災禍の申し子 第四話
『……う…!!』
 炎の中に撒かれ…彼女は呻き声を上げた。
―…熱い……焼けつく……!
 一瞬で燃え尽きる事無く…巨竜が吐いた猛火の中で…彼女は必死にもがいていた。
―……流石に……危ない……でも…何故…?
 褐色の竜の灼熱の炎の中で…如何に竜化して…体の造りが頑丈な生体となっているとは言え、命を失う事は無く…ただ熱気によるダメージを負い続けるに留まっている事に…彼女の中の冷静な部分が初めて疑問を抱いた…。
―私は…まだ……戦える…?
 彼女は翼を広げて…炎の中で力強く羽ばたき始めた。はためく翼により巻き起こされる烈風…それは炎を切り裂き…先への活路をも切り開いた。
『…!?』
 だが…そこには…倒すべき巨竜の姿は無く……暗い道の先に青空が広がっているだけであった。
―……やっぱり…夢…?
 考える間も無く…翼で巻き起こされた揚力で浮かび上がり、通路の中を滑空してその空へと差し掛かると…

ギイェエエエエエエエッ!!
ゴォアアアアアアアッ!!!

『…!』
 そこには怪鳥と言われる程の巨大な鳥や小さな飛竜等…翼の生えた生き物達が無数に飛び交っていた。その内の何体かが彼女へと殺到してきた。
『……邪魔…』
 彼女はその口を開き、大きく息を吸い込み…彼らへ向かって吐き出した。それは無数の氷の刃となって敵へと飛来し、その体を貫いた。
ドンッ!!
『…!!』
 だが、自分に向かって来る魔物の数は減る事は無く、その内の一体が彼女の体へと体当たりを仕掛けてきた。そのダメージで、バランスを崩して下へ下へと落下していく…。
『……く…!』
バッ!
 すぐに体を整えて体勢を立て直したが、落下速度の減速が遅れて…かなり下の方へと落ちてしまった。そこに上空から矢の如く無数の魔物が迫り来る…!
―ブレスじゃ…一掃できない…!
『…呪文……発動できる…?…いや、させてみる。』
 急降下してくる魔物達の動きに合わせて自身も降下しながら…
『理の欠片たる矮小なる物、集いて融け合い、齎されるは根源の光…』
 意識を自身の一点に集中し、呪文を唱え始めた。そして…
『…イオナズン』
 彼女の間合いに一体の魔物が入った瞬間…その言葉は紡がれた。

カッ…!!ドドドドドドド…!!!

 空中に無数の光球が炸裂し、その爆風と熱量に巻き込まれた魔物達の死骸や灰が次々と力無く落下していく…。だが…
「…!?」
 …その瞬間に彼女の姿は竜の姿からか弱い少女の姿へと戻っていた。
「……あ……!」
 揚力を失った彼女の体は成す術も無く…そのまま急速に速度を増し、遥か下にある地面に向かって落下し始めた。
「……っ!」
 しばらく落ちていた所で体にかかる力に耐え切れず、彼女の意識は再び暗転した。


