英雄を継ぐ者 第六話
「……来たか。」
 町外れに立って数分もしない内に、ホレスは耳を澄ませて気配を察知した。
たんっ!
「…早かったな。」
「まあね。」
 空から身軽になったポポタがホレスの目の前へと舞い降りて来た。
「……そうか。まぁいい。」
 
「おう、ホレス。得物はこんな感じで良いかい?」
「…ああ、すまないな。」
 脇から現れた中年の男が刃を丸めた剣等の練習用の武器を幾つか持ってきた。その内の何本かを手に取り、身に帯びた。
「……呪文は…使っちゃ駄目だよね?」
「別に構わない。戦い方を縛る理由が無い。」
 稽古という物はある程度の取り決めの上で行うのが普通である。それは互いの身の安全を保障するのはもとより、能力の向上の助けになる事も多い。が、ホレスは別段そのような物を決めたりはせずにポポタへと軽く身構えた。
「…そうだね。じゃあ昔の様にやろうか。」
「……ああ。」
 ポポタが身の丈ほどもある大剣を振り上げたのに対してホレスは鉄製の警棒を構えた。
 
 その後程なくして…
「…あ、二人ともここに居たんだ。」
 レフィルが武器屋裏を訪れると、息を切らしてぜーはーと荒い息遣いを立てながら倒れているポポタと、いつもと変わらぬ涼しい顔で佇むホレスの姿があった。
「…くっそー…。どうして当たらないんだよぉ…」
「何故だと思う?まだ分からないのか?お前、一体誰に剣を習っていたんだ?」
 悔しげにポポタは攻撃を何度も外して大剣の重さの反動を受けて、尚も懲りる事無くホレスへとその身に余る得物を振るった。
―……。
 レフィルは二人が戦っている様子に何か思ったのか、僅かに表情を曇らせて俯いた。
「あったれぇっ!!!」
「…甘い。」
ごんっ!
「あだっ!!?」
 ポポタの剣が空を切ると共にホレスの振るう警棒が彼の身にまとう防具の隙間を的確に捉えた。
「〜〜〜〜っ!!」
 当たり所が悪かったのか、ポポタは悶絶しながら地面をのたうち回った。
「……独学でしかやってこなかったオレに一太刀も入れられないのか?」
「…ぐぐ…あつつ…!」
 しびれる腕を押さえながらポポタは恨めしそうな顔をして立ち上がった。
「……そもそもそんなに着込んでいたら、余りに重過ぎるだろうが。」
 一度警棒を収めて、ホレスはポポタへと歩み寄りながらそう言った。一つ一つの動きこそ早いものの、動作と動作の間が余計な装備が持つ重量のせいで余計に長引いてしまっていた。
「だって…オルテガさまも…」
「おいお前…、やはり見よう見まねだけでやっていたのか…??」
 歯切れの悪いポポタの言い訳じみた様子を見て、ホレスは嘆息した。
「……やれやれ、熱意だけはあったようだが…それだけではやはりこうなるか。」
「こうなるってどういう意味だよ!?」
「…お前みたいにへっぴり腰の剣だな。よくこれでこの周辺の魔物相手に生き残ってきたな。」
 重装備に加えて鍛錬を怠ってきた事が、結果として装備に振り回される原因となった…ホレスが言いたい事の一つはそのようなものであった。
「だってアイツら弱いし。ボクのベギラマやライデインで一発で消し飛んじゃうんだもの。」
「……成る程な。だが、剣で仕留めた事は無いようだな?」
「違うよ!ボクだって大アリクイやポイズントードくらい倒した事あるよ!!」
「……随分と小物をか。単体でその程度の相手であれば無視しても問題は無いとは思うが、今のままの筋だと斬る剣ではなく、ただの力任せだ。打たれ強い魔物に通用しないぞ。」
「だったら呪文で…」
「呪文が効きづらいキラーアーマー等に当たったらどうする?」
「う…!その時は…」
 言うべき所が尽きないのか、ホレスとポポタの言い合いはその後30分程続いた。そして、ポポタはホレスの冷酷なまでの指摘に業を煮やしてその場から立ち去ってしまった。
 
