凶星 第十一話
『…あーあ、終わっちまったみたいですよ、バラモス様。』
 灼熱の炎に巻かれた二人を見て、バルログはつまらなそうな様子でそう言った。
「…ふん、ようやく終わったか。」
『まぁ最後の断末魔は良かったですかね。』
「……ヤツが来る前に引き上げるぞ。」
 バルログの些細な感想を軽く流し、バラモスは巨竜が巻き起こした炎へと歩みよって行った。
『…あ、でも目的の人間も…』
「…あれはそう簡単には死なぬ。選ばれし者ならばな。」
『選ばれし者って…人間如きがあんなになってしまったら…』
 人の身で、灼熱の炎に巻かれて無事で済む者など居ない。その事をよく知るバルログに、バラモスの言葉は理解出来なかった。
『…!』
 空を舞うバルログの目に、信じられない光景が飛び込んできた。
「馬鹿な…!?」
 それはバラモスも同じであった。
「……はぁー……はぁー……!!」
 深く…荒い呼吸音が…ヒドラのうめき声に混じって聞こえてきた。
「…何故死なぬ!?」
 バラモスは目を見開いた。メドラを守るように身を屈めていたカンダタが身じろぎしながら立ち上がるその姿に…。
「…死なねぇよ…!…相手が魔王だろうが神だろうが関係ねぇ…!!」
 カンダタはよろよろとバラモスへと向かって歩き出した。覆面のマント部分が主を守り、最早焼け縮れて使い物にならなくなっている。
「……俺様を何だと思ってやがる…!!こいつが…咎人だって言うなら…」
 目の焦点が合っていない…だが、その輝きは凄まじいまでの気迫を感じさせた…。
「俺は大盗賊…カンダタ様だぁっ!!!」
 それは叫びと共に更に増大し、カンダタはバラモスへ向かって駆けた。
「……回復呪文で耐え凌いだだと!?」
 全身を焼かれたにも関わらず、火傷を負っている部分は衣服の穴からは殆ど覗かせていなかったのを見てベホイミを使ったものだとすぐに判断できた。…それでも、何故…死に瀕して尚…何処にあのような力が残されているのか…
『…え!?あんな炎喰らっちゃ回復もクソもあったもんじゃ…』
「……えぇい!ヒドラよ!!今度こそそやつを焼き払え!!」
 目の前の光景が信じられない…だが、それよりも理不尽な怒りがバラモスの顔に浮かび、その口がヒドラへと破壊の命令を出した。
グギャアアアアッ!!
 すぐに八つ首の竜は再び起き上がり、カンダタへと牙を剥いた。再生能力があるのか、先程の傷は既に癒えて全快の状態で突進してきた。
「…がぁあああああっ!!」
 その巨大な異形に対しても全く立ち止まる様子を見せず、カンダタは斧を振り上げた。
シュゴオオオオオッ!!
 そんな彼に対し、ヒドラは再び灼熱の炎を浴びせてきた。
ズゥウウウン…!!!
シュバァアアアッ!!
『…げ!!』
 しかし、それは大地に振り下ろされた斧によって両断されて勢いを反らされた。
「…しゃらくせぇっ!!!!」
 カンダタは一気にヒドラの懐にもぐりこんだ。途中で幾つかの頭が噛み付いてきたが、そのダメージを全くものともせずに胴体に一撃を叩き込んだ。
ギャアアアアアアアアアアッ!!!!
「おらぁあああああっ!!!!」
 悲鳴を上げて硬直するヒドラへともう一撃を加えようと斧を再度振り下ろした。
グ…ギャアアアッ!!
ドンッ!
「…どぉおっ!!」
 …が、巨体を生かした体当たりでの反撃に思い切り吹き飛ばされた。カンダタは木に思い切り体を打ちつけた。
「らぁああっ!!!」
 だが、カンダタの攻撃は止まらなかった。力を溜め…一気にそれをヒドラに解き放つかの如く…遠くを斬るように振り上げた。それが巻き起こした真空の刃によって僅かに怯んだ隙に再びヒドラへ向けて突進した。
ズバァアアッ!!
 胴体を遮るように伸びた頭の一つがカンダタの斧によって両断された。
「邪魔だぁっ!!」
ドゴォッ!!
 地面に突き刺さった斧を抜く間に襲い掛かってきた二匹の竜を、カンダタは素手で殴りつけた。
……ッ!?
