第十六章 暁に目覚めし…
シャッ…シャッ……
「…ん……んん…。」
 雪が降り積もり、それを掻き分ける音が聞こえて、レフィルは目を覚ました。
「もう……朝…?」
 寒さに身を震わせ布団の中により深く潜り込んで…彼女は重い瞼を上げた…。
―………寒い。今日も冷えるな…。
 体にのしかかる倦怠感を振り切り、レフィルは無理やり体を起こした。
「けほ……」
 すると…軽いせきと共に、喉にささやかな痛みを生じた。
「……?」
―風邪…かな…?でも、このくらいなら…。
 僅かに違和感はあったが、この程度で休むわけにも行かない。レフィルはドアを開けて自分に割り振られた部屋から出て行った。

「…おはようございます、皆さん。」
 緩やかな寝巻きに身を包んだ、未だに寝癖が頭に付いている黒髪の少女が階段から下りてくるのを、その仲間達は居間で出迎えた。
「お、やっと起きたか〜。待ってたで。」
 外の雪の光景と明らかに場違いな…女性用の軽装鎧のみを身に付けた女戦士がレフィルへと顔を上げた。
「あ…すみません…カリューさん。」
「ええよええよ、わてが早く起き過ぎただけやしな。」
 女戦士…カリューはあやまるレフィルに苦笑しながら首を振った。
「…ふむ、やはり健康優良体ですな、君は。」
「せやなぁ、バカは風邪ひかんっちゅうし…って!何でや!!」
「おおぅ…!見事なノリ突っ込みですな…。」
 側にいる青年の言葉に、思いもしない事を知れず知れずの内に口に出してしまい、喚くカリュー……。
「まぁあながち外れて…」
ドゴッ!!
「とっと…!とにかく全員揃った様で。」
 振り下ろされたウォーハンマーを紙一重でかわしつつ、青年…ニージスは机に集った皆に向き直った。
「その様ですぞ!さぁ、早速出発…」
「…待て。まだ朝食すら取っていないんだ。そう焦る事は無いだろう。」
 皆が揃ったと言う所で、神官の男…オードが行動を急ごうとするのを銀髪の青年が諌めた。
「はっは、オードさんの様に急ぐのもまた一興かと。ですがまぁここはホレスの言うとおり、ひとまずは朝食にしましょう。」
「おっと!いかんいかん!そういえば私も取っておりませんでしたな!」
―…忘れてたのか…。
 うっかりしていたと言わんばかりに豪快に笑うオードに、ホレスは訝しげな視線を向けた。
「…ムチャクチャや…ははは…。」
「熱心さのあらわれですな。」
 その一方で他の皆はつられて笑っていたが…
「お…オードさん……。」
 レフィルもまた…複雑な心境でオードを見た。

 朝食を取り終え、一行はムオルの町の入り口まで至った。
「ホレス兄、お姉ちゃん。」
 見送りについてきた者達の内の一人、頑丈そうな兜を被った少年…ポポタが最後に二人に話し掛けてきた。
「ポポタ君…。」
「また会おうね!今度会う時はオルテガ様みたいな立派な勇者になれる様にボクも頑張るよ!」
「そうね…。君ならなれるわ…きっと。」
「うん!」
 元気良く頷いてみせたポポタに、レフィルは微笑した。その表情に微かな陰り…それを見抜いた者は果たして…。
「…ふ、せいぜい努力を惜しまない事だな。」
「何だよぉ…まだ言うのぉ?…まぁいいや、ホレス兄も探している物が見つかればいいね。」
「…ああ。納得がいく物が見つからない限りは落ち着くつもりもないがな。」
 ホレスは愛想の欠片も無い無表情のまま、ポポタの頭をポン…と軽く叩いた。
「ホレス。」
 後ろから白髪の男…グレイに声をかけられホレスは黙って振り向いた。
「今一度問おう。お前をそこまで突き動かしている物…それは一体何なのだ?」
「……知らないな。だが、これだけは言える。」
 グレイの問いに、ホレスは首を振って答えを出せない事を示した後…
「オレが成すべき事…少なくとも、レフィルの旅を助け、その最後を見届ける事だ。」
 そう付け足した。
「最後…か。結末と言うべきではないのか?」
「…別に。いずれにせよ最悪の結果で終わらせるつもりは無い。」
 その言葉を聞き、レフィルは思わず顔を上げてホレスを見た。
―ホレス…。
 彼女は何を思うのか…それも知らず、ホレスはただグレイの方を向いていた。
「おや、グレイ先生では。」
 そんな会話に、ニージスが割り込んできた。
「…ニージスか。また随分と小ずるくなった物だな。」
「はっは、的外れでは無いにしても、人は見かけで分からないものでは?」
 飄々とグレイの厳しい一言をかわしながらニージスは彼に尋ねた。
「……ふ、年の功と言うヤツかもしれんな。」
「ふむ…年…ですと。何れは私にも身につくものですな。」
「お前も…少なくとも”老獪”と言えるだろうがな。」
 老獪…ニージスもあらゆる人生経験を積み、その様な中で自らの知恵を絞り、より狡猾に生きる術を学んだのであろうか?
「せやで!おっちゃん!よぉ分かっとるやないか!!」
「…なぁに、こいつは元々そういう人間だ。あんたも良い様にあしらわれない様にな。」
「良い様に…って…。」
「せやせや!コイツ、いっつも都合の良いとこで逃げおったし!」
「いやいや…それを持ち出されたら流石に逃げますとも…。」
 カリューが掲げるウォーハンマーを見て、ニージスとレフィルは肩を竦めた。片や薄ら笑いを浮かべ…片や口元に手を当てて弱弱しくもう片手を前で振りながら…。
「……どうでも良いが、そろそろ行かないか?オレ達はともかく、オードは目的があるんだからな。」
「それもそうですな…。」
 入り口でうずうずしている様子が見て取れるオードに、ホレスは嘆息し、ニージスはそれが何処かおかしくみえて苦笑していた。
「ありがとうございました!」
 レフィルは深々と頭を下げてムオルの民達に礼を言い、その町を後にした。
―…ここから半日…だったよね。