「……ケンカはダメだよ…」
「そう見えてしまうか。…確かに言い過ぎたかもしれないな。」
 ポポタが去った後、レフィルとホレスは稽古の為の道具を用意してくれた武器屋のオヤジの家へと招かれた。
「うん…、あの子やっぱり怒ってたもの…。後でなだめてあげた方がいいかな…」
「…昔から癇癪持ちではあったがな。」
 レフィルとしても、ホレスが好き好んでポポタに辛辣な言葉を吐いている訳ではなく、単にやや厳しい観点からの助言をしている事は分かっていたので『謝った方が良い』とは敢えて言わなかった。ホレスもそのぎこちない言葉の意を理解し、淀みなく言葉を返した。
「まぁいつもの事だよ、姉ちゃん。で、あんたがポカパマズの嬢ちゃんだっけか?」
「…はい。」
「ああ、あいつの本当の名前はオルテガか?外では有名な勇者だって、世界中を旅してたうちの居候の兄ちゃんが言ってたけどよ。」
「おや、オルテガ様の名前が出ている様ですがどうしましたか?店主さん。」
 噂をすれば丁度とばかりに、階段から物音がして、一人の青年が部屋へと入ってきた。
「おう、兄ちゃん。聞いて驚くなよ?そこにいるのがポカパマズの娘って話だ。」
「え?オルテガ様の?それはそれは。」
 丁寧な口調と同じく端正な顔つきの青年は店主から簡単に事情を聞き、興味深そうにレフィルを暫し見つめた後、名乗った。
「初めまして。私は吟遊詩人として旅をしてきましたフウと申します。ホレスも久しぶりだね。」
「……あんた、誰だ?」
 しかし、ホレスは何も思う所が無いらしく、青年フウに尋ねた。
「ああ、憶えてないか。無理もない、君もまだ幼かった頃だからな。」
「そうか、会ってすぐ旅をした…」
「そうそう。やっぱり覚えて…」
「いや、ただの推測だったのだが…」
「………。」
 ホレスはもっともらしく言葉を返したが、結局はただの当てずっぽうの推論でしかない事を話しているだけだった。彼のそんな様子に、フウはにこやかな表情を変えずに暫くそのまま固まっていた。
「…お前さんが旅している間に随分捻くれたヤツに育ったモンだよ。」
―捻くれているのは否定しないが…
「グレイの先生に言葉を教えてもらってから口の悪さで有名だったよ。」
「ああ、あの人帰ってきたんでしたね。ダーマの次の賢者さんに任せて。」
 レフィルは立て続けに語られる言葉に今の話題を見失い、ホレスに尋ねた。
「ねえホレス、グレイ先生って?」
「…ああ。オレに読み書きを教えてくれた人さ。元はダーマの賢者だけあって、呪文の知識にも詳しかった。」
「そうだったんだ…」
 ホレスは彼女の質問に簡潔に答えた。彼が使いもしない魔道書を持ち歩いている由縁は師が賢者であった事が大きい様だとレフィルはその言葉からそう思った。
「何歳から…?」
 彼女の口からさりげなく気になっていた言葉が出た。
「…そうだな、八歳からか…?」
「そうなんだ…。」
―凄いな…たった十年足らずで……。
「そうそう。こいつは本当に凄いヤツだよ。何せ…」
 レフィルの意思に共感するように店主は頷き…
 
「グレイの先生に習いはじめるまでは言葉も話せなかったもんな。」

 そして、レフィルの想像を越える言葉を紡いだ。
「……えっ!?」
 レフィルは突然に耳に入ってきた物の内容に驚き、大きく目を見開いてホレスを見た。
「…ああ。そのせいか知らないが、あまり過去の記憶がない。」
「……は…八歳まで何も……?」
 レフィルはそれを悲しいと思うよりも寧ろそれを上回る驚きで呆気に取られていた。
―…一体何があったの……?
 今の彼が有する数多の考古学や魔法などの知識どころか、簡単な読み書きでさえも年がある程度過ぎてから始めたのだ。それを可能にするのは弛まぬ努力…そして…
「…やっぱり頭良いんだ…。」
 …恵まれた才能だった。
「そう思うか…頭の良し悪しなどあまり関係の無いものだと思うのだがな。」
 謙遜のつもりも無い、真っ直ぐな自分の意見を述べるような抑揚でホレスは返答した。
「そうそう出来る事じゃないよ…。」
「……確かにそうかもしれないが、これも運が良かった事が大きいか。」
「え?」
 まさか運が関わってくるなんて言い出すとは予想もしていなかった。
「賢者に師事できた事からしてそうだと思った…それも有能でないにしろ、人を教えるのが上手い男にな。」
「有能でないって……」
 あっさりと侮辱とも取れる言葉を紡ぐホレスに困惑しつつも、レフィルは彼の声に耳を傾けた。
「…それにな、歳が過ぎるほど物覚えが悪くなってくると言われているだろ?だったらオレが既に八歳だった事を考えると今こうして話している事も在り得なかったかもしれない。」
「…で…でも、それってホレスが頑張ったからじゃ…?」
「頑張れた事…っといっても初めの二、三年は苦労した。その未熟な間に挫けずに頑張れたのはそれこそ…奇跡と言えると思うが。」
「………うん。」
 運が良い…どうやらその言葉は自分が置かれていた環境に対しての言葉である…と言う事と理解し、レフィルは頷いた。
「…かつてオルテガ様がこの町を訪れた時、それは酷い怪我をなさっておりました。」
 ポポタから聞いた事も含めて、フウはオルテガとの思い出を語り始めた。
「傷の癒えるまで子供達と楽しそうに遊んだりしてました。特にポポタにはどこか感じる物があったらしく大層可愛がっていましたよ。故郷においてきた娘と一緒にいるみたいだってね。」
 こんな物を作っていた事もありましたね、と言いつつフウは竹で出来た筒状の物を近くにある棚から持ってきた。レフィルの故郷でもよく見かける簡単なつくりの水鉄砲だった。
「………。」
 レフィルはそれを見て暫く目を奪われていた。
「…ホレスはその時は昏睡状態にまで追い込まれていたけれど、実はオルテガ様は君の事も気にかけていたみたいだよ。」「…オレの事を?」
「ああ、試せる限りの方法を先生と一緒になって色々探していたね。」
「そうだったのか。…思わぬ縁だな。……?どうしたレフィル?」
 死を間近に感じた過去での英雄との思わぬ接点に感じ入るのも束の間、水鉄砲を見て固まっているレフィルを怪訝に思い、ホレスは彼女に声をかけた。
「…レフィル??」
 しかし…返事が返ってこない…。

