暁に目覚めし… 第五話
タンッ!
「わ…!」
 突然目の前に黒い影が舞い降りたのを見て、レフィルは口元を押さえながら後ろに下がった。
「…ホレス?」
「待たせたな。」
 果たして…それは先程屋敷の何処かへと走っていったホレスその人であった。
「…どちらに行っておられたので?」
「……さあな。」
「……むぅ?落ち着かないヤツやな。」
 カリューはもちろん、ニージスにもホレスの行動の意味が分からなかったらしく、互いに顔を見合わせた。
「それより紫の光…いや、トウマの言うパープルオーブとやらの話をヒミコに聞かないとな。」
「…え?こんな時に…!?」
「オレ達にはあまり時間がない。少なくともこんな下らない事を続ける国に長居は無用だ。」
「…下らないって…。」
 生贄という…一人が命を賭して、他の皆を災いから守る事を下らないと吐き捨てたホレスに、レフィルは僅かにムッ…とした。
「おお、待っておったか!」
 その時、聞き覚えのある野太い声と共に中年の男がこちらへと歩み寄ってきた。
「…おや、トウマさん。生贄の娘さんは見つかりましたか?」
「いや、まだじゃ…!…ぬぅう!一体どこに隠れたというのだ!!」
 その男…トウマは歯噛みしながら苛立たしげに声を荒げた。
「…左様で。」
「……。」
―………こうして必死になるのも無理もないがな。
 ヤヨイと接触した当の本人がここにいるのを知らず…。
「…いずれにせよ、主様にお伝えせねば。」
「ああ。ついでに生贄に何の意義があるのか、問いただしてやる。」
「……ともかく、わしについて来なされ。」
 怒りを露わにしたホレスの言葉に僅かに眉をひそめながらも、トウマはレフィル達をヒミコの部屋まで先導した。

 見回す限りが木の壁に覆われて…壁の上部に小さく開けた窓から差し込む光と言うだけの外界から完全に遮断されたような薄暗い部屋の一番奥にある、様々な供物や偶像が立ち並ぶ…小さな神域の様にも感じられるような壇に、豪奢な衣装に身を包んだ女性が祈りを捧げていた。
「……。」
 壇に捧げられたロウソクの揺らめきが止まると共に、彼女は不意にユラリと立ち上がり、近くに敷いてある座敷まで歩き、ゆったりと腰掛けた。
「ヒミコ様、トウマ殿が参られました。」
 人をこの部屋に寄せぬ中で、ただ一人共にあった女性が静かに主へと耳打ちした。
「うむ…会おうぞ。ここに通すのじゃ。」
 女性は「はい」小さく返事を返すと、外へのただ一つの扉を静かに引いた。
「トウマ、只今参りました!」
 伸びた髪をジパングの民族特有の形に結い上げた男が、堂々たる姿勢で部屋の中に入ってきた。
「……外が随分と騒がしい、…また何かあったのかの?」
 大きめの座敷に悠々と佇む黒い髪の女性…ヒミコがトウマに向けて、女性としてはかなり低めの声でそう尋ねた。
「ハッ!ヤヨイがまた逃げ出し、行方をくらませております!」
「またか。…大人しく生贄となれば手荒な事などせんというに。」
 トウマの報告にヒミコは呆れた様に嘆息した。
「……して、この異人どもは何者じゃ?」
 ふと、トウマの後から入ってきた旅人達の姿が目に入り、ヒミコは怪訝な表情を見せた。
「ムオルの町より参られた旅人でござる。」
「…わらわは異人は好かぬのじゃがな。しかし…こやつらは何を求めてここに参ったのじゃ?」
 女王と呼ばれるほどの地位にある為か、外来の旅人に過ぎない者達が、この国の頭である自分の下にいるのがあまり気に入らない様だ。
「紫の光なる物を探しているそうな…女王様が持つ…」
「紫の光とな?ほほ、…これかえ?」
 彼の言葉を最後まで聞く前に、女王はその手をレフィル達に差し出して見せた。
「あれは…!」
「ふむ…やはり…!」
 ヒミコの手の内にあったのは、掌一杯の大きさを持つ丸い紫色の珠であった。それはまさに光を湛えているかの如く輝いていた…。
「…同じだ…。」
「……やはりオーブとは…形は同じ物の様だな。」
 ホレスは自身の荷物から蒼い宝珠を取り出して女王が持つ紫のそれと見比べてそう呟いた。その時…
 
