暁に目覚めし… 第六話
「…はっは、……いやはやこれは大変な事になりましたな…。」
 湿気が漂う薄暗い地下室のような所で、一人の男がポツリとそう呟いた。
「カリュー。」
 彼は側に倒れている紫色の髪の女性に声をかけた…。
「…聞こえないと。ふむ…」
 返事がないとみて、彼…ニージスは少しの間首をかしげた。
パチィイインッ!!ベチィイインッ!!
「………ふむ、これでも起きませんか。…まぁ直に目を覚ますでしょー。」
 全力で頬を張っても、カリューが目を覚ます気配は無かった。だが、息はあるらしく…時々苦しそうにうめいている。
「…呪殺を受けてこの程度で済んだのは幸いですが…レフィルはどこに…?」
 カリューの頬をぎゅうっとつねりながらニージスは辺りを見回していたが、そこにレフィルの姿が無かった。
「……と言うより、男女別に分けた方が宜しいのでは?」
 誰も居ない牢の様な部屋の中で拘束具をかけられて、動きが上手く取れない中でニージスは呑気にそう言葉をもらしていた。確かに否定はできないが。
―ホレスなら…あの子の事だから生きている事だから問題ないでしょー。
 この場に居ない二人…。あの後すぐに意識を失っているのでその後の彼らがどうなっているのかは知らないが、ホレスはそう簡単には死なないと何となく思わされた。だが、レフィルは…
「ななな…!何をするのです!!離しなさい!!」
「黙れ!!異人の分際で!!神はヒミコ様ただ一人!!」
―…ぉおうっ!?今度は何ですかい!
 静かであった地下室に、突然騒がしい音を持ち込んだ物達に心中で軽く毒づきながら、ニージスは風が流れてくる方へと目をやった。
「主君と神とは別の…むぐぐぐ!!」
「いい加減に静かにしろ!!」
 大声で何かを捲くし立てる男の口を塞いで黙らせて、看守らしき男は彼を引きずってニージスの目の前を通り過ぎていった。
「おやぁ……やはり…、もとい…なぜ…。」
 闖入者の姿を見て、ニージスは肩を落として薄ら笑いを浮かべながら、思わずそう口に出していた。
―…はっは。確かに危険な芽はすぐに摘み取らねばならない…みたいで。
 自分達が置かれている状況も同じ様な物だと皮肉に思いながら、彼は押さえつけられている神官の男が向かい側の牢に入れられるのをただ見ていた。
 
「う…ううん……。」
 外から聞こえる落ち葉を踏みしめる様な音と微かな揺れを感じてレフィルは目を覚ました。
「……こ…ここは……?」
 揺れに伴って、ガコンガコンと木のぶつかり合う様な音が聞こえてくる…。
「…わたしは…いったい……?」
 目覚める前の最後の記憶では…自分達は確かにヒミコの部屋の中に居た。
「…う…!」
 胸に不意に痛みが走り、レフィルは苦しみのあまり、固く目を閉じてうめいた。
―…そうだ…。ヒミコ女王が…わたし達を見た瞬間…
 息が出来なくなるほど胸が苦しくなり、助けを呼ぶことも出来ずにそのまま力尽きてしまった。
「みんなは…?」
 自分ひとりだけがここにいる…。名前を呼んでも誰も応えてくれなかった。ニージスやカリューは何処に…。
「……ホレス…」
 そして…ホレスもいない。…何故自分は三人と切り離されてしまったのか…。
―…暗い…。

「ここは…何処なんだろう…。」 
 レフィルは、自分がいる…小さな揺れが止まらず、閉鎖され尽くした空間への漠然とした疑問を言葉に出していた。そして、次にはゆっくりとその場を立ち上がっていた。
ごんっ!
「…痛…っ…!」 
 異常に低い天井に頭をぶつけて尻餅をつき、レフィルは痛みに頭を押さえた。
がくんっ!
「え…!?きゃああっ!?」
 レフィルは突然傾きだした空間に翻弄されて、また壁に頭を打ってしまった。 
「いたたた……こ…今度は…なに……?」
 立ち上がろうにも…空間は傾いたまま元に戻る気配が無く、レフィルは壁と床の間に挟まれて身動きが取れなくなった。
ガラッ!!
「バカヤロウ!!」
 突然暗闇が開けて灯火の光が入り込んできたと共に、男の罵声がレフィルに浴びせられた。
「……!?」
 暴言に肩を竦ませながら、彼女はただ…開けた視界の先にいる鬼のような形相をした男を呆然と見ていた。
「暴れんじゃねぇ!!てめぇのせいで倒れちまったじゃねえか!!」
「……。」
 尚も続けられる怒鳴り声に、レフィルは沈黙を保ちながら僅かに顔をしかめた。
「なんだぁっ!?てめぇ!!文句でもあるってのか!?」
「…ッ!!?」
ブンッ!!
「…きゃっ!?」
 急に服を掴まれて外に引っ張り出され、乱暴に地面に下ろされた衝撃がレフィルの体を襲った。
「おい、生贄に手を出して何になる。いい加減に…」
「るっせぇ!!てめぇは黙ってろ!!コイツは痛い目見ねぇと何も分かりゃしねぇ!」
―い…生贄……!?
 言われてレフィルは自分の体を改めた。目に飛び込んできたのは…いきり立つ男を諌めているもう一人が持つ松明の光に照らし出された…質素な純白の木綿の衣に身を包まれた彼女自身の姿であった。
―…いつの間に……。
 恐らくは気を失っている間に強制的に着替えさせられたのだろう。これが…
「あんたに何がわかるってんだ!!…コイツが死んだところで…ヤヨイは……いずれ生贄に…!!」
「…!!」
 自分に罵声を浴びせた男が思い詰めた様子で放った言葉に、レフィルは驚愕に目を見開いた。

