第十五章 凶星
「…それで、ダンナは俺たちにどうしろと?」 
 路地裏で経営されている酒場…お世辞にも趣向が良いとは言えない店内で、荒くれ者達と白いローブに身を隠した大男が向き合っていた。
『…そうだな。単純に言えばお前達がやるべき事は一つ、思う存分暴れる事…それだけだ。』
「はぁっ!?それだけですかい!?」
「…と言うより何処で暴れれば宜しいので?」
 あまりにも端的に終わった大男に、荒くれ者達は口々に尋ねた。
『……行く先は当日私がバシルーラの呪文で送る先だ。』
「バシルーラ!?…お…ちょっと待ってくださいよ!!それじゃあ何処に飛んでいくかまるでわかりゃしないじゃないッスか!!」
『案ずるな。私を信じろ。…そうだな、それでは代金は先払いという事でどうだろう?…もし私が失敗でもしようものならば迷惑料としてお前たちにくれてやろう。』
 今度は唐突に何を言い出すのかと皆が思っている中で、大男が指を鳴らすと…数人の従者らしき女達が入ってきて皆に金貨の入った袋を恭しく捧げた。
『受け取れ。これで文句は無いだろう。』
「……へぇ…」
 それなりの大金を見て、男達は思わず顔を綻ばせた。。
『…ただし、間違っても逃げよう等とは思わぬ事だ。世界の何処に逃げようと、逃がしはせんからな。』
「「「……。」」」
―…へっ、先払いと聞いて逃げねえバカが何処にいるってんだ。
 だが…数人の者達は金貨を受け取るなり考えを翻して内心で心躍っていた。

「…お…おい、良いのかよ…!」
「…ハッ…、要はあいつに見つからなきゃいい話だろ?それにまともに相手にしなきゃどうにか逃げ切れるだろうしな。」
 その後程無くして、四人の男達が夜のアッサラームの街から駆け出していった。
「とりあえずあいつの目に付かない所まで逃げようぜ。…逃がさんとか言ってるから…どっかの大都市が良いか。」
 人通りが多い場所では捕り物騒ぎ等起こせば向こうも只で済まないと思ったゆえの判断だった。
「しかしまぁ…あいつもバカだよな。…先払いなんて俺らの様なヤツにする事じゃねえし。」
「全くだ。…つーか普通にありえねえって。」
 先払い…働き手を信頼しているならともかく、詐欺や窃盗の常習犯であるアッサラームの影の住人に対して行うことではない。まさに折角の大金を無駄にばら撒いているかの様な愚行とも言える。
「…まぁどうせアレも脅し文句みたいなもんだろ。そうでも言わねえと皆逃げちまうもんな。」
「…違ぇねえ。」
「このまま一気にロマリアまで走るぞ!!」
 大男に見つかる前に大都会に逃げ込んで人の中に紛れ込む。彼らの思う所は…そう言ったものであった。
「……?」
 しかし、途中で誰からともなく辺りに漂う違和感に気付き…思わず立ち止まった。
「な…なんだ……??」
 草木がざわめき…それをもたらす何かがこちらへと迫っていた…。
「…な…何だあいつは…!!」
「おい…あれって…この辺りにいたっけ…?」
「さあ…?と言うよりまずいんじゃ…?俺ら…」
 目の前に静かに忍び寄る脅威を前に…四人は立ち尽くしていた。

『…気が付いたか?』
「……っ!?」
 先ほどまでの光景がまるで夢の中であったように、男はアッサラームの見覚えのある部屋に横たわっていた。聞きたくなかった声にびくっと肩を竦ませながら、彼は困惑に陥っていた。。
『…言っただろう。逃がしはしないと。』
「…!!…あ…あいつらは……」
 辺りを見回すが、目の前に立つ雇い主だった大男以外には誰も見当たらない。
『死んだ。…魔物に喰われてな。……遅かった…。』
「…そんな……。」
 どうやら自分を助けたのはこの大男であったらしいが、他の三人までは間に合わなかった様である。
『…案ずるな。何もお前を罰するつもりで連れて帰った訳ではない。…これを受け取るが良い。』
 大男は大きめの袋を取り出して男に手渡した。
「……三人分の報酬…けど…俺は…」
『只でさえ人手が足りないのだ。それにお前はもう逃げようとは思うまい。お前が死んだ仲間の分まで働くが良い。…そうだな。これもやろう。』
 大男は生き残りの男にを差し出した。髑髏の様なレリーフが施された不気味な意匠の一振りの剣だった。
「…これは……。」
 その剣を…彼は反射的に受け取った。そして…暫くそれから目を向けたまま動かなくなった。