「なんと!…それは…!」

 ヒミコはホレスの持っている蒼い輝きを湛える球体…ブルーオーブを見て目を見開いた。
「…はっ、この者達もヒミコ様の持つ宝の珠と同じ様な物を携えている様でござる。」
「…ほほほ、これは良い。わらわは異人は好かぬが…斯様な手土産を手に訪れようとは…。」
 彼女はしばらく蒼い光に魅了されたかの如く見入り…溜息を漏らしていた。その仕草には…小さな子供が何かに憧れる時の様なものが感じられる…。
「パープルオーブと関わる品がここに…。これはただで帰しては失礼よな。ふふふふ…。」
「え…?」
 女王の含みのある言葉に、レフィルはきょとんとした表情で首をかしげた。
「…トウマよ。よくぞこの客人達を迎え入れてくれた。褒めて遣わすぞ。」
「…もったいないお言葉でござる…。」
「うむ、下がってよいぞ。」
「はっ!」
 ヒミコはそれはもう嬉しそうに客人を連れてきた侍を労わった。トウマもまた、主君の言葉に感極まった様子だった。
「最後に一つだけ命ずる。引き続きヤヨイを追い、捕らえ次第またわらわの下に連れ戻すのじゃ。」
「はっ!!必ずや!」
 最後に力強く命令に応えて、彼はうやうやしく頭を下げて、部屋から去っていった。
「……手間をかけおるの。あの娘は…。」
 生贄を嫌がり逃げ出したヤヨイに対してか、ヒミコは首を振りながら溜息をついた。
―オレとしてはごく自然な反応だと思うのだが…そんな犠牲を払ってまで、オレは平穏を望まないしな。
 生贄に選ばれる事は栄誉ある事とも言われるものかもしれないが、ホレスから見れば、無駄な命を散らしているどころか、生贄が続いているその事実によって、国に蔓延る絶望を増しているようにしか見えない。
「おお、そうじゃ。そこの娘、そなたの名は何と申す?」
 ヤヨイを逃がした張本人が目の前にいる事に気付かない様子で、ヒミコはレフィルの目をじっと見て彼女に尋ねた。
「はい…レフィルと申します。」
 凝視されて肩を竦めそうになり…少し落ち着かない様子で名乗った。
「レフィル…とな。その名、憶えておこうぞ。」
「…え?」
 名前を憶えておく…そうとまで言われてまたレフィルは動きを止めた。

「…斯様なまでに内に秘めたる力……決して逃しはせぬ。」

 そんな彼女に対して不敵に笑いかけながら、ヒミコは目をカッ…と見開いて四人を見た。
 
「「「「…っ!?」」」」

 その仕草の不気味さに…四人は誰からともなく肩を竦めた……。そして、その体勢のまましばらく動かなくなった。
―な…なんだ!?…この異様な感覚は!?
「…む?逃がさないとはどういう…」
ズシャ……
 言葉を言い終える前に、ニージスは力無く床に倒れた。
「…な…どうした!?ニージ…」
「…あ…あああ……!!」
「……!」
 倒れたニージスの体を揺らして呼びかけたその時、レフィルが目を見開いて胸の辺りを押さえながら苦しそうに喘いだ。
ドサッ
「…な…なにっ!!?」
 そして…苦しみながら…床に崩れ落ちた。
バタン!
「レフィルッ!!カリューッ!!」
 更に聞こえてきた物音がした方を振り返ると…カリューがうつ伏せになって倒れていた。被っていた赤い兜が虚しく床を転がって…やがて止まった。
「おいっ!?しっかりしろ!!」
 ホレスは突然に倒れた三人の体を揺すったが、彼らは何も応えず…動く事も無かった。
―何故だ…!?……まさか…!!
 不幸中の幸いか、息はある様だ。だが…三人とも突然倒れる様な無茶はしていないはずだった。あったとしてもホレスはそれを知らなかった。
―くそ…!まさかこいつが…!?
 この部屋にはヒミコと自分達以外に殆ど誰もいないはずである。ホレスの地獄耳を以ってしても何も物音が聞き取れなかったからほぼ間違いない。
「…貴様!何をした!?」
 内に湧き上がる理不尽に対する狂おしいまでの怒りが、ホレスの殺気を高め、その鋭い死線がヒミコに向けられた。
「…何故じゃ?」
「…何が!!」
 自分の言葉を他所に考え込むヒミコにホレスはますます苛立ちを深めて怒鳴った…
「……何故倒れぬ?敵意を感じられるそなたには…死を与えるつもりであったが…」
「…死だと!?」
 が、返って来た言葉に驚愕に目を見開いた。
「やはり貴様の仕業か!!」
 それも一瞬の事でしかなく、彼は怒りに任せてヒミコへと叫んだ。
「まぁ良い…どの道そなたが知る必要もあるまい。」
 いきり立つホレスを、氷の様な冷たさを感じさせる無表情で見返しながら、ヒミコは天井から下がった紐を掴んで揺すった。
ジャランジャラン……
 乾いた音が二人だけが立つ部屋に響き渡った…。
ガラッ!!
「ヒミコ様!!お呼びで!」
 同時に部屋の入り口である引き戸が開き、兵が一人入ってきた。
「この男が乱心した!!わらわを手にかけようとしたのじゃ!!」
「な…なんと!!不届きな!!」
 女王の言葉を聞き、兵は驚愕と怒りに顔をゆがめた。
―この…!…余計な事を…!
 ホレスはヒミコに身構えてはいたが、武器には手をかけていない。だが、ヒミコの言葉はたとえ虚言でも兵には絶対である。
「かかれーっ!!」
 号令と共に一斉に迫る影を見てホレスは舌打ちした。
「…ちぃっ!」
ドガァアアンッ!!
 投げ放たれた爆弾石の爆音と光が敵の姿と怒号を一瞬の間掻き消し、部屋の一角を砕き、木片を撒き散らした。

