暁に目覚めし… 第十一話
―……う…うう…!
 石壇の上で燃え盛る炎の真ん中で…スライムを模した耳飾りをつけた少女の像が佇んでいた…。
―…いや…!死にたくない…!!
 炎に灼かれながらも…その体には煤一つつかず…金属が持つ光沢は全く薄れる事は無かった…。だが…アストロンの中でも…レフィルの意識は着実に絶望と死への恐怖で苛まれていた。
―…ニージスさん…!!
 先ほど聞こえてきた声は…二度は彼女の耳には届かない…。
グルォオオオオ…
 石壇に舞う炎が収まると…レフィルの視界に…再び巨大な怪物…八岐の大蛇の全貌が飛び込んできた…。
―……っ!!
 悲鳴を上げたくとも…アストロンの魔力で鉄の塊となっていて体が動かない。まして、アストロンを解いた瞬間……
ガアアアアアアアアアアッ!!!!
ギィンッ!!ガァンッ!!
―…ああっ!!!
 八つの竜の頭に襲われて四肢をバラバラに裂かれるか、灼熱の炎の中で一瞬で燃え尽きてしまうか…二つに一つである…。この鋼鉄化の守りがあってこそ…大蛇の牙を以ってもその身を砕かれず…その巨体がぶつかっても微動だにしないのだ。
―……あ…あああ…!!や…やめて…!!
 衣服はとうに燃え尽き…鉄と化す前に咄嗟に頭を庇おうと掲げたかつての火傷の跡が残る左腕が露になっていたが、先ほどの大蛇の顎を受けてもその細腕には傷一つ付いていない…。だが、呪文があっても…己の体を間近で噛み砕こうとした光景はその目に焼きつき、その心に大きな傷を与えた…。

「…!」
 溶岩の海の真ん中に位置する大きな孤島の上に飛び移ったホレスが見たもの…それは遠くからでも圧倒的な大きさを感じられる…緑色の体色の八つ首の竜が暴れ狂っている姿だった。
ガァン!!ゴンッ!!
「……レフィル!!」
 遠くからの金属音が…熱された溶岩が流動する音を切り裂いてホレスの耳に届いた…。
―…持ちこたえろ!すぐに行く!!
 レフィルは間違いなく八岐の大蛇と戦っている…。武器も仲間もいない状態で…彼女は生きる事を諦めていない…。ホレスは吹雪の剣を左手に持ちながら、溶岩の間に浮かぶ岩を次々と飛び移っていった。途中で溶岩の熱で身を焦がしたが、吹雪の剣から発せられる冷気と氷塊のお陰もあって、気にせず先に進んだ。

「……ぉおう…、ホイミ…っと。」
 ニージスは左手で…自分へと振り下ろされた刃を握りながら、回復呪文を唱え…その傷をふさいだ。
「味な真似と仰りたそうで。まぁ…これも立派な戦術ですとも。しかし……ふむ、貴方はやはり格が違うようで。何だって先ほどの”傀儡”なんかに。」
 ニージスと対峙していたのは、狐の様な仮面に身を包んだ緩やかな装束に身を包んだ長い黒髪の女性だった。
「…はっは、答えてくれそうに無いですな。」
 終始無言でいる様子から…彼女も”傀儡”なのだろうか…或いは…。
「ルカニ」
 考える前にニージスはその女に向かって防御力低下の呪文ルカニを唱えた。左手から女が執る刀に魔力が流れ込み…それは徐々にビシビシと音を立てて…亀裂が生じ始めた。
『!』
 流石に驚いたのか、女は刀を手放して距離を取ろうとした。
「おっと。」
 だが、ニージスもすぐにそれを追って、杖の頭で仮面に守られた女の頭部を叩いた。
パリンッ…!
「ふむ…やはり。」 
 それは果たして…ニージスが予想したとおりの結果になった。
「…愚かな。」
 仮面が半分割れて素顔を半分晒されたにも関わらず…女の顔には…どこか不敵な笑みがあった…。
「!」
 
