凶星 第九話
「…あんた…何者だ…?」
 マリウスは剣を構えて…袖が破れた王衣に身を包む初老の男に向かって尋ねた。
「こやつを迎えに来た者じゃ。」
 王…バラモスは全く迷い無く、堂々とそう告げた。
「…冗談が過ぎるわよ、おじ様。その子は私達の…」
 メリッサは少しおどけた口調でバラモスへと反論したが、目は笑っていなかった。
「……知れた事。だが、一度全てを失ったこやつが…本当にそなたらの事を家族と認めておるかの。」
「「……。」」
 バラモスの言葉に、二人は口をつぐみ、僅かに眉をひそめた。
「ダーマの神殿で過酷なる道を強いられる中…こやつが見い出した事…。今は記憶と共に封印されておるが、こやつの邪魔な片割れがやがて死に絶え、同時にそれによって成されていた封が解ける。」
「「!!」」
「五年前に一度はこやつは全てを失った。そなたらとの記憶も、…そして、全てを滅ぼそうとした…その身の内に秘めた激情も…。」
 バラモスは暫し目を閉じて、言葉を止めた。その間に…辺りに漂う空気が重みを纏った様な感じがして、彼の言葉をより…深いものへと転じた。
「…そなたらには分かるか?その才故に、神殿の者達によって全ての道を断たれ…賢者としての道を強いられてきたこの者の心の内が。」
 そして、バラモスは、目の前で無言で佇む者たちにそう尋ねた。再び沈黙がしばらくの間、辺りを覆った。
「……あんたは何故ダーマでのメドラの目的とやらを知っているのか…そしてそれを成してやろうとしているのかは知らねぇ…。確かに俺達は何も分かっちゃいないのかもしれない。」
 マリウスはバイザーの奥の目を閉じながら…静かに…バラモスへと返答した…が。
「…だが、今のメドラは何て言ってた?…多分イヤとか言ってただろ?…冗談じゃねえ。」
 すぐに…首を振りながら、あからさまな彼に対する侮蔑の意を示した。
「そうよ。それは貴方の考えに過ぎないわ。…メドラを連れて行って良い理由にはならない。」
 メリッサも気持ちは同じらしく、二人は揃ってバラモスへと武器を構えた。
「…フッ、それはそなたらとて同じ事だろう。」
「…違ぇねえ。まぁどっちにしろこのまま素直にメドラを帰す気はねぇんだろ?」
「…どうあっても邪魔するのか。……ならば仕方が無いな。」
 バラモスは王剣の柄頭に左手を乗せ、右手を二人へとかざした。
「天地より失われし至高の存在よ、我が力に応え今一度その姿を現わすがいい!!」
「「!」」
 相手が何をしようとしているのかは分からないが、バラモスは…呪文を唱えるためか、手をかざしている以外には全くの無防備の状態であった。
「…ォオオッ!!!」
 それを逃すつもりなど毛頭ない。マリウスは剣を手にバラモスへ向かって駆け出し、一気に距離を詰めた。
「メラゾーマ!!」
「…くっ!!」
 無論バラモスも接近を許さず、巨大な火球を掌より繰り出した。
「我望むは力の変容…其は氷の楔となりて、大地を穿て!…マヒャド!!」
「…!」
 その時、後ろからのメリッサの呪文も唱え終わった。同時にマリウスへと迫る炎を冷気をその内と外に秘めた巨大な氷の塊が貫いた。互いに一瞬で融け合い、消え去るのもまた一瞬だった。
「っしゃああっ!!」
 呪文を撃った体勢で硬直しているバラモスへ、マリウスは一気に斬りかかった。
「かぁあっ!!!」
ギィンッ………!
 バラモスの気合一声と共に、マリウスの剣の切っ先が宙を舞った……。
 