「…やはりまだ眠ったままか…。」
「……ええ…。」
 ホレスはレフィルと共に、ムーが寝かされている部屋に入り…彼女の様子を眺めた。
「……まさかまた派手に落ちているとは思わなかったけどね…。」
 時々寝返りは打っているのか…再び部屋に入った時も…ムーは布団から転がり落ちていた。それを再びベッドに押し戻し…またしばらく静かに様子を見ていた。
「………でも…どんなに揺すっても起きないみたい…。」
「…見たところ…大して体の調子が悪いという事は無いようだがな…。」
 ホレスが脈を取っても…然程大きな乱れは感じられなかった。先程落ちていたときも…特に打ち所が悪いといった様子は無いらしい。
「もっとも…メリッサからはまだ何も聞いていないのだがな。」
「…え?」
「あいつなら…おそらくオレ達からの観点とは違った方向でこいつの体調を知っているんだろうから…後で聞いてみるのもいいだろうな。」
「…そうなの…?でも…心配だね…。」
 三日も寝込んでいる上に…身体的な傷とは別の要因で寝込んでいるとすれば…確かに不安になるだろう。
「そういえば……こいつは昔…悟りの書を手にしたとダーマで耳にした。」
「え?…それってニージスさんに止められたって…」
「…いや、あいつは一度止め損ねた。その時に悟りの書を奪われたらしいんだ。」
「…ええっ!?」
 ダーマにて賢者志願者の女から聞いた話をホレスから聞き、レフィルは目を見張りながら彼の次の言葉を待った。
「だが…その後暫くして…様子がおかしくなったらしい…。突然意識を失ってその場に倒れ込んだ…と聞いた。」
「…それじゃあその時…」
 ニージスも弱くは無いが…今までの戦いを振り返る限り然程特別強い術者でも戦士でもない様子を見る限り、国単位での災いをもたらすとまで言われた咎人相手では…渡り合うのが精一杯であろうか…。先に見た惨禍の片鱗を垣間見ても…真っ向から立ち向かって勝てる者など存在しないのではないか…あの勇者オルテガでさえも畏怖の念を抱くであろうとも思わされる。
「…そう。再び目を覚ました時には自分が何者かを忘れた状態とした後に、辺境へと追放した。その記憶を消した理由…それが悟りの書”そのもの”だとは思わなかったがな…。」
「……そのもの?」
 ムーの前身…”蛇竜の魔女”メドラが悟りの書を欲していた事はニージスと初めて会った時に聞いた。だが、ホレスはそれを更に強調して述べているのは…?
「悟りの書は…数多の知識が詰め込まれた万物の教書だと言うのはお前も知っているだろ?その写本が幾つか存在する…グレイも持っている程だが、あの人がいつも言っている事からも、確かにあらゆる学問の基礎があの中に詰め込まれているらしい。」
 万物の教書と言われるだけの写本と言えば完成までに気が遠くなる程の時間がかかるだろうか…師が持っていてその内容を裏付ける参考程度に語られた言葉に、レフィルは思考の片隅で本筋とは別に微かにそう感じた。
「……だが、その本質は知識そのものではない。…悟りの書そのものが、資格ある者へと試練を与える存在だと聞いた事がある。」
「……。」
「…ムーは…いや、メドラは純粋に力を欲して悟りの書へと手を出した。…あの森の様子から見るに…そのメドラの人格も徐々に目覚めていたらしいが…どうなる事だろうな。」
 焼き尽くされた森…大きく拉げた地面…そして、人であった物の白い骸とその欠片…。
「…ニージスさんがその”メドラ”の記憶を前に消したんだよね?」
「……そうだな。今までに徐々にその昔の呪文と共に取り戻している可能性が大きいが…少なくとも”封じ込めた”状態ではあったのだろう。」
「……。」
 レフィル達と旅していた頃にはその片鱗も見られなかった。確かにムーは…ただでさえニージスやメリッサをも圧倒する程の優れた呪文や魔法技術の使い手ではあったが、使い所を誤ると悲劇を巻き起こす様な人智を超えうる様な性質の悪い力は無かった。
「…ねぇホレス…。ずっと気になっていた事があるんだけど…。」
「気になってる?…何が?」
 暫く黙り込んだ後に改まった様な口調で尋ねられ、ホレスは彼女と目を合わせた。

「どうしてムーの記憶までも封印しなくちゃならなかったのかな…。」

 レフィルはずっと心の内で思っていた事…、至極当然にして…彼女の疑念の根本を占める事を…言葉として出した。
「……。」
 今度はホレスが沈黙する番だった。
―…なに当たり前の事を…いや、それがこの子の…。
「…全部を思い出した時…この子は…この子でなくなってしまうの…?……あんな酷い事をしたって…分かったら…」
 力無くベッドに伏せて眠り続けるムーの頬に触れながら…レフィルは彼女に訪れる残酷な運命を思い…涙をこぼした。
「……そうだな。こいつにどれだけ芯の強さがあろうとも…全てが受け入れられるとは到底思えない。それを記憶ごと封じた…。あるいはそうする以外に方法は無かったのかもな。」
 ホレスは目を覚まさぬムーへとしゃがみ込むレフィルにそう告げた。
「……でも、ムーの…メドラの記憶は戻りつつあるんでしょう…?それはあの子の目的だったわけだし…。だったらどうしてあんな旅なんか…」
「…確かにその危険性は否定は出来ないよな。オレもそこだけが分からない…。この程度の事で戻ってしまう様な記憶の封を…何故だ…。」
 思えばムーがメリッサに付いて記憶を求める旅を始めようとした時、ニージスは特に止めようともしなかった。
「……一体…何を考えているんだ…?ニージス…?」
 少なくとも記憶を封じた者として、メドラの恐ろしさを知る者として…それを野放しにしておいたのは何故だろうか。ホレス達は互いに顔を見合わせて首をかしげていた。
「…まさか……」
「…?」
―これじゃあまるで……あんた…初めから……?
 レフィルが不思議そうにまじまじと見ているのをよそに…ホレスは更に険しい顔をして思案にふけっていた。


「…冷えますな。」
「…ええ。」
 その頃…ニージスとメリッサは、祠の北にある崖で二人で佇んでいた。
「流石に冬場の月見とは…良い景色だけと言う訳には行かないようで…。」
 南に浮かぶ満月を眺めながら、ニージスは寒そうに肩を震わせてそう呟いた。
「……ニージス君。」
「ん?何か?」
 そんな彼に…穏やかそうな優しい顔立ちの赤い髪の魔女が声をかけた。

