災禍の申し子 第七話
「……く…」
―…何かに押し戻される……!?
 夢から覚めるのとは違う…束縛の場から逃れ…また再び囚われる事を物語るような…淀んで見える中で…ムーは必死に自分の意識を押し留めようとした。

―ザキ

「…!」
―…そんなもので…わた…しは…!
 歪に笑う王の出で立ちをした魔物が…歪んだ中で現れて…自分にその手を向けている…。
―……力が…入ら…ない…!!
 本の間から見えた不思議な何か…それを見た瞬間に今の様な状態に陥っている…。
「…ザメ…ハ!」
 自分自身に襲う猛烈な睡魔の様なものに対して…ムーは覚醒の呪文ザメハを唱えた。
「……う……ああ……!」
 全身の感覚が元に戻っていくにしたがって…先ほど感じた頭の痛みが激しくなっていく。たまらずムーはその場に倒れてのた打ち回った。そこには既に本棚も…先ほどの司書の姿も無く……ムーただ一人のもとの暗くも明るくも無い…漆黒の場のみが存在していた…。
「…う…、ふりだ…し…?」

ズキンッ!!

「………!!」
 
―…メドラ、あなた…まだダーマで勉強する気なの?
―……。
―お母様にそんなに追いつきたいの…?まだ若いんだから…いいじゃない…。私もいい加減寂しいわよ…。
―違う。
―え…?
―……私はまだ、目的を果たしていない。
―……目的って…?
―あなたが知るところじゃない。……私は、ただ……したいだけ。
―…!!そ…そんな事……!
―うるさい。
―…え?
―バシルーラ
―…あ……!
ドスンッ!
―…うぅっ……!
―…帰って。あなたが居ても私の邪魔にしかならないから。
ギィイイイ…バタン!
―ま…待って!メドラ!!

―…あれは…メリッサ…?
 目の前に映し出された光景…。姉妹らしき赤い髪の少女二人が同じ部屋で語らって…次第にもめて…最後には業を煮やした妹が呪文によって姉を部屋から追い出して締め出す一部始終をムーははっきりと目にした。
―……それと…私……?
 先程垣間見たときより幾分成長しており、自分とほぼ変わらない背丈になっている…と言ってもやはりまだ子供相応の身長でしかないが。

―メドラって…
―妹よ。でも…最後に会ったのは11歳の時だったから…それにしても…完全に記憶無くしちゃってるなんてね…。

―…嫌な別れ方。
 メリッサ共々バハラタで人攫いに遭う前に…言われた言葉…。それがその”最後に会った”時なのだろうか。ムーはつい先刻に見た後味悪い姉妹のやり取りを見て心中で苦々しくそう思っていた。

ズキッ!!

「………っ!!」
―…今度は……なに…!?


―……戦士に……なる…とな。
―……。
ガタンッ!!
―………そなたには、向かぬ。
―…それでも。
ズゥウウンッ!!
―………。
―………。
―…よく言った。精進するが良い。
―…。

―……またあんたか…。
―…武闘家。
ガタンッ!!
―…前の職を蔑ろにするは感心せぬ。
―でも、数多の経験を欲する、それもまた一つの道。
ズゥウウウンッ!!
―………。
―………。
―…よかろう。また来るが良い。
―……。

 二度に渡って少女と筋肉質かつ巨大な体を持つ老人…ダーマの神官長が向き合っている場面が目の前に映し出された。ニージスと共にかつて会った時よりも幾分若いものの、厳つい顔は相変わらずでその巨人の如き体躯だけでも人を震撼させるに十分であった。だが、その眼には冷厳ながら行く先を案じる優しさの様な物が感じられた。

