生命の樹海 第八話
 光の円が魔法陣と化して…その内から膨大な魔力が噴き出して圧倒的な力となってその範囲内を丸ごと飲み込んだ。暴走した魔力が全ての木々を薙ぎ倒し、ムーの幻はそれらに巻き込まれて文字通り霧散した。
「うぎゃあああああああああああっ!!!??」
 もちろん…その広範囲の攻撃に巻き込まれたのはムーだけではなかった。カンダタ達もその絶対的な攻撃に抗う術を持たず、あっけなく巻き込まれてその奔流の中へと消えた…。
「おーほっほっほっほっほっほ!!!流石にこれは疲れるわねぇっ!!!」
 高笑いしているその様子からは…全く疲労しているようには見えない。
―……もぉ…勘弁してくれぇええ…っ!!
―運が…悪かったわね……
―だぁあ…やっぱりこうなるのか…
 魔力の奔流が収まった後…先程のメラゾーマを受けた時よりも遥かに深いダメージを負って、三人は地面へと突っ伏した…。

「………。」
 離れた位置から…凄まじい威力の魔法によって荒れ果てた大地を眺める影…それは突如としてその姿を現した。
「…………逃げ切った…。」
 ふぅ…と息をつきながら彼女は近くの木にもたれかかった。レムオルで姿を消してマヌーサをおとりにしてようやくここまで逃げてきたのである。
「………でも、行くところも無い。」
 このまま出て行っても…母親を名乗るあの魔女に見つかってしまえば一巻の終わりである。
「けど…行かなきゃ。私には…まだやる事がある…」
 ムー…否、メドラと呼ばれるもう一つの人格は気配を消しながら森の奥へ奥へと進んでいった。
グルルルルルル…!!
「………。」
 目の前に先程見たよりも一際大きなグリズリーがあからさまな敵意をむき出しに彼女を見下ろした。
「……邪魔。」
グガァアアアアアアッ!!
 その動きも他のグリズリーよりも一線を成した動きだった。より素早い動きで鋭い爪をムーへ向けて振り下ろした。
ギィンッ!!!
ガァアアアアアッ!!!
ガンッ!!!
 理力の杖で一度受け止められただけでは止まらず…巨漢のグリズリーは巨体に似合わぬ連続攻撃を叩き込んだ。
「………。」
ギィンッ!!
「隙。」
 攻撃が途切れた一瞬を突き、ムーは理力の杖を熊の鳩尾目掛けて放った。
ドゴォッ!!!
グガァアアアアアアアッ!!!
「…!」
 しかし、本能でその致命的な攻撃を察知したのか…僅かに狙いを外されて痛烈な反撃を繰り出してきた。
「スカラ」
 ムーは身を固めながら自身に防御呪文をかけた。見えざる力がグリズリーの攻撃が及ぼす打撃力を緩衝した。
「相討ちはやだ。…でも、面倒。」
 理力の杖でけん制しつつ再び間合いを取り…ムーはぽつりとそう呟いた。
グルルルル…
 グリズリーはじわじわと近づいてくる…気付けば、ひとっ飛びでこちらへ攻撃が届く程度の距離にまで入っていた。
―…来る。
グガアアアアアアアッ!!!!
 攻撃の意思を認識したと同時にグリズリーが目にも留まらぬ速さで腕を突き出してきた。
「……召喚」
 同時にムーは理力の杖で迎え撃つ形を取りながら、左手を虚空へとかざした。
ガァンッ!!!
 グリズリーの攻撃が理力の杖に当たると同時に、ムーは後ろへと吹き飛ばされた。
…!!?グ……!?
 しかし、彼も…突然痛みを感じて一瞬動きを止めた。そして…今の獲物たる赤毛の魔女の方を見た。
「……ザキ」
 先程前方へと差し出されている手に握られているのは…漆黒の柄を持つ、機能的な殺傷能力を持つ短剣だった。それに唱えられた呪文が持つ負のオーラとも形容できる不穏な雰囲気が纏った。
グォオオオオオオオッ!!!