―…し…死………!? 
 生贄…トウマの家でも聞いた…。その時は他人事の様にしか聞いていなかった…。
―…ど…どうしてわたしが…!?わたしはジパングの人じゃ…!
 八岐の大蛇に捧げられる生贄の娘は…例外なくジパングの者であったはずだが…
―……生贄……わたしは………死ぬ……??
 今は命を捧げなければならないのは…ジパングに来て間もない…右も左も分からぬレフィル自身…。
「……いいから落ち着け…。お前は気が動転して周りが見えなくなっているだけだ。」
「…うるせぇ!!黙れ!!…黙れ!!」
「嫌……!」 
 言い合っている男二人の側で…レフィルは俯きながら肩を震わせて…
「…!?」
「…っ…!?てめぇ…今なんて…」
 彼女の様子がおかしいのに対し、男達は訝しげな視線を向けた…その時…!
「いやぁあああああああっ!!!!」
 つんざくような悲鳴が、夜の樹海にこだました。

「…っ!?」
 その悲鳴は、ホレスの耳にも届いた。
「レフィルッ!?」
 彼はすぐさまそれが聞こえた方向へと飛び出していった。
「あ…ホレスさん!!」
「ッ!?」
ガサッ!!
グゥウウウウオオオオオッ!!!
 ヤヨイが慌てて呼び戻そうと声をかけた瞬間、ホレスが進む先にあった草むらから、巨大な熊の群れが突然現れた。
「く…こんな時に!!」
ウガァッ!!
「…ぐぁっ!!」
「ホレスさん!!」
 豪傑熊の攻撃を受け、その衝撃でホレスの体に激痛が走った。だが、一瞬我を忘れて駆け出していったものの、目の前の豪傑熊の群れの気配を察して反射的に飛びのいた為、軽い手傷で済んだ。
「…駄目です!!今の貴方の体じゃ…!!」
「……く…くそ!!」
―…この程度なのか…!?オレの力は…!!
 深手を負っているとはいえ、今の自分に野性の肉食動物を追い払う事すら出来ない…。
「…ちぃっ!!走るぞ!!」
 その無力に歯噛みしながら、ホレスはヤヨイを促して、熊の群れから遁走した。

「ホレスさん……大丈夫ですか…?」
「…ああ…。…くそ…、声は聞こえたんだ!だが……こんな時に限って…!」
「……?声…ですか?…私には何も…」
「…いずれにせよ、逃げなければオレはあの場で終わっていた…。」
 彼の耳には確かにレフィルの声が聞こえてきた。…だが、魔物に襲われて倒れてしまっては助けに入るどころか、彼女の姿をまみえる事すら出来ない。
「ごめんなさい…私が足手まといに…」
「あんたが気にする事ではないさ。それに…オレがそれを非難できる立場でもない。」
「……。」
 ホレスの言い様にかえって責任を感じてしまい、ヤヨイは少し哀しそうな表情で沈黙した。
「それで…あんたが連れて行きたい場所…ここなのか?」
 そんな彼女を見て軽く嘆息して、彼は傍らにある古びた木造の建物を指差して尋ねた。
「はい。…ここが打ち捨てられた神社…。そして、私の家です。」
 壊された鳥居の柱の間を通り、ホレスに振り返ってヤヨイはそう答えた。

