第十七章 災禍の申し子
「ようやく…着いたな。」
 目の前に広がる樹海を見て、ホレスはそう呟いていた。
「ですな。ここまで…まさかあれ程苦労することになるとは思いませんでしたな。」
「そうですね…。…とっ!?」
ガクンッ!!
 ニージスの言葉にレフィルが相槌を打った時、船が急に傾きだした。
「急げ!必要な物だけもってすぐ脱出するぞ!」
 彼に言われるまでもなく、四人は手早く甲板を走り、すぐに地上へと飛び降りた。

 ジパングにて”紫の光”を求めた先でヒミコの陥穽の内に落ちて…それぞれが苦しい戦いを余儀なくされたが、どうにか切り抜ける事が出来た。全ての元凶である…妖術を操るヒミコの登場によって全滅も危ぶまれたが、ヤヨイの祖国とホレス達への祈りによって目覚めた八岐の大蛇の助力により…生還に至った。
 出発の際、神官オードは国の建て直しの力になると共に、布教を行いたいと一行に別れを告げそのままジパングに残った。ヒミコ亡き後のジパングの有力者のトウマ、そしてそのヒミコの最期を看取ったヤヨイの後ろ立てのもと、活動していきたいとの事らしい。
 船をルーラを用いてジパングの岸まで移動させ、そのまま世界樹方面へ向かう為に北へと漕ぎ出した四人を待ち受けていたのは…
「いやはや…参りましたな、これは。」
 ニージスは海に浮かぶ無数の氷塊を見て何がおかしいのか苦笑を浮かべながら頭を掻いた。
「船体にそれなりには装甲があるとはいえ…この氷河の中持つかどうか…。」
「……そうだな。かと言って、この海の中に落ちたらおそらく只では済まないだろうしな。」
 ジパング北に位置する海峡を閉ざすは白一色の極寒地帯より流れ落ちた無数の氷河と所々に流れる氷の塊…。それらの目に見える部分はほんの一部に過ぎず、海中には更に大きな氷があると言う話である。
「…十分に距離を取って航行しなければな。」
 堅い氷にまともにぶつかってしまえば、船を形作る木が砕け、船が破壊されてしまう恐れもある。ホレスは望遠鏡を片手に安全なコースを模索し、舵を慎重に進めた。
「……風向きが悪いな。これでは下手に動かすとそのまま氷塊にぶつかってしまうな。」
「…このままじゃ危ない?」
 船室から外に出てきた少女が、ホレスの近くまで歩み寄りそう尋ねた。毛皮の防寒具に身を包み、目はゴーグルで覆っている。そして、その上にマテルアから貰った兜のようなサークレットを戴いている。
「……いや、今ニージスがこの船につけた呪文の応用を使って微細な動きをコントロールしてくれている。」
「…わたしも……何か出来れば…」
「そうだな…今無闇に氷塊を呪文で撃つのはまずいかもしれない…。コースの途中を塞ぐものを吹き飛ばすなり溶かすなりする事はあるかもしれないから…」
「ぶぇええっくしょいっ!!」
 レフィルに何かを言いかけた時、後ろから派手なくしゃみが聞こえてきた。
「…またか、あんたも無茶しているな。」
「……ぬぅうう…!!これしき気合で…!」
「…無茶だろ。」
 くしゃみの主は要所のみを守る鎧を身に付けた長身の女…カリューであった。凍えるほどの寒波が吹き荒れる中で、歯をガチガチと言わせながら体を震わせている…。
「フバーハ」
 そんな彼女を見て、ニージスは船に呪文を込める手を休め、カリューに呪文を施した。
「…ってコラァ!モヤシ!!余計な事するな!!」
 このまま続けさせていたら無茶な我慢で凍傷にかかり命さえ落としかねない…。
「はっは…確かに君の我慢大会を邪魔するのは失礼ではありましたが…」
 彼女の心意気に感心と呆れが入り混じった気分で苦笑しながら、ニージスは氷に閉ざされた海原を見やり…
ザバァッ!!
「どうやらそうしないと君がまともにあれと戦えそうにないと思ったので。」
 派手な水しぶきを上げながら現れた大きな緑色の化け物イカを指差してそう告げた。
「……テンタクルスか…」
―…不味い。生焼け。
「………。」
 これから再び会えるであろう赤い髪の少女がそのイカと同種の魔物を食してポツリと呟いた言葉が脳裏によみがえるようだった。
「…はは、確かに凄い奴だったな…あいつも。」
「ですな。」
 あれ程の巨大なイカを捕まえて、焼いて、ご丁寧に切り刻んで全部見事に平らげたのだ。大きさから考えてもとても腹に収まる物ではないと思われるが…。
「来るぞ!!」
 四人は海から浮上してきたテンタクルスにそれぞれの武器を持って迎え撃った。
「こんのタコがっ!!」
「…イカでは?」
「そんなんどうだってええやろ!!」
 カリューは腰に差した誘惑の剣を抜剣し、飛んできた触手を断ち切った。
バギャッ!!!
「…い…いかん!!」
 しかし、船の底の方で木が砕ける音がするのを感じ取り、ホレスは目を見開いてうめいた。
「…船の底に穴を空けられた!?」
「どっげぇえっ!!し…沈むぅうううっ!!?」
 テンタクルスの体当たりも加わって、不規則な揺れが何度も起こり、ホレス達を何度も揺さぶった。
「…こ…ここはわたしが!」
「レフィル…なにを!」
 船室の方へ走るレフィルを見て、ホレスは思わず呼び止めた。
「いや…、そうか!分かった、急いでくれ!ここはオレ達がなんとかする!!」
 びくっと肩をすくませながら止まる彼女の手に握られていたのは吹雪の剣だった。これで船底に入った水を凍らせようという狙いか。
「…は…はい!」
「……しかし…一匹だったのは幸いだったな…これなら二人でカタがつきそうだな。」 
 レフィルが船の中に入るのを見届けた後、ホレスは後ろの状況を見てそう呟いた。
「…レフィルが浸水を止めている間に、オレは荷物を引き上げなければな…。」
 テンタクルスがカリューの攻撃で深手を負い、海の中に逃げていったのを確認すると、ホレスはレフィルの後を追って、船の内部へと急いだ。 

