暁に目覚めし… 第八話
「…く……!」
「おお!気がつかれましたな!」
「お…おっちゃん…?」
 カリューが目を覚ましたのを見て、神官オードは薬を調合する手を休めて彼女へと歩み寄った。
「せや!皆どこ行ったん!?…っ…!!」
「駄目ですぞ!まだ寝てなくては!」
「…ぬぅ……?」
 急に体に走った激痛に顔を苦痛に歪めながら、カリューは首をかしげた…。
「貴女はザキに似た呪殺を受け、それを解いた後も意識を取り戻さなかったのです。」
「ざ…ザキやて…!?どっげぇえええっ!?」
 死の呪文と悪名高いザキと聞いて怖れぬものは少ない。カリューは顔を青くして、頭を抱えて叫んだ。
「げほっ…!……ハァ…ハァ……」
 思い切り叫んでしまった為、体力が戻らぬ体に要らぬ負担がかかってしまい、カリューは激しく咳き込み…息を切らしてしまった。
「……一体誰が…」
 自分達が最後に見た物…それは、瞠目してこちらをねめつけてきた女王ヒミコの姿…その直後に……
「…まさか…!」
「そう!そうですとも!あの女王を騙る妖術師の仕業ですとも!」
「よ…妖術師…!?」
 言われてみれば、部屋にこもって儀式などをしているなどという様子は…まさに呪術に通じるものがあるかもしれない…。
「その者が呪殺の法を使ったに違いありませんぞ!」
「…ひぃい…!あ、…そや!!…レフィルちゃん達は!?」
 僅かに怯えながらも、他の三人の事を尋ねられて、オードは事情を説明した。自分が異端呼ばわりされて牢に入れられた事、その時にニージスも捕らえられていてカリューが倒れていた事。そして…ホレスだけは運が良かったのか…呪いを受けず、後から救出に駆けつけてきた事…。
「生贄……さよか…レフィルちゃんは……。まぁモヤシやホレスは恐ろしくしぶといから問題無いとして…あのコ…大丈夫なんか…?」
「カリュー殿?」
―………せや、あの人も……。

―…なしてあの人が死刑にならなあかんのや!!
―下がれ!!この不届きな小娘が!!
―不届きやて!?陰口叩いて何が悪いんや!!
―王を殺す、確かにそう言ったと自白した。それだけで十分死に値するぞ。
―ふざけんなぁっ!!!

―…レフィルちゃん……。
 意味の無い生贄も理不尽な死刑も…選ばれた者が突然突きつけられた死に対して怯えなくてはならない意味では大きな違いは無い…。果たして彼女にそれを耐える事ができるか…

「…う……ん…」
 レフィルは息苦しさを感じて意識を取り戻した…。心なしか蒸し暑い…体から出た僅かな汗が肌着に染み込んで少し気持ち悪い…。
―呪縛が解けてる…。
 体を縛り付けていた見えない力は失われている…だが…それは逃げられると言う事を意味していないだろう…。八岐の大蛇に彼女の身を捧げる為の…贄の儀式の時…それまで既に程無い事を意味しているのだろう…。
「…っ!!」
 石を積まれて作られた祭壇の上に横たわっていた…これが生贄の祭壇なのだろうか…。しかし、それよりも…背後に広がる溶岩流に、レフィルは絶句していた。あのような場所に落ちてしまえば…ひ弱な人間はもとより…獰猛な怪物でさえもひとたまりもないだろう…。
「……鎖…」
 手足の付け根に何かが軽く食い込む痛みに軽く顔をしかめながら…それを…四肢をそれぞれ固定している鎖を確認した。長さには余裕がある様だが、そのままでは…この場を離れる事は出来ないだろう。
「ほほ、目を覚ましたかえ。」
「…!」
 ゆっくりと起き上がるレフィルに向かって、今度はヒミコ本人が直接話し掛けてきた。
「もはや逃げられはせぬ。そなたの生への執着…そして…内に秘めたる力…。それが生贄としての大いなる力を八岐の大蛇に与える事じゃろう。ほほほ。」
 たったそれだけ言葉を終えると、女王はレフィルから踵を返して去ろうとした…。
「…く……!」
 レフィルはヒミコに追いすがろうとするが、手足に付けられた鎖が伸び切り、その動きを封じられた。
「諦めの悪い事よの。まぁ良い。生贄の儀は既に終えた…。もはや逃げられはせぬ。精々大人しく糧となる事よな。抵抗などしても…そなたが苦しみを先延ばしにするに過ぎぬからな。」
「ま……まって……!」
 動けぬレフィルを背に、ヒミコは祭壇から降りて…
「”鬼面導師”ども!」
 艶やかながら張りのある声で何者かに呼びかけた。
『お呼びでしょうか、主様。』
 何者の気配も感じられない空間から…しわがれた老人の様な声が聞こえてきた。程なく…赤い体色の異形の呪術師…鬼面導師達がその姿を現わした。
「生贄の儀を終えた今も尚、邪魔をしようという不埒な者がこの”火の山”へと入り込んで来たようじゃ。どの道助けられはせぬじゃろうに…ほほほ。いずれにせよそやつらを生かして帰さぬようにな。」
『かしこまりました。”抜殻の傀儡”どもをすぐに。』
「……愚か者どもにたんと思い知らせてやるが良いぞ…ほほほほほほ。」
 今の状況がよほど面白いのか、女王は満足げに笑いながら洞窟の奥へと去っていった。
『あの生贄の娘はどうする?今にも逃げ出しそうだが?』
『捨て置け。所詮人間の小娘に魔力に飢えたあの獣をどうこうする事も無いだろうからな。』
『…フム、そうじゃの。では、行くか。』
 鬼面導師達はしばらくレフィルがもがく姿を見やった後、ぶつぶつと呪文を唱えて…まぼろしのようにその場から掻き消えた。

