災禍の申し子 第二話
「…な…なんだよ…!これは……!!」
 目の前の光景に…ホレスは普段の無機質な抑揚ではない感情的なうめきを上げた。
「ふむ…これは…生きたまま石化の呪縛を受けた様で。」
「…生きたまま石化された…だと…!?」
 彼の周りに…戦士の出で立ちをした石膏の像が…苦悶に満ちた表情で佇んでいる…。
「…めっちゃ怖い力やな…。」
「残念ながら、彼らは既に事切れているようですな。」
「ひどい…誰がこんなこと…」
 他を見回すと、同じ石膏の様な砂状のものが一面に広がり…砕けた石像があちこちに転がっている…。散らばっている血濡れの武器や、壊された防具…そして、点在しているクレーターの様な窪み…。
「メドラ…ですな。」
「なんだって?」
 人を石化させて…別の大きな力を招き…それにより他の生者もろとも砕いた…。それが果たして人間に御せる力なのだろうか…。
「ムー…が…、でも…どうして…。」
「…この惨状を見るに、おそらく戦いに巻き込まれて…死に瀕した時にその力を解放したのでしょう。」
「…なに!?」
 メドラ…悟りの書の知識を得て、ダーマにて咎人と呼ばれる程の罪を犯した力を…激戦の中の死線に追いやられた際に解き放ったのだろうか…。
「じゃあムーは…」
「おそらくは無事では済んでいないことでしょう」
「そんな……」
 これだけの惨状をもたらす災いに巻き込まれるだけでも十分に命を脅かす危険はある。メドラ以外の力在る者がその腕を振るう事も在りうる。
「…とにかく…付いていたやつら…カンダタ達を探さないと……っ!?」
 死屍累々とも形容できる目も当てられない情景の一角で…一際巨大な窪みの側に落ちているものを見て、ホレスは絶句した。
「これは……あいつが…カンダタが使っていた斧!」
「ムーばかりか…カンダタさんまで……」
 主を失った斧は…寂しく地面に突き刺さり…鈍い輝きを放っていた。手入れが行き届いていないのか…多少傷んでいる…。
「…いや…、確かに無事じゃないのかもしれない…だが、生きているならば…」
「せや!モタモタしとる暇は無いで!!」
 カンダタもムーも…それに付き従う様に行動を共にしていた者達も…きっとこの大きな戦いに巻き込まれてしまったに違いないが、それで彼らがどうなったかの結論を急ぐには或いは些か早いのかもしれない。カリューに急かされる様にして、一行はまた先へと歩き出そうとした。
「……ここは”迷いの森”のようだ。そうだな…。」
 …とそこでホレスが立ち止まって軽く思案に耽った…そして…
「……散らばりし欠片…其は集いて煌きを天に与えん…レミーラ」
 ホレスは掌を上に掲げて呪文を唱えた。
「え…?詠唱を?」
「…レミーラだけなら少しの応用は利くさ。もっとも、そうすると魔物に対しても目立つから多用はしていなかったがな。」
 天にかざされた彼の手から光が真っ直ぐ伸びて、天を衝いた。それに伴い、ホレスの体も光を帯びて…近よってきた小動物の類はそれに驚いて逃げ出してしまった。
「これだけ強烈な光を放っていればいつもなら少し危険かもしれないが、今は幸い見通しが良い。魔物が来てもすぐに対処できるはずだ。」
「…ふむ、まだ収束はできそうで。」
「……いや、これ位散乱させた方が丁度良いだろう。広げすぎても見えないだろうが…」
「ですな。」
「むぅ…またワケ分からん事を…。」
 呪文自体が不得手でも、それにまつわる事を賢者と呼ばれる者と議論できる程の深い知識を持つホレスに、カリューは首を捻った。
「……しばらくやっていれば…案内できそうな奴がここに…」

「あら?ホレス君じゃない。」

 空から聞こえてきた声に…ホレスは特に驚いた様子もなく、その方へと向き直った。
「…あんたは……メリッサか…。」
 果たして、彼の望みどおり、光を見つけた者…箒に乗った赤い髪を持つ魔女が四人の前に降り立ってきた。