「……随分と古いな。」
 ホレスは神社の中に入ると、床の埃を払いながらそう呟いた。その上にあぐらをかいて、戦いの中でボロボロになった黒装束の上半身の部分を剥ぎ取り、傷だらけの体に薬草を調合した薬を塗る等の応急処置をはじめた。
「…ここに何が……?」
 一度倒れたときにヤヨイによって施された包帯を緩めながら、ホレスは彼女にそう尋ねた。この様な古ぼけた建物の中に何があると言うのか。
「……ここはかつて、八岐の大蛇がこの国に来る前に崇められていた神様を祀る神社でした…。ヒミコ様も時折ここを訪れては、祈りを捧げてきたのです。」
「今は…違うんだな…。」
「はい…。ある日……大蛇がこの地へと舞い降りたその時より、ヒミコ様はこの神社へのお参りをしなくなって、八岐の大蛇に…」
「……だから打ち捨てられたと…。」
「……ここの管理者だった母は社が壊されてしまう前に病気で…。私が生贄に捧げられる事になってしまったと聞いて…程なく…。」
「………。」
 八岐の大蛇を祀る様になり、管理者が居なくなってしまった今、元々小さな神社など邪魔に過ぎないばかりか、既に用も無い場所でしかなかったのだろう。
「…あの下らない風習の為に…あんたも苦労してきたんだな…。」
「く…下らなくなんか……」
「……いや、すまん。あくまでオレの考えに過ぎなかったな…。」
 大蛇が現れて以来敷かれた厳しい体制の中で、生贄が皆の命を繋いでいる事はホレスも分かってはいるのだ。僅かに肩を怒らせているヤヨイを…あの時と同じ様な言葉を聞いて軽く睨んできたレフィルに重ね合わせて、彼はどこか寂しそうに俯いた。
「…あ、すみません…、私が言えた事では…」
「…そういうものか、はは…。」
 互いに謝りあう状態に…ホレスは思わず軽く苦笑してしまった。
「……それで、ここに何があるんだ?」
 手早く傷の処置を終えて、ホレスはすっくと立ち上がって神社跡を調べ始めた。
「あ…そこは何も…。こっちです。」
「ん…?そうか…?」
 興味深そうに偶像を眺めていた所を呼ばれて、ホレスは少し名残惜しそうにそれからゆっくりと離れていった。
「……こちらへ…。」
 ヤヨイはロウソクの火で辺りを照らしながら、壁の一角に手をかけた。
ガラッ
「!」
 扉の様に開いた壁の先に、階段があった。
「…地下室か。」
 それを下りていくと、更に開けた空間があった。埃が舞っていて特有の少々鼻につく匂いが漂っていた。
「…これは……。」
 隠し部屋…と言うよりは物置の様なものなのだろうか…。灯火を求めて発動したレミーラの光が照らした先には、よく使う日用品等が立ち並んでいる…。祭事用の弓等が棚に鎮座している…。
―……ダーマの神官達にとっては貴重な資料になりそうだな。
 ホレス自身も多少は興味を示していたが…やはり少し見た後、すぐに踵を返して別の方を見やっていた。
「…ん?これは…」
 ホレスが見たのは…地下室の木製の壁に立てかけられている武具の類…その内の…
「…隼の剣じゃないか!どうしてこれがこんな所に!?」

 隼の剣
 手にする者に空を舞う猛禽の如く鋭く軽い身のこなしを与える魔法の剣。
 その数は少なく、市場ではかなりの高値で取引されている。

 隼のエンブレムがあしらわれた細身の剣…それが彼の目を暫しの間奪っていた…。
「これは…父の…」
「…あんたの…親父が…?」
 これほどの珍しい剣を手にしている…ヤヨイの父……。それは一体…
「これが…かつて忍びとして…そして世界を巡る冒険者として旅した父の武具です。」
 丁寧に畳まれた古着と…留め具の紐が整えられた胴体の防具…そして、ホレスの魔力の光を受けて黒く艶やかに輝く手甲が…ヤヨイの手の中にあった。

「…はぁ……はぁ………」
 レフィルは地面に突き立てられた白刃の柄を握り締めて、俯きながら息を荒げていた。
「ぐ……う…うう…」
 側には深く切りつけられて動けなくなった男二人がその怪我による激痛に喘いでいた…。
「…嫌…嫌……死にたくない……」
 呪詛の様に何度も生への執念を呟き続ける彼女の瞳には光は無い…
「…わたしは……まだ……」
 刀を杖にゆらりと立ち上がり、レフィルは視線の焦点の定まらぬ危うい表情のまま…ふらふらと森の奥へと消えていった…。
「……ま…待て…!!」
 籠を担いでいた男はすぐに彼女を追おうとしたが、深く斬られた傷の痛みがそれを許さなかった。
「………くそ…!治癒の術でも傷が塞がりきらない…!」
「…う…あ………!…ヤ…ヤヨ…イ……!」
 相棒の男もダメージが大きいらしく、うつ伏せに倒れてジタバタともがくが…立ち上がることが出来ない…。
「…一歩間違えれば…死んでいたな…。私達は…。」
 少なくとも自分に治癒の心得が無ければこのまま出血で命を落としていた。
「あれが…女が出しうる力なのか……?」
 男は右手に力無く握られた…折れた刃を呆然と見やりながら、そう呟いていた。