「…急げ。俺たちには時間が無い…!」
「あの方が自ら動かれたのだ!!我らがそのお役に立たずしてどうする!!」
 森をかける兵士達は、互いを励ましながらその勢いを増していた。
「……だが、一体何が起こると言うのだ…??」
「…知らねぇよ。俺に聞くな。……だが、戦争の匂いがしやがるのは確かだな。」
「それは私も薄々感じている…。」
「…しかしあんたら何者なんだ?只の兵隊じゃねえだろ?」
「……。」
 血のこびり付いた様な、暗い赤色の布で顔の大半を覆い隠した筋骨隆々の大男は兵士達の異常なまでの士気に違和感を感じて、配属先の指揮官…兵士長に尋ねたが、話す気分では無いのか…返事は返ってこなかった。
「まぁ雇われてる分際でとやかく言うのもなんだが…あんた、ぜってえサマンオサの兵士じゃねえだろ?」
「……それを知って何とする?」
「…まぁいいけどよ。俺みたいな流れ者に頼らざるを得ない程切羽詰ってるって事ならマジでヤバイって事だろ?」
「ああ…。」
「どっしり構えときな大将。仕事である以上、俺が責任もって後ろ守ってやっからよ。」
 傭兵は兵士長の肩をバンバン叩いてニカッと笑った。
「…心強い。」
「野郎ども!!気を引き締めな!!俺達傭兵団の腕の見せ所だ!!」
 彼が手を上げると、同じような出で立ちをした傭兵団の仲間が一斉に歓声とも取れる気合の篭った鬨の声を上げた。

「陛下!旅の扉の最後の調整が整いました!」
「うむ。」
 薄暗い中に灯る小さな炎に照らされるだけの玉座の間に兵士が報告に駆けつけた。
「さて、ではワシも行かねばな…。」
 …最後の報告を受け、王は玉座からその体を持ち上げた。
「……ふははは、秘められし力を有する者よせいぜいワシを楽しませてくれる事を願うぞ。そうでなくては興というものが無い。ここに来てようやく見出した我が最後の目的への道を開く鍵…それを得たと実感できる物を見せてみるが良い。」
 そして、傍らに控えていた従者に王杖を手渡し、代わりに巨大な剣を受け取り…堂々たる風格漂う仕草で真っ直ぐと謁見の間を出て行った。


ガチャッ……
「……。」
 森を背にした岬に立つ石造りの祠に作られた家の木製の扉から、手入れのなされていないボサボサの赤い長髪の少女が出て来て空を見上げた。
―…雲が出てる……でも…
 東へと風が吹き…西に広がるまだ明けかけの空…。
―……じきに晴れる。
 早朝の冷たい風が赤い髪を揺らし、白い肌を舐めまわしたが、それよりも冷たく固まったような無表情でムーはその場で佇んでいた。瞳の内にそれとは相反する穏やかな光を湛えながら…
「………。」
 暫くそうした後、彼女は持っていた鞄から何かを取り出し、空へと掲げた。

”レフィルとホレス宛 差出人ムー”

 それはかなり汚い字でそう書かれた一つの封筒だった。読めない事は無くとも相当な癖字であった。
「行って。」
 ムーが小さくそう呟くと、封筒はひとりでにゆっくりと浮かび始めた。そして、ある程度までの高さまで浮かんだとき、突然南の方へと飛んで行った。

「あら、どうしたの?メドラ。」
「!」
 突然後ろから話しかけられて、ムーは表情を変えなかったものの僅かに肩を竦ませた。
「…今日もいい天気になりそうね。今はまだまだだけど。」
「………。」
 メリッサが現れると、ムーはそれっきり固まって動かなくなった。
―ふふ。可愛いものね。
 その瞳から彼女の内の僅かな動揺を察せる者は少ないが…。
「今日も行く?案内するわ。」
「道、大体分かったから一人でも大丈夫。」
「あらそぉ?残念ねぇ、ふふ。」
 ムーが立ち上がって一人で迷いの森の中に入っていくのを、メリッサは優しく見守っていた。
「でも…なーんか面白くないわねぇ。」
 そして、悪戯っぽい笑みを浮かべていた。