暁に目覚めし… 第四話
「…ん……。」
 レフィルはまだ薄暗い部屋の中で目を覚まし、辺りを見回した。暗くてよく見えないが寝息が聞こえてくる…。皆まだ眠っている様だ。
「……けほ…けほ…。…あれ?…おかしいな…。」
 ふと、先日と同じような堰がしたと同時に体が重いのを感じた…。
「………まだ…夜…だよね……。」
 まだ眠り足りない…そう思って彼女は再び布団の中に身を横たえようとした。
「…?」
 その時、レフィルの目に…窓を覆う暗幕の隙間から光が差してきた。
「……え?」
 目を覆いながら布団から起き上がり、興味に任せて暗幕を明けた。
シャッ…
「あれは…」
 窓の先にあったのは…鮮やかな橙の彩りの空…山々の間からその姿を覗かせ、その黒い影を照らし出していく早朝に浮かぶ太陽の輝きだった。 
―…綺麗だな……。
 暁の下に在る国の肩書き…それはこの光景から付けられたものだろうか…。そう感じながらレフィルはそれにただ魅入っていた。
「……日の出ずる国…ジパングか。」
「…そうね…って、わっ!?」
 光が僅かに差しただけで、未だに暗い部屋の片隅から語りかけてくる声に、レフィルはびくっと立ちすくんだ。
「…すまん、驚かせた様だな。」
「え……う…ううん、……起きてたんだ…。」
「ああ。」
 どうやらホレスも眠れなかったのか…いや、彼の場合は単にかなり早い時間帯に起きるのが常なのかも知れない。横で眠っているカリューと、奥の方でいびきをかいているオード、そして…顔に光が差して尚も少々にやけた顔で眠り続けるニージス…その三人よりも早く起きているのを見る限りでは…。
「……具合が悪いのか?」
 その時、ホレスは窓の側からレフィルの方を向いて尋ねてきた。
「さっき堰をしていただろ?…ただの風邪でも下手な所で悪化する事だってあるが、今は大丈夫か?」
 できるだけ気丈に振舞っていたつもりだったが、彼は自分の軽い風邪にすぐに気がついたようだ。それでも…何か隠し事をしていた様に思えて、レフィルは申し訳なさに胸の内が苦しくなった。
「……ごめんなさい。」
「…謝らなくていい。だが、無茶はするなよ。」
「………。」
 集団での冒険では、一人のコンディションが悪いと全員に影響を及ぼす事も珍しくない。体調自体はさほど悪くは無いとしても、その事を忘れていた自分に少し恥ずかしくなってレフィルはうつむいた。
「……オレもお前の身に何かあっては困るが、何よりお前自身が辛いはずだからな。」
 ホレスは部屋から出ようと引き戸に手をかけながら、レフィルに向けてそう付け足した。
「…え?」
 ふと…
―わたし自身…が…?
 一句の迷いも無く告げられた言葉がレフィルの中で響き渡っていた。
「ホ…ホレス…?」
 迷惑をかける事になるであろう自分自身の身を案じられて、彼女は訳も分からぬままにホレスの名を呼んだ。
「…ん?」
 落ち着かない様子の…しかし何かを伝えたいという意思が感じられる声にホレスは足を止めて振り返った。
「あ……あの…あ…あなたは……」
―あなたは…どうして…
「…どうした?」
 尋ねるべき事は…レフィル自身の葛藤のうちに消え…
「……あ…、う…ううん、ごめんなさい。何でもないの…。」
 そして…それ以上何も語れぬまま、彼女は言葉を失った。
「…そうか?まぁいい、オレは先に出ているぞ。」
 迷いがあって今は言いたくても言えない…ホレスはそんな彼女の様子を察して穏やかにそう告げて部屋を去った。
―…分からない……。どうしてホレスは…?本当に…わたしを利用するだけのために…?だとしても…。
 

