暁に目覚めし… 第二話
 翌朝…
コンコン…
「どうぞ。」
ガチャッ
ガラッ
「おはようございます、皆様。今日は渡し舟の出航が出来る見通しですのでご案内致します。」
 出発の為の支度を整えていた五人のもとに、従業員の一人が入ってきて丁寧にお辞儀をした。
「…ふむ、今日もあまり良い天候とは言い難いとは思いますが。」
「航行に支障は無いとの事らしいですよ。船には護衛の方もいらしているので、魔物の方の心配も大丈夫です。」
「わかった。案内してくれ。」
 レフィル達はそれぞれの荷物を持って従業員の後をついていった。

「……距離自体は大分短いと聞いた。あまり長い航海ではないはずだ。」
「普通に行ければ三日はかからんでしょうな。」
 波音が響くなか…ホレスとニージスは船を物色していた。
「ふむ…この地図で言うと…ここからここまで…もっと近ければ天候が多少悪くとも一日で無事に着いてしまうことでしょう。」
「……凄いな…。」
 レフィルは二人の話を聞き、思わずそう呟いた。
「おおっぷ…!こりゃたまらん…!」
「「……!!」」
 そのとき…苦しそうな呻き声が聞こえてきた。そちらに目をやると…甲板から身を乗り出して苦しそうにしている神官オードの姿があった。
「ひゃ…!船酔いかいな!?」
「ですな…。まだ一時間と経ってないはずですが…?」
 船酔い…レフィル達四人には無縁の物であるが、どうやら彼にはこの上ない旅の障害であったらしい。
「だ…大丈夫ですか!?」
 レフィルが慌ててオードの背中をさすってやると…

おげぇえええええ…

「「「………!!!」」」
 見てはいけない物が甲板を汚してその場の全員が絶句した。
「あぎぇええええ!!に…に……逃げ…!!」
「…脇目も振らずに逃げましょう!」
 ニージスとカリューは目を反らして彼から全速力で離れた。
「……ご…ごめんなさい!」
 レフィルも躊躇っていたのはほんの僅かな間で、すぐに彼から逃げるように走り去ってしまった。

「……ふん。」
 ただ一人ホレスだけが落ち着いた様子で物見の上から成り行きを見守っていた。
「よくあんな事で布教しようなどと思えたものだな。」
 宣教師として世界を回るとなれば、当然船を使わざるを得ない。そうなるとまず船酔いは避けられない一つの試練という事になる。
「…一雨来そうだな。」
 どんよりと曇りつつある空を見上げて、ホレスはそう呟いた。
―……まぁこの渡し舟を生業としてきた奴らが良いと判断しているんだ。まず心配は無用だが…
ザバッ…!
「……!」
 ホレスの耳に、遠くの方で何かが海中から勢い良く出てくる音が聞こえてきた。
―魔物だ…!
「…あれは……ガニラスか…それにマーマンもいる様だな…。」
 近くにあった望遠鏡を覗き込むと…海の中から飛び出してきたのは、巨大な青い蟹…ガニラスと、人魚…というより半魚人の魔物であった。
―…厄介な相手が出てきたものだな…。
「……ならば…」
 ホレスは右手で荷物を探り、空いた左手で爆弾石入りの袋の封を外した。
パァンッ!!
 物見台の上から爆弾石が一つ、魔物の群れ目掛けて飛んでいった。
ドボォオオオオンッ!!!
 巨大な水柱が上がり、何匹かのマーマンとガニラスを巻き込んだ。それを放った本人の手に握られていたのは、二股に分かれた先端に伸縮性に富んだ紐が括り付けられた武器…石を飛ばす飛び道具、パチンコであった。
「…ち、仕留め損ねたか。」
 そうでなくても戦意さえ失わせればそれで楽なのだが…
「どうやらそう簡単に引いてくれる気は無いようだな。」
 尚も迫りくる魔物達に目を向けて、ホレスは嘆息しながら再び武器を構えた。
「…おお、ボウズ。良い腕してんじゃねえか。」
「……。」
 そこにもう一人男が物見に上ってきた。服装からすると、渡し舟の船員の一人のようだ。
「後はウチが雇った先生に任せておけ。なぁに、あんなザコどもなんかイチコロさ。」
 彼は安心しきった様子でそう言って大空を見上げた。
「……?」
 それにつられて空を見てみると…
「……っ!!?」

