暁に目覚めし… 第七話
「…ぇえええい!!何故私が捕まらなければならんのですか!!」
 神官オードの張りのある怒声が地下牢の中で響き渡った。賛美歌などを日々欠かさずに歌っていた成果だろうか…。
「…まぁまずは落ち着かれては如何で…」
「これで落ち着いていられますか!!異端と罵られ、獄中で蔑まれる!布教者としての屈辱!私には耐えられませんぞ!!」
 街中で説法していた矢先に武装した数人の男に取り押さえられて、閉じ込められる…。あまりに突然の事に驚きと怒りが収まらない様だ。
「……いや、是非とも私は貴方に落ち着いて頂きたいのですよ。オードさん。」
「……?」
 どこか含みがあるニージスの口調に、オードは初めて言葉を止めた。
「…カリューの様子がおかしい様でして、ヒミコ女王に睨まれた所で何か悪い影響を受けてしまった様で…」
「…女王に睨まれて…ですと!?」
 向かい側の牢でぐったりとしているカリューの姿も相まって、オードは驚愕に目を見開いた。
「……むむむ!?…怪しい匂いがしてきましたぞ…!その時の話、もっと詳しく聞かせていただけるか!?ニージスどの!!」
 ニージスは事情を説明した。とは言っても、あまり詳しい事は語らなかったが…。
「………やはり呪殺をまともに受けてしまわれた様ですぞ!」
「…私も倒れてしまってその後の事はよく覚えていないのですが、確かにこれは…ザキに通じるものがありますな。」
 何の前触れも無く三人を襲った死の気配…それは呪殺の呪文…ザキが持つ特徴である。人によっては抵抗すら出来ずにそのまま命を奪われてしまう事もあるという…。
「…牢が離れていなければすぐに異端の妖術師如きの呪いなど解いてみせましょうに!!」
「……ぉおぅ、それは頼もしい限りで…。」
 おそらくカリューは未だに呪いにとらわれている事だろう…。だが、癒し手としても心得のあるオードでも…近くで詳しく容態を見れない事には彼女を呪いから解き放つ事は難しい…。
タンッ!
「「…!?」」
 その時、目の前に何者かが軽やかに舞い降りて来た。
ガチャッ…!
「…!」
 その者が持つ、小さな金細工の様な物の先が牢の鍵穴まで延びて、その内部で噛み合わさった。

「…逃げられると思うたか?」
「……あ……」
 森の中をさまようレフィルの前に、黒い髪の女性…ヒミコが立ち塞がった。
「……大蛇の生贄…そなたはその為に生まれ…そしてこの地へと導かれた。それがそなたの運命なのじゃ。」
―……いけにえ…に…されるため…に?
「い…やだ……!」
 何故ヒミコがここにいるのか…その様な事よりも、語られる残酷な言葉に必死に抗い…レフィルは血に濡れた刃をヒミコへと突きつけた。
「わらわに逆らうか…。」
 敵意を向けられて尚、それに身構えず、余裕の表情を崩さない…。
「……死にたく…ない…死にたくない……!」
 相手の不敵な笑みがもたらす絶望が…全身の力を奪おうとしていたが…
「……ライ…デインッ!!!」
 それに負けない執念により…レフィルは考えうる最高の呪文を…力強く唱え上げた。
ドゥッ!!!
 雷鳴と共に刀の切っ先から衝撃波が巻き起こり…ヒミコに向かって真っ直ぐに牙を向いた。
「……はぁ……はぁ………」
 それが巻き上げた土煙を前に…レフィルは刀を構えたまま…肩で息をしていた…。
「ほほ、所詮身の程を知らぬ小娘が。」
 だが…自身が生きる為に全てを…自分すら捨てて放った雷鳴の一撃は、ヒミコの細い腕によって阻まれていた。
「神の力を得たわらわに、その様な幼稚な攻撃が…」
ブンッ!!
 彼女が全てを言い終わる前に、レフィルは一瞬の間で、想定される間合いの外から斬り込んできた。
「…まだ戦おうと。…ふん…。」
 ヒミコは目にも留まらぬ速さで無言で斬りつけてきたレフィルの一閃を紙一重でかわしつつ、虚空に…しかしはっきりとした視線を送った。
ドドドッ!!
「…っぁ……!!」
 その瞬間…レフィルは見えない力に体を抉られ、悲鳴を上げる間も無く…その場に倒れてしまった。そして、口の中に広がる血の味の感触を最後に…意識を手放した…。
「…まだ時は満ちておらぬ…。」
 ヒミコが手を叩くと、突如として数個の影が目の前に現れて、彼女にひれ伏した。
「…こやつを生贄の社まで運べ。出られぬ様に閉じ込めておくのも忘れぬようにな。」