 予想もしない攻撃に驚いただけなのか、或いは本当に効いていたのか、ヒドラの頭は思わず弾かれた様に仰け反った。
「しゃああああっ!!!」
 その隙に力任せに斧を引き抜き、その負荷による勢いのままに遅れて群れてきたヒドラの頭達をまとめて薙ぎ払った。
「喰らえぇえええええっ!!!」
 カンダタは空高く飛び上がり、斧を旋回させて、首を失ったヒドラへと振り下ろした。
ズゥウウウウウウウウウンッ!!!!
ギャアアアアアアアアアアアアアアッ!!!
 残った頭が悲鳴を上げて、炎上した。おそらくは炎を吐く為の器官が今の一撃で破壊されたらしく、制御が効かなくなった様だ。瞬く間に骨も残らず燃え尽きて、ヒドラは塵と消えた。
「…オオオオオオオオオッ!!!!」
「…く…!!」
 バラモスは鬼気迫ると言うべきカンダタがまとう雰囲気に畏怖していた。
―……こやつ…!!
 ギリッ…と歯軋りしながらバラモスは手をカンダタへ向けてかざした。
『待ちな!!』
「…!」
 するとその時…上空から声が聞こえてきた。
―…しまった!!
 そこに佇んでいたのは褐色の肌を持つ悪魔と、それに抱えられてナイフを突きつけられているメドラの姿であった。
「ッ!!」
 カンダタは我に返った時には既に遅く、バルログの持つナイフがメドラの体を突き刺した。その度にメドラは悲痛な叫びを上げた。
「やめろぉおおおおっ…ムーッ!!!!」
 メドラを傷つける悪魔に向けて、カンダタは叫びながら斧を振り上げた。
「…ふん!!」
 だが、それが格好の隙となり、バラモスは地面を殴りつけて大地を崩壊させた。
「…ッ!!!!」
 メドラに気を取られていたカンダタにはその攻撃を避ける術は無く、壊れた大地の狭間へと落ちていった。
ゴガァアアアアアアアアアアアッ!!!!!!
「ぐぉああああああああっ!!!」
 カンダタは砕けた地面から噴き出す炎に飲み込まれ…やがて悲鳴ごとその中へと消えていった…。
「…ぁ……っ!!!!!!!!」
 朦朧とする意識の中で、メドラは大切な者…自分を守ってきた頼もしき男が炎の中へ消えていくのを見て誰にも聞こえない…しかし何よりも悲痛な響きの悲鳴を上げた。

『…ようやくくたばりやがったか。』
「……お前の悪知恵がここで役に立つとはな。」
 カンダタを大地の懐へと放り込み、葬り去った後、バラモスは肩を落として一息つきながらバルログを見やった。
『いやいや、機転と言うべきでしょう。』
 表現こそ酷であったものの、主君からのお褒めの言葉を受け照れ臭かったのか、バルログはその凶悪そうな顔つきをほころばせて頭をかいた。
―…まさかここまでやりおる人間がおったとはな。あのオルテガとやらと或いは…
「まぁいい……長居は無用だ。引き上げるぞ、バルログよ。」
『へいへい…』
 バルログは、気を失ったメドラを抱えてバラモスの前まで降下してきた。
ブチッ!!
『っ!?』
 刹那、突然何かがバルログへと飛び、いやな音を立てながらその翼をもいだ。
『いでっ!!』
 痛みを感じるよりも先に、バルログは地面へと頭からぶつかった。
『…な…!?』
 気付けばその腕の中にいたはずのメドラの姿が無い。
「…また悲しみを撒き散らそうというの?あなたは…。」
 突然現れた者…女の声が聞こえてきた。その腕の中には肩口を血で染めた赤い髪の少女が抱かれていた。
「思ったより遅かったではないか。」
 竜を模した甲冑と緑の王衣に身を包んだ黒髪の女性が佇んでいた。
「…昔ほどの力は無いようじゃな。あれば既にワシを潰しにかかっておっただろうに。」
「……。」
 彼女はメドラを抱えたまま、何も応えなかった。
「ふん……否定はせんな。…まぁいい、メドラを返してもらおうか。」
 目的であるメドラを奪われたというのに、特に焦った様子も無くバラモスは目の前に佇む王の戦装束に身を包む女性に堂々とそう言い放った。
「この子供が貴方の望み?……それで、どうするつもり?」
 それに対して彼女は首をかしげてバラモスに尋ねた。
「全てを破壊させる。その先にある新たなる世界とやらを見せてやろうと思うてな。」
「…全てを破壊?」
「……こやつ自身がかつて心に抱いていた事だ。”蛇竜の魔女”の名はそなたとて聞いておろう。」
「…そう、あの子が言っていたのは…この子の事だったのね。」