「久しぶりね。ふふ…随分見違えたわねぇ。前よりも逞しく見えるわ。」
「さあな…。或いは良い武器がたくさん手に入ったお陰かもしれないな。しかし…レミーラがまさかこんな形で役に立つとはな。」
 ホレスは呪文の光を収めながら、左手を覆う黒い竜鱗で覆われた手甲をポン…と叩きつつそう返した。
「それは気になるわよ。けど…まさかホレス君の呪文だったなんてねぇ。」
 彼女…メリッサは、ホレスの手に収まるようにして消え入る光を興味深そうに眺め、微笑みながらそう告げた。
「…そんなにおかしいか?…まぁ呪文の大半が発動すらしないのは確かだが。」
「ふふ…。それはそうと…あなた達、どうしてここにいらして?」
 およそ半年になるだろうか…世界を旅するレフィル達…そして、故郷を目指すムーの旅…それらはそう簡単に交わる事は無い。世界樹と呼ばれる大樹の近くにムーの故郷がと言う事はレフィル達も知ってはいたが、寄るべき場所としては特に定めていなかった。
「ムーから手紙が来たんだ。丁度ジパングを出ようとした時にな。」
 ジパングから北にあたり…距離としては近い訳でないとしても、然程遠くにも無かった。そこにムーからの手紙が空から舞い降りてきたのを機に目的地を彼女の下へと決めたのであった。もっとも…氷河に閉ざされた海峡を抜ける際にテンタクルスに襲われて船を失う程の危険もあったが。 
「…あらあら、いけない子ね。ふふ…。」
「……なに?」
 取り出したムーからの手紙の封筒を見て、メリッサが苦笑しながらこぼした言葉を聞き、ホレスはそれを怪訝に思いつつ…僅かに目を細めた。
「まぁいいわ。…そうね、あの子はどうにか無事よ。」
「そうか…。」
「良かった…。」
 先程まで歩んできた道のりで繰り広げられていたであろう凄惨な修羅場…どうやらムーは運良くその中で生き延びた様だ。彼らはほっ…と一度肩を撫で下ろした。
「だが…」
 ホレスは途中で拾い、背負った斧を手に取り、メリッサに見せた。
「……ええ。」
「カンダタは……死んだのか。」
「……。」
 ホレスの問いに、メリッサは答えなかった。否、答えられなかったと言うべきか。
「…火山の噴火した跡の様な巨大な窪み…その近くに落ちていたんだ。」
「そうだったの…。」
 彼女は…差し出された武器…常人には単純に振り回せない程の大柄な斧を…目を細めてしばらくの間眺めていた…。 
「これだけの力を持つ奴…心当たりは一つしかない…。」
 カンダタを倒すだけならばともかく、大地の奥深くまでに作用し、己が望みのままに奮い立たせる程の力の持ち主…それは…

「魔王、バラモス…。」

「「「…!?」」」
 ホレスの言葉に、レフィルやカリューは勿論、ニージスまでもが絶句してその眼を見開いた。

バラモス

アリアハンを中心とした人間の激しい争いが絶えなかった時代に突如として現れた人ではありえぬ絶大な力を持つ存在。母なる大地をもその腕に従え、殺戮を繰り返した大魔。
今も尚その猛威を振るい、世界を名のみで震撼させる程の存在となっている。

「……或いはそれに類する力を持つものが…”蛇竜の魔女”然り一人は居ただろうな。だが…それだけではない…。」
 
 
「竜の女王…。」

「「「!」」」

竜の女王

悠久の時を生きる地上の守護者と謳われる女神。だが、真の姿を知る者はおらず、そもそも存在自体が定かでない。
総てを打ち砕く雷の申し子にして、翠玉の如き鱗と天の日輪さえも飲み込む雄大なる体躯を持つ破壊の魔竜…と太古の書物の一つに記されるが…果たして…。

「あれは伝説上の存在だと思われている事が殆どだ。…だが、グレイは確かに居る…と言っていた。」
「竜の女王様って…本当にいるの…?」
 竜の女王を地上の守護者と称する宗派の教会は数多い。その宗教の下にあらずとも、何を祀るかという事は割と知られている。レフィルも例外ではなく、その祀られている対象が実在すると聞けば…おそらくは気にせずにはいられないのだろう。
「語れば長くなるが、あの人から聞いた話ではおおよそ間違い無いはずだ。それに…」
 彼女に尋ねられ、ホレスはそれを肯定し、一息置いて…

