英雄を継ぐ者 第八話
『…コ…コレハ……!』
 トロルの目の前に現れたのは氷を模した刀身を持つ刃を手にした少女の形をした鋼鉄の塊だった。
『…アストロン…トヤラカ!!』
 トロルは一度目に打ち返された体勢からそのまま棍棒を振り下ろした。
ガンッ!!
『…ム!!砕ケヌカ…!!……ナニッ!?』
 二度打ち下ろし、それでも尚鋼鉄の少女が微動だにしない事を認めたその時、手にした剣から氷の矢がほとばしった。
『ガァアアアアアアアッ!!?』
 食い込んだ氷の突起が内側からトロルの身を凍らせて、生命力を奪った。
『…グゥ…!!』
 刺さった氷を強引に引き抜き、トロルは鋼鉄の塊と化していた少女へと身構えた。
ギィンッ!!
「おっと、相手がレフィルさんだけと思ったら大間違いだ。」
『…!新手カ…!』
 詩人の出で立ちの男が剣を振り下ろしたのに反応して棍棒でそれを受けた。
「せや、ただで帰れると思わんこったな!」
「…意外と強いトロルだな…。」
「…そのようで…。」
「不埒な邪教徒に制裁を!!」
 気づけばトロルの周りを六人が囲んでいた。
―トロルの先生、これ以上は無理だろ?
『……ワカッテイル。引キ上ゲダ。』
 トロルは棍棒の柄を地面に立てて、自分もしゃがみ込んだ。
「逃がすかい!!」
 すぐさまカリューが空高く飛んで戦鎚をトロルへと叩き込んだ。
どぷんっ!!
「おぉおわっ!!?」
 しかしトロルの体は泥状になっており、ウォーハンマーはそれを砕くどころか素通りしていった。そして…
「あぎぇえええええっ!!?お…落ちるぅううううっ!?」
 トロルが居た場所に代わりに出来た泥のたまり場に彼女は投げ出された。
がんっ!!
「…あいで!」
 このまま泥に飛び込んでしまうかと思いきや、結果は違うものだった。
「こ…氷…。あ…それは…」
 泥のたまり場に突き刺さっている剣を見て、ようやく状況を理解した。
「さ…サンキュな…レフィルちゃん。」
 カリューが泥に落ちそうになったところでレフィルが吹雪の剣を投げて瞬時に泥を凍らせたのだ。
「トロルは…逃げたようだな。」
 魔物にも逃げ方は数多くあるのだろう。

「…大丈夫か?ポポタ。」
 ホレスは地面に伏しているポポタの体を改めながら尋ねた。
「…う…うん。やっぱりこれのお陰だよ…。」
 ポポタは自分の頭を覆っている兜を指差してそう返した。
「よほど頑丈なんだな…。」
 他のポポタの防具は、トロルに打ち付けられた衝撃でゆがんでしまい、使い物にならなくなっていた。
「…でも、さっきは…ゴメン。」
「…気にするな。まだお前も”勇者”とやらを始めたばかりなんだ。それに、オレがとやかく言う事でもない。」
 防具が犠牲になったおかげか、ポポタ自身に大した怪我は無かった。
「…そうだな。お前は何がしたいと思う?やはり勇者を目指すか?」
「……うん、どうしようかな……。」
 事前であれば、迷わず目指すと答えていた事だろう。だが…
「…ボク…この世界の事を凄く甘く見ていた。だってあんな強い魔物がいるなんて…それにお姉ちゃんは立ち向かっているんでしょ、ホレス兄?」
「……確かにな。だが…」
 
「あの子も初めからトロルに立ち向かえるだけの勇気と実力を持っていたわけではない。…レフィルが勇者としての資質を持っているとすれば、それは旅の中で磨き上げられた所が大きいと思うな。お前もまだ外の世界を見ていないのだからこれからどうなるかはわからないぞ。」
「…うん。」
「オレとてまだ旅立ってからたった四年足らずだ。…それでも色々とムオルに閉じこもっていては学ぶ事も出来ないような事を経験してきたんだ。」
 旅によってもたらされる変化に富む日々は人を成長させる…ホレスが言いたい事はおおよそそういう事であった。
「…じゃあボクも旅立てればきっと…?」
「……ああ。その時が来るように修練を欠かさない事だな。」
「え〜…やっぱり〜?…でも、ボク頑張るよ。…ちょっとやそっと力が強くたって、まだまだなんだよね…。」
「…いや、お前の呪文は確かに十分強いんだ。…だがな、それに頼りすぎて剣の方がおろそかに…」
「……。」
 和解はしたものの、やはり結局意見の食い違いというものは残ってしまうらしい。
「…でもさぁ、大丈夫かなあ…お姉ちゃん。」
「レフィルの事か?」
 互いに暫し沈黙した後、話題の変換がなされた。ホレスはポポタの口からレフィルの名が出てくるとは思わず、話に興味を示した。
「だって…見ていて何か苦しそうだもん。表には出さないけれど。」
 今でもレフィルは物静かで穏やかながら、人を寄せ付けない暗い雰囲気を持っている。…色々と難しく考え込んでしまったり、時には進んで一人になりたがったりする事を初めとした彼女自身が持つ深い心の闇を…ポポタも何となくといった程度であるが見抜いていた様だ。
「…ああ。女の勇者というところでかなりの葛藤を感じているのはまず間違い無い。…だが…」
 ホレスはバハラタでの一件…レフィルが自分の無力さを必要以上に呪っていた時の事を話した。
「……そうなんだ…。大変だよね…オルテガさまの娘って事もあるし…。」
「…そんな肩書き…あの子にはただ邪魔なものとも思えるがな…。もっと楽に生きられれば…。」
 いつまた思い詰めて泣き出してしまうか分からない…。その様に危惧してホレスは遠い目をした。
「…あ、でもホレス兄も似たような生き方してるんじゃないかな?」
「…ふむ、それは別段追い詰められている訳ではなく、単に興味を示したからの話だと思うが…。…それとも宝探し一つに囚われすぎていると言いたいのか?…それならば否定しないが。」
「……うーん、なんだろう…それで…いいのかなぁ…。」
「…ふ、まぁ頭の片隅にでも置いておくか。」
 これもまた思わぬ指摘だった。レフィルと似たような生き方…果たしてどの辺りに共通点を見い出したのか…。
 