ドゴォオオオオオオッ!!!
ズガァアアアアアアンッ!!!
 それは一瞬の出来事だった。突如として降り注いだ天雷に撃たれ、空を舞う者達はその断末魔の悲鳴すら掻き消される轟音と共に、塵一つ残さずに消え去った。
「急がなければ…」
 かざした掌を胸元でグッ…と握りながら、女王は遠くに燃え盛る、森の中の炎の中心を見てそう呟いた。
<…上空からでも迷いの森の魔性は効くようですね。>
「……そうね。…とりあえず右に、必ず抜け道はあるはずよ。」
 女王はスカイドラゴンに指示を出しつつ下を見下ろした。その瞳は着実に森の本質を見据え…道を探り当てている…そんな様にも見えた。
<今の呪文でもお疲れにならないとは…流石は…>
「言わないでって言ったでしょう?もう…。」
<…失礼しました。>
 何かを言いかけたスカイドラゴンの言葉を遮り、女王は嘆息した。
―…そう、私は……。
 穏やかながらも淀みが徐々にわき立つ…その様な目をして、彼女は何を思うのか…。
<…ところで、先程竜の姿を取っていた人間の娘とすれ違いました。>
「…竜の?」
 物思いに入ろうとした所で、龍が再び”声”をかけてきた。
<呪文で変身していた様です。存在そのものが不鮮明に見える事から…>
「もしや…」
 彼の言葉に僅かに思い当たる事でもあったのか、女王は口元に指を当てて首をかしげた。そして…
「…その子の居場所は分かる?」
―おそらくはそこに…バラモスも…
 スカイドラゴンが言葉に応えて空を舞う中で、女王は目を細めて…憂いの表情で龍の上で静かに佇んでいた。

ドサッ……
「マリウスっ!!」
 力無くその場に倒れたマリウスに、メリッサは駆け寄ろうとした…
「…ふんっ!!」
ドドドドドドドドッ!!!
「きゃ…!!」
 しかし、彼女はバラモスが手をかざした先の地面から噴き出した爆炎によって吹き飛ばされて地面に転がった。
「…う…!」
「そなたも素晴らしい呪文の才を持っておる様だな。…だが、戦の経験が足りぬ様ではワシを倒す事は愚か、行く手を阻むのも叶わぬな。」
 体を後ろの木にしたたかに打ち付けて、メリッサは痛みに喘いだ…。
「そなたとて修練をして来たであろう事は認めるが、ワシとて魔の王と呼ばれる存在、そもそもワシとそなたらでは勝負にならぬ。」
 そんな様子を…特に愉しんでいるわけでもなく、バラモスはただ眺めていた。
「…く…くそ……!」
 ふと…その時、彼の足元から先程一刀の元に仕留めたはずの赤い鎧の戦士が起き上がってきた。
「まだ息があるのか。…成る程、少しは見所がありそうではないか。」
「…この鎧の封印が解けてなきゃ…今頃真っ二つだったぜ俺…。」
 深手を負いながらも、いつの間にか身に付けてられていた鮮血のような赤い不気味な意匠の鎧のお陰でマリウスは辛うじて生きていた。更に顕現させた破壊の剣を杖にゆっくりと起き上がる…。
「…地獄の鎧か。ほぉ、人の身でそれをも身に付けているのか。」
「……ったく、呪いがこんな時に…役に立つとは思わなかったぜ…。つーか…何なんだよ…その剣は…!!」
 マリウスはバラモスが持っている王剣を見やりつつ咳き込みながらそう毒づいた。
「…良いだろう。最期に教えてやろう。この剣が本来冠する名とその由縁を…!」
「ふざけんな…まだ終わらねぇぞ…!」
 メリッサはよろめきながら、木から身を起こし…離れた場所で構えあう二人を見た。
「……一体どんな剣だというの…?」
 疑念に迷いを覚えながらも、メリッサは王が持つ輝きに満ちた剣へと意識を集中し…呪文を唱え始めた。
「…インパス」
ギィイインッ!!!
 彼女が呪文を発動したと同時に、二振りの剣が交差した。バラモスの剣から…言葉が頭の中に流れ込んでくる……