 その少女の体勢に隙を見出し、グリズリーは一瞬で間合いを詰め…彼女の頭を叩き割らんと腕を振り上げた。
ドッ…!!
…!!?
 しかし、その丸太の様な腕が振り下ろされる直前…グリズリーは硬直した。
「残念。」
ザンッ!
 慈悲の欠片も無く、ムーはグリズリーに手にした短剣から伸びた見えざる刃で斬り付けた。
グギャアアアアアアアアアッ!!!!
 断末魔の悲鳴を上げながら…巨漢のグリズリーは血色の塵と化してその場から完全に消滅した。
「…召喚したのは一本だけじゃない。」
 紅い霧の中から乾いた音を立てて落ちた血濡れの刃を拾い上げ、ムーは先へ急いだ。

 数時間後……
「……また同じ道。出口は…何処?」
 日が沈み始めたのか少しずつ暗くなりつつある森の中でムーは迷っていた。
―ルーラを使えれば楽なのに。
 飛んでいる所を見られてしまえばメルシーに見つかってしまう可能性が十分ある…。
「…おやぁ?アンタ…見ない顔だねぇ。」
「!」
 気配も無く後ろから声をかけられて、ムーは素早くその者へと短剣の刃を突きつけた。
「お待ち、あたしゃアンタの敵じゃあない。迷子かえ?」
「…?」
 どうやら突然現れた者に敵意は無いようだ。
「あなたも…魔法使い?」
 ムーは短剣を収めて目の前に立つ彼女を見た。至るところに皺が刻まれた顔に、赤い三角帽子とローブ…そして箒に跨っているその姿は魔女と呼ばれて相違なかった。
「そういうアンタも魔女みたいだね。…どうしたんだい?こんな辺鄙なトコまで。家出でもしたのかえ?」
 老婆は冷たい眼差しを持つ幼い少女に暖かな口調でそう言った。
「……わからない。」
 彼女は少し間を置いて…首を横に振った。
「私がムーなのか、メドラなのかも。」
「ちょっと待っておくれ?アンタ…メドラだって??」
 ムーが最後に発した一つの名前に、老婆は一度動きを止めた。そして、きょとんとした顔でムーを見た。
「…おやぁ、そうだったのかい。大きくなったねぇ…。」
 彼女はムーが被っている三角帽子を取り、頭を優しく撫でてやった。
「……私の事、知っているの?」
「ああ、知っているとも。死んだと聞いたのにこうして元気に帰って来てくれて…おっと、こうしちゃあいられない。」
 されるがままのムーに尋ねられると、老婆は感極まったように呟き…その後何かを思い立ったのか、箒を浮かせて空へと飛び立っていった。
「皆に知らせなくちゃね。…何をって?アンタが無事だって事をさ。」
「………。」
「アンタが帰ったって聞いたらメルシーも喜ぶだろうねえ…。」
「………!!!!」
「それじゃあ、そこで大人しく…」
ダッ!!
 老婆の話を聞き、ムーは一瞬目を見開き…脱兎の如くその場から逃げ出した。
「……おやおや、せっかちな子だねぇ。そんなに母さんに逢いたいのかい。それなら…」
 老婆はぶつぶつとなにやら呪文のような言葉を呟き始めた。程なくして、光を帯びた何かが空へと上がり弾けた。
「みぃつけたわよぉっ!!!メドラぁっ!!おーほっほっほっほ!!!」
「……!!!!」
 そして十秒と経たない内に、女性の狂った様な高笑いが聞こえてきた。
「さぁあっ!!覚悟は出来てるでしょうねぇえっ!!!?」
 腕組みをしながら箒の上に立っていると言う相変わらず何とも奇妙な状態でメルシーはムーの目の前に立ちはだかった。
「……やだ!」
 ムーは即座にそう返すと供にマヌーサの呪文を唱えた。
「あらぁ!!?また逃げる気なのぉっ!!?」
 バラバラになって逃げ出す無数のムーを見回しながら、メルシーは再び破壊の魔力の詠唱を始めた。
「今度こそまとめて吹き飛ばしてあげるわぁっ!!おーほっほっほっほっほ!!!」
 光の輪が瞬く間に形成され、ムー達がその外に逃げる間もなくそれは発動した。
ゴガァアアアアアアアアアアッ!!!!