ガァンッ!!!ガガガッ!!
 大蛇の爪牙は、女神の様に素肌を艶やかに輝かせる女性像を執拗に攻め立て続けた。
―……!!
 火傷や裂傷など…痛々しい傷が彼女の肢体についている…。だがそれは大蛇によってつけられたものではなく…むしろことごとくその巨大な怪物の攻撃を跳ね返して、…その場にずっしりと佇んでいた…。
―もう……だめ……!
 だが…その呵責という楔によって…レフィルの精神は穿たれ続けて…既に限界を超えていた…。呪文の効力にこそ影響はなくとも……この鉄壁の裏でレフィルは確実に傷を負っていると言っても嘘にはならない。
ゴァアアアアアアアアアッ!!!
 大蛇の咆哮と共に、攻撃は激しくなる一方である。どんなに押しても彼女は微動だにしない上に、自らの牙の方が砕けそうになっているにも関わらず、怪物は全く怯む様子は無い。それどころか…圧迫を受けているのはレフィルの方である。
―……まだ……生きたか…った……
 孤独と目の前の神と呼ばれる脅威への絶望が…レフィルを深い闇へと落とした…

「く…やはり遅過ぎたか!!」

―…え…?
 その時、溶岩の海であるはずの後ろから…足音と共に…青年が悔しそうにそう叫ぶ声が聞こえてきた。
「レフィル!!」
―ホレス……来てくれた……でも……
 レフィルは絶望する事で…信じる事さえ捨ててしまっていた…。ニージスもホレスも自分を見捨ててしまったのではないか…そんな中で…彼は来た。…彼らを見限ってしまった自分に…助けられる資格などあるのか…。
「……すまない。」
 だが、彼…ホレスは、レフィルへと駆け寄りその肩に手を乗せて…ぼそりと…しかし彼女の耳に届くようにそう呟いた…。
―…え…?違う…!あ…謝るのは…わた……
 ヒミコの所で分散されて…捕らえられてしまったのは彼の責任ではない。
「だが…話はこいつを片付けてからだ…!」
 ホレスは左手に雷の杖を、右手に隼の剣を取りながらそう告げた。流石の彼でも、八岐の大蛇に本能的な畏怖があるのか、声は僅かに震えている…。
―そんな……やめて!…そんな事したら…あなたが…!!
 レフィルは彼を止めようとしたが、アストロンの術中の中で声が出ない…!
「……いずれにせよ、こいつを倒さない事には…道は開けん。行くぞ!!」
 彼女の願いとは裏腹に、ホレスは八岐の大蛇に向かって疾駆した。
「理解してはいたが…何て怪物だ…だが、勝てない相手ではない!!」
 叫びながら、ホレスは左に握った雷の杖を大蛇へと振りかざした。
バチッ!ドゥッ!!
 杖の先から雷が迸り、八つに分かれて八岐の大蛇の頭部へと牙を剥いた。
ガアアアッ!!
 それは僅かに鱗の表面を焦がしただけに見えたが…大蛇はその一撃に悲鳴を上げながら首をすくませた。
「これでも喰らえっ!!」
 続けざまにホレスは爆弾石を三つほど掴み、大蛇に向けてまとめて投げ放った。
ドガァーンッ!!!
 その爆発で、鋼鉄にも勝ると言われる竜の鱗がひしゃげ…あるいは何枚も弾け飛び、大蛇に初めて傷を与えた。そのままホレスは逆手に持った隼の剣を構えながら着弾点に突っ込んだ。
グガアアアアッ!!
 無論大蛇も黙ってそれを許さない。幾つもの口が開き、そこから吐き出された幾筋の竜の炎がホレスを襲った。
「…くっ!!」
 迫り来る灼熱の業火にホレスは顔をゆがめた。だが、それでも止まろうとはしない。左手の手甲を掲げながら彼は炎へと突進した。
ゴオオオオオオオオッ!!!!
 彼の姿は完全に燃え盛る炎の中へと消えた。だが…
ビュオオオオオオッ!!!
 その内から小さな氷の嵐が吹き荒れて、炎を吹き払った。中から再び現れた黒装束の青年の左手に握られた蒼い刃が起こしたものだった。
「喰らえぇっ!!」
 その刃…吹雪の剣を収めて、彼は左手で大蛇に殴りかかった。傍から見ればそれはあまりに無謀な行為に見えるに違いない…だが……
グギャアアアアアアッ!!!!
 懐にホレスが入り込んだ瞬間…大蛇は今までになく悲痛な叫びを与えた。
「流石ドラゴンの爪で出来ているだけにある。これほど容易く切り裂くとはな。」
 吹き飛ばされた鱗の隙間から左手を引くと…手甲の先から爪状に伸びた三本の刃がその姿を現わした。その爪…ドラゴンクロウでそのまま大蛇の体を再度引き裂いた。鱗ごと八岐の大蛇の体を引き裂き、その巨躯に三筋の傷がまた一つ刻まれる…!
グオオオオオオオッ!!!!
「!」
 しかし、…確かに痛手となったものの、大蛇がそれを続けさせるはずもない。八岐の大蛇はその体でホレスへと体当たりを仕掛けてきた。
「ぐ…!!」
 あわや押しつぶされるというところで、ホレスは素早く距離を取った…だが…
ガチッ!!
「ちっ!!」
 それはまだ長い首の間合いにあり、八岐の大蛇は四方八方からホレスへと噛み付いた。隼の剣で敵の目を狙う様に…或いはドラゴンテイルを振り回して牽制しつつ…彼はその攻撃を耐えしのいでいた。
―急所狙いは失敗だ…!どうする!?
 初めの狙い…それは直接八岐の大蛇の心臓を砕き、死に至らしめる事であった。おそらくはホレスの左手の手甲に仕込まれた竜の爪の長さでは…届かせるのには不十分だったのだろう。
―…いや…効いている!
 しかし、それでも大蛇の攻撃の勢いを殺ぐ事には変わりないようだ。ホレス一人ではともすれば一撃で仕留められてしまう戦力差のはずが、どうにか渡り合えているところからも窺える。
「遅い!」
 正面から噛み付いてくる頭を飛び越え、ホレスはその首の上に乗り、そのまま手甲の爪で首筋を掻き切った。
ギャアアアアアッ!!!
「…浅いか!」
 爪は確かに鱗を貫き肉を裂いたが、その激痛に…思い切り首を振り回し、ホレスは空中に弾き出された。
「……くっ!!」
 そんな彼を、残った八岐の大蛇の頭が一斉に急襲してきた。空中では攻撃を避ける事が出来ない…!
「…ちぃいっ!!!」
 このままでは…二年前に引き裂かれた魔物達と同じ運命にたどり着く事になる…。
―…一か…八か……!
 
