災禍の申し子 第五話
「……。」
 そこに立っていたのは…簡素な武具と大柄な剣で身を固める…彼女よりも更に背の低い赤い髪の少女だった。少女は無言で暫く立ち尽くしていた。
―…あれは……私…?
 まるで鏡を見ている様な感覚だった。顔立ちは自分よりも少し幼いが…常に感情を消しているような無表情…。
「…おなか…すいた。」
 彼女がいつに無く動揺している中…少女は目の前の存在に気付かない様子で先程倒したビッグホーンへと歩み寄っていた。剣に付いた獣の赤い血を布を取って拭き取り、十字が描かれた頭の防具を外して…腰から大ぶりのナイフを取り出し…ビッグホーンの肉をさばき始めた。
「「……。」」
 彼女もまた…少女のその様子をただ黙ってみていた。
―……おいしそう…。
 食肉として整えられたそれらを串に差して…一点を囲むように並べた後…

「メラミ」
 
 その中心に向かって火炎呪文メラミを唱えた。ジュウウウッ!という音と共に、並べられた肉が見る見る焼きあがっていく…。少女はその内の一つを手にとり…その大人しそうな表情から想像もつかないほど豪快にかぶりついた。
「…不味い、生焼け…。」
 しかし…すぐに首を振って、何処か不機嫌そうにそう呟いた。だが、それも一時に過ぎず、少女は肉をみるみる内にたいらげて…次の一つを手に取り同じ様に食べていた。そして…最後の一つに手をかけて…それを頬張った。
「………。」
 それは殆ど黒くなっていて…所々が脆くなっていた。
「不味い、殆ど炭。」
 …案の定…少女はそうぽつりと呟き…首を振った…が、その後十秒もしないうちにそれを食べ終えた。
―…好き嫌いは良くない?
 指をくわえて少女の食事をする様を眺めながら…彼女もまた…腹が鳴るのを感じて…おもむろに肉のうちの一つに手を触れていた。すると…
―……?
 先程イオラが魔物に届かなかったのとは異なり…それは彼女の手に吸い込まれる様にして…その内に納まった。
「……?」
 彼女が手にした肉を不思議そうに眺めている側で…少女は先程までそれが差されていた地面を見て同じ様に首を傾げている。そして…手馴れた様子で辺りをゆっくりち見回していた。だが…彼女の姿が見えないのか…
「むー……?」
 何が起こったのか理解出来ずに小さく唸った。
「でも、どうでもいい。おなかいっぱいだもの。」
 そう独り言の様に呟き…少女は頭にまた防具を付け…近くに立てかけた大剣を背負い再び歩き出した。

―……やっぱり…あの子…私?…でも…戦士?
 まるで自分自身を見ている様な外見であったが、その出で立ちはまるで違う…。彼女自身が知る自身の姿…それとはあまりにかけ離れている…。
「…でも、どうでもいい。おなかすいてるもの。」
 だが、その疑問にも数秒で興味を失い、彼女は手にした肉にかじりついた。
「……不味い。味がない。」
 口の中に広がる肉の味に不満を一言もらしながらも、彼女はその肉をペロリと食い尽くした。

ひゅうううううううう……。

「…?」
 すると…突如として…彼女の赤い髪を風が揺らした。それだけではなく…先程まで忘れていたかの様に…地面の感触がその足に伝わってくる…。

ズキンッ!!

「…ッ!!?」
 次いで…彼女の体全身に……凄まじい激痛が走った…

―そなたとて、ワシの意思で生かしているに過ぎん。さぁ、大人しく我が意に従え。さすれば…
―…だから言ったはず。魔王なんかの家来になるつもりなんかない。
―待て!!ムー!!
―…残念だ。
―!
―……死して我が力の糧となるが良い。
―ムーッ!!離れろ!!
―ザキ
―…!!
ドクンッ!!
―…ムーーーーーーッ!!!!

「…ぐ…ふ……!!」
ボタッ…ボタッ……
 不意に彼女の口から…血が溢れる様に吐き出されて地面を紅く染めた…。
「……く……!」
 暴れ狂う心臓を押さえながら…彼女…ムーは地面に伏せて…

―…そもそも貴様が言うムーとやらはワシが殺したはず。

「うそ…つき…。」
 何度も咳き込み…口の中に血の味が広がるのを感じながらも…ムーは立ち上がった…。
―…私は…まだ生きてる。
 最後に見た光景…そして……心の中で響くバラモスの声に…軽く毒づいた。
「…カンダタが生かしてくれたもの。簡単には死なない。」
 その口から垂れる血を拭い取り…
「…ホレスの様に。」

―オレの怪我ってベホマで治っただろう?本当に死にかけていたら…
―本当にほとんど死んでいた。
―なに…?
―でも、致命傷は許容範囲内だった。
―…運が良かったのか。
―二度は無い。…多分。
―そうだな…。気をつけることにする。