―…あの子は何故、あれ程までの力を求めている?
―……お母上に勝ちたいとしばしば言っておられましたなぁ。
―そうか。しかし…
―…神官長様はあの子に賢者とする為の教育を拒まれたのでしたな。
―……そうじゃ。グレイ坊の時はまだ良かった。しかし…あやつが入ってから…。
―そのようですなぁ。近頃ではあのうつけの様な何とも情けない賢者ばかりですからなぁ。神官長様もその辺りが分かっておられない。
―違いない。ニージスとやら、あやつは賢者の器ではないただの騙り者じゃ。やはりメドラが…。
―はっ、彼女が賢者となれば…ダーマもきっと昔の力を取り戻しましょう。目の前にあれ程の逸材があるにそれを見過ごすは惜しいですな。
―…ならば、我等が内密にそやつを育てるか。
―……それしかありませんな。
―ふむ…あやつとて所詮は子供。更には我欲に疎いから聞き分けは良い。必ずや我等の良い狗となってくれよう。
―さすれば賢者となる者に与える二つ名を…
―”緋暁の賢女”…はどうじゃ?
―うぅむ、何とも捻りの無い名ですなぁ。髪の色などで安易に決めようとは…ねぇ?
―まぁそう言うでない。ふぁっふぁっふぁ…。

―……!

 笑いあう老人の会話を…たまたま通りすがった赤い髪の少女が聞いて驚愕に目を見開き…手にした本を落としそうになっていた。


―メドラよ。
―……。
―…うむ、それで良い。…しかし、下らぬと思わぬか?
―……何が?
―賢者となるのに斯様な茶番を踏まねばならぬなどとは。それにより必要な才覚を秘めし者まで
―…私もそう思う。
―そうであろう。
―試験の内容は毎年自ずと似てくる。問われるのは過去に出された問題を参照して、どれだけ応用できるか暗記できるか。それは一般の職種の試験には確かに相応しい。でも、賢者という職は根本からそれと違う。
―では賢者とは如何なる存在か?
―……悟りを開き、その才覚を…身に付けた叡智を…世にある綻びと向き合う為にある存在。
―…お前は賢い子じゃ。必ずや賢者と呼ばれるに相応しい女子となるじゃろう。ワシも楽しみにしておるぞ。
―………。

 机で少女と老人が向かい合って座っていた。老人が本を開いて様々な問いかけをしながら彼女に教育を施している様だ。少女の顔には完全に感情と言うものが無く、まるで操り人形の様に首を動かしたりする程度の仕草しか取らない。それも全く気にした様子も無く、老人はにこやかな笑みさえ浮かべて彼女を指導していた。

―ホイミ…。
シュウウウ……
―…下らない。私は…。

 夜の闇の中で…身に付けている衣服共々ボロボロになった状態で……ダーマの神殿南の崖の様な海岸に少女は佇んでいた。自らに回復呪文を施して与えられた傷を塞ぎ、暫くその淵に座って夜風に赤い髪を揺らしていた。ここでも全く表情は無かったが…何処か悲壮感が漂う雰囲気を全身から醸し出している…。

―背徳の化身にして神の眷属たる者…其の御霊は我が身を汝が魂の器の代と成さん…ドラゴラム
グ…ググググ…!
ブチブチブチ…!!
―グォオオオオオオオオオオオンッ!!!

 何の前触れも無く、少女は呪文を唱えた。すると彼女からオーラが湧き出てそれに伴い辺りの空気が一気に回りに押し出され…衣服が裂けると共に…体に異変が起こり一気に真紅の竜の姿へと変貌した。
「あの呪文は……。」
 小柄な少女が突如として大人を超える程度の大きさの竜に変身した過程で唱えられた呪文を聞き、ムーは体を固まらせていた。

―……。
ザバァアッ!!

 次の瞬間、少女…否、真紅の体を持つ竜は崖から飛び降り、翼を広げて滑空するようにしながら海へ向けて飛び込んだ。


シュカカカカカカッ!!!
―…やるねぇ。随分腕を上げたじゃねぇか。
―……。
―お、それだよそれ。その無表情。まぁピエロの道芸じゃ喰ってけねぇけど、隠密でも暗殺者でもやってけるぜあんた。
―…やだ。
―…ほぉ?どうして?
―……つまらないもの。
―…あー、そういやそうだったか。お嬢ちゃんって色々やってるそうじゃないか。
―…それは皆知ってる事。あなた達が流したの?
―…そう睨むなって。そうした情報だって高く売れるんだからよ。
―そう。
―しかしまぁ…器用貧乏っていうのかね。
―…あくまで私は魔法使い。それだけは変わらない。
―へ?…でも賢者目指してるんじゃなかったか?
―……。
―……まあいいけど。情報料の礼だ。いつでも力になるぜぇ。
―ありがとう。
―…てか、お前さん。いい加減その格好どうにかしねぇか?
―……?

