生命の樹海 第九話
―カンダタ…カンダタ……
「……?」
―目を覚まして、カンダタ…
「…あ…?誰だ……?」

「カンダタ!」
「!」
 誰かに呼びかけられるのを感じて目を覚ますと、目の前には見慣れた赤い髪の少女の姿があった。
「……お…お前…無事だったのか……。」
「…大丈夫。」
「そうか…。そいつは良かったぜ…。」
 カンダタはゆっくりとその場から起き上がり、改めて辺りを見回した。節々が鈍い痛みを伴うのを感じながら目に入ってくるのは…石造りの壁と窓から差し込む日の光だった。
「……あんなバケモノ二人に追っかけられて…よく無事だったな…俺達…。」
「……。」
「ああ、そうだ。姉ちゃんとマリウスの奴…何処行っちまったんだろうなぁ…。」
 ふと、途中ではぐれた二人の事を思い出した。遁走するムーを追いかけるメルシーがばら撒いたメラゾーマを初めとする呪文に巻き込まれていてもおかしくない。
「心配ない。…もう動けるみたい。これもあの人のお陰。」
「…あの人?」
 呟いた言葉に対して聞き返すと、ムーは扉の方を指差した。
「おお、気が付いたか。若いの。」
 そこに立っていたのは背の低い…それでいて体格の良い髭面の男だった。
「…あ…あんたが助けてくれたのか?」
「まぁそうなるか。なに、おぬしは娘を今まで守ってきてくれたのだ。他に何も出来ないのはすまないが、ゆっくりと寛いでくだされ。」
「娘…って、あんた…ムーの親父さんか!?」
 カンダタはこちらに歩み寄ってくる男に思わず瞠目した。
「ふむ…正確には『ムー』ではなく、『メドラ』の父と言う事になるか。わしはモーゲン。今は世界樹の監視者を勤めておる。」
「世界樹……。」
 メリッサが故郷の近くに位置すると兼ねてから話していた不思議な力を持つとされる木…そしてムー…メドラの父親……
―…ここが…ムーの本当の家なのか……。
 ここに来る過程はともかく…ようやく目的地に着いたという事実に、カンダタは少しの間どう受け取っていいかわからず動きを止めた。
「今のこの子に、父と名乗る資格などわしには無いかもしれんな…。あの時無理にでも止めておけばの。」
「……あ?こいつがダーマに行った事か?」
 ”メドラ”はかつてダーマに赴き…強力無比な力を手にして、そして反旗を翻した。反逆者と恐れられ…蔑まれるばかりか、自らの存在そのものも失った。
「…この子も行きたいとは言っていたが……今思えばメリッサの元を離すべきではなかったのだな…。メドラを歪めてしまったものは…家族から引き離された苦しみなのかもしれんな…。」
 モーゲンはムーを一目見た後、遠い目をして僅かに沈黙した。
「だが…そなたに拾われた時の事を聞いている内に、これも運命なのかと思えてきてな…。」
「…あー……いや…どうも見てられなくてな…。カザーブの連中はコイツの事を恐れて近づこうともしねぇし…。死にかけても誰も助けてやろうともしねぇんだ。」
「そうだったか…。」
「ここで放っときゃ後味悪いしよ…それにだ…俺は…」
「……む?」
 カンダタの何処かもったいぶったような口調にモーゲンは僅かに目を細めた。
「いや、何でもねぇ。まぁ実の親であるあんたに逢わせてやれて良かったぜ…。」
 しかし、カンダタはそれ以上何も言わずに言葉を切った。
「………朝食が出来ておる。まだ全快しておらぬそなたの為にそれなりのモノを作っておいた。粗末なモノだが…せめてものもてなしだ。」
「おっ、メシあるのか?ありがてぇ…是非ゴチになるぜ。」
「ああ。遠慮はいらん。そなたの口に合えばよいがな。」
 カンダタはベッドから身を下ろし、ゆっくりとドアへと歩いていった。
 
