凶星 第二話
「やぁメドラ。」
 迷いの森を抜けて世界樹の傍の里に着いたムーを知る者達が二、三人程歩み寄ってきた。…が、ムーは振り返りさえもせず、そのまま前へと歩き続けた。
「相変わらず可愛げがねぇなあ…。ダーマで何してたんだろうな…。」
「ダーマに行っていた友達から聞いた話じゃ凄く成績が良かったんですって。色々な意味で問題も起こしていたそうだけど。」
「……?」
―…成績?…問題?…私が?
 ムーは二人の話に興味を示し、彼らの方に振り返った。
―マヒャドやベギラゴン……この前まで使えなかったのに……。これも…私…あなたがやっている事なの?
 カンダタに拾われた時から既にある程度の呪文は使えるようになっていたが、その後も自身の知らない所で次々と強力な呪文に目覚め始めて今に至っている…。もちろん今の状態に至る前にも、その二つの呪文を扱おうと何度も試みたが、一度も成功しなかった。
「…メドラ。」
 考え込んでいる内におのずとかつての自分…最も近しい存在にして最も遠い存在である者の名を呟いていた…。
「おぉい?どうした?……だめだこりゃ。また考え事してる。」
「いつもの事でしょ?成長してもまるで変わらないわね。」
「成長してんのか?…あんまり変わらない気がするの俺だけか?」
 ムーは同年代の数少ないかつての友人達の話を耳だけを傾けて聞きながら、自身は回想と思案の中に身を委ねていた。そんな彼女が何を思うか知らず、若者達は笑いながら談話に興じていた。
「…まぁあの母ちゃん相手にあれだけ戦えるようになれば十分成長してんだろうな…。俺だったら10秒ももたないしな…。」
「流石に血は争えないわね。メリッサ姉さんも、体は弱いって言っていたけど…まるで賢者みたいに呪文使えるもんね。」
「……思えばあの姉妹…その誰もかもがとんでもないヤツらばっかって事だな。」
「でもニーダさんはごくごく普通の人でしょ?…戦士として名高いおじさまと、メルシーおばさまの子とはとても思えないわね。」
 子が親に似ないというのはよくある話だが…ここまで似ない例も実は結構珍しいのかもしれない…。
「だってあの人ってば、あんな強いお二人の子供だって思えない程線が細いじゃない。ケンカだって弱いっていってたし。」
 ムーやメリッサの兄、ニーダは料理を愛する男として里の者に知られていた。戦いを嫌う素振りこそ見せないものの、腕に覚えが無いらしく、幼い日から父に料理だけ教わりそれを研鑚してきたらしい。
「…まぁあの母ちゃんと姉妹そろって料理下手じゃ、ああもなるだろうけどな。」
「……ホント。一体どうやったらあんな不味くなるのかしら…。」
 どうやら二人の話を聞いている限りでは、ムーの色々な個性という物は記憶を失う前から培われてきた物の存在が大きく影響している様だ。
「おまけに方向音痴だしよ。…ってあれ?…メドラ?今日は姐さんと一緒じゃないのか?」
「私は方向音痴じゃない。」
「……変わるもんだなぁ…。」
「………ホントね。」
 一方で、本人がまるで知らない中で克服された部分もあるらしく、かつての友人達は苦笑いした。

「よぉ、ムー。やっぱりここにいたのか。」
 周りの木と比べてあまりに巨大な木の下で佇むムーを見つけた赤い覆面マントの男がその傍へと腰掛けてあぐらをかいた。
「……でっけぇ木だよなぁ。バケモンかってんだ。」
 世界中を探して回っていても、これだけの大きさの木を見かける事は叶わないだろう。
「……世界樹というのも信じられる。」
 樹海の中心にある為に遠くからではあまりその存在を認識できないが、間近に立ってみると他の木が一際小さく見えるほど大きく…
「ああ…こんだけでかけりゃ…天地も支えられるんじゃねえかって思えるくらいだぜ…。」
 語られる伝説に違う事の無い圧倒的な存在感に、自分がどれだけ小さい物であるのかを知らしめられる気がした。
「……つーかよく倒れねえな…こんだけでかけりゃ…」
「我人の裡を捨て……」
「…ってオイッ!?」
 一体何を思ったのか…突然呪文の詠唱を始めたムーに驚き、カンダタは思わずのけ反った。
「…ドラゴラム」

「な…何だぁっ!?」
 何で竜化の呪文を唱えたのか…その意図が全く察せず、カンダタは不覚にもうろたえた様子でムーに注目させられていた。

「グ…グ……グググ…!!」
 呻き声を上げるムーの体から迸る魔力が辺りの木々から生える葉を揺らした。
 
ブチブチブチッ!!!
グォオオオオオオンッ!!!!