「…ここが、旅人の宿。」
 果たして一行は…目的地、ジパングの対岸にあるという”旅人の宿”へと至った。
「船は…船は何処ですかな!?」
 オードはその年齢と外見…そして実力から考えられない程の無邪気な様子で辺りを見回していた。
「……ふむ、何故あれ程元気なのでしょうな?」
「オレに聞くな。…レミーラしかまともに使えんから分からん。」
 それはまさに…途中にあらわれた魔物をその圧倒的な力…バシルーラだのバギクロスだのをぶちかまして一瞬で蹴散らした後だとも思えない…。
「ハンのおっちゃんと好対照やね…。」
 カリューはそんな彼の様子を見て何となくそう呟いた。律儀な性格が同じで…ハンは体力に、オードは呪文に優れる…といった根拠のみだが。
「……むむぅ…!霧がたちこめていて何も見えませんぞ…!!」
 日中だというのに深い霧がたちこめていて視界が遮られていた。
「…ですな。良く見れば今日は運行していない様で。」

”今日は天候が思わしくないので出航は見合わせます。 旅人の宿 海竜亭”

「…一日足止めか。」
 ニージスが目を向けた看板に書いてあった文字を眺め、ホレスは落胆も嘆息もせず、興味無いと言った具合にそう呟いていた。
「…ふむ、このまま続けば我々からお金をふんだくれると。準備のよろしいことで。」
「うわ……、せこ…。オマエならやり兼ねんな。」
「…はっは、商人であれば儲ける手段を選ぶ暇は無いと心得ますがね。」
 宿屋を営む当人がどう思おうと環境の為に偶然客に必要とされる場合もある…。もっとも、この宿屋は渡し船の運営も兼ねているらしく、こうした不測の事態は何処かで想定済みなのであろうが。
「…とにかく、中に入ろうか。」

「旅人の宿、海竜亭へようこそいらっしゃいました。魔物が出没して危険になりつつある平原の旅路の中、お疲れ様でした。」
 五人が宿の中に入るとカウンターに居る若い娘が歓迎と労いの言葉をかけてきた。
「部屋は空いているか?」
 ホレスがその前に立ち、受付嬢にそう尋ねた。
「はい。他にお連れの方は?」
「いや、これだけだ。」
「分かりました。五名様ですね。」
 その後、ホレスと娘は必要なやり取りを繰り返して…
「それでは、出航できるまでの間お泊りになられるのですね。」
「ああ。…それだと…」
「はい、五名様で一泊100ゴールドになります。二日目以降は二割引させて頂いて80ゴールドとなります。よろしいですか?」
 その値段は決して安いものではなかったが、宿の中を見ている限りでは悪くないと自然に思えた。流石にアリアハンのナジミの塔に比べればとんでもない差額になるが。
「分かった。二泊の予定は無いからとりあえず今日の分だけで構わないか?」
「かしこまりました。」
 ホレスは100ゴールド分の金貨を娘に手渡した。
「五名様ご案内です!」
 娘が手を叩くと、奥の方から従業員らしき者達が現れて、こちらです、と言いつつ皆を案内し始めた。