「…あー美味かった…。ごっそさん。」
 朝食を終え、カンダタは外にある切り株の一つに腰掛けた。
「お粗末さん。どうよオッサン。おやっさんの料理の味は!」
「レフィルの嬢ちゃんといい勝負だったな…。」
「ああ、あの娘と?…まぁそりゃあ確かに大したモンだったけどよ。」
「まぁ美味けりゃなんでもいいだろうぜ。…お前が料理が上手いってのが納得できた気がするぜ。」
「おいおい…オッサンが褒めると何か気味悪く聞こえるぜ?」
「るっせぇっ!!」
 またもやマリウスにからかわれ、カンダタは彼に怒鳴りつけた。
―そういや…ありゃあただ嗜んでるってレベルじゃあなかったな…。一体何処の料理人に習ってたんだろうな。
 マリウスはカンダタの言葉から…レフィルという少女があの年齢で既に…皆の舌を満足させるだけの料理を作れる程…一流レベルとも呼べる腕前を持っていた事を思い出した。
「カンダタ殿、我等が作った食事、気に入っていただけたようだな。」
 二人が揉めている所に、モーゲンが歩み寄ってきた。
「おぉ、モーゲンさん。いやぁあんたにはホント感謝してるぜ…!」
「それを言いなさるな。これもかつての我が娘を養ってくれたもてなしのほんの一部に過ぎんしな。」
「……あんた…ホントいい人だわ…。カタブツでも、俺ぁあんたの様なヤツは嫌いじゃないぜ。」
 カンダタはモーゲンの肩をがしっと掴み、顔を合わせた。
「そうか。まぁ暫くゆるりとくつろがれるがよかろう。何かあったら遠慮なく申し付けて下され。」
 モーゲンは厳かな雰囲気が漂う皺が入った顔に柔和な表情を浮かべ、再び家の中へと入って行った。
「そういや、姉ちゃんとムーの奴は何処行ったんだ?メシ喰った後すぐ出てっちまったみてぇだけどよ。」
「ああ、メリッサちゃんはニーダさんと一緒に村の人達に挨拶に行ったみたいだぜ。メドラならその辺にでもいるんじゃないか?…まだこの辺の事思い出していないから変にうろつくなってメリッサちゃんに釘刺されてたからな。」
 人当たりの良い性格からも、メリッサが故郷の者への挨拶をするのは何の不思議でもない。
「…そうか。……つーかあんなドタバタの後でよく山火事にならなかったよな…。」
「ああ、そりゃあこの村には凄い人達が山といるからな…メルシーさんも含めてな。」
 密林地帯でメラゾーマを連発して、この辺り一体が焼け野原になっていない方がおかしい…カンダタは先日のお仕置きの事を思うと自然と身震いがした。
―…ヤバイだろ……、よく今まで保ってたな…。
 見た事も無いような凄まじい炎を大量に発生させ、全てを焼き尽くすあの大魔女の猛威を止めるだけの叡智と力が果たして本当にあるのだろうか…カンダタはふと、その様に考えさせられていた。
「…で、あの爆弾オヤジとムーの母ちゃんは今何処に…?」
「あんまり長引くからって魔法オババさんがバシルーラで何処かの海上に送ったってさ。…多分今も戦ってるんじゃないかねぇ…。」
「…戦ってるのかよ!!?」
 人智を越えた者同士が今も尚戦っている…というよりあれ程の力の持ち主が二人もいるという事実に…未だカンダタは動揺を隠せなかった。

「………。」
 背後に深い森が控える断崖の淵に…赤い髪の少女が腰掛けていた。

―…ふぅ、何度やっても駄目みたいね…。
―……。
―落ち込まないで。出来ない物は仕方がないわ。
―でも、飛べるようにはなりたい。
―そうね…。じゃあまた明日頑張りましょう。
―メリッサ…。

「おうムー、こんな所で何してるんだ?」
 物思いに耽っていた時、後ろからカンダタが声をかけてきた。
「カンダタ…」
 ムーは座っていた崖から立ち上がり、カンダタへと向き直った。
「別に…ただ海を眺めていただけ。」
「そうか。まぁアレだ…とうとう着いたな。」
 カンダタは少し距離が離れた所にある祠を指差してそう言った。
「…長かったな、ここがお前の故郷か…。良いとこ住んでたじゃねぇか。」
にゃーん
 ムーに語るカンダタの足元に二匹の白い猫がじゃれてきた。
「何だ、この猫は?」
「ライオとチータ。」
「……??野良猫じゃねぇ……か。」
 毛並みがそれなりに整っている事から飼い猫である事は間違いないだろう。
「ああ、親父さんに名前聞いたのか。」
「違う、この子達の事は少し思い出した。」
「……!」
―思い出した…?…”メドラ”の記憶か……。
 今目の前にいる少女は…いつものムーでは無く、もう一つの人格…メドラ…おそらくはその断片である事をその一言で察した。
―そうか…。なら俺が起きたときのあいつも…。
「……カンダタ?」
「…ん?…ああ、悪ぃ。どうした?」
 
「………まだ…怒っている?」
 
「……はぁっ!!?」
 彼女の突拍子も無いような質問に、カンダタは思わず声を裏返した。
「ど…どういう事だよ…?」
 一体いつの話なのか…彼は驚いてすぐに、ムー…メドラに尋ね返した。
「…私は人を殺しそうになった。」
「……あぁ、あれか。」

―…ハッ…!ざまあないね…このアタイが……。
―ザキ
―マホトラ
―…!!……だから何で邪魔するの?
―…昔のあなたに戻っちゃ駄目よ。ホレス君達と旅していた頃の優しいあなたは何処へ行ったの?
―……?
―…たく…何してやがんだ…。今度ばかりはやりすぎだろ…。
―……。
―お前な……人間にザキ使うなってアレだけ言ったのによ…
―敵を殺して何が悪いの?
―……ッ!?…ふざけんなぁっ!!
―ッ!?

