを洗脳した…!?
「………。」
吹雪の剣を手に無言で斬りかかってくる少女と剣を交えながら…ホレスはふとメリッサ達の方を見た。
「キェエエエエエエエエッ!!!!」
そこではカリューがけたたましいまでの奇声を上げながら、ニージス達に襲い掛かっていた。ただ一人の命を寡黙に刈ろうとするレフィルとは対照的に…発狂しながら巨大な金槌を振り回している。
「…くそ…!そういう事か…!」
ギィンッ!!
毒づくホレスに鋭く冷たい一閃が掠めた。前髪によって目線は隠されており…口元は無機質に閉じられたままであったが……彼女にあるのは目の前の敵を殺す殺意のみ…。
―詠唱の時間稼ぎに…同士討ちの力を使ったのか…!!
「…イオラ」
「…くっ!!」
―…今はオレの身の心配をした方が良さそうだな…。
距離を取ったホレスに追い討ちをかける様にメドラが唱えた呪文が発動し、彼はまたその場からはじき出された。
「えぇいっ!!」
―これは…一筋縄じゃいかない…!!
ホレスはレフィル相手にかなりの苦戦を強いられている…。仲間同士で戦う事を厭う姿勢がホレスに全く無いと言えば違う。…しかしそれ以上に…
―……活路が見い出せない!
本気で殺しに掛かった時のレフィルの剣…レイアムランドでもトロルを一刀両断に仕留め…道中でも所々で冴えを見せたそれは…命知らずと呼ばれるホレスでも畏怖の念を抱かせるに十分な物であった。或いはメドラはそれを見通した上で”失理の呪”なる魔法を行使したのか…。
「…だぁあっ!!くそ!!よりによってメダパニかよ!!」
「……うーん…、と言うよりその強化版みたいねぇ…。」
「解説してる暇があんなら手伝ってくれよ!!」
巨大な金槌を軽々と振り回す女戦士の猛攻にたじろぎながら、マリウスはメリッサに懇願する様に怒鳴った。
「モォヤァシィイイイイイイイイイイッ!!!!」
「っと…!まずいですな…、これは!」
聞き慣れた言葉に…平常時の数十倍の狂気が加算されたけたたましい奇声とと共に、カリューの大金槌が唸りを上げた。
「…げぇ…!あんたの連れもムチャクチャだな…!」
カリューが振り回す巨大な戦槌を…モーゲンは巨大な斧で互角に打ち合っている。流石に世界樹の里の守人を名乗るだけあって、その実力は伊達ではない様だ。
「…はっは…混乱してもその辺は変わらない様で…!」
「……むぅ…!こやつ…やりおるわ!」
カリューの女性としてばかりか、人間として離れ業とも言える怪力に、モーゲンは大きく吹き飛ばされた。
「……とにかく早いとこ取り押さえてくれませんかね…この子さっきから…」
ドゴォオオッ!!!
幸いモーゲンは少し下がったところで上手く着地したが、今度はニージスが矢面に立つ状態となり、大金槌の応酬が真っ向から彼へと迫った。
「私を狙ってるみたいでして…!…私もまだ命は惜しいものですから…はっは…。」
衝突と共に撒き散らされる土砂とその跡たる巨大な陥没…それが十数個も立ち並ぶ様は…捕まったら負けという鬼ごっこさながらのやり取りをしているニージスとカリューの姿と相まって実に滑稽な状態であった。
「…ありゃあ…確かにやべぇわな…」
「…そうねぇ…。じゃあ…ボミオス!!」
呆れた様にぼやくマリウスを横目にメリッサはボミオスの呪文をカリューへ向けて発動した。
「今だ!」
ボミオスの効果でカリューの動きが鈍くなり…一瞬ふらついた隙を見て、マリウスは彼女をしっかりと羽織い締めにした。
「ウヒャヒャヒャヒャ!!!モヤシィイイイイイイッ!!!」
しかし…発される凶悪とも形容できる奇声は健在で…更にはマリウスの腕の中で凄まじい狂喜の表情を浮かべながらジタバタと暴れていた。
「…うおっ!姐ちゃん暴れんなって!!」
戦士として経験だけでなく体力も充実したマリウスでなければ…本当に振りほどかれていた所である。
「まるで狂戦士ねぇ…。」
「ですな…。」
「…仕方が無い。悪いが少し眠ってもらうぞ。」
モーゲンはカリューへと当身を打ち込み…そのまま昏倒させた。
「……メドラは?」
カリューをどうにか押さえて一段落した所で、四人はレフィル達の方を見た。
「……ホレス君が牽制してるみたい。…でも、レフィルとも戦ってる…」
「…彼女も混乱させられているようで…」
黒装束の青年に刃を振り回しているのはレフィル本人で間違いは無い。どうやら先程パルプンテで発動されたメドラの術中に落ちてしまった様だ。
「…あれじゃ長く持たないぞ!」
更にはメドラ自らも距離をとりながらホレスを呪文で攻撃している。ヒャダルコ、イオラなどの上級呪文までしか使わないのは、バラモスと戦った時の魔力消耗がまだ残っているからか、幸いにもどうにか持ちこたえている…が、マリウスの言うように時間の問題でしかない。
「ど…どけぇっ!!邪魔だぁ!!」
「!」
男の差し迫った様な怒声にムーは我に返った。道の真ん中で呆然と立っているところを突き飛ばされて、ムーは壁にぶつかった。
「……!?」
目の前を数人の男女が逃げ惑うように通り過ぎていくのが見える。…一体逃げてきた先に何があると言うのか…。
『…パルプンテ』
「…!!」
不意に、何処からともなく…聞いた事の無い呪文があたりに響き渡った…。
ゴゥウウウウッ!!!
『時に跡を刻みし記憶、其の綻びが導くは逆行の標』
『…流転の理』
呪文の後に口語の詠唱が続き…更なる術式が組み立てられ…そして…その魔法は完成された。
「な…!?」
「…えっ!?」
その瞬間…突然逃げ惑う者達の姿が掻き消え…引きつった声だけが残った…。
『ベギラゴン』『ベギラゴン』
ジュオオオオオオオオオオッ!!!!
直後…最大の閃熱呪文…ベギラゴンが山彦の様に二度響き渡り、ムーの方にも熱風が吹き荒れた。
「…ぐあああああっ!!!」
「がああああああっ!!!」
「ああああああっ!!!」
ベギラゴンが巻き起こった方向を見ると…先程まで逃げていた男女がその灼熱の業火に巻かれて断末魔の悲鳴をあげている所だった。
「……!!!!!」
それを最後に骨一つ残らずにその空間から完全に消滅し…ムーの方に白い煙の様なものが流れてきた……。
『……全て…なくなってしまえばいい。』
コツン…コツン……
灰燼を纏った風が吹いてくると共に…足音は次第に近くへと迫ってきている…。