「……危なかったなぁ…。まさか船がこないにボロボロになるなんて思わんかったわ…。」
「はっは。今も沈みそうな気満々ですがね。」
「どげげぇっ!?ホンマかいな!?」
 テンタクルスの襲撃により、船体のあちこちを損傷し、時折危なっかしく揺れていた。
「…あの子の吹雪の剣が浸水した水を凍らせて一時的に新しい船底を作っているが、吹雪の剣の消耗を考えるとあまり長くは持たないだろう。」
「ふむ…休ませる時間に入る前に一気に行った方が宜しいですな。」
 ニージスは船体がギシギシと鳴る中、落ち着いた様子で船首へと向かった。
「…バギ…」
 そこにある舵をしっかりと握り、それに込める様に呪文を唱え始めた。
「スカラ…」
 帆に順風が当たり、船全体を強固な何かが包んだ。
「これならば多少の激突程度なら船体が持つことでしょう。流石に船底が抜けてしまったので何度もぶつかっていたら危ないですが。」
「…そうだな。この海峡を抜けるまで持ちそうか?」
「…はっは。あいにく魔力には自信が無いもので。」
「…そうか。では尚更急ぐしかないようだな。頼むぞ…ここはあんただけが頼りだ…。」
 船は立ちはだかる氷塊とぶつかる度に揺れたが、それを砕き続け、傷だらけの船体を着実に前へと進めていった。
―はっは…これって凄い重労働ですな…。
 船に付加した二つの呪文を同時に操りながら、ニージスは額から流れた汗が凍るのを感じていた。
―まぁ沈むよりはマシなワケで。
 ここで沈んでしまったら船を見捨てて脱出する他ない。ハンから貰った大事な船であり…船自体二度は手に入らない程の代物なので、壊れてしまえば今度は定期船や何かで代用せざるを得ない。それは決して安いものではなく、かつ決まった区間にしか航行しないので、後の航海でそうする事は止むをえないにしても…今世界樹の近くにあるムーの故郷へと向かう事は難しくなる。
―はっは。あの子達の望みを叶えてあげるのが、私達大人の役目でしょー。

「ニージス、大丈夫か?」
「ふむ…まぁ最後まで止めないでくれたのは気遣いとして受け取っておきましょー…」
 海岸で役目を終えた船が横たわっている側で、かなり疲れた様子の青い髪の青年に、ホレスは肩を貸していた。
「あんたのおかげだよ…。よく音を上げずに頑張ってくれた…。」
「はっは。確かにこの中では私にしか出来ない芸当ではありますからな。オードさんが着いてくれれば楽でしたが。」
「おいおい……あれだと逆に一瞬であの船がバラバラになるだろ…流石に。」
「…っておぉう!?バギクロスを!?それはいくらなんでも…」
 魔物を一蹴したオードが巻き起こした大竜巻の力がこの船に加わってしまえば、その瞬間にニージス達は海の藻屑と消えてしまっていた事だろう。
「しかし…君も少しは冗談を言うように…それに、笑うようにもなりましたな。」
「…別に。オレは感情の顕現を嫌うわけでは無い。それにオレとて人間だ。人形なんかじゃあないさ。…まぁ或いは…オレの歪んだ面を顕著に出したくないのかもしれないな。」
「ふむ、なるほど。私としても君が何故その様な状態にあるのか興味がありますからな。」
 ホレスは自分でも…望む結果が得られる可能性の低いレフィルの旅に何故同行するのか…それが何であるのかが
「そうか…あんたも学者と似たようなものなのか。」
「はっは。君もですかね。あのグレイ先生の一番弟子がまさか君だとは思いませんでしたが。」