 今も尚世界の何処かで生きているであろう…自分達を命を省みず守り抜き、痩身ながらも死をも跳ね返す程の何かを持ちうる目つきの悪い銀髪の青年の事を思い出し…しっかりと地を踏みしめた。


「お…おいっ!!ムー!!」
 ホレスは…急に顔が紅潮して息が荒くなり始めたムーの様子にかなり焦っていた。
「……何だ…?特に傷は無いとメリッサも言っていたはずだ…。」
 一行がモーゲンの家に至ってから二日あまりが過ぎ…彼は一人その居間で佇んでいた。…その時…ムーが寝ている部屋から苦しそうな寝息が彼の耳に届き…すぐに駆けつけたのだ。
「…一体何が……?」
 ホレスはムーの体を軽く改めて…うっすらとかいていた汗を軽く拭ってやった。脈はかなり激しくなっており…ぶるぶると痙攣を起こしている…。
「…!」
 その症状を見て…手近の水差しから布に水を垂らし、軽く絞ってムーの額に乗せつつ…
「…これは…まずいな…。」
 …目を僅かに細めてそう呟いていた。
―……レフィルも…危ない事は分かっていた。…まさかムーも…?いや、そうか……。バラモスなどとやり合えば…。その際に…こいつが”咎人”の力を使ったとなれば…。
 彼には想像もつかない程の…八岐の大蛇との死闘でさえも生温く見えるほどの戦いを彼女は生き延びたのだ。…その代償が大きくとも…それは不思議ではない。
ガチャッ
「……。」
 ドアの音が鳴っていたが、ホレスはそれに振り向きもせず…
 
「…え?」

 そこから入ってきた女性の…呆けた様な声を聞いても…彼はただ黙々と作業を続けていた。
「ホレス君?」
「……どうした?」 
 呼びかけられても…布団を整えたり…薬草を調合したりと…国家資格を持つ医者でさえも目を見張る程の手際の良い作業をやめようとしなかった。
「どうして…メドラの部屋に…?」
 その女…メリッサは部屋の状況を見て…ポツリとそう呟いていた。

「…ふふ…、無防備な女の子の部屋に入るなんて不潔よぉ。」
「……何?」
 後から入ってきたメリッサと共に容態が急変したムーの手当てをしている最中、彼女の言葉にホレスは一瞬手を休めて振り返った。
「……あなただって、あの子がドラゴラム使った時、凄く騒いでたでしょう?」
「…はっ…、アレはあいつが…と言っている場合じゃあないだろうが…。」
 嘆息しながらも…彼の脳裏にかつてムーがドラゴラムを使った後…全く物怖じするどころか…完全に涼しい顔で佇んでいた光景が過ぎった。
「そうねぇ…。それで……この子、魔力の枯渇に遭ってるみたいね…。」
「……魔力が枯渇しただけではどうと言う事は無いと思うが。ああ、そこの魔法の聖水を取ってくれないか?」
 調合を続ける手を動かしながら、空いた手をメリッサへと伸ばしながら、ホレスはそう言葉を返した。
「十分深刻な問題よぉ。あなたはあまり呪文を使わないから分からないかもしれないけど…。はい、コレね。」
「すまないな。いや、そうじゃない。問題は…その先だろ。…これを混ぜて…と。」
「…あら。分かってたの。ごめんなさいね。…これも加えたらいかが?」
 議論と作業を併行させながら…ホレスとメリッサはてきぱきと物事を済ませた。
「…ああ、そうだな…オレとあんたじゃ…物の見方が少し違うらしいな。…いや、このままの方が効率が良いと…」
「あら、そぉ?そうねぇ…。ふふ…。」
 ホレスは幾つかの薬草の調合したものに魔法の聖水を加えてそれを全体に染み渡らせた。魔法の聖水とは…飲んだ者へと魔力を供給する言わば魔力の塊の様な物である。
「休んでいれば魔力は自ずと回復する。…だが、バラモスだの竜の女王だのと戦っていたせいでこいつは心身…そして魔力までも限界に達した。…と、一応出来た。」
「ええ。…もうすっかりカラになってるわね…。あら、出来た?じゃあそれ貸して。」
 メリッサはホレスが作った薬を受け取り、さじで少しすくってムーへと与えた。
「……今まで倒れながらも健康そのもので眠り続けていたこいつが突然苦しみ始めた。体を調べて見たが…。何故だか知らないが…こいつは…。」
「まだ魔力を自然回復量を上回る勢いですり減らされ続けている…でしょう?」
「そうだ。…だが、人間には本来要らぬ負担を掛けぬ為のリミッターがあるはず。」
 魔力…その定義は定かではなく精神力と言われる事も…或いは大気中に存在する物質の一つという説等…様々に伝えられているが…。
「…今のこいつにはそれが外れた状態だ。…それで状態を左右する魔力を体から無理に搾り出そうとしているな…。……勿論、それは当然相当な無茶をこいつの体に強いる事となる。」
「蒸留する中身の水が尽きたフラスコの様にね…。」
「ああ。…何だってこんな事に…。如何にバラモスと戦おうとはいえ…その時点で限界を迎える前に呪文が発動できなくなるはずだが…。」
 
―ここまでのははじめて。
―ドラゴラム
―…!!ドラゴラムだと!? 
―……。魔力切れ…。
―そこだっ!!