「…わ!外人だ!!」
 皆が起きて、五人で朝のジパングを物色していると、誰かが甲高い声で驚きの声を上げた。
「……やはりこの服装は目立つか…。」
「…わたし達皆そうみたいね…。」
 子供達が自分達を指差しながら口々に叫ぶ様子を、レフィル達は複雑な気持ちで見やっていた。
「…そらそうだわな。この国ってめっちゃ変わってるもんな。」
「君も十分変わり者ではあるかと。」 
「せやなー、ってオマエが代表格やろ!!」
 ニージスはカリューの怒鳴り声に苦笑しながら肩を竦ませた。 
―ふむ…自分が変わり者だと言う事は認めるようで。
「あの人の髪白いよ?お爺さんなのかな?」
「えー?でも、背高いし腰もしっかりしてるよ?」
 一方、ホレスを指差している子供達がポツリとそう言葉をこぼした。
「……む?オレはやはり老けて見えるのか?」
 母親らしき女性がその子供をとがめる側で、ホレスは目を丸くしてニージスにそう尋ねた。
「…でしょうな。銀髪と言えば聞こえはいいですが…白髪と大差無いですからな。」
「オマエ、はっきり良い過ぎやろ。…後が怖いで…」
 珍しい銀髪を持っていたとしても、老人扱いされれば誰だって良い顔はしない。カリューは恐る恐ると言った様子でホレスの顔を見た…
「ってアラ?…もしかして、ホレス…お前…笑っとる…?」
 が、その表情は予想していたものとは異なる物だった。いつもの無表情だが、然程険悪そうな雰囲気は無く…むしろ…。
「……まさか。まぁ可笑しくて仕方が無いのは確かだがな。ポポタにも何度も言われたから聞き飽きてはいるが。」
「……ほぇ?」
 予想外の反応と言動に、カリューはぽかんと呆けた様な顔をした。
―慣れてるにしても…どうしてコイツは自分の事にこんな疎いんやろ?……顔に落書きしたっても、全然怒らんかったし。
「…それで、あんたは布教しに来たんだったな。」
 ホレスのあまりにそうした事への無頓着な様にカリューが首を傾げているのを横目に、当の本人は落ち着かない様子の神官の男を…彼もまた呆れた顔で見てそう告げていた。
「おお!そうですとも!神という存在を信じる事により救われる…!それを伝えに参ったのですから!!」
 鼻息をふんっ!と鳴らしながら、オードは目を爛々と輝かせていた。
「…ふむ、はやる気持ちは分かりますが、一度落ち着かれては?」
「そうですな!流石は賢者殿!!ここジパングでの説法は失敗するわけには参りませんからな!」
 興奮して周りが見えなくなりかけていた自分をそう諭したニージスに感謝しながら、オードは聖書を取り出しながら人が集う村の広場へと向かった。
「では!レフィルどのも!オーブが手に入ると良いですな!」
 レフィルに向かって最後にそう別れを告げて…。
「…おお、すまぬすまぬ。待ったか?」
 同時に、聞き覚えのある声がホレスの耳に届いた。
「あんたか。いや、オレ達も今来たばかりだ。準備は出来たのか?」
「うむ。」
 昨日のジパング独特の意匠の甲冑姿と異にして、質素ながら、周りの者より身分が高い事が分かる仕立ての良い衣服に身を包んだ男、トウマは四人の姿を確認して頷いた後、別の通りへと向かった。
「それでは参ろうか。ヒミコ様の屋敷へ。準備は宜しいか?レフィル殿?」
「あ…はい。」
 トウマが一瞬足を止めて振り返ると、レフィル達も彼の後に付いて歩き出した。
「ヒミコ様は我が国の頂点に立つお方。くれぐれも粗相の無いようにな。」
 トウマのその言葉に…ホレスは僅かに顔をしかめた。
「…あのような事があっては…確かにそなたらには許し難い…そう思えるだろうがな。」
 
