生命の樹海 第十話
「…ほぉ、今は”ムー”と言う事じゃな。」
 夕方になり、カンダタ達は再び祠…モーゲンの家へと集まった。
「…そうみたいだね、父さん。カンダタ君の言うとおり…何も分かっていないみたいだからね。」
 線の細い長身の青年が、好対照の容姿を持つモーゲンの話に頷いた。
「……やっぱりそうか。」
 原因はわからないが、どうやらメドラとムーは人格が共有されていないらしい。そもそも記憶喪失の人間がこうした二重人格になるのかどうかも定かではないが…。
「…まぁどうせ暫くここにいる事にはなるんだ。その間にじっくり考えればいい事なんじゃないか?」
 料理をつまみながらマリウスはカンダタにそう言った。
「……ああ。時間が限られてるワケでもねぇしな。」
「そうね…。ふふ、せっかくだからマリウスも親分さんもここでゆっくりしていきなさいな。」
「そうだよカンダタ君。君は僕らの妹の恩人だ。君の家だと思って寛いでくれ。」
 青年は今は覆面を外して存分に飲み食いしている茶髪の男にそう言った。
「ありがとな、ニーダさん。…まぁ子分共の事なら当分は大丈夫だろ。お言葉に甘えさせてもらうぜ。」
 青年ニーダにニカッとした笑みを返しながら、カンダタはジョッキを掲げた。

 一方その向かい側では…
「…来たはいいけど退屈しそう。」
 ムーは大きな木製のコップに注がれた液体をぐぃっと飲み干しながらそう呟いた。
「うーん…今のあなたは…初めて来たのと同じ状態だからそう思うかもしれないわねぇ…。」
 コップの隣に置かれた黒ずんだ瓶を見て苦笑しながら、メリッサもまた自分の分が注がれたグラスに口をつけた。
「せっかくだからこの辺りを散歩でもしたらどうかしら?あなたが道に迷わないように私もついてあげるから。」
「……悪くない。」
 ムーは”異世界の銘酒”と書かれたラベルの付いた瓶を傾け、自らのコップに注ぎ…瞬く間に飲み干した。
「…んー…そのお酒、高かったのだけどねぇ…。それはともかく、あなたには少し強すぎない?」
 一応ムーも十七歳ではあるのでしきたりの上では成人を迎えている。だが、外見がどうにも子供らしさが抜けていないため…メリッサはそう訊かずにはいられなかった。
「ジュースじゃないの?」
「もぉ…、それ、お酒よ。何だか知らないけど…よっぽど強いのね。」
「…強い?」
 ムーは酒瓶の先を握ってメリッサへと突き出しながら…
「これ全部飲めればもっと強い…?」
 とんでもない事を口にした。
「…んー…だからねぇ…」
 困ったような口調で言葉に詰まりながら…それでいて何処か楽しそうな表情で、メリッサは…ムーが今にも口につけそうになっている酒瓶を押さえていた。
 
 その後、皆に酒が回り始めたのか…半ば無礼講の様な状態になっていた。
「やれやれ…、皆すっかり酔ってるなぁ。」
 モーゲンの息子にしてメリッサの兄の長身痩躯の青年、ニーダは忙しく立ち回っていた。
「……。」
「ん?どうした?メドラ?」
 下を見ると空の皿を自分へと差し出している少女の姿があった。
「…お代わり。」
「ああ、はいはい。ちょっと待ってね。」
 酒のつまみをテーブルへと置いた後、すぐにムーから皿を受け取って…シチューを一杯に盛ってやった。
「…記憶失っても好きなモノは変わらないんだな。」
「そおねぇ…。」
 自分の席に戻ってバリバリとシチューへと手をつけるムーを見て…ニーダはメリッサ共々苦笑した。
「けど、まだあの子は僕らの事を”家族”としては見ていないみたいだな。」
「やっぱり、親分さんの盗賊団が今のあの子の家の様なものなのかしら。」
「…そうかもしれないな。」
 大盗賊と言う不名誉な肩書きとは裏腹に、面倒見が良い性格からくる人間らしい生活環境のお陰で、ムーも生きていられたばかりか人間的な成長もできた。
「格好はやっぱりアレだけど良い人だよ、彼は。」
「そうよねぇ…ふふ。」
「もし、僕らの知るメドラが戻ってこなくても僕は彼になら任せられると思っているよ。」
 盗賊団と言う汚れ仕事に身をやつす場にいるにも関わらず、人間らしい強さを持つカンダタ…今のムーがあるのも彼女を擁護する立場にある彼のその強さのお陰かもしれない。
 