「やっぱり…避けられないの…?」

 そして…底知れぬ程複雑な心境がわかる様な表情で、彼を双眸を見つめながらそう訪ねた。
「ふむ…こればかりは私も色々と手を尽くそうとしましたが、あいにく時間が無くて。」
「…時間?」
 時間が無い…と言っている限り、決して見捨てる様な真似はしていないと主張したいらしい。だが、何が彼女の。
「ええ。メドラは悟りの書から得た力を使い過ぎて…その負荷に耐えられず倒れたのでして。」
「ふふ…あの子らしいわね。そういう無茶をやせ我慢する所なんて。」
「…って、そうきましたか。…とそれはさておきその時に私はあの子の身柄を確保したわけですな。」
 メリッサの軽口に少々失笑しながら、ニージスは言葉を続けた。
「既に何人も殺してきた大罪人と言えども…流石にあの子をすぐに断罪するのも気が引けまして、目を覚ますであろう時までにどうにか試練から解き放とうと…色々と術式を試してみたのですが…そうですな。例えば…」
 ニージスはメリッサにその時に施した術を始めとした事情を説明し始めた。そして…全てを語り終えた時、彼女はいつもの屈託の無い微笑を浮かべて…
「そんな短い時間の中で…あの子の為に随分と頑張ってくれたのねぇ。ありがとう。」
 罪を犯し、更にはどん底の状態にあるメドラへと手を差し伸べたニージスへの感謝の気持ちを込めて、そう礼を告げた。
「はっは…今にして思えば実にマジメに働きましたとも。まぁそれが功を奏さなかったのは残念ですが。私も命は惜しかったので…最後には諦めてあの子の記憶と力を封印し、ダーマより追放せざるを得なかったと言う事で。」

「……そして、今…時が満ちたと言う事ですな。」
「…つまりは何も知らずに時を過ごしていても…いずれは”試練”からは逃れられない…と言う事ね…。この前あなたが言ったとおりの展開になったのよねぇ…。」
 
―メドラ!どうしてザキなんて…
―さっきからうるさい。
―!?
―バシルーラ
―きゃ…!!

「…その時はまだ親分さんの一撃でまた元に戻ったけど…。」
 赤の月…おそらく初めてムーが体験した激しい戦い…その中で心身共に限界に達して…”メドラ”の時に習得していた呪文を思い出し始めた。思えばその時に既に…”試練”への引き金は引かれていたのだろうか。
「ふむ…今この時の為にある程度の記憶は戻した方が良いとは思ったのですがね。しかし…心の支えとなっていたカンダタは既に亡く、精神的に不安定となった今…果たして”試練”に耐えうるのかどうか。」
「…私達はただあの子の事を見守っている他無いのかしらね。」
 その問いかけにニージスは何も答えなかった。
―…或いは…ですな。
 


「…む…。」
 目を覚ますと…彼女は草むらに横たわっていた。
「……今度は…なに?」
 また何処とも知れぬ場所へと放り出され…
「ザメハ…」
 自身に覚醒呪文を施し…再度状況を確認する。黒い空間から始まり…巨大な竜に襲われ…先程は急に大空に投げ出されて…力尽きて落ちていったところで記憶が途切れている。
―私は…どうして生きているの?…それとも…死んでいる?
 流石に地面がまともに見えない程の高さから落ちて、無事で済むとも思えない。
「……むー……??」
 彼女は首を傾げてその場に座り込んだ。

ザッ!!

「……?!」
 不意に一筋の影が目の前を通り過ぎて…前方へと走っていった。
―すり抜けた…?
 それは決して間近を横切った訳ではなく…確かに彼女の体をすり抜けていた。
「幽霊…?」
 無意識に…彼女は手を前に揺らして…幽霊のポーズを取ってまた首をかしげていた。
「……???」
 通り過ぎていった者…それは雄雄しい角を生やした一頭の猛獣…ビッグホーンであった。
「腹ごしらえ。」
 その姿を見て…彼女は掌を魔物へとかざした。
「イオラ」
ドガァーンッ!!
 唱えられた呪文と共に…爆発が巻き起こりビッグホーンを飲み込んだ。
「…む…????」
 しかし…爆発はその魔物を叩き伏せる事はおろか、地面を抉る事も無かった。
―ますます訳がわからない。
 何が起こったのか…見当も付かないが、とりあえずどうやら自分とあの魔物とは別の次元にあるらしく…触れ合う事は無いようだ。
「……。」
 彼女はそうして暫く成り行きを見守っていた…

ザンッ…!

「!?」
 が、突然何の前触れも無く、ビッグホーンの体が二つに分かたれて、左右に倒れた。その間から何者かが血塗れの刃を手に現れた。
「…あ…あなたは……!」
 獣を一刀両断の内に仕留めたにも関わらず…返り血一つ浴びていない張本人を見て…彼女は動揺のあまり、思わず声を震わせていた。