『…ぐ……うう…!!』
 その頃…火山洞窟の別の場所で…赤い体色の小さな魔道士…鬼面導師が意識を取り戻した。
『…まさか”傀儡”に刃向かわれるとはな…。』
 頭をさすりながら…杖に力を込めてゆっくりと起き上がりあたりを見回した…。そこには既に事切れた同胞達のなれの果ての姿があった。隣でうつ伏せに倒れている者…体に大きな穴を空けられている者…そして、その身を四つに分かたれている者…。おそらくは抵抗すら出来ぬまま倒されてしまったに違いない。
『……逝ったのか…。我らとて…主様をお守りする従者であろうに…あの者は…』
 不思議と怒りは覚えなかった。それよりは……”傀儡”達を生身で倒し…一度は術中に落ちたと思えば…今度は操るはずの自分達をあっさりと屠り去った黒装束の男の姿が恐怖と共に蘇る…。
―…もはや…”傀儡”は使えぬか…。
 既に何者かの手によって、”傀儡”達はその場から運び去られている様だ。彼らの力を頼みには出来ない…。どうしたものかと思っていた…その時…

……ザワ………

『…!……これは…”傀儡”の気配…!まさか…!』


『………。』
 時が止まったかのように…その場の全てが動きを失っていた…。八岐の大蛇の七つの首は…黒い仮面をつけた黒装束の青年に喰らい付いた状態で止まり…その彼も身じろぎ一つせず……離れたところにある…鋼の女性像もまた動く事は無かった……。

バキ…バキバキバキ……!
グガアアアアアアッ!!!