「神といっても元々は一つの存在でしかないのだからな。」
 何処かこだわりがあるかの様な…強い口調でそう呟いていた。
 
「ホレス…?」
 ホレスの言葉に込められた意味…それを感じながらも実際の所何であるかが解せず…レフィルは目を見開いて暫し彼を見て固まっていた。
「しかし、一介の冒険者を名乗るだけの君が、よくそんな奥深くの真実をご存知で。」
「オレとて大学者と呼ばれた男の弟子だ。それに、ここ三年で寄った遺跡にも、その存在は記されている。」
 イシスやダーマで手にした文献…その中でも、地上の守護者と綴られた竜の女王の記述はあった。だが、元賢者の大学者にしてホレスの師、グレイはその”教科書”通りの話に加えて、あらゆる根拠を元にした真実…それを自分なりの推論も交えて軽く話した程度ではあったが…ホレスは確かにそれに共感していた。
「……はっは……まさか君がたったこれだけの事でその結論に至るとは…短慮と言いたい所ですが、十分否定できないだけに…参考になりますな。」
 確かにいきなり魔王だの竜の女王だのと言われても…普通であれば極論に過ぎない。そして…メドラも数えるとするならば…三つも人智を超える力が集う事になる…。そうなると…ムーの身ばかりか、世界樹周辺一帯が滅びる事ですら生易しく聞こえてしまう。
「勘違いするな。これはグレイが酔った勢いで語った事を元にした、ただの大雑把な仮定に過ぎない。」
「…あらら、酔われていたので…。」
「それでも一応筋が通ったあたり…根っからの学者だったがな…。そうだな…。メリッサ、あんたは何か見たか?」
「…殆どホレス君が言った通りね。バラモスはともかく…あの時の…間違いなく竜の女王と見て良かったわ…。うーん…あれはとても偽物には見えないわねぇ…。」
「……おぉう、君もそう仰せになられるので…。」
 その場に居合わせて…かつ、学の深い魔女であるメリッサも、竜の女王とバラモスの名を出している…。
「…ただ…それを置いといて、気になるのは…」
 まだ腑に落ちない点も幾つもあり、漠然としたものが抜けないが、いつまでも考えていても仕方がない。ニージスは話題を変えるべく自ら切り出した。
「あの石化の力…あの子はかつてこれでダーマでの事件を起こしたのですが…今は大丈夫なので?」
「……ええ、今は眠ってる…怪我も思ったより軽く済んだみたい。」
「…だが、次に目を覚ました時…何をするかは分かったものではないな…。」
「そうね…。もう寝込んでから三日になるけれど…。」
 今のところはムーの容態は大事には至っていない様だ。かつて人の手に負えず…破滅を撒き散らした力に再び目覚めたのを見ると…確かにこの先どうなるか分かったものではないが。

「ようこそ、私達の里へ。」 
 メリッサに案内され、一行は樹海の中にひっそりと暮らす者達が集う人里へと至った。だが、建物は壊され、数少ない外を出歩く者達の顔にも、生気が感じられないものが殆どだった。
「…やはりひどい有様だな…。なんだってこんな所に…。…目的は…”メドラ”…なのか?」
 来る途中でも所々の木々がなぎ倒され、中には一帯が焼けてしまっていた所もあった。燃え広がる前に炎を消し止められたのが不思議なくらいである。
「おそらく…そうでしょうね。」
 石化の眼…それは人を恐怖に陥れるに十分な程の力を持つ…。それを狙って世界樹の里まで侵略してきたのだろうか。魔王とあろう者が人の子に過ぎない者の力を求めて下界に降臨してくるのもおかしな話ではあるが。
「…でも、あなた達も随分苦労してきたのねぇ。今は元気そうだけど、ホレス君の顔の傷も少し増えてるし、ホントに凄い事に巻き込まれてるのねぇ。」
「……。」
「まさか八岐の大蛇と戦う事になるとは思いませんでしたがな。」
「あらあら!?よく生きてたわねぇ?」
 にこやかに笑いながらホレスの傷跡を優しく撫で上げる所に、ニージスがさり気なく呟いた言葉にメリッサは目を丸くしつつそう返した。
「はっは…、殆どホレス一人で戦ってたので…」
「そう…って…ホレス君一人でって…うそぉっ!?」
 いつもの大人びた雰囲気は何処にやら、メリッサは肩を竦ませ目を見開いていた。彼女らしからぬ素っ頓狂な声を上げて唖然と空いた口元を押さえていた…が…
「いくら命知らずでホレス君でも神様と崇められる怪物を…ニージス君も冗談が…」
 八岐の大蛇の名は、学を深めた者の多くが知る…神に近しい存在である。それを矮小な人間がたった一人で相手にできるというのが信じられず…完全に冗談とも聞こえないらしく、苦笑いをしながら反論した…

