生命の樹海 第二話
「久しぶりだなぁ。ムーちゃん。」
 目の前に立つ黒髪の青年が親しげに話しかけてきたが…
「あなた、誰?」
 ムーの反応は極めて無情な物だった。全く覚えが無い…
「だぁっ!?」
 腰を折られて彼は大仰に後ろに転んだ。
「……憶えてねぇか…。まぁそりゃあもう半年も前の事だからな…。」
 起き上がりながらその男…サイアスは苦笑した。
「…で、どうしたんだよキリカ。」
 そして、背中にしがみついている銀髪で褐色の肌を持つ女に顔を向けた。
『サイアス様……まずいわよ…その子…メドラよ。』
 その女…キリカはいつものおどけた口調を抜きに、周りに聞こえぬ透き通った声でサイアスに耳打ちした。
「…メドラだって?」
「そうも呼ばれている。」
「!」
 彼が思わず口に出してしまったのを聞き、ムーは言葉を返した。
『…やっぱり……!』
『おいおい、何ビビってるんだよ。お前らしくない…。』
『だってぇ…その子…あのエセ勇者ちゃんの仲間なんでしょ?…だったら…』
 キリカは目の前に居る魔女の仲間を手にかけた…。それを知られてしまったら、いかに温厚な性格であろうと黙ってはいないはずである。まして…
『……あの咎人相手じゃ…アタシ…一方的に殺されるだけだわ…。』
 彼女の脳裏にある日の光景が蘇った。

―おのれ!!咎人め!!
―うるさい。
ギィンッ!!
―…くっ!!?
―召喚
ドスッ!!
―がっ…!?…な……な…に…
―ザキ
―…う…うわあああああああっ!!?
―……邪魔するから。
―………あ……!!

『…そんなにすげぇのか…?』
『……もう死神としか言い様が無いわよ…。』
 その時に起きた事が頭に浮かぶ中、キリカは簡潔にその”咎人”の恐ろしさをサイアスに伝えた。
「メドラの話?」
「「!!」」
 内緒話をしているのに痺れを切らしたのか、ムーは二人にそう尋ねた。
「…あ…いや…あのな…」
 聞こえてはいないようだったが、図星を突かれてサイアスはばつの悪そうな顔をした。
「でも、今はムー。メドラとは関係ない。」
 言葉に困る彼にそう言って、ムーは理力の杖を再び肩に担いだ。敵意は無いとでも言いたいのだろうか。
「……だってよ。お前がその”メドラ”ってのを怖がるのは分かるけど安心しろって。」
「…そ…そうよね…。」
 まだ何も知らない以上、下手に刺激する方がかえって怪しまれる…キリカはこの手の仕事での初歩すら忘れる程の恐怖を払拭し切れずにいた。

「それでも地球は回っているのだ。」
 海賊達についていった先にいた男は、力強くそう言った。
「……地球が回ってるだって?……??」
 カンダタは訳が分からないと言わんばかりに首を傾げた。
「…ああ?メリッサちゃん、んな話聞いてたか?」
「そうねぇ…。悟りの書で確かそんな記述もあったかしら?…詳しく読んでないからどのように回ってるのかも分からないのだけど…。」
「だよなぁ…大体…地球が回ってるって事自体突拍子もねえ話じゃねえか。」
 その突拍子も無い話とやらに目の前の男は行き着いている。何処からその様に思い立ったのだろうか?
「…人は己の観点を省みようとしない…だから私達の話を聞こうとせず、厄介払いにこの地へと追いやったのだ。」
「……。」
 もっともらしくそう言い放つ中年の学者風の男の話を、カンダタ達は黙って聞いていた。
―…そりゃあ同情の余地もあるけどよ。
「私を追放したのは古き考えに妄執する寺院の者達だ。…神により築かれた世界、それを冒涜する者として私達は裁判にまでかけられた。」
 その後の話を聞く限り、彼らはただ自分達の意見を曲げずにいただけであっただけだと言いたい様だ。
「……へぇ。随分と色々やってたんだなぁ。…で、何処から追放されたって?」
「サマンオサだよ。」
 学者の変わりにアヴェラが彼らの本来居るべき地を答えた。
「ああ…そりゃあ……そうだわな。」
 今のサマンオサは…人々はあまりの圧政に苦しみ脱出を試みるが、彼の国を囲む高山を越える唯一の手段…外部への旅の扉を通る事は許されず、山越えに挑んだ者も…一人として国には戻らなかった。
「…だが、こうして追放されてたおかげでかえって研究に目くじらを立てる者も居ないのもまた一つの事実。私達が得た研究成果…かつては国に捧げるはずだったのだが、受け入れられる物で無いのであれば…もはや無用の長物に過ぎん。ならば…と思い、彼らに我らが持つ知識を与えたのだよ。」
 学者は海賊達を見やりつつ、そう言った。
「海賊の首領殿は話の分かる方でね、あっという間に我らが得た結論から独自の航海術を身に付け始めた。」
「そうそう!そうして以来俺達は食うに困ることは無くなったわけでさ。」
「うむ。今の彼らこそが一番海に通じていると言って過言ではないだろう。七つの海をまたに駆けるとはよく言った物だ。」 
 アヴェラ率いる海賊団”赤の月”が悪名高くなったのは世界中の海に現れて数多くの略奪を行ってきたからに他ならない。海での旅と戦い方を理解している彼らだからこそ成せる事だろう。
「…何より真っ先に驚いたのは地球は丸いって事だったなぁ。」
「そんでもって実際に地球一周してみたらホントにその通りでやんの。」
 無論の事、海賊達も初めから学者の知識を鵜呑みにしていた訳ではなかったが、実際に旅する内に結果として彼らの説を実証するに至るにあたり、彼らの話に更に興味を持ち始めたのが発端の様だ。
「…何か当たり前の様に思っていることでも色々…だな。」
「まぁそりゃあちょっと考えりゃ思い当たるかも知れねぇけどな。だがまぁ…地球が回ってるってのが未だにわっかんねぇな。否定は出来ねえけどよ。」
 地球が丸いと言う事は誰かが実際に世界を横切る事を成し遂げる事で実証出来るが、この大地その物が別の存在の周りを回っていると言うのはカンダタ達にとってはそれこそ突拍子も無い話だった。