 再び地面に亀裂が入り…その内から尋常では無い魔力が噴き出して…崩れた地面もろとも全てを空へ巻き上げた。
 
『……二回も…。』
 何も無い空間の一角で、少女がそう呟く声がした。
―……人間じゃないみたい…。
 広範囲への純粋なる力の解放…恐らくは相当な魔力を要するであろう芸当を二回もやってのけたメルシーは一体何者なのだろうか…?
「また同じ手に引っ掛かると思ってぇっ!!?」
『…!!!?』
 しかし、考えている暇は一瞬でしか無かった。
「姿を消した程度で隠れられると思ったら大間違いよぉっ!!ダメな子ねぇっ!!!おーほっほっほっほっほ!!」
『……っ!』
 もはや打つ手も無く、ムーは踵を返して形振り構わずその場を走り去った。
「逃がさないわよぉっ!!」
ぎゅるるるるるるるる!!!ごんっ!!!
『…!!!!!!』
 標的の姿が消えているにもかかわらず、メルシーが投げた物…少なくとも見た目は何の変哲も無いおなべのフタはしっかりとムーの頭に直撃した。
「さぁああっ!ようやく捕まえたわよぉっ!!!おーほっほっほっほっほ!!!」
ゴガァアアアアアアアアアアアアアッ!!!
『ーーーーーーっ!!!!』
 哄笑と同時に足元に光の円が出現し、その内の地面が崩壊した。
「ルーラ!」
 ムーは最後の手段…瞬間移動の呪文を唱えた……
「!?」
 が、しかし…何も起こらなかった。
―…マホトーン…!!?
 直後…自らの内に異変を感じ…その正体に気が付き…珍しく絶望が張り付いたような表情になった。
「させると思ってたのかしらぁっ!!?残念だったわねぇっ!!!おーほっほっほっほっほ!!!」
ドドドドドドドドドドドドドドッ!!!!!
「きゃああああああああああっ!!!!」
 地面からの凄まじい衝撃にその場を弾き出されて悲鳴を上げ、ムーはそのまま動かなくなった。
「おーほっほっほっほっほっほ!!これで終わりみたいねぇっ!!」
 メルシーは動かなくなったムーを捕まえようと箒を走らせた。
ギャウッ!!!
ギィンッ!!!
 ムーに至る直前に突然飛んできた何かを、メルシーは振り返らずに理力の杖で弾いた。
「おーほっほっほっほっほ!!アレを受けてまだ動けるなんて、大したモンじゃない!?アナタ!?」
「…ゼェ…ゼェ……!!…マジで死んだかと思ったぜ……!」
 息を切らしながら…斧を投げてきた張本人…カンダタは今にも倒れそうな様子でそこに立っていた。
「偉いわねえっ!!ちゃあんとこの子の面倒見てくれてるのねぇっ!!!」
「…い…いいから…もう勘弁してくれ……コイツだけじゃなくて…俺らも危ねぇ……」
 よろめきながらカンダタはムーとメルシーの間に立った。
「母さん感激だわよぉっ!!メドラぁああっ!!!おーほっほっほっほっほ!!!」
―…ああ、聞いちゃいねぇ…。
 感情が昂ぶるほど魔力が高まるのか…メルシーの周りにまた沢山の大火球が集った。
―……っていうか…こいつ…一体何発メラゾーマ使ってんだよ!!?