「おお、神よ!お力を!この者に害を成す悪しき呪いを打ち払いたまえ!」
 祝詞を唱え上げた後、オードはカリューの額に手を当てて、祈り始めた。
「……。」
 暫しの間目を固く閉じ…念じた後、オードは肩を落として一息ついた。
「オード、カリューは回復できそうか?」
 そんな彼の様子を…黒装束を纏った青年が尋ねた。
「ええ。しかし…呪いが奪った体力までは…すぐには…。」
「…ふむ、これで当分暴れられずに済むと…」
 いつもならこんな小言をカリューがほうっておくはずも無く絡んでくるのが常だが…
「論点が違う気がするが…。それに、戦力が一人抜けるのは大きいと思うがな。」
 呑気にそんな話題を口にするニージスに嘆息しながら、ホレスはカリューを見て…この先に待ち受ける過酷であろう道を思った。
「しかし…あんたは元気そうだな…。」
「はっは。運が良い事だけが取り得の様で。」
―…嘘つけ。呪文が不得手で体力に自信が無いとはいえ…あんた十分強いじゃないか。
 ダーマの神殿にて、賢者を目指す謎の美女から聞いた話…『一度は取り逃がした』…つまりは結局は彼が”蛇竜の魔女”メドラを捕らえたという事だ…。自身の強さに自惚れるのも問題があるにしても…ここまで謙遜できる腰の低さも少々図々しくも感じる…。
「…それで、レフィルは何処へ?」
「……ヤヨイの話では、生贄の為の社まで運ばれているそうだ。」
 ニージスの質問にホレスは一度はそう答えた…
「…だが、オレは聞いた。レフィルの慟哭を…。」
「……慟哭…とは穏やかではありませんな。」
 が、すぐに続けられた言葉に、ニージスは言葉を返しながら僅かに眉をひそめた。
「…ゆっくりと状況を見極めたい所だが、あまり時間が無い。武器を取り返したらすぐにあの子を探さないと!」
「ですな。私は生贄の社の方まで。ホレスは森でレフィルを探してくれませんかね。」
 ヤヨイから聞いた事…ヒミコにとっても、レフィルは貴重な生贄であるから、捧げられるまでは殺しはしないだろう…との事であるが、それでも…生贄の儀は明日の明朝に行われるとなると、あと一日…いや、半日も無いかもしれない。
「わかった。そうと決まれば…」
 善は急げとばかりに、ニージスは立ち上がった。
「うぉおおおおおおっ!!ようやく出られますぞ!!」
「「!?」」
 とその時、今までカリューの様子を見ていたオードが大声で叫びながら立ち上がった。その様子に残りの二人はぎょっとした様子で肩を竦めた。
「一介の神官に過ぎぬこの私だけならばいざ知れず、ダーマの賢者ニージスどのや勇者レフィルどのをも捕らえようとは最早赦される罪ではない!大人しく裁きの場に参りなさい!女王ヒミコ!!」
「…お…おい!?」
 ホレス達が制止する間も無く、物凄い勢いでオードは牢屋を飛び出していった。
 
どぎゅるろおおおおおおおっ!!!
ゲシャッ!!バキッ!!

「…な…何かとんでもない事になって…」
「「「脱走だーっ!!!」」」
 惨状が予想される騒々しさにニージスが何か言いかけたのを遮る様に、複数の兵士の怒声が聞こえてきた。
「「…げ!!」」
 その大声に、二人は思わず肩を竦めた。それに伴い複数の足音が徐々にこちらへと近づいてくる。
「…おぉう…!先走られるととんでも無い事に…」 
「確かに……だが…ある意味好都合かもしれない…。」
「む……騒ぎに乗じて逃げ出す…と?」
「……ああ。」
 物音からも、オードが思い切り暴れている事は間違い無い。それに、知恵のある魔物を事も無げに一蹴する彼の強さから考えても、そう簡単に収まりは付かないだろうし彼自身もまず二度は捕まらないだろう。
「確かに…あの強さならそうそうやられる事も…捕まる事もありませんからな…。」
「オレは屋敷のはりを伝って見張りの連中をかく乱しながら全員の武器を取り戻す。あんたはその隙にレムオルを使ってカリューを連れて逃げる、それでいいか?」
「あいさ。余り長くは保たないので時間を稼いでくれれば助かります。」
「分かった、急ぐぞ!」
 ホレス達は暴れるオードによって灯火が掻き消された暗闇の利を生かして、それぞれの脱出の道へと急いだ。見張りが張り込んで来たのはその直後の事だった。

「……う……あ………」
 レフィルは真っ暗な空間の中で仰向けになった状態で目を覚ました。
―ま…また……
 また籠の中に閉じ込められてしまったのだろうか…恐る恐るといった感じでレフィルは手を伸ばそうとした。
―……え?
 しかし…その手は何故か動こうとしない…。
―…ど…どうして…?
 それどころか、体全身の力を入れても…全く動けない。