「やっぱりあんたも苦労してんだなぁ…。思わず涙が出ちまったぜぇ…。」
 周りが全員寝静まった後の食卓の中…大量の酒をあおり、顔を真っ赤にしながらカンダタはモーゲンと固く握手を交わした。
「そなたこそ…よくぞその様な過酷な人生に屈せずに生きてきたものだのぉ…。」
 互いの苦労話をしている内に、カンダタとモーゲンはいつしか意気投合していた。
「…そうなんだよ。何だかムーの奴がブービートラップなんか仕掛けた日にゃ…」
「……なるほどのぉ…。わしもサイモンめが要らぬ事に手を出した時は…」
 それは境遇に対する愚痴だったり、或いは苦難の中で見い出した人生の指針だったりしたが…彼ら二人はゆうに三時間ほど酒を酌み交わしながら語らっていた。
「…うむ、そなた…なかなかいけるクチじゃの。」
「モーゲンさんもな。…また一緒に飲もうぜ。」
「……そうじゃな。」
 彼らは互いに席を立ち最後にもう一度手を交わした。
 
「…して、どうであった?」
「はっ…間違いありません……。あやつこそ貴方様の望むものであると存じます。」
「……そうか。」
 暗闇に包まれた円卓の間の中から響き渡る二つの声…その者達の姿を照らし出すのは幾つかの暗幕の隙間から漏れた日の光だけであった。
「悟りの書に選ばれずして、その叡智を得たが故に全てを失った女…か。」
 厳かな雰囲気を感じさせるややしわがれた低い声で、上に立つ者の方がそう呟いた。
「…だが、ヤツの周りには決して侮れぬ者達がいるようです。」
 別の方から二者の話に割り込むように何者かが話し掛けてきた。口調から見ると彼もまた家来の一人のようだ。
「……行く手を阻むならば、薙ぎ払うまでよ。」
「…ならばいかがしましょう?あの者を遣わせましょうか?」
 円卓を囲む者の一人が上に立つ者にそう進言した。
「いや…」
 しかし、彼は頷かず…
「ワシ自ら赴こうではないか。」
 皆が予想もしない答えを返した。
「!」
「本気で仰っているのですか?」
「…何も貴方様御自ら出ずとも…我等が…」
 特にうろたえた様子こそ無くとも、上の意外な返答にこの場にざわめきが起きた。
「なに、そう固い事を言うでない。ワシとてこのような所にこもっていては技が鈍るのでな。」
「……閣下…。」
「では出発は三日後じゃ。今回の相手は幼子と言えど、何をしでかすか分からん。備えを怠るな。」
「「「「はっ!!」」」」
 上の者の言葉と共に解散となり、椅子を引く音がガタガタとうるさく鳴り響いた。
 
「…見える……私には見える……。」
「女王様…?」
 白いカーテンの影で女王と呼ばれる者が呟くのに対し、近くに控えていた側近が振り向いた。
「……大いなる災いを招く者が今動き出そうとしている…。これは人の手では到底止められるものではない…。」
 彼女はは事の深刻さを表わすように厳かな口調で語った。
「人の子が数多の勇者の犠牲の中、一時の平穏の中にあるその裏で…彼の存在は世界を滅ぼすに足る者となりました。こうなった以上、私は神の御使いの名において…彼の者と対峙せねばならないでしょう。」
「はっ!…ですが…!」
『我が子の事……くれぐれも頼みましたよ、お前達。』
 女王がそれだけ言うと、カーテンに映っていた影が消えた。
「…女王様…!!」
 既にそこには何者の気配も感じられなかった。

ピシッ…!!
 突如として光を湛えていた水晶玉に罅が入った。
「……!」
 嫌な音を立ててそれが砕け散ったのに対し、その主は思わず息を飲んだ。
「…こんな……事が……」
 割れた破片に映し出されていたのは…全てを焼き尽くす灼熱の炎…枯れ果てた木々……そして…
「……流れを変えうる程の存在が…現れるというの……?」
 程なくして、水晶の欠片に宿る光は儚く消え…薄暗い部屋を照らすのはカーテンから漏れ出た光だけだった。
 
(第十三章 生命の樹海 完)