―そらそらーっ!!
―当てろ当てろーっ!!おっ!レフィルだ!!
―当てちゃえーっ!!
―きゃあっ!!?
 
「レフィル!」
「!」
 悪夢のような回想からレフィルを引き戻したのはホレスの強い口調での呼びかけだった。
「…だ…大丈夫か…?」
 今までにもレフィルは自分の世界に入り込んでしまい、外からの声が聞こえる事があったが、それに慣れる事など出来るはずもない…。
「あ……え…ええ…平気…。」
「…汗かいてるな……。」 
 先程よりも明らかに顔色が悪い…。
―…みんな狙ってくるんだもの…
 勇者とは思えない程極度に気の弱いレフィルに一つのトラウマがあった事など誰も知る由も無かった。
「……とりあえず、一度休ませた方が…」
 ホレスはレフィルに肩を貸して部屋を出ようとした。
「大変だ!!」
 その矢先に、一人の男が武器屋裏へと駆け込んできた。
「ベビーサタンどもが子供達を…!!」
「「「!!」」」
「…落ち着け。…ポポタは?」
 息を切らしながら知らせに走ってきた男にホレスは取り乱した様子も無く尋ねた。
「いや、アイツは見てない!何をやっているんだあいつは!!」
「……そうか。」
「子供達がさらわれてるとなると俺たちもうかつに手を出せない…だが、このまま指をくわえてみてる訳にもいかないんだよ…!!」
 ベビーサタン程度の魔物を倒すこと自体は冒険の初心者でもわけないのだが、問題は…
「…なるほどな。さて…どうしたものか。」
「助けなきゃ…!」
「……ああ。だが、今出て行ってもあいつらを盾にされるだけだ。見つからない様に慎重にな。」
「それじゃ僕も付いて行くよ。子供達が心配だからね。」
 外に飛び出そうとする二人を吟遊詩人の青年フウが呼び止めた。
「あんたが?」
 伊達に世界を旅してきたと言う訳ではないのだろう、すらりとした長身を覆う詩人の服の隙間から覗かせる細いながらも筋肉の付いた腕が厳しい旅路をくぐってきた事を物語っているような気がした。
「……なるほど、これは心強い…。」
 経験もホレスやレフィル…或いはカリュー達よりも上手らしい。
「じゃあ行こうか。…そうだな、ホレスは一人で先に行っていてくれ。レフィルさんには僕が付いているよ。」
「ああ。」
 元々ホレスは身に纏っている黒装束を利用して隠れながら先に進んで様子を見るつもりだった。
「わたしも後から行くから…無茶はしないで。」
「……所詮はベビーサタンだ。油断もしないが気負いも無いさ。」
 ホレスは男に問題の場所を尋ねると、すぐに扉から外へと駆け出して行った。
「他のお仲間は?」
「…きっと宿屋にいたと思います。だから、その騒ぎにもきっと…」
「そうですか。…おそらく町の皆もそこにいるはず。しばらくは彼らにまぎれて様子を見ていましょう。」
 フウは武器屋の壁に立て掛けてあった長剣とマントを手に取ると今度は店主に向き直った。
「…店主さんはここに。火事場泥棒の様な輩に注意を。」
「任せろ!ガキどもを頼んだぜフウ!!ポカパマズもな!!」
「だ…だからポカパマズじゃ……」
 豪快に笑う店主にレフィルは何かを言おうとしたが、内に渦巻く複雑な情がそれを言葉にさせなかった…。