「ウワーハッハッハッハッハーッ!!威嚇に応じず突っ込んでくるたぁ殊勝な心掛けじゃのォッ!!」
 そこに居たのは四角い凧に掴まって空を飛んでいる…爆弾岩の化粧回しを身につけた力士のような大男であった。
「ムムゥッ!!ホレス坊!!また会ったのォッ!!」
「…バ…バクサン!?何でここに…っ!?」
 どういう風の吹き回しでこの男がここにいるのか…それを尋ねるホレスだったが…
「ぬっはぁああっ!!!」
バキィイイイッ!!!
「……っ…!!?」
 返事は気合一声と共に突き出された大きな掌による”てっぽう”攻撃だった。紙一重でかわした先にある木製の柱がその一撃で粉砕された。
「…お…おいっ!?」
「これをかわしたかァッ!!精進しとるようじゃのォッ!!!ウワーハッハッハッハッハーッ!!」
 ホレスが何かを言おうとするのも聞かずに、バクサンは再び舞い上がり、空に浮かぶ凧に乗った
―…糸が括り付けられている様子も無いのにどうやって浮いているんだ…!?
「どぉおおおおりゃぁああああっ!!!」
 これまたホレスの考えをよそに、バクサンは巨大な玉を力任せに担ぎ上げた。そしてそれの導火線に火を付けたと同時に…!!
ゴゴゴゴゴゴゴ……!!!
「…ムムゥッ!!?」
 突然玉が震え始めて…
「!!」
 不意にその巨体が空中へと投げ出された。
「これもまた一興!!ウワーハッハッハッハッハーッ!!」
 しかし、その状況にも全く動じた様子も無く、バクサンは魔物の群れに向かって真っ直ぐにダイブした。

ドッカァーンッ!!
「ブルアアアアアアアアアッ!!!」

 爆弾石などが起こした水柱よりも遥かに大きな天を付くようなそれが発生し、バクサン諸共…近くの物を巻き込んで空高く舞い上がった。

「……また出おったわ…あの親父…」
 その頃…三人は船室の中に駆け込んで、その窓から成り行きを見守っていた。
「…やはり人間ではなさそうですな…?」
 ただでさえ、人間であるかどうか疑わしい程の体格と鬼のような形相をしている…そして、強烈な火薬の爆発に巻き込まれても無事である化け物じみた頑丈さ…
「……。」
 それよりも…レフィルには彼の腰に付いていた爆弾岩の刺繍が施された豪華な腰布の方に目が行って…暫くそのまま固まっていた。

「……。」
 空からたくさんの魚やサメ…はたまたクジラまで降って来る…。無事に海に入った者も…暫くは混乱したように不規則な動きを繰り返している様を見て、ホレスは沈黙していた。
「は…ははは…まさかこれほどとは…。」
 彼を雇った張本人も、笑いが止まらない様子である…最も…目は笑っていなかったが。
「……恐ろしいヤツだ…。」
ドッボオオオオオン!!
ドッボオオオオオン!!
「…!!」
 突然水柱が再び海中から巻き上がった。どうやら巨大な火薬玉の中で不発した分が今になって爆発し始めたらしい。