 通りを過ぎると、草が生い茂る平原に真っ直ぐ切り開かれた道に、木を組み合わされて作られた赤く塗られた門の様なものが幾つも建っていた。
「鳥居だ…。こんなにたくさん…。」
 寺院の入り口に建てられる事の多い神域への門の象徴…。連ねて建てられている事に大きな意味があるのかは分からないが、一つ一つがそびえ立つ大きさ以上の厳かな雰囲気を纏っている…。
「…ふむ、この国は相当神への信仰が厚いみたいですな。或いは…この先にヒミコ女王のお屋敷があるとすれば…」
「なぁ、トウマ。これはいつから立てられたんだ?」
 ニージスは賢者と言うよりもむしろ学者の様に鳥居を興味深く眺めている…。その一方で、ホレスは鳥居の木の様子から何かを感じ取り、トウマに尋ねた。
「八岐の大蛇が現れて我らの集落を魔物より守ってからだ。ヒミコ様のお言葉でな。」
「…では、これは八岐の大蛇をまつる為の?」
 良く見れば建てられてから然程時が経っていないのが分かる。綺麗に手入れされているだけとも言えるかも知れないが、傷の付き方や土台に付いた土の具合を見ると…かなり新しい物だと見て取れた。

 連なる鳥居を通り過ぎた先にあったのは木で作られた大きな屋敷…城と言っても良い程に規模の大きい建物だった。これがジパングの女王ヒミコの住処であろうか…。
「…これはトウマ殿!そちらの方々は?」
 その入り口で、門番らしき男が五人へと声をかけてきた。
「異国からの旅人の方じゃ。それと…昨日の件で主様に折り入って話がござる!お目通り願いたい!」
「はっ!ご苦労様です!どうぞお通り下され!」
 門番は明瞭にそう言うと、敬礼して道を開けた。
「…はっは。トウマさんは相当慕われておられるようで。」
「……恐縮だな。」
「うんうん、モヤシの言うとおりや。」
 門番のトウマに対する態度だけでなく、見る目にも敬意を感じられたのはニージスだけではなかった。古参の忠臣…とでも言える様な威厳溢れる雰囲気が…。
「昨日使いの者を出している。わしが来たと知れば程なく来ると思うが…。」
「御館様!」
 話の途中で、トウマ自身が話していた彼の従者が呼びかけてきた。
「おお、待っておったぞ!して…主様は何と?」
「これより半刻程お祈りに入られるそうです。お会いになるのはその後と。」
「そうか。ご苦労。先に帰っておれ。」
「はっ!」
 どうやらしばらくの間はヒミコは祭事の中にあって、面会は出来ないらしい。
「…ああ、すまぬ。帰りにこれらの物を買っておいてくれぬか…?さもないとマツが五月蝿くての…。」
 直後、その場を去ろうとする使者を呼び止めて、トウマは申し訳無さそうに一枚の紙を手渡した。
「はぁ…。また尻に敷かれて…」
「…面目ない。」
 言うなれば「かかあ天下」なのだろうか…、先程までに垣間見た威厳はどこにやら、四人にはトウマの姿が小さく見えた。
「…ゴホン!ともかく暫しお待ち願う。一刻の後にまた。」
「あ…ああ。」 
 流石のホレスも、先程までの彼の姿とかけ離れた今の滑稽な有様には言葉が出ないようだ。
「主様の部屋はこの奥を真っ直ぐ行った所にある。聞いての通り、今は立ち入る事はまかりならぬ。」
「ふむ…。」
「だが、一刻もの間ただ待つのも退屈でござろう。そうだな…折角だ。わしがこの館を案内して…」
「大変だーっ!!またヤヨイが逃げ出したぞ!!」
 話を遮る様に、突然誰かが大声でそう叫んだ。
「何と!!むむ…またか!えぇい!止むをえん!わしはまたあの娘を連れ戻さねばならぬ!暫し失礼するでござる!」
 トウマは周りの者達と共に、騒ぎの中心へ向かって駆け出していった。
「…逃げたのか…、あの子は…。」
 一度逃げた身でまた逃げる…恐らくは見張りの目も厳しくなっているはずだが…。

いや……!

「…!」
 ドタバタと騒がしい中、ふと…ホレスの耳に…確かにそういう声が聞こえてきた。

…やだ…!死にたく…ない!