 初めての邂逅の時にも…ドラゴラムを唱える程魔力が足りていなかった為にそれが無理に発動する事は無く…負担も無かった。今はその抑制が機能していない…と言う事だろうか。
「その事を考えるよりも…今はこの子を助けるのが先じゃなくて?」
「そうだ…。改善するには…魔力を搾り出すその火を止めるか…」
 ホレスは”魔法の聖水”の瓶を手に取りながら…途中に意味深に少し間を入れて…
「また魔力を供給してやれば良い。だが…、今一気にコレを与えるのはまずい…。」
 自分なりのムーの治療の方針への意見を述べた。
「ええ…。」
 迂闊に”魔法の聖水”を与えて…魔力の回復を一気に促そう物ならば…、それを感知して…更に火の勢いは増す事になる。もっとも…それ以前に、フラスコの様に熱された所に急に冷水を掛けられて割れて砕けた件も…少なからずあるらしいが。
「……かといって、その火の元…魔力の消失する先は分からない。このままでは時間の問題だ。」
 少なくとも…力の消耗は防ぐ事は不可能に近い。しかし、ムーの体への負担を考えると…魔法の聖水や薬による治療を急く事も出来ない。
「……そうねぇ…。やっぱり悟りの書の”試練”相手じゃあどうしようも無いのよねぇ…。」
「…やはりか…。あんたは…いや、ニージスはそれを知って…。どうしても避けられないのか…?」
「ええ…、そう言ってたわね…。」 
 ニージスが好きでムーをこの様な状態に追い込んでいるのではない事は…薄々ホレスも気が付いていた。流石に魔王バラモスに関しては予想外と言え…時期が早まったに過ぎない。
―…記憶を戻そうとしたのは……やはりこれの為か…。
 魔力を削り続ける程の”悟りの書”の試練…。こうした苦しみを与える事が果たして…
―馬鹿馬鹿しい…。何が試練だ…。
「さて…どうしたものかしら…。」
 悟りの書がムーに与え続けている負荷に胸中で毒づくホレスを横目に…メリッサはムーを眺めながらそう呟いていた。

「或いは…」「もしかしたら…」

「「……。」」
 
「…もぉ、ホレス君たら。」
 思わず声が重なるのに対して…メリッサはくす…と苦笑した。
「ああ、悪いな。……しかし…あんたも思い当たる事があるのか…。」
 おそらくはメリッサもまた、この先どうすれば良いのか…現状での最善の策が頭に浮かんだようだ。
「そうねぇ…。ホレス君も同じ事考えてるんじゃない?あなたって結構博識だし。」
「…いや、どうかな?本をかじった程度の知識じゃあまりアテにならないかもしれないしな。とりあえずあんたから話して欲しい。」
「あら?遠慮しなくて良いのに。」
 謙遜からか、話の順を譲るホレスを見て可笑しく思ったのか、メリッサはまた笑った。
「…同じ事であるなら……なおさらあんたの方がよく馴染みがあるもののはずだ。”水が枯渇したフラスコそのものを火に耐えうる物とする術”をな。」
「ふふ…思えばまどろっこしい例えだったわねぇ。まぁそんな物だけど。」
 先ほどから彼と共に繰り広げていた議論が、他人目から見るとあまりに突拍子無く聞こえる様に思えて…メリッサはやはり笑う要素には困らなかった。

「ダーマの神殿へよくぞ来た!若者よ!」
 質素ながら荘厳な雰囲気を感じさせる石壁の唯一つの門の前に立つ神官風の初老の男性が…来訪者に声を掛けた。
「…ん?そなた…何処かで…。」
「………。」
 お世辞にもセンスが良いとは言えない奇妙な形の帽子と少し派手な色彩のマントで全身を多い隠している小柄な旅人の出で立ちに何か思う所があったのか…彼はしばらくその双眸を見つめた。
「すまぬが…帽子を取ってくれぬか…?」
 彼に言われるままに…来訪者は帽子を取った。神官は暫くその者の顔を眺めていたが、すぐに首を振った…
「……ふむ…?まぁ…似たような者はいる…。じゃが…あの子は…すまぬな、呼び止めてしまっての。」
 が、それは門への立ち入りを許可しないと言う意味でなく、どうやら想像していた人物と何かが違う為らしい。彼は来訪者へと素直に詫びた。
「別に気にしてないから平気。」
 年端の行かない少女の声が全身を覆う衣装の隙間からそれに答えた。
「…うむ、そうか。ゆるりと休まれるが良かろう。」
 そう告げてくる神官を尻目に、彼女はゆっくりと歩き始めた。