 …数多の存在を貫き、遮る…そして…魔が持ちうる永劫の命さえ断ち切る、神々により創られし、失われし武器…。手にする者は大魔を退け、英雄となり、そして…

「…っ!」
 言葉はそこで途切れた。
「だめっ!!マリウス!!」
 …が、その言葉だけでバラモスが持つ剣とその存在の大きさを感じ取ったのか、メリッサはすぐにマリウスへと警戒を促した…
「そこだぁあっ!!」
 が、既に遅く、彼はバラモスに破壊の剣を手に躍りかかった。
「ぬぅっ!!」
 深手を負った者とは思えぬ程の力で、バラモスを圧倒した…
「…はあっ!!」 
 が、それが逆にバラモスを本気にさせた。
「見るがいい!!」
ゴトンッ!!
「…げ!」
 破壊の剣が半ばからスッパリと斬られて、切り口から先が回転しながら近くの木へと飛んでいき、それをも真っ二つに斬り裂いた。やむなくマリウスが相手の返す刃を危うく避けて後ろに下がったその時…
「イオナズン!」
ドガァアアアアンッ!!!
「…………!!」
 同時に武器のリーチが失われた今では決定的な隙をさらす事となり、バラモスの爆発の呪文に巻き込まれた。
「そうであったな…教えてやろう。この剣は失われし伝説の中の最高の武器…”王者の剣”じゃ。」
 バラモスは、爆風によって力無く空高く巻き上げられるマリウスを見上げつつ尚高みから見下ろしている様な堂々たる態度で剣を掲げながら厳かな声でそう告げた。
「…でも、その剣は偽物…あなたの魔力によって作られた偽物に過ぎない…。」
 ある程度遠くで戦いの一部始終を見守っていたメリッサがそう言葉を続けた。既に逃げ場は無く、また…メドラとマリウスを置いて逃げる気も無かった。
「左様。……冥土の土産が斯様な偽物というのは残念でならぬだろうが。…せめて楽に送ってやろう。」
 バラモスは先程まで剣であった輝く青い物体を握り締めた。それは手の内に吸い込まれる様にして消えた。
―……逃げられない。…でも…
 マリウスが倒されてしまった今、もはやメリッサに打つ手は無かった。
―メドラ………。
 一歩一歩と近づいてくるバラモスの足音が耳に入ってくる…。
「かぁあああっ!!!」
 バラモスが叫ぶと共に地面を殴りつけた。
…ドドドドドドドドドドッ!!!!
 地面が崩れ、その隙間から溶岩が噴き出し…徐々にこちらへと迫ってきた。
「……まだ死にたくないのよねぇ…。」
 ふぅ…と一息つくと、メリッサは目を閉じた…。
「案ずるな、すぐに終わらせてやろう。」
 バラモスは彼女のそんな言葉に僅かに笑みを浮かべながらそう告げた。
「勘違いしないで。」
 …が、メリッサはすぐにピシャリとそう返した。
「?」
「…マヒャド!!」
 そして呪文を唱えると、迫り来る溶岩流を遮るように巨大な氷の楔が地面に突き刺さった。
「…まだ諦めぬのか。人間とは愚かなものよの。」
「……家族も居ない貴方に、何がわかるというの?」
「ほぉ…。」
 氷の楔が溶岩流を凍て付かせ、凍りついた溶岩が堤防のようになり後から来る流れを左右へと反らした。

「敵の隊長を仕留めました!!」
 ”デスストーカー”の団長、ドレークの下に彼の手下の者が報告に上がった。
「おっしゃあ!!今だぜ大将!」
「よぉし!!一気に畳み掛けろ!!」
 それを受けるなり彼は傍らにいた指揮官を促した。隊長が居なくなり総崩れとなった敵軍に、指揮官の号令と共に多くの兵達が一斉に突撃をかけた。
「我々も行くぞ!」
「おーしっ!!今こそ出番だぜ!!」
 ドレーク達もまた、突撃に加わった。上の者が先頭に立って戦う事で士気を高める目的である。
「安心して戦いな!!邪魔者は全部俺がぶっ飛ばしてやっからよ!!」
「ああ!雑魚には構うな!!目指すはバラモスの首一つ!!皆気を引き締めてかかれ!!」
 それから程なくして、彼らは差し向けてられた親衛隊を打ち破り、何者かと交戦している敵の王へと殺到した。
 