「…リレミト…!!」
 今…この火山洞窟の外の記憶はレフィルにはない…。ゆえにレフィルにとってこの洞窟内は…リレミトの効果範囲外だった。かと言って、ルーラを使っても…鎖を解いた状態になったにしても…洞窟の天井に遮られて、最悪溶岩に落下してしまう…。
―……と…とにかく…ここを離れないと…
 レフィルは鎖が繋がっている根元をどうにかして外そうと試みた…しかし、しっかりと溶かして固められていて、力任せに引いても…びくともしない…。
「………だったら…!」
 力でどうにか出来るものでは無いならば…と、レフィルは呪文を詠唱し始めた。
「ベギラマ!!」
 魔力を掌に集中し、上級閃熱呪文ベギラマを唱えた。
ボジュウウウッ!!
 高熱の炎状のエネルギーが、祭壇の壁から出ている四つの鎖に放射され、それを赤熱させた。
「……熱…っ!!」
 ベギラマを撃つ両の手から、枷に熱が伝わり…手首に軽く火傷を負った。
―呪文は使える…!だったら…こんなもの…!
「ライ…デインッ!!」
 
バキッ!!ドゴッ!!

 雷鳴から生み出された衝撃波が…赤熱して強度が弱められた鎖を砕き、四つの根元をも吹き飛ばした。
「…痛………」
 これも流石に完全に無事というわけには行かず、雷鳴の一撃の余波で僅かに体に痺れが残った…。そして、レフィルは手に負った傷の痛みにうめきながら、膝を屈した。だが、呪文を封じられていない…そうと分かると生贄に捧げられる差し迫った恐怖と比べて…最早躊躇いは無かった。
「ベホイミ…」
 受けた傷に対して、レフィルは回復呪文を施した。
―これが完全な雷だったら…危なかったな…。
 ポルトガで受けたものや、ポポタが撃ったライデインの様な雷そのものを呼び寄せる呪文であれば、鎖を砕く前に、自分自身が命の危険にあったかもしれない…。呪文が不完全だからこそ助かった…が、それに皮肉を感じている暇は無い。
―…重い……でも、何とか逃げないと…!
 千切れた鎖が地面と擦れる音が五月蝿く重みが四肢に負担を掛けていたが、それよりも逃げるのが先と…レフィルはその場を駆け出した。

グオオオオオオオオオオオオッ!!!!!!

「…ッ!!」
 その瞬間、洞窟の奥から…魔物の咆哮が彼女の耳に届いた…。
―や…八岐の大蛇…!?


「…遅かったか。」
 ヤヨイから聞いた”火の山”への道を駆け抜けて、その入り口に差し掛かった所でホレスは微か悔しそうな雰囲気でそう呟いていた。
「まだ終わった訳ではないのでは?」
「分かっている。…だが、あの子は…」
「君は相当心配なさっている様ですが、頼りなく見えても…レフィルは着実に強くなってますとも。」
「……確かにな…。」
 地球のへそでは彼女の助けが無ければおそらくホレスは死んでいた。剣も呪文を合わせた実力はいまだに人並みを出ないが、それを補う経験量が地球のへそをたった一人で突破できる程に達している事は彼も認めている。
「…しかし、助けなしでこの状況は…」
「……はっは…流石に”八つの首を持った大蛇”相手には分が悪過ぎる様で…。」

「「……。」」

 ニージスがさり気なく言った言葉にホレスの表情が凍りつき…それにつられて本人も固まった…。
「…急ぐぞ!!!」
「……ぉおぅっ!!?」
―逆効果でしたな…!
 ホレスの頬に一筋の汗が流れているのは中から迸る暑さのせいではない…。
「レフィルを救出したらすぐリレミトで脱出するぞ!!…あんなバケモノ…まともに相手するのも危険だ!」
「あ…あいさ…!」
 ”八つの首を持った大蛇”…それでトウマが語る八岐の大蛇の恐ろしさを思い出したのか、ホレスは余計に心を乱したらしく、その足を速めた。