―…さい…!
く…くそ…!…こんな…所で…!
―…しっかりしてください!!
「……っ!?」
 突然かけられた力強い呼びかけに、ホレスは現実へと立ち返った。
「あ…あんたは…。」
 目の前にいたのは、ボロボロの衣服を身を纏った黒い髪の少女であった。
「こ…ここなら大丈夫です…!」
 目を覚ましたばかりのホレスを安心させるように彼女はそう告げてきた。引きつった声で言われても説得力には欠けるが…。
「あんた…ヤヨイ…か…。そうか…逃げおおせたのか。」
 ホレスが彼女に与えた消え去り草を使って、どうにかここまで逃げ延びたらしい。
「…いや、それよりレフィル達を…!」
「だ…駄目です!そんな傷で…!」
「…傷?」
 言われて自分の体を見回してみると…包帯や湿布の類が張られていた。鈍い痛みで体が少し熱くもなっていたが、ここまで深手を負っているとは思えなかった。
「……ごめんなさい…、私を助けたせいで…あなたのお仲間が…」
「いや…そうじゃなくてもあの時オレにレフィル達を助ける余裕は無かった。あんたが謝る事じゃないさ。」
 彼は気だるさを押して立ち上がり、俯いたヤヨイにそう告げた。
「それに…オレを助けたのはあんたの善意なんだろ?……それを責める気は無い。」
「そ…そうじゃなくて……」
「しかし…そうか、やはり…か。…くそ…!あいつはあの時何をしたんだ…!」
 ヤヨイの言葉から、自分を除く三人はヒミコに捕まってしまった事が分かった。しかし…何の前触れも無く苦しみだしてその場に倒れてしまった。ヒミコの仕業である事は状況からして間違いはないが…それだけが不可解であった。
「そうだな……あんたは…何か心辺りは?」
「…ごめんなさい……。私も…何も分からないんです…。」
「……そうか…。しかし…何故オレだけ…」
 死を与える…確かにヒミコはそう言っていた。だが、何故か命すら奪うと告げられたホレスの身には何も起きず、他の三人だけが影響を受けて意識を失った。
「…あの時オレは…レフィル達を運ぶ間も与えられずジパングの兵達と戦う事になった。…だが、束になって掛かられて次第に傷も深まり追い詰められていった。」
「…それで…あの崖から落ちてこられたのですか…?」
「……だろうな。意識ははっきりしていなかったが…」
「…よく…生きてましたね…。」
 ヤヨイは後ろにそびえ立つ崖を見ながら弱々しくそう言った。
「これしきの危険…今に始まった事じゃないさ。しかし…気になるのは……」
 ヒミコが自分達四人に向けて施したのはどのような類の術なのだろうか、そしてレフィル達は今も無事なのか…。それが今のホレスに付きまとう疑問だった。
「……でも、どうして…あの時私を…?」
 思案にふけるホレスに、ヤヨイはそう尋ねた。祭事に水を差すような真似を何故何のためらいも無く平気でできるのか…。
「…言っただろう?生贄など…意味の無いものでしかない…と。…その結果がこれだがな。」
「……。」
 自嘲的にも聞こえるホレスの小言に…ヤヨイは何も返せずに俯いた。
「…しかし…レフィル達は大丈夫なのだろうか…?口止めに殺されてしまっていたら…」
「それは…大丈夫だと思います。異国からの旅人を殺したなどと言ったら…。悪い噂が外に漏れる事は避けたいとトウマ様も仰せでしたし…。でも…私が生贄から逃げたせいでその身代わりにさせられているかも…」
「ち…!いずれにせよ…このままではレフィル達が危ない…と言う事か!…生贄の祭壇に連れて行かれる前に助け出さなければ…。…だが、どこを目指せばいい事やら。ヤヨイ、あんたは何か知っているか…?」
 仲間が命の危機に陥っているにも関わらず、ホレスは落ち着いた…しかし真剣な様子でヤヨイに尋ねた。
「…あまり…時間は無いと思います。明日明朝に生贄を捧げる儀式がありますから…。その前に館の西にある、巫女に用意された小屋まで急がなければ…。でも、見張りが…。」
「それでも退くわけにはいかない。…時間が無いならなおさらな。」
 突きつけられた状況を改めて理解してホレスはその場から立ち上がり、前へと歩き出した。
「あ…待ってください…!…どうしても行かれるというのであれば……!」
「…ん?」
 突然のヤヨイの静止に、ホレスは足を止めて彼女へと向き直った。