 今度目に映ったのは…地下であろうか、ロウソクにのみ照らされた中でナイフの投擲の練習をしていた少女をより動きやすい服装をしている痩身の男が見守っている所だった。
「…………。」
 黒いタイツが少女の全身を覆い、その所々に巻かれたベルトに色々と細かい道具が取り付けられている。だが、黒い手拭いがセンスの欠片もなく鼻の辺りに結び目が来るように巻かれており、道具の中にはとんかちや出刃包丁、釘などが無造作に下がっている。機能的と言えば聞こえは良いが、それ以上に見れば見るほど何とも滑稽な格好である。

―抑果飛炎…彷徨いし力の欠片、我…其を求め此処に器を掲げん…メラ
ボゥッ!!
―……魔剣技…”火炎斬り”ですか。
―違う。…ただメラの力をナイフに一時的に付加しただけ。
―ふむ、これも…戦士としての経験がもたらすものですか。随分頑張ってますな。
―戦士に敵を斬るまでのイメージが重要なのと同じ様に、魔道士も発動のイメージが大事。魔剣技はその二つを同時に組み合わせたのに対して私はただ付加する事だけに集中した。
―ふむ…、基本はほぼ変わらない様で。だが実戦ではまだ使い物にならないのでは?
―その通り。まるで遊び。まだ”白紙の巻物”の方が使い勝手が良い。
―はっは、君が遊んでいる姿を見てみたいものですな。そんな物騒な火遊びではなく。
―…どうして?
―君がまだ子供だからで。はっは…いつになったら私の仕立てた服を…
―うるさい。
―着て…って…!
―ザキ
―…ぉおぅっ!?危ないでしょうが!?
―あなたはこの呪文程度じゃ死なないから大丈夫。
―いやいや!私だって人間ですとも!賢者といえ…
―……帰る。
―…って聞いてますかー、もしもーし!!…やれやれ、しょうがない子ですな…はっは…。

 それは、赤い髪の少女が…蒼い髪の青年と一つの小技について議論していたと思えば…突然怒り出して危険な呪文を唱えてそのまま気を悪くしたように部屋を出て行く様子だった。
「……楽しそう。」
 また終始笑う事もなく、寧ろ怒っていたが…それでも、幾度か流れた他とはまた違う何かが感じられる光景だった。

―…いや…しかし大した奴だったよな…。
―でも…手加減はされていた。まだ追い込める。
―それでも”パラディン”団長…”ホーリーナイト”から一本とってるしあの大技もどうやってかわしたんだよ?
―そうそう!”パトルマスター”の師範…”ゴッドハンド”とも杖一本で十合かそこらだけど互角に打ち合ってたじゃねえか。惜しくも入らなかったしさ。
―相性が良かっただけ。
―いや…ありゃあ寧ろお前に分が悪かったろうに。
―……一国を一人で攻め落とした昔の四代目賢者”スペルエンペラー”…の再来じゃないかって言われてるぜ、お前。
―……どうして?
―いや…だってお前、賢者目指してるんだろ?なれるって、お前なら!
―…賢者は強さが全てじゃない。
―……またまた謙遜しちまって。正直な所年下のお前に賢者になられるとちと悔しいけどよ、俺らお前の事応援してるからな!
―そうそう!俺達の中で賢者はお前一人なんだ。ニージスってあのスカしたヤローは気にくわねえし。かと言ってジジイどもは何考えてるんだかな。
―私にそれを変えろ、と?
―ああ、無理はしなくていいけどよ。でもお前ならきっと変えられるぜ。
―そうよ!”緋暁の賢女”ってマクベス様も仰ってたし、それってアナタの事じゃない?
―……!!
―あ…!メドラ!!
―おいおい…照れちまったじゃねぇか。
―…ご…ごめん。まさかあんなに凄い勢いで走ってくなんて…。
―意外だよなぁ…。でも良い称号じゃねえか。アイツ向けだよ。
―そうだよ。俺達もあいつをそう呼ぶ日が来るぜ。
―文字通り新しい朝をもたらす聖女としてな。