おげぇええええ…
 その様な騒ぎの中でも、オードの酔いは治らず…寧ろ悪化の一途を辿る一方であった。

 太陽が西に傾き始めた頃…
「……もうすぐジパングの島までつきますから頑張ってください。」
「………は…はい…。」
 従業員にあらゆる酔い止めの手法を施されながらも相変わらず顔色の悪く、ベッドで横になっているオードを見て、ホレスは嘆息した。
「…地上じゃめっぽう強いのにな。」
 これがあの…小悪魔たちを大竜巻で一蹴した鬼神官と同一人物なのか…。
「…はっは。まぁ苦手な物は仕方が無いでしょう。」
「おっちゃん…大丈夫か?」
「いえいえ…大丈夫ですよ…うっぷ……。」
「駄目やん。」
 口元を押さえて…ゴミ箱に向かうその顔からは死相さえ感じた。
「オードさん…あの……」
 そんなオードに、黒髪の少女が恐る恐るといった様子で歩み寄った。
「さっきは逃げたりしてごめんなさい…。だから…これを…。」
 彼女の手にあったのは一個のグラスであった。その中には林檎ジュースが入っていた。
「…あ…ありがとうございます…」
 オードはそれを危ない手つきで受け取った。
「貴女のお心遣い…感謝しますぞ…勇者殿…!」
「え?」
 うやうやしく頭を下げ、ジュースに口をつける彼の言葉に、彼女は何処か引っ掛かる物を感じた。
「…あ…。」
 そしてすぐにその違和感の正体を悟った…。
―…もう勇者って言われても…否定できないんだ…。
 オルテガの娘ではなく…アリアハンの新たなる勇者レフィル、それが今の彼女の肩書きであるはずだった。だが、そんな彼女自身も、父オルテガの影響を払拭しきれていない…。
―でも…やっぱり父さんの事を見ているんだよね…みんな…。
 オルテガが勇者であれば、娘である自分もまた勇者…。
―けど…じいちゃんは…。
 祖父は実に勇敢な兵士であるとは聞いていたが、勇者…とは無縁の人間であり、母も家事がまともにこなせない事を除けば何処にでもいる家庭的な母である…。
「……レフィル。」
 ふと、思案にふけるレフィルに何を思ったのか、ホレスが話し掛けてきた。
「…ホレス?どうしたの?」
 視線が合って、気恥ずかしさの余り思わず肩を竦めながら、彼に言葉を返した。
「…少し顔が赤くないか?」
「……え?」
 ホレスの指摘に、今も少し体がだるくなっていると…改めて自覚した。
「…うぅん、大丈夫よ。…すぐに良くなるわ。」
 だが、彼の前で弱気に振舞う事は無いと思い、レフィルは首を振ってそう告げた。
「そうか…。」
 安心した様に一息ついた後、”だが無茶はするな。”と釘を刺してホレスは船室から出て行った。
―…ホレスも…私が勇者の娘だから付いてきてるだけなんだ…。でも、どうして…。
 彼が自分の身をここまで案じてくれるのは…一体何故なのだろう…。
「……。」
―醜い…。
 取りとめも無く次々と沸いてくる黒い感情…それにとらわれている自分自身に嫌気が差すのを感じて、レフィルは俯いた。

「ここが…ジパングか。」 
 日が沈む頃になって、ようやくジパングへと辿り付いた。
―…まぁたったこれだけでこれれば十分か。
 天候とは裏腹に風の向きがかなり良かった為か、一日すら掛からなかった様だ。
「……大丈夫か?」
 ホレスは後ろからよろよろとやって来るオードに目をやった。
「だ…大丈夫ですとも…。」
「…いや、どう見ても…グロッキーやろ。」
「…ですな。」
 彼はニージスの肩を借り、カリューに顔色を窺われながら、ゆっくりとこちらへと歩いて来た。
「…そういえば…ここは…宿屋は無いみたいですね…。」
 レフィルは辺りを見回したが、特に宿屋などの宿泊施設は無いようだ。
「ジパングの村がすぐそこにあるんだ…とは言っても、俺達は見張りとしてここで野営するしかないんだけどな。」
「…そうなんですか…。」
「てなわけで悪いがジパングへはお前さん達だけで行ってくれや。案内は多分必要ないからよ。」
 案内が必要ない…それだけ太鼓判を押されて言われれば恐らくは距離的にはかなり近く、道も然程複雑ではないのだろうが…
―…不安…だな。
 レフィルは漠然とそう思い、大きく溜息をついた。
「レフィル、そろそろ行くぞ。」
「あ、うん。ごめんね。」
 ホレスに呼ばれて、レフィルはすぐに彼の元へと向かった。
どんっ!!
「!?」
「きゃあっ!?」
 その時、二人の間で誰かが通り過ぎ、思い切りぶつかってレフィルは後ろへと尻餅をついた。
「…あいたた……。」
 彼女は地面にしたたかに打ちつけて、腰をさすりながらゆっくりと立ち上がった。
「大丈夫か!レフィ…」
「居たぞ!あそこだ!!」
「「!?」」
 レフィルに駆け寄ったホレスの声を遮る様に、人の声が聞こえて…その後を追ってきたのか人が次々と集まってきた。