 バラバラに散った無数の緑色の服の切れ端が舞い、金色の竜がその姿を現した。
「……。」
『……。』
 金色のドラゴンと赤い覆面の男は暫しの間見つめ合っていた…。
「オイ…お前……い…」
 ”一体何がしたいんだ”と問う前に、ムーは背後にあるその大木に寄りかかった。
ズンッ!
 しかし…ドラゴンの全体重が乗っても、世界樹の名を冠する大木にはその幹を揺らす気配が感じられなかった。
『……やっぱり大きい。』
「…あ?……もしかしてお前……」
 その行動と言動から、カンダタは彼女が考えている事が何となく分かったような気がした。
バサッ!バサッ!
 ムーは大きな金色の翼をはためかせて、空へと飛び立った。彼女の姿を見た鳥達は驚いて遠くへと飛び去ってしまった。金色の竜は世界樹の周りをぐるぐると旋回して、やがてその天辺に滞空した。
―…あそこに着地するつもりか?
 果たしてムーはその大きな足を世界樹上部の枝に下ろした。
「『………。』」
 その枝は多少揺れはしたものの、ドラゴンの巨大な体を十分に支えていた。
「……すげぇ…。」
 家の材料としても使われているだけに、木という物の柔軟性から来る頑丈さは知ってはいたが、それでも目の前の光景に感嘆せずにはいられない…。
ドスンッ!!
 だがムーはすぐにそこから飛び降り、カンダタの目の前へと着地した。
「…ん?どうした?」
 彼が首をかしげると、ムーは彼に背中を向けつつ体を屈めた。
「…あ?…乗れって事か?」
 彼女はその言葉に頷き、背中にカンダタを乗せた。
『掴まってて。』

「お、いい眺めじゃねぇか。」
 見渡す限りの樹海の先に広がる山脈…その先にある細長い川…集落らしい切り開かれた森の一角…世界樹の上に立つカンダタの目にありとあらゆる物が飛び込んできた。
『空を飛べたら毎日見れるのに。』
「ああ、そうかもな。…ルーラの呪文じゃあ出来ねえのか?俺は使えねぇから分からねえけど。」
『やっぱり難しい。…それにこの辺りでルーラは使えない。』
「…まぁいいけどよ。…しかしこうしてこんなでっかい木の上に立ってるだけで…お前に乗って空飛んでる時とは随分違う景色が見られるモンだぜ。」
 カンダタは、眼前に広がる滑空している時の流れる様な光景と山頂の様に高い所に立ち…そこから見下ろす景色の違いを改めて感じた。
『……。』
「随分頑丈なモンだよなぁ…。俺らが乗ってもビクともしねえでやんの。」
 人間としては類稀な巨体を持つカンダタと、年若いものの…ドラゴンと言う種族そのものの巨体を持つムー。この一人と一匹が天辺に乗っていても世界樹は全く揺るぐ様子は無かった。
『まるで私達を支えている大地そのものみたい。』 
「…はは。そうかもな。」
 天と地に連なる巨大な柱…伝説の世界樹とはそうした位置付けにある事が多かったが、何をしても全く不動の堂々と立つ姿はまさしく…。
『………。』
「…ん?どうした?」
 ふと、竜の頭に何度も軽く押されて、何だと思いカンダタは彼女に振り向いた。
『…お腹すいた。』
「ああ、腹減ったのか。…一度戻るか?」
 ムーが喉を鳴らして空腹を訴えるのを見てそう持ちかけると…
『ヤダ。』
 彼女は即座にそう返した。
「は?」
 ムーの返答にきょとんとして、一瞬動きを止めたその時…
ガチンッ!!
「…ってうおおおおっ!!?」
 突然ムーがその大きな顎をもって噛み付いてきた。
「ゴ…ゴラァッ!!?危ねぇだろうが!!」
 思いもよらぬ奇襲にカンダタが毒づくと…
『…美味しそうな匂いがする。』
 ムーは彼の目をじっと見つめながらそう返した。
「…まさか……」
 その言葉にハッとして、身に付けている物を見た。なるほど…確かに荷物袋の中からかぐわしい匂いがしている…無造作にそれを取り出すと…
「……。」
『……お弁当…!!』
「…待てコラァッ!!?まさか俺様の弁当を喰う気か!!?」
 返事は舌なめずりだった。もはや本能が招く空腹を止める事は出来ない様だった。
「させるかぁっ!!」
 彼女の思うところを察したカンダタは、素早く離れた。
『お弁当…頂戴。』
「だぁああっ!?せめて変身解けぇっ!!!」
 いかに巨漢のカンダタの弁当と言えども、ドラゴンの巨体にとってはスズメの涙の様な量に過ぎない…。