「あの後…あなたは凄く怒っていた。」
「……あー…あのな…俺だってお前を引っ叩きたくなんかねぇんだ。だから…アレだ。人殺しなんかお前なんかがする事じゃねぇんだ。」
「………。」
「人殺しはよ、一生殺した奴等の業を背負って生きていく事になるんだ。…俺はお前にんな面倒で苦痛になるモンなんか背負わせたくねえんだよ。」
「……業…。」
 まるで分からないといった具合に…ムーは首を傾げた。
「だからよ、ムー…イヤ、今はメドラって呼ぶべきか?」
「ムーでいい。」
「あー…ならそう呼ぶわ。」

―…つーか、お前の本名…いい加減教えれ!生死を共にする仲間に対しても黙ってるつもりか!
―答えたくても覚えてない。…それにムーという名はあなた達が付けた名前だから。
―…あっそ。んじゃ…あばよ。

―ホント色々思い出してきたんだな…。
 今カンダタの前にいる少女の人格は、メドラであってメドラでは無い…記憶を殆ど失っているため、未だにこの土地に慣れない様子からも見て取れる。それでも、シャンパーニの塔を出た時よりは…強力な攻撃呪文を含めて多くの事を思い出しているようだ。
「無用な殺生を避けろとか坊主が言うようには煩く言わねぇ。けどよ、お前自身の為にな。…下らない奴を殺して要らぬ面倒なんざゴメンだろ?」
「……それがあなたが怒っていた理由?」
 言い聞かせるような口調で語るカンダタに彼女は少し間をあけた後尋ねた。
「…ああ。今思えば余計なお節介とも思えるけどよ。命のやり取りに殺さずもクソもあったモンじゃねぇからな…。」
 カンダタは何処か言い難いのか…罰が悪そうに目を逸らしながら言葉を返した。
「…でも、あなたがそう言うなら私はそうするだけ。」
「……?…素直じゃねぇか。」
「…私はあなたに助けられた。だからあなたが言う事には逆らわない。」
「おいおいおい、別に俺はお偉い様なんかじゃあねえんだ。お前の好きに生きればいいんだよ。」 
 今の”ムー”からはいつもの様に飄々とした雰囲気は感じられなかった。そんな彼女を見かねてカンダタはそう言った。
「好きに?」
 彼女はカンダタを見上げて首を僅かに傾けた。
「人間ってのは本来自由なんだよ。お前がどんな道を歩もうがお前の人生だ。そりゃあ俺だって多少は煩く言うかも知れねぇけどな…ホラ、普段お前が…ってのも変か…いつもの様にイタズラしまくったりドラゴラム唱えて皆をビビらせたりとかしてるじゃねぇか。それぐらいハチャメチャでも良いんだよ。」
 人は必ずしも自由ではない。人と人とのつながりや、周りの環境に感化されていく内に何かに捉えられて行く様な人生を送る者が多い。…だが、その様な中でも窮屈さを微塵も感じさせない生き方をする者達もいる。
「……わかった。ありがとう、カンダタ。」
 カンダタの意を察し、自分への想いを感じ取り…彼女は頷いた。
「あなたの事は死ぬまで忘れない。」
 最後にそう言って、彼女は目を閉じた。
「……んだよ、大袈裟だっての。」

 そして…その後程なくして…
「……む〜…??」
「…で、お目覚めかい、ムー。」
 目をあけて頭をポリポリと掻きながら首を傾げている少女に向けてカンダタは呼びかけた。
「………ここは何処?」
「だろうな…やっぱりあの時と同じだ。…で、何処まで覚えてるんだ?」
「空飛んで逃げたメルシーを追いかけたところまで。」
「………。」
 この後カンダタは、何も憶えていないムーに一から状況を説明しなおす羽目になった。
―…まぁいっか。
 しかし彼の目には気だるさを感じさせず、何処か嬉しそうにも見えた。
―……すっげぇややこしいけど、まぁ面倒見てて飽きねぇもんな。
 空を駆ける数羽の鮮やかな色彩の羽を持つ鳥達をよそに…カンダタはその様に感じていた。