「…ふむ、ジパングへはダーマへの戻り道の途中にある旅人の宿からが近い…らしいですな。」
「…そのようだな。」
 それから数日が経った時も、一行はまだムオルに滞在していた。
「小船でいけるっちゅう話やないか。…行きの時は遠回りになる思って行かんかったけど。」
 まとめた情報によると、ジパングの対岸にあたる位置に一つの小さな宿屋があり、それが同時に船によるジパングへの航路を行き来できる船着場でもあるらしい。
「いよいよジパングですかな…!?おお…血が騒ぐ…!!」
「……。」
―…オードさん…凄く熱心なのは分かるんだけど…。
 レフィルもオードの異常なまでの信仰心を初めとする狂信者まがいの物を感じていた。バギ系…風を操る呪文は一般に僧侶を職とする者が得意とする系列であり、それを極めているとすると、必ずしも信仰心と呪文の才能の覚醒とは一致しない物の、オードがあれだけ強力な呪文が使える事はその背景の存在を認めざるを得ない…。
「…まぁ近いうちに出発しようとは思っているが…」
「…はっは、いずれにせよ長居は無用…ですかな。」
 自分たちはジパングへ行く明確な目的…それはオーブの事を除いて無いに等しかったのだが、神官であるオードには布教という目的があるので、彼の意思を無視する訳には行かない。
「明日にでも出るか?」
 ホレスの言葉に異議を唱える者はいなかった。
「じゃあ早速買い出しだ。必要な物を確認してそれぞれで買い揃える様に。」
 
「あ、お姉ちゃん。」
 買い出しの途中、レフィルは道具屋の中でポポタとばったり出くわした。
「…ポポタ君?どうしたの?」
 果たしてそこにいたのは頑丈そうな兜を身に付けた少年であった。
「ボクも旅に出るために頑張って修行しようと思って、その為の道具を買っているんだ。」
「そうなんだ…。」
 熱意溢れるポポタに返す言葉も無く、レフィルはただ漠然とそう返した。
「…お姉ちゃんって、何で旅しているの?やっぱり勇者だから?」
「………うん。わたしは父さんの…オルテガの娘だったから…。」
 英雄オルテガの娘…たったそれだけの肩書きで勇者に仕立て上げようとする者達…アリアハン国王はもとより、老若男女を問わず多くの国民達…身近に感じられるはずの学友達…そして愛する母までもが…。
「……でもね、今はわたしが行かなきゃみんな…」
 今やアリアハンの希望とされていて最早後戻りは出来ない…。ただ一言断った程度でその道から逃れる事も出来ない。
「…そうなんだ。大変なんだね、国の勇者…とまでなると。」
「……。」
 
「あ、そうだ。」
 ポポタは思い立ったように顔を上げると、両手を兜へと当てて持ち上げた。
「これ、持ってったらどうかな?」
「ええ?」
「これから暫く修行しなきゃならないから、ボクには当分必要ないよ。だったらオルテガさまの娘であるお姉ちゃんが使うべきなんじゃないかな?」
「で…でも…!」
 思い出の品をそう簡単に手放させてしまって良いのか…レフィルは心の内面が騒ぐのを感じながらそう返すのが精一杯だった。
「まぁ被るだけ被ってみてよ。」
 そう言いつつ、ポポタはオルテガの物であった兜をレフィルへと手渡した。
「う…うん…。」
 レフィルは頭に載せていたマテルアから貰ったサークレットを外して近くの机に置いた。そして、角のついた無骨な兜を被った……。
ぐらっ!!
「わ………っ!!?」
―お…重た……!!と言うより前が見えない……!!
「お姉ちゃん?」
 大きめのサイズの兜にすっかり頭の半分以上を覆い隠されてレフィルはふらふらとよろめいて…
ばったーんっ!!
「…きゃああっ!?」
 最後に度派手に床へとすっ転んだ。
「だ…大丈夫!?」
「いたたたた……だめ…この兜…わたしには…」
「…うーんそうなんだ…。しょうがないなぁ…。」
 ポポタは残念そうに床に転がった兜を拾い上げてレフィルへと手を差し伸べた。
「あ…ありがとう…。」
 彼女は目の前の少年の手に引き上げられてゆっくりと起き上がった。
―…父さんの兜なのに……でも、やっぱり男物だからしょうがないかな…。
 レフィルは名残惜しそうにポポタの頭上に舞い戻った立派な角がついた兜を見た。
「…あんまり気を落とさないでね。」
 いつもの様に無表情で佇んでいるレフィルに映る僅かな黒い不穏な雰囲気を感じ取り、ポポタは恐る恐ると言った具合に声をかけた。
「……ありがとう。」
―勇者…それって一体誰が始めたんだろう…。わたしはただの称号とばかり思っていた…。でも…もしもそんなものじゃなくて…わたし達の手の届かない存在の誰かが決めていた事なら…
 このとき…レフィルは”勇者”という物にまつわる真に過酷な試練が待ち受けている事を知る由も無かった。
(第十四章 英雄を継ぐ者 完)