 ”蛇竜の魔女”の言葉と、その腕に抱えている少女の容姿を見て、女は納得した様に嘆息した。
「……あなたはこの子にまたあの悲劇を繰り返させる気なの?」
 少女に冠された咎人の名…それを裏付けるガルナの塔で起きたという凄惨な事件…。聞くだけで誰もがたじろぐその話の恐ろしさを語るような低い声で、彼女はバラモスにそう尋ねた。
「…まさか。」
 だが、バラモスは首を横に振った。
「”ガルナの”程度の事を悲劇と呼ぶか。破壊者のそなたがそう口にするのもおこがましいな。」
「……。」
「何度も言わせるな。こやつの望みは…即ち…全てを破壊し、殺戮させる事。その力を存分に震わせてやった後、滅んだ大地の上に新たなる世界を築くのだ。」
 メドラが及ぼした災い…それもバラモスにとっては所詮は序の口に過ぎないのか。女は暫しの間黙り込んだ。 
「…破壊者の全てが破壊を望むと思っているの?」
 そして、少女の顔を一瞥した後バラモスに向き直りそう訊いた。
「さぁな。少なくともワシとそなたはそうではないのか?かつて破壊の限りを尽くした巨獣…翡翠の魔竜よ。…否、今は竜の女王と呼ばれていたか。」
 それに対してバラモスは実に女の正体…竜の化身に言葉を返した。
「……私はか弱き者を糧に生きる事というその事すら自覚できなかった。でも…あの人に出会って…今までの自分を恥じたわ。」
 唇を噛み、俯きながら竜の女王は何処か虚しさを感じさせる抑揚で語り始めた。
「獲物であった獣の一群を跡形も無く滅ぼしてしまい飢えた事も、森を焼き払って寝床を失い、雨に打たれ続けた事も…全ては私自身の破壊がもたらした結果。全てを壊した先に待っているものなどありはしない。」
 獣であった時に繰り返してきた破壊…生きる為のみならぬ…あまりに無意味な暴挙…それらを思い出したのか、女王の顔に僅かに影が差したように見えた。
「…何を言っても無駄の様だな。メドラをワシの元に返すまでは逃がさぬぞ。」 
「私は逃げるつもりなんか無いわ。あなたを倒す為にここに来たのだから。」
 もはや言いたい事は尽きたのか、両者は最後の言葉を交わして向き合った。
「…面白い。冷徹な獣で無くなったそなたに、このワシが倒せるかな?」
 バラモスは女王に向けて手をかざした。
ボゴッ!!
「!」
 地面が突然蠢きだし、そこから何者かが現れて、その大きな顎で女王へと噛み付いた。
「…ドラゴンゾンビ……」
『…うへぇ……こりゃすげぇや…』
 それは頭が八つ付いている巨大な竜の骨であった。先程カンダタに倒されて虚空に消えたヒドラをゾンビとして復活させた様だ。
「…フン、これしきの事などたわいも無い。」
 空を飛んで成り行きを見ていたバルログが驚きのあまりに絶句しているのに対してか、バラモスは鼻を鳴らした。
「伝説の魔竜の骸を自在に操るのもまた一興。」
「…悪趣味な…。」
 一度死した存在をその力で蘇らせ、自身の意がままに操る…それは世から忌み嫌われる物であり、女王もまた例外ではなかった。
「ゆけ!」
 ヒドラの骨は八つの頭をもって女王に噛み付いてきた。
ガッ!!
「…ホゥ…それだけで受けたか。」
 ヒドラの攻撃を遮ったのは、女王の背中から生えた緑色のドラゴンの翼であった。
バシッ!!
 防がれて尚執拗に攻撃を続けるゾンビを、女王はその翼を以って叩き払った。次いで腰に差された剣を抜き放ち、敵へと斬りかかった。それはあたかも紙でも引き裂くように、ゾンビの骨を断ち切った。
「…ふん、ゾンビキラーか。」
 技量だけとも思えぬほどに鮮やかに斬った様子から…女王が執っている剣が死に纏わる者へと絶大な効果を発揮する聖剣、ゾンビキラーに類する物であると容易に見破った。
「だが、その程度の力でこのゾンビを止められるかな?」
 骨一つ断ち切られても、ヒドラのゾンビの巨大さの前には大したダメージにはならない。人間の姿をとっている竜の女王では、体格的な違いもあり、不利である事に変わりは無かった。
「……仕方ないわね。」
 女王はゾンビキラーから右手を離し、ヒドラへ向けてかざした。
「天に轟く雷を招く黒雲よ、此処に!」
 ゾンビの攻撃をかわしながら女王は空を仰ぐと、彼女の召致に応じるかのようにゴロゴロと鳴り響く雷雲が上空に現れた。
「ライデイン!!」
 次いで雷を呼ぶ破壊の呪文…ライデインを唱えた。
ビシィイイイイイッ!!!