ワァアアアアアアアアッ!!!
「…きおったか。」
 無数の敵の声と足音を聞き…バラモスは、ふん…と鼻を鳴らしながらそちらへと向き直った。
「……これだけ纏まって来た所でワシの魔力の餌食にだけだというに。…ぬぅううん!」
 彼は掌を兵士達に向けてかざして力を込めた。
シュゴオオオオオオッ!!
「…っ!!」
 数人がその中に巻き込まれて悲鳴を上げる暇も無く燃え尽きた。
「……!」
「炎を使ってくるぞ!皆、散開しろ!!」
 指揮官の指示に応えて、兵士達は攻撃があって尚も勢いを殺さずにバラモスへと向かった。
「…ハァッ!!!」
 再びバラモスは地面を殴りつけた。辺りに揺れが生じ、あちこちからマグマが噴き出した。
「うわああああっ!!」
 それらの溶岩は灼熱の雨となってに降り注ぎ、木々を焼き尽くした。
「えぇい!!怯むな!!」
 自らも落ち着かない様子で周辺を見回しながら、兵士達に罵声にも聞こえるような檄を飛ばした。
「落ち着け大将。ありゃあ…狙って撃たれているわけじゃねえ。」
 その様な誰もが逃げ出したくなる様な状況の中で、ドレークは落ち着いた様子で指揮官をなだめた。
「だが…!このままでは!」
「……ここは俺らがやる。何しろ相手は魔王だ。…人海戦術を使っても炎で一網打尽にされちまう。それにだ、このままじゃ勝っても負けても…あんたが言うように逃げ場が無くなっちまう。俺らはともかく、あんたらが逃げられず焼け死んじまえば意味ねぇだろう。」
「……。」
 降りかかる炎の欠片を振り払いながら、そう言い終わると、ドレークは”デスストーカー”達に向けて…
「行くぞ!野郎ども!!まずはあのすかしたヒゲ面に一発ぶち込んでやれ!!」
 大声でそう指示を出した。バラバラに散っていた彼らがあちこちからオーッ!!と返すと同時に、炎に包まれていく森の中を赤い影が行く筋も通り過ぎた。
「…無事に帰って来いよ!ドレーク!!」
 指揮官の言葉に親指を立てて応えながら、ドレークは背中に担いだ大剣を抜いた。

「……はぁ……はぁ…。」
 バラモスが闖入者を迎え撃っている間、メリッサは地面に倒れていた。大きな傷こそ負ってはいなかったが、魔力を使い果たし…体力を大きく削っていた。
―…ここももうすぐ…でも…
 そうして思案に耽っていると、辺りに燃え盛る炎の轟音の中でかすかに力強い足音が地面を伝って来るのが感じられた。
「…姐ちゃん!!」 
 そして、その足音の主…激戦の中で所々が傷ついた赤い覆面と青タイツを身に纏った大男が自分の前へと座り込んで顔を覗き込んできた。
「あ…あなたは……。」
 自分の身が軽々と助け上げられると同時に、安堵の気持ちが蘇り、彼女は自然と涙がこぼれそうになった…。
「無事だったか!!…怪我は無ぇか!?」
「…ふふ…、やっぱり優しいのね…。」
「そうだ!他の奴らは!?…ムーは!?マリウスのヤローは!?」
 カンダタがそう尋ねられて、メリッサはすぐに一つの方向を指差した。
「マリウス!…しっかりしろ!!」
 すぐに彼は、そこに深手を負って倒れている赤い鎧に身を包んだ戦士に駆け寄った。
「……まだ息はあるみてぇだが…。ベホイミ!」
 抉れた鎧の下から見える傷が塞がるのを確認すると、カンダタは立ち上がった。
「……ぐ…オッサン…!メリッサちゃん…!」
 回復呪文によってマリウスが意識を取り戻し、起き上がった。
「無理すんな、お前だって満身創意だったんだ。…今はこの場を離れてろ。」
「……。」
 その言葉に何も返せず、マリウスは黙って俯いた。
―…ああもアッサリやられちまうなんてな…。
 相手が魔王と呼ばれる存在としても…自分は結局何も出来なかった。力の差を思い知っていたからこそ…。
「…じゃあ、ちょっくら行ってくるぜ。」
 大斧を手に、カンダタは炎に包まれる森の奥に向かって歩き出した。
「オッサン…。」
「あ?…どうした?」
 そのとき、マリウスの言葉が彼の足を止めた。
「…メドラの事…頼んだぜ…。」
 何処か気恥ずかしいのか、マリウスは実に言い難いと感じさせる様な口調でカンダタへとそう告げた。
「…ああ。あんなヤツにムーは絶対渡さねぇ。…それに……」
 カンダタは振り返り、真剣な抑揚で…彼にそう返し…
「許せねぇ…!…絶対に叩きのめしてやる…!!」
 激しい怒りに目を光らせ…身を震わせた。
「だが…まずムーを助け出す事が最初だな。…あいつは無事なんだな?」
 二人に向き直ると、そろって頷いた。
「…じゃあ行ってくるぜ。死ぬなよ、二人とも。」
 それが長い別れとなる事は…その時は誰も知る由も無かった…。