生命の樹海 第四話
 早朝の甲板から草原に降りるふたつの影…それが見やる先に広がるのは深い森…そこがムーの故郷にして今回の旅の目的地、世界樹を中心とした樹海の入り口だった。
「…着いたな。アンタの故郷って言うのはここで良いのかい?」
「ええ。ここまでありがとうね。海賊さん。」
「…ゴホンゴホン、礼は聞き飽きたよ。じゃあアタイらは帰らせてもらうとするか。お前達!!」
 わざとらしく咳払いしながらアヴェラは、近くの海賊の手下達を呼びつけた。
「お呼びで!?おかしら!」
「こいつらが目的地に着いた今、アタイらはもう用は無い。さっさと帰って本業を再開するよ!さっさと支度しな!」
「「「へ…へいっ!」」」
 海賊達は船へと戻り、アヴェラの話を皆に伝えた。
「しかし本当にこんなところに人里なんてあるのかい?」
「あなた達が言える事かしら?」
「ゴホンゴホン!…あー、不思議じゃあないね。」
「ふふ、やっぱり面白いわね、あなた。」
「…そういうアンタは恐ろしいよ。」
 さり気ない所で皆を動かすその抜け目の無さ一つとっても、まさに”魔性の女”と呼ぶに相応しい…。アヴェラは目の前に立つ赤い髪の麗人を見てそう思っていた。
「さっき箒に乗って見てきたから大丈夫。歩きだったら着くまでが迷いの森だから大変だけど。」
「迷いの森ね…。これまた大変な所にお住みのようで。」
 樹海というだけでも十分遭難の危険がある…その上更に魔境と来たら迷い込んだら最後、生きては帰れないかもしれない。
「「「「終わりました!!」」」」
 メリッサとアヴェラが話している所に、海賊の手下達が集まってきた。
「…たく、何だよ…人が折角いい気持ちで寝てる時に…」
「すっげえなぁ…まるでどっかの軍隊みたいにテキパキしてたぜ…。」
「騒音公害。」
 そしてこの騒ぎで目を覚ましてしまったのか、カンダタとマリウス…そして寝巻き姿のムーも船の上から海賊達を見下ろしていた。
「どうやらこの船を出るみたいだな。…ん?じゃあアヴェラさんよ、船はどうするんだーい?」
「アンタ達にあげるよー!船なら今頃手下どもが作ってるだろうしねぇー!」
「そうかーい!そいつはどうもー!」
 大声を張り上げながら言葉を交わした後、アヴェラは子分達を見た。
「そうだねぇ…一人二人は残して船を守らせても良いか。」
「自分にお任せを!!」
「ああ、任せたよ。それじゃあ帰るよ!」
 一人が必要な物だけを持って離れたのを確認し、アヴェラはルーラを唱えた。海賊達を光が包み、やがて彼らは空高く飛んでいった。

「…じゃあ俺たちも行こうか…ってそう言えばここって迷いの森だったよな。」
 マリウスは先に進もうとしたが、一筋縄ではいかない事を思い出し…森の一歩手前で足を止めた。
「……そうねぇ。いくら私でもあなた達全員を箒に乗せていく事は出来ないから歩いていくのが無難かしらね。」
「…結局俺達が案内するのが一番早いって事だな。じゃあメリッサちゃんは先にモーゲンのおやっさんに顔見せてくるといい。俺がオッサンとメドラを連れてくからさ。」
「ううん。…何が起こるかわからないから一応私も一緒の方が良いんじゃないかしら?」
「……だな。」
 話をまとめて頷き合った後、二人は後ろにいるはずのカンダタとムーへと告げた。
「…そういう訳で、私達が歩いて案内する…ってアレ?」
 しかし、後ろに居たのは赤い覆面に青いタイツの大男だけだった。
「んん?オッサン、メドラ何処行った?」
「……?ありゃ?さっきまでその辺に居たんだけどな…?」
「「「………。」」」
「迷子かよ……」
「いや、イザとなったらドラゴラム唱えて戻ってくるだろ。…唱えられればだけどな。」
 メリッサは自然と手袋の内が汗ばむのを感じながら今の状況が示す最悪の結末を必死に振り払おうとした。
―…どうしようかしらねぇ…。もしも…

「……。」
 三人がそれぞれの意味で自分の事を心配しているのも知らず、彼女は森の中を歩いていた。
「迷いの森と言うのはホントみたい。」 
 ムーは理力の杖の先で地面や木の幹などの所々に目印を付けながら歩いていた。
「…さっきの印。」
 刻まれているのはいずれも足跡や爪跡の様な模様で、一つ一つが何処かしら違う様に意図されているのが分かった。
―今度はこっち。
 ゆっくりと…しかし着実に迷いの森の出口へと向かっている……はずだった。
グルルルルルルルッ!!!