「!」
 黒雲より舞い降りた雷は、他の木々には目もくれず、ヒドラの頭の内の一つの角に直撃した。
「…く…!あの呪文か…!」
 ゾンビは雷の呵責により一瞬で全身を白い灰と化して崩れ去った。
ズゴォオオオン!!!
「ッ!!」
 雷がまた一筋落ちてきて、今度はバラモスの体を打ち据えた。
「…ぐぉっ!!」
 反射的に本来の姿に戻り肥大した左腕がそれを遮ったが、電撃が全身にまわってバラモスは膝を屈した。
『…あぶねぇヤツだぜ……、まぁ戦っている今のうちに…』
 竜の女王とバラモスが戦っている隙をついて、バルログは肩から血を流して倒れているメドラへと手を伸ばした。
『あの人間の時の様に…』
「いくと思って?」
『…!!』
 遠く離れている所から女王は掌をバルログへ向けてかざした。
ドォオオオオンッ!!
『ぎにゃあああああっ!!?』
 雷が女王の意に従って牙を剥き、バルログは素っ頓狂な叫びを上げて後じさった。
「…敵だ!!」
『…げ!!』
 同時に目の前に数人の兵士が現れて武器を突きつけてきた。
『に…にに…逃げろ〜っ!!』
 翼を穿たれた今では戦った所で勝ち目は全く無い。バルログはそれらの敵からしっぽを巻いて逃げ出した。

「ひどい怪我だ…」
 深手を負っている赤い髪の少女を見て、兵士達は哀れみに顔を歪ませながら傷の応急処置を施してやった。
『わたしが本陣まで運び、手当てを施して頂きましょう。』
 そんな中、一頭の馬が名乗りを上げたのを見て、数人の兵士が目を剥いた。
「…そうか、すまないな。」
 小隊長は全く驚かない様子で馬に言葉をかけた。それを聞くと、一声嘶くと共にメドラを乗せて走り去っていった。
「な…なんすか…!?今のは…」
 馬が去った後、兵士達はしどろもどろとしながら隊長に尋ねた。
「ああ、言っていなかったな。お前達は人間社会から来たのであったな。」
 小隊長は苦笑しながら
「…この軍は竜の女王様を慕う者達の王国の下にある。当初その国は言葉を語る動物を神の使いとして崇めていたという歴史があった。」
「…神の…使いか。」
「彼はその馬の子孫の一人だよ。」
 話す動物、翼のある人…そう言ったものに対して特別な目を向けられる事はよくも悪くも数多い。神の使いとして尊ばれるか、悪魔や魔物として蔑まれるか。
「…そうだ!わたしの村、スー。その中、喋る馬いる。神の使い言う変なヤツ。」
 あまり驚かなかった兵士の一人が突然何かを思い出したのか、そんな事を言い出した。
「……おお、スーでも神の使いと?それは奇遇だな。この戦いを生き延びたら是非行きたいものだな。」
 小隊長はその話に興味を持ったのか、楽しそうに彼の話に聞き入った。
「そうそう、わしも元々人間ではない。そのために人間からは魔物と恐れられていたが、竜の女王様は何も言わずにわしらを引き取ってくれたのだよ。」
「…へ…へぇ…んな事が本当に…。」
 おそらくは聞きたくない真実を聞かされて、兵士達は引きつった顔をした。が、隊長は気にせずに話を続けていた。
「あの方自身も血塗られた過去を歩まれたらしい…が、今は我らを正しく統べる者として君臨している。魔王バラモスとは丁度対極を成す存在だろうな。」
 兵士達は、綺麗事に聞こえるような事を事も無げに語る…実は魔物であったという上司の言葉を聞いている内に、今まで抱いていた魔物に対する敵意や恐れというものが少し変わったような気がした。竜の女王…現在目の前で戦っている美しい女性…彼女もまた竜という魔物の種族なのだろうか…。
「…どうやら先程の女王様の呪文によって、敵が勘付いてここまで来たようだ。」
 大地を砕くが如く打ち下ろされた雷槌に呼び寄せられるが如く、多くの敵兵達が集まっているのが見えた。
「この迷いの森の中でよく統率が取れているな。」
「…凄い数だ……!んな数相手に出来ないぞ…!」
「落ち着け。どうやらこちらにも増援が来てくれたようだ。」
 一方で、小隊の遥か後ろから援軍が近づいてきた。
「いずれにせよ、ここで静観をしている場合では無さそうだ。行くぞ!!」
 友軍と合流すると共に、隊は一斉にバラモスと竜の女王が剣を交えている戦いの場へと駆けた。