―……逃げ道を…塞いだ…。あの人は初めから……。
―…何が変えられる。何が…”緋暁の賢女”……。
―……もう…流れは止められない……。

「………。」
 辺りにぞろぞろと流れる喧騒の一つ…そこにまた赤い髪の少女が居た。楽しげに話す少年少女達に相槌を打ちながらも…彼女の氷のような表情は融ける事はなかった。だが、連れの少女が発した一言で彼女はそれを一瞬で崩し…心底驚いた様な顔をした後何処かへと走り去ってしまった。
「……下らない。」
 少女の気も知らずに賢者を強要する老人…そして賢者を期待する友人…。それらに唾棄するようにムーはそう吐き捨てた。

『「全部…なくしてしまえばいい…。」』

「…!?」
 …苛立ちを込めて呟いた自分の声に重なったほんの少し高いそれに…ムーは思わず息を飲んだ。
―……これは…!?
 


「…く!!」
 ホレスは目の前に飛んできた火球…メラゾーマを横に回転して避けながら、それを放った術者の方を見て舌打ちした。
「……やはりこうなるのか!」
「…そのようで…っと!」
 避けたのも束の間、ホレスとニージスの間を鋭い得物…アサシンダガーが勢い良く通り過ぎていった。
 
「…滅びてしまえばいい…。何もかも…私が破壊する…!!」

 禍々しいまでの魔力を全身から迸らせ…黒く焼け焦げた草原の上の炎が微風に揺れるその中央に…少女は立っていた。…近くにはモーゲンやメリッサ…カリューらが地面に膝を屈している…。
「ムー!…やめて!!」
 レフィルは苦しそうにうめきながらも…必死に彼女へと呼びかけた。
「うるさい。」
 …だが、その叫びは虚しく…少女は忌々しげにそう返して…息を少し大きく吸った。そして…その唇が動き始めた…
 
「最果てに伏したる数多の蠢く者共よ、汝は創世の光の奔流と化して我が元へつど……」

ギィンッ!!
「…ッ!」
 詠唱が完成しようとしたところで、黒い刃が少女の体を捉えてすかさず構えられた短剣がそれを遮った。
「…させない。お前が何者かは知らないが、好きにはさせない…!!」
 黒い隼の剣を操る青年…ホレスは斬撃と連携して飛び蹴りを放って少女を牽制した。
「…あなたは………あなたも邪魔をするの…?」
「…ああ。」
 彼の攻撃を舞うようにかわしながら、赤い髪の少女は問うように呟き…ホレスもまたそれに頷いた。呪文の射程と剣の間合いが丁度重なる所で両者は静止した。
「…お前が何を見たか…それを知るまではオレは引く気は無い。」
「そう…。」
「「………。」」
 ホレスは右手の隼の剣と…左手のジパング特有の短剣を握り…ムー…否、彼女を支配する意思は暗殺者の短剣、アサシンダガーを構えて暫しの間様子を見合っていた。
「おしゃべりはおしまい。」
 先に動いたのは少女の方だった。ほぼ同時にホレスも動き始めたが…今度ばかりは彼女の方が一挙動早かった。
「……バシルーラ」
「……ちぃっ!!」
 ホレスが背中の雷の杖を取ろうとした刹那に…ムーの体を支配する者が放ったバシルーラの呪文が発動した。ムーの姿を取った敵に対する僅かな迷いが生んだ結果であった。
―…こいつはムーなんかじゃない…!!あいつは…ムーはどうしたんだ…!!
「ホレス…!…ムー!!」
 レフィルは仲間である二人が戦っている状態を見かねたのか…倒れた体をすぐに起き上がらせて彼らの元へと駆け出していた。