災禍の申し子 第六話
「…ここが…ダーマ。」
 趣味の悪いまでに派手な色彩なマントを引きずりながら、旅人…ムーはダーマの中央の通路を歩いていた。
「……やっぱり夢。それともあの世?」
 世界樹でバラモスのザキを受けたのが記憶に残る最後の光景だった。本来ならあのまま息絶えていてもおかしくなかっただけに…。
「…ねぇねぇ兄さん、今日は何処に行くの?」
 喧騒の一角から、子供の甲高い声が聞こえてきた。
「ああ、ダーマの戦士に志願するんだ。」
「あ、そうだったわね。」
「確かに過酷な任務もあるだろうけど給金も高いし、待遇も良い。今の俺には良い仕事だよ。」
「大丈夫よ。兄さん凄く強いもの。呪文も剣も出来るもんね。」
「はは。出世したらジナにも仕送りするよ。」
 兄らしき青年の口から語られた少女の名前ジナ…スーの村でも同名の似た様な姿の少女に出会っていたが、その彼女よりも幾分幼く見える。
「えー?いいよぉ。私だって大もうけして兄さんに何か美味しいものご馳走してあげるんだから。」
「お、それは楽しみだなぁ。」
 仲むつまじい兄妹とは彼らの事だろうか。だが…ムーは他人の事情という些末事よりも…彼らの言動で更に一つの可能性…この世界をかんがみた。
―……これは…過去…?…それとも……回想?
「メドラちゃんにも負けないくらい真面目に勉強してるんだから!」
「ああ、あの子か…頑張ってるよなあ。」
―…メドラ…?
 ムーの知るメドラの名は、ガルナの塔で悲劇を巻き起こした咎人であるはずだが…彼らの会話からは、その様なものは一切感じられず、むしろ敬意を払われているらしい。
「よっぽど賢者になりたいらしいわねぇ。うー…私だって呪文の才能があればぁ…!」
「ははは…あれはホントに凄すぎるから。学問だけじゃなくて、武術でも既にダーマが抱える騎士団の一番の強者にも匹敵すると思うし。ニージス君に次ぐ次期賢者の候補って噂されてるよ。」
「えー?それって凄いじゃない。」
―…武術?
 先に邂逅した自分を幼くしたような赤い髪の少女が見せた見事な剣さばき…この兄妹の話ではメドラと呼ばれる者もまた武術を極めつつあるらしいが…やはり彼女が……?
―……あれが、メドラ…そして…私の過去…?
 歩いている内に彼らとの距離はどんどん遠ざかり、やがて聞こえなくなった頃…目の前に大きな神殿が立っていた。

「…はっは、お帰りになられた様で。」

「!」
 聞き覚えのある飄々とした雰囲気の男の声がムーの耳に届いた。
―…ニージス…?
 声がした方を見ると、蒼い髪の青年が草原で会った戦士の出で立ちをした赤い髪の小さな女の子を出迎えている所だった。
「…足りない。」
「ふむ…、それだけ君が強くなられたと言う事では?」
 少女は剣を抜き…少し傷みかけた刀身をニージスと思しき青年に見せ…
「……この程度じゃ、お母様に勝てない。」
 無表情ながら何処か残念そうにポツリとそう呟いた。
「おや?君のお母上に?…どんな化け物ですかな…。」
「…妖怪。」
「はっは…なるほど。その表現がぴったりの様で。……しかし、無理して鍛えなくても宜しいのでは?」
 質量のある大剣を振り回す少女不相応の技量と力、それをもってしても勝てない相手に対してのもっともな例えに青年はカラカラと笑うも、その後で真剣な口調で尋ねた。
「…強くなりたいのは私の意志。お母様に勝ちたいのもある。でも、その前に…私にはやる事がある。」
「……私が言いたいのはその”やる事”…についてですが?」
 少女の返答…その一部に何か引っ掛かる物を感じて…彼は更にその事を問いただそうとしたが…
 
「…次、行かなきゃ。」

 彼女は答えずに神殿から離れていった。表情には微塵も出さなかったものの、その言葉を避けるかの様にも思える。
「……ふむ…。上に立つ者は気楽で良いもので。その反響を受けなければ良いのですがねぇ。…おっと、私も戻らなければまた壁にめり込む事になりますな。はっは。」
 意味深な言葉を残し、蒼髪の青年は神殿の中へと入って行った。
ドガシャアアアンッ!!
「あらー……」
 直後…神殿の石の屋根の一角が砕けてそこから彼が飛び出してきた。
「……妖怪…。」
 その一部始終をずっと見ていたムーは…青空へと消えていくニージス似の青年を見てそう呟いていた…。

 少女が向かった先は、宿舎の様な建物だった。その扉の一つの前に立ち、頭につけた防具を外して右手に抱えながら…
「…アバカム」
 左手をドアのノブの辺りにかざしながら、そう唱えた。
ガチャッ
 すると、手を触れていないにも関わらず扉はひとりでに開きだした。