 迷いの森の出口へと至ったムーを出迎えたのは…グリズリーの大群だった。
「………。」
 厳つい面持ちと鋭く研ぎ澄まされた爪牙、そしてその体躯の大きさには…並みの戦士ならば裸足で逃げ出す程の威圧感を感じさせられる…。
「ハズレ引いた。」
 しかし…ムーは苛立たしげにそう呟き…理力の杖を獣の群れに向かって構えた。無表情の中に隠れた理不尽な怒りが彼女の周りを覆い始め…その不穏な雰囲気にグリズリー達は一瞬たじろいだ…がすぐに彼女に向かって飛び掛った。
グ…グオオオオオオオオッ!!!
「ルカナン、バイキルト」
 襲い来るグリズリー達に全く動じる事無く、ムーは呪文を唱えた。そして、振り下ろされた腕を紙一重でかわしてその体に杖を突き出した。
ドゴッ!!
ガァアアアッ!!?
 強烈な突きをまともに喰らい、一体のグリズリーが吹っ飛ばされた。その叫び声を聞いて他の数体が喚きだした。
ドカッ!!バキッ!!ゲシッ!!!
グガァアアッ!!?
ゴォオオオン…!!
ゴガァアアアアアッ!!
 前線で自分よりも二回り以上も小柄な少女に叩きのめされている仲間を見て、残りの大半の大熊達はその凄みに圧倒されて一目散に逃げ出した。
グ…グオオオオオオオオッ!!
 一方で、やけくそになって突進攻撃をしかけた者も居た。
「……!」
 間合いを読み違え、ムーはその巨体にぶつかり…近くの木へと吹き飛ばされて思い切り打ち付けた。
「………。」
 しかし…それでも彼女が発する圧倒的なプレッシャーは微塵も衰える様子が無かった。
「ベホマ」
 回復呪文の光が瞬く間に手負いの少女の傷を回復させ、何事も無い様に再び立ち上がらせた。
「……。」
 そして掌を攻撃してきたグリズリーへと向けた。
「バギマ」
 真空の刃を帯びた大きな竜巻が巻き起こり、魔物を空高く打ち上げた。
「ピオリム」
 今度は自身へと呪文をかけ、その力でムーは空高く舞い上がった。
ズンッ!!!
 渾身の一撃が打ち下ろされ、グリズリーはその直撃を受けて地面に勢い良くぶつかった。その後ピクピクと痙攣している…!
「…次は誰?」
 その腹に華麗に着地して、ムーは杖を構えながら自分を囲む者達に力強くそう言い放った。しかし、それ以上かかってくる者はおらず、皆ゆっくりと去って行った。
「……おー、無事か。」
 その時、後ろから聞き覚えのある声がして、彼女はそちらに振り返った。
「…遅い。」
「……イヤ、お前が先走り過ぎなんだよ。ったく、一時はどうなるかと思ったぜ。」
 カンダタは先日の海賊との戦いの時の事も思い出しつつ呆れた口調でそう言った。
「…グリズリーの大群追っ払ってるし…。やるなぁメドラ…。」
 単純に体格だけで言うならばグリズリーの方が人間より遥かに勝っているはずである。ましてたった一人で戦っているならば、それを初めとする戦力差はただ呪文を使える程度では埋め難いものであり、戦い方が重要なポイントとなってくる。
「……この様子から見ると勢いで捻じ伏せたってとこだな。」
「そうねぇ。…でも……まずいわ。」
 カンダタとマリウスが何だかんだで感心している中、メリッサは空を見上げていた。その微笑みには心なしかいつもの余裕が無い…。
フギャアアアゴオオオオオオオッ!!!
「「「「!!!」」」」
 ふと…森の奥から猫の悲鳴のような音がこちらへと向かってきた。
「な…何だ!?」
「……魔物か!?」
 カンダタとマリウスは、こちらへ迫る者に対してそれぞれの武器を手に取り身構えた。
「待って!…まさか……!!」 
ミシミシミシ…バターンッ!!
ドガーンッ!!
「……妖怪…。」
 大木が倒れる音と、爆発音を聞くと…ムーはポツリとそう呟いた…。
シュゴオオオオオオオオオッ!!!
「…メラゾーマ…!?や…やっぱり…!!?」
 巨大な火の玉が空から降って来るのを見て…メリッサの不安は確信へと変わった…!!
ドガーンッ!!
フギャアアアアアアッ!!
 火の玉は地面に勢い良く着弾し…同時に四人の目の前を何かが横切った。そして木にぶつかりそのまま失神した。…その正体は…大きな獅子だった。
「……こ…こいつは…ライオンヘッド…!?」
 ライオンヘッドと言えば獰猛かつ好戦的な性格の魔物の一種であるはずである。それが余りに情けない文字通り”泣き声”を上げながら遁走していたとは…。
「…おいおいおい!一体何があったんだ…!?…ん…?まさか…!!」
 この状況を見てマリウスもまた思うところがあるのか…メリッサ同様に空を見回し始めた。
「おーほっほっほっほっほ!!!遅かったわねぇ!!待ちくたびれてたわよぉっ!!」
「「「!?」」」
 程なくして…空に黒い影が横切ると、全員がそれに向き直った。
「お…お母様!!やっぱり来てたの!?」
 いつもの冷静さを微塵も感じさせない口調で、メリッサは空に佇む者に応えた。