 部屋に着いてからはとりあえず自由行動という事になった。
「…オードはんは船を見に行ってもうたで?」
「……左様で。」
 部屋に残った二人…カリューとニージスは部屋の中を物色しながら…
「…ジパング風の部屋ですな。」
「ん?オマエ、行った事あるん?」
「イヤイヤ、知人が持ってきたお土産にこの床の様な物があったな…と。」
「ふぅん…。さよか。」
 たわいも無い話をしていた。それなりに高い金を払った甲斐あってか、見るべきところは尽きないようだ。
「ほええ…暖かいのお…。」
「ここにも掘りゴタツがあるとは…。」
「ジパングにも掘りゴタツってあるモンなのか?」
「あるも何も…そもそも掘りゴタツはジパングから由来してきたものだったと。」
「へぇ……。」
「…何でも、ジパングでは暖炉の代わりに普及したものらしくて。」
「……むぅ、なるほど…。」
 ニージスが色々と話しているのに頷きながら、カリューは掘りゴタツの中に足を入れて暖を取った。
「……明日になったら出られるんやろ?」
「…さぁ?女心と秋の空とはよく言ったものですからな。」
「レフィルちゃんは…全然変わらんケド…わてなんかはしょっちゅうやしなぁ…。」
「おや?むしろ君の場合は…馬鹿は風邪ひかない…では?」
「…って何でそこで馬鹿が出てくる!?モヤシ!!」
 あからさまな失言に、カリューはいきり立ってニージスに掴みかかった。
「…はっは…自分で言った事をもうお忘れで?そして…馬鹿の一つおぼ…」
「じゃかましい!!」
ゴキンッ!!ベキベキベキ!!
 そんな音を最後に…部屋を静寂が支配した。

トントントン…
「…あら、あなたは…」
「…!」
 その頃、レフィルは包丁がまな板とぶつかる音につられて宿屋の厨房まで無意識に入っていた。それを見て、先程受け付けをしていた娘が呼び止めた。
「あ…いや……その…」
 それに鳩が豆鉄砲を受けたみたいにびくっと肩を竦め、レフィルは辺りを見回してうろたえた。
―い…いけない…いつの間に…。
「勝手に厨房に入ってこられちゃ困るよ、お嬢ちゃん。」
「…ご…ごめんなさい…。でも…つい…。」
 一緒にいた板前の男に注意されて身を縮めながら、レフィルは必死に言葉を搾り出そうとした。
「…さっきのお客さんの中のお姉さんよね。凄いなぁ…あたしも旅に出たいけど…外は魔物がウヨウヨだし、うちの手伝いもまだ必要だし。」
「そらそうだわな。」
 だが、入ってきた事に特別訝しげな態度を取る事無く、従業員達は話を弾ませていた。
「お姉さんって立派な剣と頭の輪っか付けてたよね。戦士さんなの?強い?」
 そんな中で、不意に少女がレフィルの姿を思い出してそう尋ねてきた。
「…そ…それほど…」
「…?」
「ほぉ、自分の強さに自惚れねぇか。それだけでもあんた、大した剣士の器かもしれねぇな。」
「そうなの?お父さん?」
「ああ。まぁお嬢ちゃんも色々あっただろう。今日はゆっくり休むといいよ。…と、それはそうと、何だってこんなトコに?」
 厨房に居た父娘は、暫くは女だてらに旅をしているレフィルに感心していたが、やはりここに至った理由が気になっているようだ。
「……こっちが台所かな…って思ってたら…」
「…?」
「あ…その…わたし…」
「台所…?ああ、お嬢ちゃんも女の子だもんな。」
 レフィルの言葉で大体の見当がついたらしく、板前の親父は…
「そうだな…別に大したモンはねぇけど、邪魔にならないように気が済むまで見てってくれや。」
 優しくそう言ってくれた。
「…へぇ、お姉さんも料理に興味あるんだ。ここではジパングの料理作ってるんだけど、お姉ちゃんはどれだけ知ってる?」
「ジパングの?」
 少女の質問の答えが思い浮かばず、レフィルは少々困った表情を浮かべた。
「…そっか、あんまし有名じゃないもんね。…例えば…」
「こらこら、手を休めない!」
「…うー、折角いいところだったのにぃ…。」
 話を弾ませていた所に水を差され、少女は父親を軽く睨み、頬を膨らませた。
「あ…ごめんなさい、わたし…やっぱりお邪魔になって…」
「気にすんな。おおそうだな…もし良かったらちょっくら手伝ってくんないか?」
「え?」
 板前の男が指差した先には、未だに切られていない食材が山とあった。
「……。」
「…!?」
 そのとき…彼女の目が見開かれ、闇色の瞳の内に微かに光が宿ったのを見て、娘はぎょっとして肩を竦ませた。

「…ふむ?何処かで食べた様な?」
「…あ…ああ。…確かに…。」
「……なんかまるで…」
 その後集まって食事を取った三人が、その料理に違和感を感じた…
「…な…なんという感動…!これぞ…黄金の味…!!」
 一方で、オードだけは料理に純粋に感動していた。