「…嘘では無い。…と言うよりあやつに対して凄まじい言い様じゃな…。」

 その時、彼女の背後から…聞き慣れた声が…聞き慣れぬ抑揚で言葉を紡いだ。
「え…?レフィル?」
 果たして声の主はレフィルであった。…だが、瞳からは光が失われ…普段の彼女とは比較にならない程の凄まじい気を全身から吐き出している。
『その者が確かに獣と化したわしと一人で対峙し…そして打ち勝ったのじゃ。』
 やがて彼女の声色が変わり…艶やかな雰囲気の女性の声が何処か遠くから響く様に聞こえてきた。
「……えっと…ニージス君?」
「…はい?」
 普段の気が弱く大人しい少女の性格からまさに豹変したレフィルを見て、メリッサはしばらく唖然とした様子で眺めていたが…その後間を置いた後にニージスにこう尋ねた。
「ご本人様がここにいるって思っていいのよね?」
「ですな。」
 ニージスも、薄ら笑いを浮かべている事から…彼もまた、レフィルの変貌に戸惑いを隠せない様だ。
『……ほほ、今わしの体を表に出してしまうと皆に驚かれるやも知れぬでな。この子の体を少し拝借させて貰っておるぞ。』
「はっは。今も十分驚いておりますとも。…と言うより取り憑かれてるとは…。」
 レフィル本人の物静かさとはまた違った…年齢不相応の落ち着いた振る舞い…。確かに普段とかけ離れてはいるが、女性としての体つきに富む彼女の姿と比べるだけならば…然程違和感は感じられない。…しかし、誘いの洞窟で大火傷を負い、ピラミッドやレイアムランドでも傷つき、そして…ジパングでも生贄の恐怖を味わった…その挙句には別の存在に体を乗っ取られる状態にある…。どうにもレフィルは色々な意味で貧乏クジを引く少女の様だ。
「…ああ、そう言えばあんた、レフィルの力になると言っていたか。だが…レフィルに憑くのは…大丈夫なのか?」
『うむうむ。心配せんでもこの子には害は無い。それに、わしの姿が人里で表に出てしまうと騒ぎになるじゃろうて。だから普段はこうさせてもらうのが一番無難と思うてな。』
 少なくとも、八岐の大蛇の憑依という行為その物がレフィルに悪影響をもたらす事はない様だ。確かにあの巨躯のまま街を出歩かれても…かなり困り者ではあるが。
『…しかしレフィルは酒に弱い様じゃのぉ…この子と共に酒を愉しもうと思うたのじゃが…むぅ。酒なぞあの女狐めに利用されてから久しく飲んでおらんでのぉ…。』
 八岐の大蛇は…体の所有者本人では絶対しない様な艶やかな笑みを浮かべ、レフィルの胸元に手を添えながらそうぼやいた。しかし、その口調から…何処か愉しんでいる様にも見受けられた。
「……おい。」
『…む?』
 その時…ホレスはレフィル…否、八岐の大蛇を半目でじっと睨みながら…
 
「……あんた…まさか酒に呑まれたせいで…」

 さりげなく八岐の大蛇が吐いた言葉に…あまりに辛辣な言葉をかけた。
『……うっ!いかん!じ…持病の胸焼けがぁ…っ!!し…失礼させてもらうぞ!!』
 それに対して、大蛇はわざとらしく苦しむようにしながら、徐々にレフィルの体からその気配を消した。
―なぁ八岐の大蛇…あんた、今はレフィルの体を使ってたんだろうが…。
 少なくともレフィルに胸焼けがするような持病は無い。
「…ん…。…あれ…?どうしたんですか?皆さん?」
「「………。」」
 憑依による八岐の大蛇の意思の顕現が起こっている間の記憶はどうやら本人にはないらしい。レフィルは訳が分からないと言った様子であたりを見回している。
「……え?え?…わ…わたし…何を…!?」
「いや…お前じゃない…。」
 事情を説明して…レフィルを落ち着かせるまでにも時間はかかった…が、何より…
―あ…あれはレフィルじゃない……そう思っておきましょー…
―…わ…わて…何か負けた様な気分するの何で…?
―………レフィルであって…レフィルでない…。
―あらあら…やっぱり運悪いみたいね…この子…。
 八岐の大蛇の憑依に、何処か哀れみの様な気持ちが四人に走ったのは…。