「…なるほどな。確かに面白かったかもな。」
 カンダタは学者の家を後にしながら傍を歩くアヴェラにそう言った。
「だろ?ここはああ言う変わり者の溜まり場なんだ。…中にはアイツの様にアタイらに有益なヤツらもいるって事さ。」
「……つっても、あのオッサンの話…イマイチ理解出来ねえな…。」
「なんだい、アンタもオッサンじゃないのかい?」
「うっせぇっ!!黙ってろクソガキ!!」
―…へぇ、やっぱり気にしてんだね。
 ニヤニヤと笑っているアヴェラにカンダタは目を光らせつつ怒鳴った。
「…んにしてもムーのヤツ、何処行きやがったんだ?」
 先程の学者のところに訪れた時も何処かへ行ってしまって居合わせていなかった。
「んん…すぐ見つかると思うけど?」
「狭い島だもんねぇ。」
 メリッサとアヴェラは小さな島を見やりつつ口々にそう言った。
「……だと良いけどよ…ん?」
 話している傍で、赤い髪の少女が数人を伴ってこちらへと歩いて来た。
「噂をすれば…あら、メドラ。そこに居たのね。」
 メリッサは腰を屈めてムーの目線に顔を合わせた。
「……話は終わったの?」
「ええ。とても面白いお話が聞けたわ。良かったら後で聞く?」
「………聞かなくてもどうせ話す、多分。」
「あら?そうかしら?」
 妹の思いもよらぬ言葉に、メリッサは思わず苦笑した。
「…へぇ…アンタがカンダタか。」
 ムーと共に居た黒髪の戦士風の青年がカンダタの出で立ちを興味深そうに眺めた。
「……あ?まぁそうだが…どうしたよ、ボウズ。」
「………その格好…もうちょっとどうにかならねえのか?」
「…んだとゴラァッ!?これこそが漢のあるべき姿って奴だろうが!?」
「……一歩間違えたら変態。」
「だぁあっ!!?黙ってろガキ共!!」
 またもからかわれて、カンダタは再び怒鳴り声を上げた。
「ちょっとぉ!サイアス!なに人の事バカにしてるのよぉっ!!」
「…!やべっ!!」
ぶおんっ!!
ドガッ!!
 サイアスと同年代と思しき女性の声と同時に凄まじい唸りとそれの発生源の衝突音がした。
「ゴ…フゥ……またか…お主には年寄りをいたわる心が無いのか…」
 それは緑のローブを纏った老人の顔面に直撃した。彼は鼻血を撒き散らしながら後ろへと倒れていった。
「俺はまだ死にたくねぇだけだ。しかもあんなカッコ悪い殺され方はカンベンだ…。」
「ちっ…また外したわね…。覚えときなさいよ。」
 蒼い髪の神官の姿の女性がトゲ付きの鉄球を振り回しながら毒づくのに、サイアスは肩を竦めた。
「当てる気満々かよ…怖ぇな…。」
 自分達がした事…片や危険な得物を振り回し、片や躊躇無く老人を盾にしたとは思えない程の厚顔さで話していた。
「……何やってんだか…。」
 カンダタは目の前で繰り広げられている喜劇を呆れた様子で見ていた。