暁に目覚めし… 第九話
「…ひっ…!!」
レフィルは目の前に現れた巨大な影に怯えて声を引きつらせた…。
―体が……動かない……!
グルルルルル……
溶岩に囲まれた祭壇に近づいてくる巨大な魔物…八岐の大蛇…。それはその名に違わぬ容姿…一つ一つが人を丸呑みに出来る程大きな八つの頭を持ち…それを支える体は小山程もあるだろうか…。レフィルは十六の目に一斉に睨まれて…まさに蛇に睨まれたカエルの如く…身動きが取れなくなった。
―こ…こんな大きな魔物がいるなんて…!
地球のへそで遭ったスカイドラゴンでさえ、ここまでの巨躯は無かった。
シュゴオオオオオオオッ!!!
「…っ!!」
そうしてしばらく対峙していた所で…不意に一つの頭が火炎を彼女に向かって吹き付けてきた。全力で炎をかわしたが…。
バキッ!!
「…!!」
不意に一本の頭がレフィルへと伸びて、その大口を開いて噛み付いてきた。それを本能的に防ごうと交差した腕に纏わりついた鎖が…その顎の力に耐え切れず…脆くも砕け散った。
―…そ…そんな……!
気を抜いたら一瞬で自分の命は摘み取られてしまう…。だが…勝機は見えない…。
「…でも…!」
―どうすれば……!でも…戦わなきゃ……!
今度は複数の口が同時に開き、レフィルへ向けて炎を吹き付けてきた。
「く…!!」
―吹雪の剣があれば……!
一つ一つが首を回して放ってくる不規則な動きの炎のブレスから逃げ惑い…呪文を詠唱しながら…レフィルは武器が無ければ自分はこんなに脆いものなのか…と内心で彼女自身に絶望した。
「…ベギラマ!!」
一つの頭が息切れをしたところで、レフィルは上級閃熱呪文ベギラマを唱え、熱波を放った。それは一体の眼を狙って飛んで行く…。
シュゴオオオオオッ!!
「…!」
しかし、それを迎撃する様にその頭が炎を吐いてきた。
「…あ…ああああああああ!!」
ベギラマと炎がぶつかり合い、その勢いは数秒の間…拮抗していた。恐怖が彼女の持つ秘められた力を引き出したのだろうか…。
バチンッ!!
「…っ!…きゃあああっ!!」
不意に何かが弾ける様な音にレフィルの集中が解けた…。
「…う…!」
それに伴いベギラマの効力が切れて、炎がどどっと押し寄せてきた。
「ああっ……!!」
こちらが放ったベギラマで一時的に勢いが弱まっていたお陰で、レフィルは辛うじて炎を避ける事が出来た。
「……はぁ……はぁ……」
溶岩と炎が巻き起こす熱気が彼女の体力を着実に奪っている…。大蛇がこちらへと迫るに際して徐々に後じさざるを得なかったが…後ろに広がるは溶岩の湖…もはや後がない…。
「………だ…」
前方には大蛇…後ろには溶岩……万事休すと思ったその時…!
ボゴッ!!
グギャアアアアアアアッ!!!
「…!?」
人間であればそのまま押しつぶされる程の巨大な岩に当たり、大蛇は激痛のあまりつんざくような悲鳴を上げた。
―…え!?
一瞬何が起こったのか理解出来なかった。…一体どこから岩が落ちてきたのだろうか…。
―…あれは……
レフィルは火山洞窟の天井の方を見やった。僅かに細かい石や砂が何処からか落ちてくるのが分かった。どうやら天井の一角が崩れ落ち、大蛇の頭に直撃したようだ。
「!」
次いで…天井に幾つも突起状の岩が突き出ている…それは真っ直ぐ八岐の大蛇の方を向いている…。
―…あれなら…!!
レフィルは大蛇が立ち直る前に…天に手をかざしながら呪文を唱え始めた。
「……ライデイン!!!」
ギィン!!!
その頃…ホレスは鬼面導師が呼び寄せた刺客…”傀儡”達と闘っていた。
―…どうやらこいつらも人間らしいが…。
おそらくは鬼面導師が彼らを操っているものだと思われるが…。
「おっと!」
ホレスを無視して再びニージスを追おうとしている白装束の女に向けて吹雪の剣をかざすと、その行く手を氷の塊が遮った。
「……逃がさないと言っているだろうが!」
ホレスは逆手に持った隼の剣で力任せに行く手を阻む者達を弾き飛ばし、氷塊の前に立ち止まっている白装束の女の足に向かってその切っ先を突き出した。
ギンッ!!
「……ッ!?」
しかし、それが女の柔肌に突き刺さる事は無かった。隼の剣は金属がぶつかり合う様な音を立てて弾かれた。
「…何!?」
同時に女は…鬼を模した仮面の奥から覗かせる眼でねめつけてきた。
ガッ!!
「…ちっ!!」
次いで繰り出された反撃を左手の手甲で受け、ホレスは女の腹部を蹴り上げた。
―くそ…何て硬さだ…!
足に軽く痺れが走り…今の接触で感じた女の軽装に似合わぬ硬度に軽く毒づいた。
―…呪術による防壁…スカラの様なものか!
おそらくはこの場にいる”傀儡”と呼ばれる者全てがそうなのであろう。単純に刃が届かぬ意味でもこちらに分が悪い…。
―さて…どうしたものか。
悪戯に武器を振り回しても、その防御力に任せて絡め取られてしまうのがオチだ。
―……まあいい…他にいくらでも手はある。
ホレスは二つの得物を収めて、腰に下げた爆弾石の袋に手を掛けた。
「……おっと、失礼。」
ニージスは杖の先端部分を握った状態で回りに佇むカエルの魔物にそう告げた。彼の目の前にはその仲間と思しき一体が、半ば胴を切断された状態で息絶えている…。
「申し訳ないのですが、私は急いでるんで。はっは、多忙とはあまり良い事でもありませんな。」
―何だってカエルがこんな所に住んでるんでしょうな…。干からびませんかね?