「……。」
 少女の後を付けていたムーはその呪文が扉を開く様をぼーっと見ていた。確かに興味深いが、そこまで驚く事では無かったのだろうか。
「呪文、また…」
 外で見たときも、メラミの呪文を用いて肉を焼いていた。確かに戦士が簡単な呪文を使う場面は珍しい事でもないが、その分本分が疎かになる者が殆どである。だが…
―どうしてここまで呪文も剣も使えるの?
 閉じた扉の先にいるであろう赤い髪の少女に…ムーは疑念を深めた。
「……。」
 気付けば少女相応の小さな…しかし不相応なほど所々の皮が堅くなっている掌をぎゅっ…と握り締めていた。
―あれが私の過去ならば…
 過去によほど剣に打ち込んできたと言う事ならば、今の自分の手も僅かにその影が残っているのも納得がいく。だが…

ガチャッ…

「!」
 思考をめぐらせている最中で突然またドアが開いた。
―あれは…
 中から出てきたのはやはり先ほどの少女だった。だが、今度は…
―拳法着…?
 先ほどの簡素な鎧とは趣向を異とする、深緑の鉢巻と黒い帯で締められた同色の…やや丈の長い長袖の衣を身に纏い、緑のリボンで後ろ髪を纏めている。黒い帯は…時に師範の位に値する達人という印象を与えるが…。



「…これが、世界樹…か。」
 ホレスは周囲が焼けた森の中央にそびえる巨大な木を眺めてそう呟いていた。
「…!」
―あの足跡は…。
 何か巨大な生物が地面に勢い良く落ちてきた様な巨大な足跡を見て…
「…ムーか…。またあいつドラゴラム使ったのか…。物好きなやつめ。」
 相変わらずドラゴンに変身する事を厭わない様子が思い浮かんで、ホレスは嘆息しながら…
「……それで、何を取れば良いんだ?」
 後ろにいる赤い髪の魔女に向かってそう尋ねた。
「ええ。世界樹の葉を取らなければならないのだけれど。出来るだけ日に当たったものが良いわね。」
「わかった。早速採ってこようか。」
 より日の光を受けた瑞々しい葉を求めて、ホレスは世界樹と呼ばれる木をよじ登り始めた。
「……どっこらせ…と。」
「ああ、ごめんなさいね。」
「なに、気にするな。メドラの為じゃ。これしきのこと位。」
 モーゲンとマリウス、そしてカリューがその力を生かして色々な物を持ってきている。テントや簡素な机…それと食料などである。
「ここでキャンプするのは久しぶりじゃねぇか。」
「そうねぇ。まぁ今は半ば緊急事態の様なものだけれど。」
「ああ。世界樹の側で療養するヤツなんか結構いるからなぁ。」
 辺りを見回すと、先の戦争で傷ついた里の住人達が集まっている。魔法による治療が間に合わないのか、それともそれを行使する者がいないのか…。
「後であの人たちの様子もちゃんと診てあげないとね。」
 戦争による傷は深く、魔法の使い手は自分以外には数える程というにも少ない位しか存在していない。早かれ遅かれ彼らに手を差し伸べる時は来る事が明確なのに対して先の長さを感じ、メリッサは苦笑していた。




 気付けばムーはあの少女の後を追って、一つの大きな広場まで来ていた。随所で動きやすい服装をした数人の男女が楽しそうに語らっている。
「……。」
 どうやらここは修行場の一つのようだ。道具の一つも置かれていない石のタイルが敷き詰められた質素な造りである。
シュッ!シュッ!
 周りの者達が色々と世間話や何かを繰り広げている側で、少女は何も喋らずに体を動かし始めた。手始めは構えて拳を交互に前に突き出す運動だった。
「お、やってるやってる…。」
 格闘技の型を無言でこなす赤い髪の少女の姿を見て、それの側に一線となって見物者達が押し寄せてきた。
「……綺麗な型だよなぁ。ちょっとかじった俺でも分かるし。」
「いや、師範も褒めてたしなぁ。あれは本物だよ。」
「やっぱり天才なんじゃねえか…?」
 小さい体ながらも、一つ一つの動作が鮮やかで、それがそのまま実戦へと生きると感じさせる純粋な動きであった。
「…たった一年でここまでって…凄いものよね。」
「でもまぁ、まだ子供だろ?」
「だからじゃねぇか?…将来凄い武闘家になるぜ。」