「……っ!!」
ダッ!!
「ホレス!?」
 突如として、ホレスは舌打ちしながら駆け出した。レフィルが慌てて止めに入ろうとするが…。
「来るな!」
 彼は一瞬振り返って大声でそう一喝した。
「え?」
「へ…?」
「おや?」
 怒鳴られた当の三人は三者三様の反応で動きを止めた。
「そこで待っていろ!すぐに戻る!」
 最後にそう言うと、ホレスは見えない声の主を求めて走り去った。

「………。」
 辿り付いた先は土を焼いて作られた大きな壺や水瓶が並べて置かれている地下室だった。多くの壺の中には穀類や豆が一杯まで詰めてあった。
「…ここで間違いないな。」
 ホレスの耳は、この静寂の中に響く微かな気配を彼自身に示していた。
「……そこにいるんだろ?」
『…ひっ!!』
 ホレスが低い声でそう呟くと、押し殺した少女の悲鳴が壺の一つから聞こえてきた。
「あんたがヤヨイか…。…随分と奥まで隠れたものだな。」
 壺の間を物音一つ立てずに器用に渡り、一番奥の壺の蓋を外して中を覗き込んだ。
「お…お願いです!どうかお見逃しを!」
 その中にいた少女が恐怖が張り付いた表情でそう懇願してきた。顔は痩せこけて、全身も汚れていて…ひどい有様だった。
「…怯えなくていい。オレは別にあんたを突き出すつもりも、馬鹿げた生贄に手を携えるつもりもない。」
「…え?」
 嘆息しながら告げられたホレスの言葉に、少女…ヤヨイは硬く閉じていた眼をゆっくりと開いた。
「……あ…あなたは……」
 視界に映し出された銀髪の青年…彼はよく見ればジパングの者ではない。自分を捕らえる気も無いらしい。
「消え去り草を幾つか持ってきた。見つかりそうになったら飲んでやり過ごすがいい。まあ時間稼ぎでしかないが、無いよりはマシなはずだ。」
 ホレスはヤヨイに向けて一つの袋を放った。
「…ど…どうして私を…?」
 ヤヨイは今置かれている状況と、彼の挙動の意味が分からず狼狽しながらそう尋ねた。自分を捕まえるならともかく、他所の国の祭事に手を出して…勘付かれてしまえば彼自身もただでは済まないはず。それでもどうして救いの手を差し伸べるのか。
「……オレには生贄がもたらす物を信じる事が出来ないからな。それに…信じる道を突き進まなければ気がすまない性分なんでね。あんたもそうなんだろ?」
「!」
「命を失う先に何がある?理不尽な生贄として女達が捧げられ、他の皆が助かるという話は確かに聞こえは良い。」
 生贄…それは命と引き換えに、神々に懇願する行為…。捧げる命は野獣や家畜…最悪人にまで及ぶ事もある。ジパングではまさしく若い女の命を捧げ無ければならない。
「だが、結局は時が経てばまた次の生贄を捧げなければならない。結局は誰も助かりはしないんだよ。女達にもたらされる死の恐怖でもうこの国はおかしくなっている。」
 失われる物に対して、暫しの平穏を約束される…だが、それが過ぎればまた一人の命を差し出す。生贄になる者を選ぶに際して…また…。
「逃げたくなる…単に死にたくないだけとも言えるかもしれないが、大人しく生贄にされていった女達の中で、あんたはただ一人それを拒んでいた。…うすうす気付いていたんじゃないのか?この生贄に意味が無い事を。」
「…え…ええ。…でも、私は…。」
「死にたくないのは誰だって同じ事だ。あんたが生贄となったところで報われないなら尚更な…。まして…」
 ホレスは何かを言いかけたが、その耳に遠くからの足音が届き…言葉をとめた。
「……あんたには逃げ場が無い。だが、生きるのが辛いとしても…諦めるな。」
「………。」
「…まだ聞きたい事がある様だが、時間だ。…もうすぐここにあんたへの追っ手が来る。息を潜めて隠れて消え去り草を飲むんだ。いいな?」
 彼は最後にヤヨイにそう告げると、空高く飛んで天井のはりに乗り、その場から気配を完全に絶った。
「……どうして…異国の人が…忍びの…?」