 静寂を破ったのは…何かが壊れるような音と…大蛇の悲鳴だった。
『……邪魔なんだよ…』
 反射的に自分を放し…首をすくめた大蛇に対して…仮面を付けた黒装束の青年…ホレスは怒りを露にした声色でそう告げた。
ガァアアアアアアアッ!!!
 だが…怒りを覚えたのは大蛇の方も同じらしく、再びホレスへと襲い掛かった。
『………。』
 再び自分へ伸びてくる七本の竜頭…だが、それを見ても彼は静かに佇んでいるだけだった。そして…
『…ふん』
 ホレスは噛み付いてくる竜の口に直接爆弾石を放り込んだ。
ドガーンッ!!
アガギャアアアアアッ!!!
 内側からの爆発により、一つの首の内部が破壊され、その頭はぐにゃりと無理な方向に首を曲げながら地面に落ちた。
―まだ生きているか…。
 行動不能にはなっているのは明らかだったが、体内で爆弾石が炸裂したにも関わらず…命がある事から…八岐の大蛇の体の強さはやはり普通の生物ではありえない事が見て取れる…。
『……だが、壊せない程ではない。』
 更にもう一つ爆弾石を取り出して左に握り、それをそのまま別の頭部へと叩きつけた。
ゴギャッ!!!
 耳を突くような嫌な音を立てて、ホレスの左手に叩きつけられた部位が、爆弾石ごと砕け散った。
―やはりまともに叩いた所で無駄か。
 沸いてくるのは怒りだけ……しかし、それは燃え上がる赤い炎ではなく…何処までも澄み渡り…一瞬で音さえ残さず全てを燃やし尽くす…静かなる蒼い炎の如く…。
『…これでも喰らえ!!』
 ホレスは右腕を振るったその瞬間…無数の楔状の武器が八岐の大蛇へ向けて飛んだ。刹那の間に投げ放たれた手持ちの全ての飛び道具は竜の鱗とぶつかり合い、金属音を撒き散らした。
―…流石に”傀儡”とやらの力か…。
 普段とは明らかに体の冴えが違う事は彼自身も理解していた。今の投擲も…敵に傷一つ付ける事は無かったが、それでも目を一つ一つ正確に狙い放たれて、怯ませる事に成功していた。
―何故呪術に囚われないか…それはもはや関係無い。
『お前を倒して…レフィルと共に脱出する…それだけだ!』
 自らの迷いを振り捨てるが如く力強くそう叫ぶと、ホレスは空高く飛び上がった。普段のそれを上回る大跳躍で、彼は天井まで至った。
『…はあああああっ!!!』
 天井にドラゴンクロウを突き刺しつつ、ホレスは背中に担いだ吹雪の剣を抜き…右手で旋回させた。それを中心として冷気が巻き起こり…その範囲は徐々に広がり続けた…。
『……喰らえぇえええっ!!』
 冷気が巻き起こした白い靄…その内から巨大な氷の楔が無数に八岐の大蛇へ向けて到来した。
ガッガガガガガガガッガガガガッ!!!

グギャアアアアアアッ!!!

 幾つもの楔をその身に受けて、八岐の大蛇は悲痛な叫びを上げた。
『これで……終わりだぁあっ!!!』
 ドラゴンクロウを天井から引き抜き、ホレスは八岐の大蛇の巨大な背中へ向けて一気に飛び降りた。その手には吹雪の剣が握られている。
ギンッ!!

ガギャアアアアアアアアアッ!!!

 大蛇に蒼い剣が突き刺さり、その傷から巨躯を内側から凍り付かせた。
『……!!』
 しかし、それでも大蛇はまだ生きているらしく、ホレスを力任せに振り落とそうとした。
『く…!!』
 突き立てた吹雪の剣にしがみ付き…必死に揺れる足場に張り付いた。
―……いくら神と言われる魔物でも…これを受けてただで済むはずがない!効いている!
『…おおおおお!』
 ホレスはそのまま吹雪の剣に力を込めて…八岐の大蛇の体を引き裂こうとした…

 その時…大蛇の尻尾の方で何かが光った。

『…!!』
 それが仮面の奥で緑の瞳を光らせるホレスの目に映し出され…彼は瞠目した。
『あれは…!』
 彼が垣間見たのは…尾に突き刺さった一振りの剣だった。
―……馬鹿な!?何だあの剣は!!
 ホレスは本能的にその剣に宿る力を感じ…一瞬たじろいだ。

グギャアアアッ!!!

『く!』
 大蛇が再び大きく体を揺らした衝撃に備えた…
バチンッ!!
「…ぃっ!!」
 その時、急に脳裏に弾ける様な激痛を感じ…体中の力が抜けていく感覚がした。
「な…なに……」
 同時にホレスの手が吹雪の剣から離れ……
ドンッ!!
「ぐあっ!!」
 揺れる大蛇の体にぶつかり、彼はそのまま落下した。
―…く…!!
「があぁっ!!」
 溶岩に落ちることは免れても…床に思い切り叩きつけられて、ホレスは呻き声を上げた。
―……あの剣…間違い無い…!!
 大蛇が自分を見失っている間にゆらりと起き上がりながら…ホレスは尾の位置で光る剣の輝きを何かに取り憑かれた様に眺めていた…。

ガァアアアアアッ!!

「……くそ…!」
 体に走る激痛から…先程の激突の際に…既に自分を守る仮面の力は失われている事は分かった。それでも…吹雪の剣が八岐の大蛇の体に突き刺さっているお陰で、徐々にその体力を奪っている…。
―……だが…あの剣があれば…
 大蛇の尾に突き刺さっている剣…それを手にすれば…或いはこの状況を打開できるかもしれない…。それがリスクが大きいと分かっていても…他に手がある訳でもない…。