―ほほ…気が付いたかえ。

「…!」
 突如、脳裏に聞き覚えのある声が響いた。
―わらわに牙を剥いたその罪、すぐに裁いてやりたい所じゃが、まだ時は満ちておらぬでな。
「さ…裁く…?」
―動こうとしても無駄じゃ。また逃げ出されてはかなわんのでな、しばらく大人しくしてもらおう。ほほほ。
 声の主、ヒミコの言葉は…蔑む様な笑いを最後にそれ以上聞こえなくなった…。
―じゅ…呪縛……!?
 力を入れている感覚はあるが、体が動いていない…。
「……なら…!」
 だが、レフィルはすぐに必死の思いで次の手を打った。
「ルーラ!!」
 明日に生贄にされてしまうとなれば、もはや形振り構っている余裕はない。呪文を唱え終わると、レフィルの体を光が包み、勢い良く空へと飛翔した。
ガクンッ!!
「……ぁっ!!」
 しかし、その途中で何かにつかまれた様にレフィルの体が止まった。これも呪縛の効力の一つの様だ。
ドタンッ!!
「…うぅっ!」
 やがて、ルーラの浮力が失われて、レフィルは体を床に強かに打ち付けた。
―だ…脱出できない…!
 体に走る痛みの中で…レフィルの中に…訪れるであろう結末を思い、それに向けての絶望が徐々に膨れ上がる…彼女自身にも知覚できない程静かに……。

「……無事か?」
 騒ぎの残り火が彼方の屋敷にざわめくのを横目に、三人の男が合流した。
「はっは、おふたりも大丈夫な様で。」
 カリューを背負ったニージスは微笑を浮かべながら、武器が詰まった荷物袋を背に駆けつけてきたホレスとオードに労いの言葉をかけた。
「異端の妖術師、ヒミコに罰が下るまでは、私は死に切れませんからな!」
「おぉう…、それは頼もしい限りで…」
 頼もしいどころか…物騒と言うにもあまりに生温いオードの言葉に、ニージスは薄ら笑いを浮かべながら肩を竦めた。
「……オード、頼みがある。」
「む?何ですかな?」
 オードが平然と言い放った、ジパングの女王への憤慨を特に気にした様子も無く、ホレスは彼に話を持ちかけた。
「カリューを介抱してやってくれないか?」
「カリュー殿を?」
 ホレスが指差したのは、ニージスの背中の上で…未だに意識を取り戻さない女戦士カリューだった。
「神官として、人命を繋ぐ術を教え込まれたあんたにしか出来ないんだ。」
―…聞き届けられないならば…その時は…
「お任せを!」
「…?」
 断られる事を覚悟していた所に、意外な反応を示されて、ホレスは心中で軽く驚いた。
「我々神官の務めは迷える子羊達に救いの手を差し伸べる事。今のカリューどのは…私ですら助けになるか分からぬ程の心の傷を負っているやもしれませんが…なればこそ、私しか出来ぬ役目…。」
 静かに語るその眼には…慈愛を知る者が持ちうる穏やかな光が湛えられている…。今は異端を正そうとする狂気じみたものは感じられない…。
「貴方がたがレフィルどのを救出に行く間、私が責任をもって彼女を守りますぞ!」
「…感謝する。」
 ジパングのヒミコに捕らわれ、ニージス達と別に幽閉されたであろうレフィルを救い出すのは困難を極める。…そして、カリューは戦闘不能に陥っているために…このまま連れて行っても足手まといになる…。レフィルとカリューの二人をより確実に救う為にはオードの協力が必要だった。
―…神官としての本分…か。
 だが、そうした理屈よりも…オードが個人的な憤慨を捨てて、カリューの看護を引き受けてくれた事に…ホレスは素直に感謝した。
「寄付だ。」
 彼は所持金の幾らかを取り出してオードに手渡した。
「いやいや、今はその様な事をしている場合では…」
「あんたのジパングでの布教…それに対する寄付とでも思っておくがいいさ。それに、教会の救いを求める者が寄付をするかどうかは自由のはずだ。」
 ぶっきらぼうな彼なりの礼のつもりか…あるいは…どこか計算しているのかもしれない。だが、いずれにせよ…呪いに囚われたカリューを看病できる者は彼…オードをおいて他にいないのだ。
「…最善を尽くしましょう。」
「……すまない。」
 オードに礼を言いながら、ホレスは東の空を眺めた。僅かに夜の藍が薄くなり始めている…。
「…行くぞ、かくなる上は直接生贄の儀に乗り込んでレフィルを奪還する!」
 ホレスは荷物袋からニージスが使っている杖を取り出して彼に放ってよこした。
「あいさ、ピオリム!」
 日の出まで…あと一刻足らずといったところか。ホレスとニージスは八岐の大蛇が住まう山を目指して走った。