「こんな所かしら。どうだった?」
「面白かったよ!ねー。」
「ねー。」
「ふふ、ありがと。」
 メリッサは里にある切り株の一つに座り、そこに集まる老若男女様々な世界樹の守人の里の住人に旅の話をしていた。子供達が笑いながら口々に歓喜の声を上げるのを聞き、彼女の顔から暖かな笑みが零れた。
「メドラ姉さんも元気そうで何よりッスね。」
「そうよねぇ。あの子はいつも元気だけどそこのところがお母様に似ちゃったのかしら。」
「でも…メリッサ姉さまも大変な目にあったのね…。」
 人攫いや海賊に捕らえられたり、街づくりに貢献するなどの彼女の体験談に皆が聞き入っていた。
「…ドラゴラムなんて……どんだけスゲぇ呪文使ってんだよあいつ…。」
「あら、あの子がその呪文覚えたの随分最初の方よ?想像つかないかも知れないけど。」
「……うへぇ、そりゃたまげた…。」
 記憶を失う前から既にドラゴラムの呪文自体を使いこなしていたムーの過去の一つを聞き、数人が驚きを通り越して呆れた様な表情を浮かべた。
「メドラお姉ちゃんってドラゴンに変身できるんだよね?」
「そうよ。」
「わーい!ドラゴン!ドラゴン!!」
「ふふふ…。」
 事情を知らない子供達がきゃあきゃあと嬉しそうに喚く姿を見て……
―あの子もこのぐらいはしゃいでいるのかしらね。
 …ドラゴンに変身している時はいつもよりも活発で目の前の子供達の様に無邪気に見えるだけに、そう思わされるのかとメリッサは何となく感じていた。
「じゃあね、お姉ちゃん。」
「またいっぱいお話してね〜。」
 
「…どうしたメリッサちゃん。暗い顔して。」
 誰もいなくなった切り株の並ぶ集会所に残ったマリウスは…メリッサの表情からどこか暗い物を感じて尋ねた。
「…あなただけは誤魔化せないみたいねぇ…ふふ。」
「まぁここにいる連中と比べるとともかく、随分長い付き合いだしよ。」
 知り合ってから色々な意味で付き合ってきた…と思うと
「ここにあなたがいてくれて良かったわ。」
「何だよ、改まって。…まぁ何となく想像つくけどな…」
「……そうみたいね。」
「…何かメリッサちゃんにもこういう素直な一面があったんだな。」
「あら?知らなかった?」
 マリウスの言葉に互いに笑いあった中でも、メリッサに纏わりつく不穏な空気は未だに残っていた。
「…それで、どうなんだ?」
「…これを見て。」
 ようやくここで本題へと話を戻したマリウスに頷き、メリッサは鞄から何かを取り出した。
「………これは…」
 兜のバイザー越しに目に飛び込んできた光景に、マリウスは暫し見入っていた…。

「…見つけたか?」
「……いや、確かにこの辺りに一時的に強大な魔力を感じたのだが…??」
「…あのお方が探している……女ってのは一体何処にいるんだ…?」
 深い森の中を見回す二人の兵士…身軽ながら、物々しい出で立ちの彼らが探している者達が合流し、互いの情報を交換していた。
「極力この村の連中に見つからねぇ様に…」
「…と言う訳にもいかねぇっしょ。……その女ってのは村の住人なんだろ?」
 かなり長い事探し続けているらしく、二人の顔には見えざる道に対する不快感が現れていた。
「……そうさな。おいお前、消え去り草持ってないか?」
「…それがあれば少しは楽なんだがなぁ…。」
「まぁ無いモンをウダウダいってもしょうがない…。いこうぜ。」
 …息を殺しながら二人は森の間を再び歩き始めた…

どんっ

「「?!」」
 …しかし、程なくして何かにぶつかった。
「「「「なっ!!?」」」」 
 突然の闖入者に混乱を隠せないまま、兵士二人は各々の武器を構えた。