グレイ

ダーマの第八代目賢者。理論も実践も共にこなす大学者として慕われていた。
だが、自分を利用して利益を得ようとする神殿の幹部達に嫌気が差して、次期賢者にその座を譲り一線を引く。

「…結局あの人は何で賢者を止めたんだ?」
「それは…ふむ、私が直面した問題と関係有りますかな。」
「”蛇竜の魔女”…か?」
 ホレスはニージスの言葉に対して、ダーマで賢者志願者の女から聞いた…恐れられる者の二つ名を口ずさんでいた。
「…いやいや、あの子がああ呼ばれてしまった原因の方ですとも。」
「”悟りの書”…か。」
 ムー…否、ダーマきっての魔道士メドラの運命を咎人”蛇竜の魔女”へと変えた物…それが”悟りの書”である。
「私の予測が正しければ、あの子もそろそろ危険に巻き込まれる頃かと。」
「すると…どうなる?」
 レフィル達を見て外の世界に興味を持ち、カンダタに許されて同行した時も未熟な旅人の集まりでしかなかった故の危険に遭ったが…それ以上の危険など幾らでもある。
「あの子自身の内に眠る力の制御が解けて…新しい力に目覚める事でしょう。」
「まるで”火事場の馬鹿力”だな。…しかしどの様な事が起こる?」
 ジパングにて、レフィルに施されたヒミコの呪いも…本人の意に反して彼女自身の力を引き出し続けた。ニージスがわざわざ平常時にも十分に起こりうる事を述べていると言う事は…悟りの書も或いはそうした効果をもたらす力があるのだろうか…。
「…さぁ、そこまでは知りませんな。まぁ只でさえあの子が昔憶えていた呪文を思い出す様な事があってもおかしくありませんがね。あのドラゴラムだって、カンダタと一緒に暮らしていた頃には使えたのですから。あんな凄い芸当を小道具なしで出来るのは…メドラたるあの子…ムーしかいないのですよ。」
 ドラゴラムを使っても理性を失わないばかりか、ある程度までなら上級の呪文さえも同時に操れる特殊な例…それがメドラの…ムーのドラゴラムなのだ。
「……ドラゴラム…か。」
 カンダタが小船でテドンへと漕ぎ出そうとした際に、テンタクルスの群れに襲われてどうしようも無くなった時に…ムーはその呪文で竜と化してその魔物達を撃退して見せた。その時の事を…ホレスはその時の事を思い出した。
「あいつは自分がドラゴンにでもなった気でいるのか…?いや、力に溺れていないのは分かるが…何だって……」
 ドラゴンから人間の姿に戻ったとき…何も身に付けていなかったにも関わらず全く気にした様子も無かったばかりか、普段からもある種人間のあるべき姿と心なしか離れている様なあまりに大胆な行動を取る事が多い事…。それでムーの本質が或いはドラゴンにあるのかもしれないとも思わされてしまうのだろうか。
「はっは。メドラもそうでしたとも。」
「…それだけは忘れて欲しかった。」
「ですな。」
 性別による羞恥心を自覚しない…それによって自身には大した事でなくとも、それは時に周りをかき乱す事になり…いらぬ混乱を招く事をムーは…メドラは知らないのだろうか…。
「それとは別に…何か嫌な予感がするのは私だけで?」
「……いや、オレもだ。…樹海にしては音がおかしい…。」
「音がおかしいとは?」
 ”樹海にしては音がおかしい”…とそれを知った様な言葉を聞けば賢者と呼ばれるニージスでも気になるだろう。
「バーンの抜け穴の存在を知る前に、あの山脈の前の樹海で一度迷った事がある…。その時は…」
「…ぉおうっ!?それって…遭難では!?」
「…だな。」
「認めるんかいっ!!」
 ホレスの口から紡がれた言葉が示すさり気ない危険性に驚き、ニージスは大きく仰け反った。
―……まあそんなワケで…樹海のスペシャリストな彼が言うからには間違い無いでしょー。
 彼の聴力…かつ迷う程長く森の中で滞在しているとなると…十分な確証性がある。或いはムー…メドラにも何かの事件の影響が及んでいるかもしれない、と二人は心のどこかで確信した。