敵がいきり立って追ってくるのも構わずに、ニージスは呑気な思考をめぐらせながら、すたこらさっさと言わんばかりの勢いで遁走していった。
「……はっは。仲間を失うのはいささか…」
レフィルを救い出す為、立ち塞がってきた大王ガマを仕込み杖で一刀の下に斬り捨てたが、その魔物にも群れの仲間が居た。大王ガマは基本的に集団行動を好む傾向にあるが…仲間意識もあるのだろうか…。
「ですがまぁ、それはお互い様と思っていただきましょー。」
ドゥッ!!ガラガラガラガラ…!
巨大なカエルの群れを振り切り、更に奥に進んだ所で、雷鳴のような音が轟くと共に、天井が砕けて落ちる様な音がした。
「……どぅわっ!!」
火山洞窟を構成する岩石の破片が雨あられの如く降り注ぐのを見て、ニージスは大仰に驚きながら思わず奇声を上げてしまった。
グギャアアアアアアアアアッ!!!
「…やった……!」
悲鳴を上げながら瓦礫に埋もれていく巨大な魔物の姿を見て、レフィルは知れず知れずのうちにそう呟いていた。
―…今のうちに……!
八岐の大蛇は天井が崩れた瓦礫に打ち付けられて怯んでいる。その間に急いで走ろうとしたが…足に長い鎖が付けられたままで、先ほどにも増して思うように動いてくれない。
ガチャッ!!
「……!!」
不運な事に、その鎖が乗り越えていった瓦礫の間に挟まってしまい、レフィルは一瞬躓きそうになった。
「…く…!」
ベギラマの呪文で焼き切るにしても、自らも傷つけうる上に時間が掛かる。
―……こんな時に…!
それを厭い、レフィルは必死に鎖を引こうとした…。
グォオオオオオオオオオオオッ!!!
「…あっ……!!」
だが…、その躊躇いが命取りとなった…。八岐の大蛇は怒声を上げながら降り注いだ岩を弾いて、全身を震わせながら体勢を立て直した。
「きゃああああっ!!!」
弾き飛ばされた瓦礫は…今度はレフィルへと押し寄せてその体を打ち据えてきた。
「あ……ぐ…!…ベ…ホイミ…!」
頭や体に幾つかの破片が直撃して意識を失いかけたが…すぐに回復呪文により、傷と痛みは消えた。しかし、鎖は更に瓦礫の奥底に沈み、もはやレフィルは身動きが取れなくなっていた。
グルルルルルルル…!!
「…あ……あ…あああ…!」
血に飢えた獣の涎がレフィルの目の前の石床まで垂れてきている…それが大蛇の頭部が目の前まで来ている事を知らしめていた…。
―……だ…だれか……!!
「…あたた……これはえらい事になりましたな……。」
ようやく瓦礫から這い出たニージスが見た光景は…八岐の大蛇が生贄の石壇まで昇って、白い生贄の装束のみを纏ったレフィルへと迫る所だった。
「ふむ…これは致し方ない…と。」
今からここから助けに入ったとして、ニージスがどうにか出来る相手ではない。いや…レフィルやカリューが完全な状態で、かつホレスが揃った状態でも無謀な戦いでしかない事を認めざるを得ない…。
―…はは…私も人間ですからねぇ……。あんなのを相手にするよりは…あの子を見捨ててでも逃げ出したい心境ですとも…。
体の震えが止まらず…そのまま恐怖に身を委ねたくなるほど…八岐の大蛇の存在の大きさはあまりに圧倒的だった…。
「…流石に…神です…な。」
声もまた震えていて…いつの間にか顎もガチガチと歯を打ち鳴らしている…。
「……ですが…全くどうしようも無いわけ…ではありませんな…」
―レフィル…君には…
「………風の囁き、其は型を解きて…虚空に揺蕩いし標に沿いて、その裡に届かん。」
グオオオオオオオオオオオッ!!!!
レフィルは目の前で唸りを上げている神と崇められた巨大な怪物への恐怖で頭の中が真っ白になっていた…。
「…いや…っ…!」
足の鎖は未だに取れず…体は芯から震えて…全く動かず…ただ短い悲鳴を上げるだけでレフィルには何も出来なかった…。
ガアアアッ!!!
一度吼えた後に…八岐の大蛇の頭が一斉に息を吸い込んだ…!火の息を吐き出す気だろう…。
「…あ…!!」
その火群が一斉に自分へと殺到してしまったらまずひとたまりも無い…おそらくは骨も残らずに焼き尽くされてしまうだろう…。
―…わたしって……何でこんなに弱いの……
オルテガの娘というだけで、勇者と盲信し…自分を見る者は大勢いる…。だが、実際はどうであろうか。
―……なにも…できてない…じゃない…
女王ヒミコの術中に落ちて倒れて仲間をも失い…一度逃げ出すも、今度はヒミコの手により倒されて…最後には八岐の大蛇になぶり殺されそうになっている…。
ゴオオオオオオオオオオッ!!!
「…!!!」
八つの頭から炎が一斉に噴出す光景を一瞬目に焼きついたのを最後に、レフィルは眼を硬く閉じて肩を竦ませた。
―…アストロンを…
「…!?」
その時、聞きなれた声が脳裏に静かに…しかし力強く響いた…。
―…え…!?
「あ…アス…」
シュゴオオオオオオオオオオオオオオッ!!!
炎は完全にレフィルを飲み込み、全てを焼き尽くす業火となって石壇の上で踊り続けた。