 必要以上に最大の呪文を使い続けて尚、目の前に立つ魔女の魔力は尽きる様子が無い…。
―そりゃあ…逃げたくもなるわな……
 自らに秘められた力を余す事無く使ってお仕置きなどされては…恐怖を覚えない方がおかしい…カンダタは”メドラ”に深く同情した。
「ウワーハッハッハッハーッ!!!娘との再会に斯様な手荒い歓迎をするたぁええ根性しとるのォッ!!!」
「…!?うげ…っ!!その声は……!!」
 巨大な火の玉を空中で弄ぶ魔女と対峙している中、突如巨大な影が二人の間に下りた。その主は大空から大音声で声を張り上げて彼らへと呼びかけた。
「ムムゥッ!?そこにおるのはカンダタ坊ッ!!!久しぶりじゃのォッ!!!」
「ちょ…ちょと待てぇっ!!?」
「ぬっはぁっ!!!!」
 カンダタが静止をかけるのも聞かず、声の主は勢いよく空高く飛び上がりそのままカンダタへと落下した。
どすぅううんっ!!!
「どぶろぉおおおおおっ!!?」
 巨体を生かした渾身のボディプレスをモロに受け、カンダタの体の中に凄まじい衝撃が走った。
「おおぅっ!!これに耐えたかぁっ!!!流石はワシが見込んだ漢じゃのォッ!!!!ウワーハッハッハッハーッ!!!」
バシィイイイッ!!ゲシィイイイイッ!!!
 フラフラと起き上がった所に間髪入れずに、巨人のように大きな掌による張り手がカンダタへと飛んだ。
「どぅわっ!!おぶっ!!!あぎゃあああっ!!!」
 自分の耐久力を超えた威力を叩き出す圧倒的な力を前に、カンダタは呆気なく崩れた。
「おーほっほっほっほ!!!お仕置きの邪魔しないでくれないかしらぁっ!!?」
「なんとぉッ!!!メルシー嬢ではないかァッ!!!奇遇じゃのォッ!!!」
「もぉっ!!いい加減に人の歳くらい憶えたらどうなのぉっ、バクサン!!!アナタより年上じゃあなくてぇっ!!?」
「ムムゥッ!!?そうであったかァッ!!?そうかそうかァッ!!!ウワーハッハッハッハッハーッ!!!」
 カンダタをいともたやすくなぎ倒した彼以上に奇天烈な出で立ちをした大男、バクサンはメルシーの指摘を果たして聞いているか聞いていないのか…更に声を上げて笑い出した。
「分からない人ねぇっ!!折角だからその根性叩き直してあげようかしらぁっ!!!おーほっほっほっほっほっほ!!!」
「ウワーハッハッハッハッハーッ!!!ワシの根性を叩き直そうとはええ根性しとるのォッ!!!」
「アナタの根性は根本から間違っているんじゃなくてぇっ!!?おーほっほっほっほ!!!」
 二人の高笑いが頂点に達した瞬間、バクサンは空高く飛び上がり…宙に浮かぶ四角い凧の様な飛行物体に飛び乗り、メルシーも箒に飛び乗ってその後を追った。
ドカーン!!!ドカーン!!!
シュゴオオオオオオオッ!!!!
 圧倒的な力と力がぶつかり合い…天地を揺るがさんばかりの轟音と戦う者同士の怒号とも狂喜ともつかぬ鬨の声が響いた。
「げほっ………さ…最悪だ……」
 周囲を巻き込みながら戦っている上空の二人を見上げ…カンダタは頭を抱えた。常軌を逸した激しい戦い…それが撒き散らす余波が早くもこちらへと迫ってきた…。
ちゅどぉおおおん!!
「ぎゃあああああああっ!!!」
 空から落ちてきた球体の爆発に巻き込まれ、カンダタは空高く打ち上げられた。