「…ん?でもこいつって…」

「体操〜っ!!」

「「「!」」」
 上座の方でよく通る声で号令が掛けられたのを聞き、少女を見ていた者達は慌てて整列した。

 その後…見た限りでは何のことの無い基本動作を入念にこなして、その後…実践的な型の動作を経て、相手自由の組み手へと入った。若い門弟達がその運動量を生かしてよりスピードのある激しい戦いを繰り広げている側で、熟練者同士は静かに向き合って相手の様子を窺っている。
「「………。」」
 あの少女は…師範らしき筋骨隆々の男性と向き合って静止している。右手を下に下ろし…左手を上に掲げる様に構えて…じりじりと間合いを詰めていく…。
「はっ!!」
 不意に男性の方が拳を突き出してきた。相手が体の小さい少女なので、下段に放つ形でその一撃は放たれる。
ザッ!!
 だが、少女はそれに突っ込むような形で紙一重でかわし、男の懐に潜り込み、上下の腕を一心に前へと放った。諸手で放った拳撃が男の体へと吸い込まれていく。
ブンッ!!
「!」
 しかし、その直前にもう片方の手が二つの拳を遮り、左から男の膝が少女のこめかみを捉えていた。
「…勝負、ありだ。」
「……。」
 あわや直撃という姿勢のまま、両者は静止していた。互いの集中力と覚え込まされた技の数々が成せる芸当である。
「あそこであの様な芸当に出れる事から考えても…お前の身体能力は十分ついてる。だが、巨大な魔物相手ならばあれだと仮に成功しても捨て身にもなるかもしれない。気をつける事だ。」
「…はい、マスター。」
 少女は無表情を崩さずに男の助言に応えて頭を下げた。…程なくして、終了を合図する鐘が鳴り、また初めのように皆整然と整列した。
 
 激しさよりも、厳格さが大きいとも言える武闘家達の稽古を終え…軽く体を水で清めた後、少女はまた別の場所へと歩き出した。そこには数多の本が天井高い空間にそびえたつ本棚に鎮座している。どうやらここは図書館の様だ。
「……。」
 少女は歩み慣れた様子でその中から数冊の本を手にしておもむろにその場で読み始めた。
「こらこら…困るよ、メドラちゃん。机でちゃんと読んでくれなきゃ。」
「……む。」
 その様子を司書らしき者が咎めて、彼女を多くの者が集まる机へと押しやった。
「…やれやれ、気持ちは分かるんだけどねぇ。」
 周りを歩く大勢の学者風の者達を見やりながら司書はそう呟いた。なるほど…この様な場所だから余計にマナーを守らなければならないと言う事だろうか。
「ここ二年くらいずっとだもんな…。毎日注意しても全然聞かないって…。」
 口では色々文句を言っているが、顔は笑っていた。毎日図書館に通う程熱心に勉強していると思うと…どうも応援したくもなり、怒る気になれないのだろう。
「…そう言えば何見てるんだろう、あの子は…。」
 司書は本棚を整頓しつつ…マナーの悪い利用者が落としていった本を拾い上げた…

えっちな本

「まさかねぇ…って、何でこんな本が!?」
 ダーマの図書館にその様な低俗な本が置かれているはずは無い。誰かが持ち込んだとしか…。




「…世界樹…これが…。」
 レフィルは寝かされているムーの側から…目の前の大木の持つ圧倒的な迫力に思わずそう呟いていた。…天を付くような高さと、視界を遮るような横幅…それ以上に大きく見える様な気がするのは彼女の錯覚か…。
「驚いたかしら?」
「はい…。」
 ただの大きい木に過ぎない…が、里の伝承にもなる様な霊的な何かを持つとも言われ、その葉には魂をも蘇らせる力が秘められているという。…それが真実か定かではないが、これまでにも多くの者を救うきっかけを作り出してきた。
「ふむ…世界樹の葉はそのままでも妙薬になると聞きますが。」
「そう、無駄な調合をしないでそのまますり潰してあの子の口に含ませないと。」
「ですな。」
 余計な加工によって物が持つ本質が失われてしまうと言う事は別に世界樹の葉に限った話ではない。料理に例えるならば、どんな良い食材を使おうが…どれだけ手をかけようが、素材の本質が必ず生かされるというものではないというところだろうか。
「……ムー、待っててね…。きっとすぐ良くなるから…。」
 意識が無い中で、脂汗を滲ませながら荒い息をついているムーを見守り…レフィルは彼女に呼びかけるように優しくそう告げた…。
「こんなものか?」
 そんな中、ホレスはメリッサへと呼びかけながら、先ほど取ってきた世界樹の葉をすぐにすり鉢で粉末状にしたものを見せた。
「ええ。…じゃあ早速メドラにそれを……。」
 メリッサはホレスから葉の色の粉末を受け取りムーの口に含ませ、そして…それを流し込む様に小さなコップに入った水を彼女に飲ませた…



「……?」
 取り乱している司書の背中を、ムーは訳がわからないと言った様子で首を傾げて眺めていた。

ぱらり…

 不意に司書が周りを見回して…こっそりとページをめくり始めた。
―…人目を気にしてる?
 度派手な衣装に身を包んでいるムーの存在に気が付かなかった辺り…相当気がはやっているのだろうか。…ムーは足音を立てずに彼の後ろに行き着いた。そして…本の中身を盗み見た…。派手な色彩が施された見慣れぬ感じのタッチのデザインのページの淵が目に入った…。

ウォオオン…

「…!?」
 しかし、唸る様な不思議な音と共に…突如としてその本から捻れる様な空間が出現し…それは瞬く間に広がった。
「…う…!?」
 同時に…ムーの頭が割れる様な痛みが襲い…彼女の意識は朦朧とし始めた…。