―襲い来る魔物達を口より吐き出す猛火によって焼き尽くし、或いはその八つの竜の頭で跡形も無く喰らい千切ったのだ

―…怖れ知らずかと思ったら…ホレスにも怖いものがある様で…。
 命知らずのホレスでも、流石に八つも竜の頭がある様な怪物は相手にしたくないのだろうか、それとも…そんな魔物とたった一人で向き合わねばならないであろうレフィルの事がよほど心配なのだろうか。

『ここから先は通さぬぞ…』

「…!」
 その時、不意に何処からともなく声が聞こえてきた。
「…マホトーン」
『…!!』
 しかし、ニージスは全く慌てた様子もなく事も無げに呪文封じを発動した。
「ふむ…効いた様で。保険で唱えておいて正解でしたな。」
「…そうだな、先を急ぐぞ!」
 相手が元々が呪文に頼る者であれば尚更マホトーンの意味は大きい。ニージスの機転に感心しながら、ホレスは先へと走った。
『…逃さん!』
 それでも声の主…赤い体の異形の魔道士は引き下がらずに素早く彼らの前に回りこんだ。
「邪魔だ!」
 一喝するようにそう叫んだ後、ホレスは腰の後ろに手を回した。

ザクッ!!

『グワッ!!』
 魔道士…鬼面導師の腕から赤い血がささやかに飛び散った。
「……次は容赦無く殺す。死にたくなければ失せろ。」
 いつの間にか逆手に握られていた黒い刃から血を振り落としながら、ホレスは冷徹な表情を崩さずにそう告げた。
「ふむ…”隼の剣”…ですか。」
 彼が握る黒い刀身を持つ細身の剣…”隼の剣”をニージスは一瞬興味深そうに眺めた。おそらくはジパングの中で新しく手に入れたものだろうが…。
『……く…、おのれぇ…!』
 ホレスによって軽く傷つけられた鬼面導師はその不気味な形相をさらに怒りで歪めながら肩を震わせた。
『傀儡共!!こやつらを八つ裂きにしろ!!』
 魔物とも形容できる魔道士は、怒りに任せて大声でそう命ずるように叫んだ。
「「傀儡?」」
 一瞬ホレスとニージスの目が合った…その時…!

ヒュッ!!

「「!」」
 不意に、彼らの顔に鋭いものがとんできた。それ…刃の一閃を慌ててかわしつつ、二人は正面を見た。
「…む…!これは…」
 ホレス達に斬りつけてきたのは、狐や鬼を模した仮面を被り…白く薄い衣を纏った者達だった。
―…ち!…音も無く忍び寄るとはこの事か…!
 彼女らの足音は…コウモリの如く聴力が発達したホレスの耳でも聞き取れなかった。
「……おい、あちらからも来ている様だぞ。」
 ホレスは耳を澄ませて…別の方向から来る脅威の存在をニージスに伝えた…。
ガチャン…ガチャン…
 ジパングに初めて来た時に聞いた鎧の音…それが徐々にこちらへと近づいてくる…。
―…追っ手か…!?それとも…これも”傀儡”とやらなのか…?
「……ふむ…これはまずいですな…。」
「くそ…相手にしてる暇なんか無いのに…!」
 鎧武者達と仮面に白装束の暗殺者…計十数人がホレス達を取り囲んだ。鎧武者はともかく…仮面の方は身のこなしの軽さから考えても、まともに走って逃げられる相手でもなさそうだ。
「仕方ない。…オレはこいつらを一人残らず片付けてやる!あんたはその間にレフィルを助けてやってくれ!」
「…む?この数を全部…?死ぬ気で?」
「死ぬ?馬鹿を言うな。こいつら如きと刺し違えるなんてそれこそ馬鹿な話じゃないか。」
「はっは、確かに。」
 ホレスの場合は冗談でなく、この襲撃者達を全滅させつつ自身だけ生き残ろうとする事だろう。出来るかどうかは別として…最悪その執念深さの賜物で…地球のへその時の様に必ず生きて戻ってくる…。
「道はオレが開く!その隙に囲まれる前に走れ!」

ドガァアンッ!!

―…あらぁ…私も出来ればあんな物騒なバケモノ等と戦いたくは無いのですがねぇ…。
 心中で軽くしまったと思いながら、ニージスはホレスが爆弾石を投げて開いた突破を一気に駆け抜けた。

「…何処を見ている。」
バチンッ!!
 ホレスの持つ雷の杖から迸る電撃が、ニージスを追おうとする仮面の白装束の体を撃った。
「お前たちはオレが一人残らず倒すと言っただろう。」
 彼は背中から更に青い刀身を持つ三叉の剣を黒い手甲に覆われた左手に…雷の杖を右手にそれぞれ握り、物言わぬ兵達に身構えた。